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釣堀の人

作者: 神楽月 樹

 ねずみ色の海面にお気に入りの赤い木製のウキが波に揺られて浮かんでいる。赤いウキは右に揺れては返り、左に揺れては返る。かれこれ一時間は経つだろうか。雲一つない薄い青空の下で俺はウキが沈むのをただじっと待っている。もう餌は波に流されたか、あるいは魚がうまく餌だけとっていったのだろう。そんな気がする。でもそれを確認するのは面倒くさい。餌がついていようがついていまいが、どうせ魚なんか釣れっこないだろう。大きな波が岸壁とテトラポットにぶつかるように打ちつける。これで魚が来たのだろうか。それから三十分ほど何もせずに釣竿を握っていたが、結局赤いウキが海面に引っ張られるように沈むことはなかった。


 俺はようやくリールを巻いて海中から鈎を引き上げる。釣り餌としてつけておいた小エビはやはり無くなっていた。クーラーボックスから小エビを四、五匹鈎につけ、軽く竿を振った。十メートルくらい先に重りがぽちゃん、と音をたてて海中へと沈んでいく。赤いウキは海面にさっきのようにゆらゆら浮かぶ。俺は適当なところでリールを止めて岸壁の上に座り、また魚が餌に食いつくのを待つ。


 今日はもったいないくらいの快晴だ。平日だからほとんどの真面目な大学生は電気のついた薄暗い部屋の中で背筋を曲げているのだろう。俺も本来はそうしていなければならない。だが面倒だった。大学に行かなくなってどのくらいになるのだろう。そうした時間感覚がすごく曖昧だ。大学をサボり出した頃は多少なりとも罪悪感があったのか、サボった日数を把握していた。それがいつの頃からか大学へ行かないことが日常になってしまった。俺はほとんど使うことがなくなってしまった携帯電話を取り出してディスプレイを見てみた。五月二十四日、月曜日。時刻は十一時を五分まわったところだった。


 ついでに新着メールの確認をしてみたが、メールは一件もなかった。わかっていたことだ。俺がいなくなっても困る奴は大学にはいない。むしろ俺がいなくなったことに気づいている人間がいるかどうか。ちょっとしたきっかけもつかめず、馴染んだような空気が苦手な俺がいる場所じゃないことは今までの経験からわかっていたはずだったのに。期待してしまったんだろう、新しい環境と生活に。この大学だってやりたいことがあって入ったはずなのだ。けれどその目標や期待はいつの間にか萎んでしまっていた。消えてしまった夢が何だったのかさえ思い出せない体たらくだ。それはあまりにも毎日が平穏すぎた。刺激も興奮もその中にはなかった。毎日が同じ繰り返しといったわけでもなかった。むしろそっちの方が何も考えずに過ごせるだけマシなようにさえ思える。ただ毎日という時間の中に俺がいる状態。どこにも行かず、どこにも属せず、歩くことさえ億劫で、煙草と金ばかりが減っていく生活。


 左手にもった携帯電話を見つめる。半年前に買い換えてから一体どれだけ使ったのだろう。最後にこの携帯が鳴ったのは確か三日前のことだったか。二年勤めたスーパーのバイトをその日初めて無断欠勤した。三回は携帯の着信が鳴ったような覚えがある。俺はそのときは確か漫喫でココアを飲んでいた気がする。そうだ、店員から何度かマナーモードにするよう注意された覚えがある。そして俺はバイト先に電話を折り返すことなく、携帯の電源を切って漫画を読みふけっていたっけ。それにしてもあのときはなんでバイトに行かなかったのだろう。その日も今日のような快晴だった気がする。いや、雲は出ていたかもしれない。気温だってこの時期にしては寒かったような気もする。そんなことではなくて朝の星座占いで蠍座が八位とかいう中途半端な順位だったせいか。とにかく三日前のことも思い出せない。ぼんやりと生きてきたせいか、何の答えや方法も導けない。


 にわかに赤いウキが海中に沈み、竿が引っ張られる感覚に気づいた。俺は立ち上がり、急いでリールを巻き上げる。感触としては大物ではないだろう。でもそんなことはどうでもいい。せっかくの獲物だ。懸命にリールを回す。海面からそのシルエットがうかがえる。と、同時に獲物は海面から上がり、その姿を太陽の下にさらした。慎重に魚を足元まで上げて太陽で熱されたアスファルトの上に置く。どうやらスズキのようだ。体長はぱっと見ても五十センチは超えている。かといって八十センチはなさそうだ。良くも悪くも平均的な成熟したスズキといったところか。だが元気がいい。全身をばねのようにビチビチと跳ねまわり、海へ帰ろうとしている。


「悪いな」


 俺は一言だけ呟くと道具箱からナイフを取り出し、エラの部分に刃を突き立てた。動かなくなったことを確認して俺は魚をクーラーボックスに入れた。そして新しい餌を鈎につけて、さっきのように竿を軽く振った。岸壁やテトラポットに打ちつける波の音だけが大きく響く。海の音が降りかかる。


 釣りというものは、なかなか孤独な趣味だと思う。誰とも会話せずともただ釣り糸を垂らして魚が喰いつくのを待つ。何かを気にかけたり考えたりする必要がない。ただ待てば良いのだ。でも真っ白にはならない。むしろ想像はおもむろに始まる。考えることを止めない。くだらないことを気にかけて考えこんでしまう。パスカルは「人間は考える葦である」といった。余計な機能をつけてくれたものだ。何も考えず、すべて本能のおもむくままに動けたらどんなに楽だろう。考えても掴めないことばかりだというのに、人はどうして考え続けるのだろう。俺はここに何をしに来ているのだろう。


 俺は頭を振って思考を掻き消そうとしてみる。けれど次に脳裏に浮かんだのは先日帰省したときの父の顔だった。俺は昨年ギリギリのところで進級を果たしながらも、いくつもの単位を落としていた。俺は半年でいいから休学したいと言った。しかし父は心を入れ替えて来年から真面目にやるように、と俺を怒鳴りつけた。弟と妹のこれからの進学を考えれば、父はすんなり俺に四年で大学を卒業してほしいと思うことは痛いほどわかる。しかしその時の俺にはそんな気力はどうしても湧かなかった。かといって何としても休学したいと父を説得する気力もなかった。結局、今年度の履修登録を果たした後はちょろちょろ学校へ行っていた気もするが、こうして俺は海へ魚を釣りに来てしまっている。胃の奥がちくりとする。この痛みは父への罪悪感からか、もしくはやり直せという自らが発したシグナルか。父の剣幕と母の心配そうな目、そして弟と妹の呆れかえった顔。すべてが胃の痛みによって思い起こされる。


「考えるな……考えるな……」


 雑念を払おうとした。だが払おうと願えば願うほど、それは俺の体に絡みつき、痛みを増幅させる。父の顔だけじゃない。これまでの嫌なことが頭の中をよぎって身動きをとれなくする。末梢神経にまで絡む。きっと記憶や思考は人間の枷なんだ。このままでは駄目になる。何としても払わなくては。


 眼前には広大な海が広がっている。飛び込んでしまえばきっとこの蔓もはがれるだろう。一歩足を進める。もう一歩、もう一歩、と海へ歩みを進める。岸壁の端まで来た。あと一歩踏み出せば俺は海に落ちるだろう。踏み出してしまえ。踏み出してしまえ。心はそう騒ぐ。呼吸が激しくなる。手が震える。足が震える。そして俺はその場に声にならない叫びをあげてへたりこんでしまった。


 最後の最後で理性を払えなかった。やはり理性は役に立たない。俺が生き続けることが正しいなんて思えない。でももう海へ飛び込もうという気は起きない。その証拠に呼吸が落ち着いているし、手足の震えも止まっている。


 俺はいつの間にか放りだしていた釣竿を拾い、釣りの続きに戻った。人は考えることから逃れられない。そして生きる物は死の恐怖から逃れられない。そういうことがよくわかる経験というか瞬間だった。ならば死ぬ勇気がつくまでこの胃の痛みと共に少し徹底的に物事を考えてみる必要がある。向き合ってみるのだ。


 例えば今、俺がおかれている状況というか状態。疲れている、といえば嘘にはならないが正確ではない気もする。やる気が起きない。それはある。だがすべてに覇気がないとも思えない。現に俺はこうして釣りを楽しんでいる。それくらいの余裕は残っているということだ。電車やバスで二時間もかけて海岸まで釣りをしに来る気力はあって、自転車で五分くらいの時間で着く大学には通う気力がおきないのは、単に大学へ行くということが俺にとって何がしかの面倒さや億劫さがあるからだろうか。じゃあ、どうして俺は大学へ行くのがこんなにも面倒になってしまったのだろう。友達ができなかったから? 期待と実像に大きなギャップがあって幻滅したから? 大勢の人間がいる場所が俺にとって苦痛だから? どれもその通りなのだ。けれど俺にとってこの十分すぎる理由がなぜ、俺を今日海へ連れて来ることになるのだろうか。海が好きだから? それもある。他に行くところがないから? それもある。つまるところ、こうやってあらゆる理由を詮索したところで、浮かんでくる答えらしきものは、すべて俺の価値観のフレームの中にあるもので、当たっているものしか浮かんでこないのだ。釣りと一緒だ。せいぜい魚かゴミしか釣れないのだ。海でライオンやゴリラが釣れることなどありえないように、すべてはあらかじめ決まっている。


 最初から決められたものを探すだけなのかもしれない。骨格の形も決められていて人格もはじまりから決められている。人生というものも波瀾万丈のようでいて実はいくつかのパターンで決められているのかもしれない。「自分らしさ」とか「唯一無二の命」とか綺麗事にしか聞こえない。所詮はあるものから選び出された一つのパターンにしかすぎないのだ。無数だって丁寧に数えていけば正確な数がわかるように、人生は同じ歴史を繰り返して、真似をして、アレンジされて答えがどこかに用意されるのだ。


 ふいにねずみ色の海と雲一つないスカイブルーの青空が目の前に広がった。海も空もどこを切り取っても同じに見える無機質なものなのに、なんでこうも俺の心に迫ってくるのだろう。上を向いて空を見てると、心がぽっかりと奪われ、自分の軸足がどこにあるのか見失ってしまう。重力を感じなくなる。存在の軽さを感じる。奥行きのない平面の世界が今、俺の目の前にあるのだ。じゃあ、俺は今、どこにいる? 誰も答えてくれない問いを自分自身に問いかける。磯の匂いが鼻をつく。波が打ち寄せる音が耳の奥で響く。肺がふくらんでいく。


 誰かがかつていた風景に立っている。俺は俺の問いにそう答えた。歴史の一片として、誰かが莫大なほど離れた時間の中に一瞬を切り取っていた場所が、今俺が立っている場所であり、誰かの風景の一部にいる。そんなざわつきだ。


 そんな俺の心のざわつきとは対照的に波もウキも穏やかに揺れている。

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