08・将馬を構築するもの
カサリと靴底が踏みしめたのは、黄や紅の鮮やかな落ち葉の絨毯だ。
「鈴木先輩・・・ですか?」
昼休み。
文化祭の本番をあさってに控えた今日、通常授業は3時間で終わり、それぞれのクラス・部活ごとに準備を進める中、昼食だけは給食のため、まだほとんどの生徒が教室で食事の最中だ。外は人気がなく静か。
将馬は、清々しい秋空から身を隠すように、体育館の外壁に寄りかかって佇む女生徒に話しかけると、彼女は俯けていた顔を上げ、頬をほのかに朱く染めた。
「この手紙」
「あ。・・・うん。読んでくれたのね」
将馬が、手にしていた薄い桜色の封筒を見せると、更に顔が赤くなった。
モジモジと恥じらう仕草が愛らしい。前に熊井が、3年生の女生徒の中でダントツ美人だと騒いでいたのを思い出し、将馬はなるほど・・と納得した。
「あ、あのッ・・わたし・・・きゃあッ」
ざあ・・ッ
何かを決意したような面持ちの彼女の声を遮り、一瞬いたずらな風が、落ち葉をすくい上げ、高く旋回させて通り過ぎた。
木々がさざめく。彼女の長く艷やかなな黒髪と制服のスカートが翻り、ヒラヒラと陽に光る落ち葉が、二人の間に舞い落ちてくる。
真っ直ぐに見つめてくる彼女の視線を受けながら、将馬は物語のワンシーンのようだと思った。
「・・・上郷クン。わたし、上郷クンのことが――――――――――――
がやがやと賑やかな2—2の教室に戻ってきた将馬は、漫画雑誌を回し読みしていたらしい熊井とその他数人を見つけ、そちらへと向かった。
「どこ行ってたんだよ?」
空いていた席にドスンと腰を下ろした将馬に、向かいに座る飯田が、片手間にちまちまと作業をしながら訊ねてきた。
「まあ、ちょっと・・」
「『まあ、ちょっと・・』」
微苦笑で言葉を濁した将馬の様子を、熊井がわざとらしく大袈裟にマネた。
「ちょーっと聞きまして、奥さん! 『まあ、ちょっと』ですってよ! 『まあ、ちょっと』!」
「んまーッ! アタシたちがなーんにも知らないと思ってるんだわ! 侮りすぎよねぇ」
気持ちの悪い奥様ごっこを始めた熊井と林。将馬は二人を止めるでなく、頬杖をついて傍観している。
「アタシたち知ってるのよ~。今日上郷ちゃんを呼び出したのは、鈴木さんよね~? 鈴木 玲良せ・ん・ぱ・い! 元テニス部の! 3年で一番の可愛コちゃんなのよぉ」
「キャーッ!! ねッねッ、告白された? 付き合っちゃうの? ね~、教えてぇぇぇ」
シナを作って詮索してくる二人を将馬は呆れを含んだ眼差しで見ていたが、いつもならツッコミ役の飯田までもが興味津々に瞳を輝かせているのに気付き、やれやれと嘆息する。
「なあッ、なんて返事したんだ?」
熊井にズズイッと詰め寄られた将馬は、とうとう観念して口を開いた。
「返事も何も・・・。悪いが付き合えないと断った」
「「「またかッ!」」」
三人が全く同じセリフを叫んだ。
「おいおいおい~。3年のマドンナの何がダメだったんだよ~」と、熊井がかぶりを振る。
「ヤバいよ。上郷、その若さでもう枯れてんのか?」と、飯田が本気で心配してきた。
「上やん! それならオレ! オレを紹介して!」と、林は、無茶な頼みを言い出した。
ぎゃいぎゃいと矢継ぎ早に攻められた将馬は、面倒臭くなって無視を決め込み、彼らが放置した雑誌に手を伸ばした。
「か~み~さ~と~。なに他人事みたいな顔して、漫画なんか読んでんだよ?」
せっかく開いていた毎週楽しみにしている作品のページを突然閉じられ、将馬はムッと唇を尖らせた。
「他人事だよ。オレはあの女をなんとも思ってないんだから」
「でも先輩は上郷が好きなんだろ?」
だから告白された。
普段おちゃらけてばかりの熊井が、珍しく真面目な顔で切り込んでくる。が、将馬は少し考え、やっぱり関係ねぇなと繰り返した。
「あれは本当にオレが好きなわけじゃないと思う」
「? なんでそう言い切れるのよ?」
熊井とのやり取りを聞いていた林が、不思議そうに割って入ってきた。
「勘、だな。あとは目。本気の目じゃない気がした」
意味がわからないと首を傾げる三人に、将馬は苦く笑った。
「伊達に大家なんかやってねーってことだよ。アパートにはいろんな住人がいるからな、人間観察の目はどうしたって養われる。その上でこう・・彼女が見ているものはオレじゃないな、と」
「? お前じゃなきゃ、誰だよ?」
頭上に?マークを浮かべる飯田と林に対し、将馬は肩をすくめて見せた。しかし中学からの二人とは違い、小学時代からの付き合いの熊井は、大人びた仕草を見せる友人が何を言いたいのかがわかるらしく、あー・・と、呻き声にも似た呟きをこぼした。
「クマはわかったのか?」
「まあ。そうだな、わかりやすく言うと、3年のアイドルが付き合いたかったのは、2年の成績上位者で、クウォーターだからか14歳には見えないルックスと整った顔。おまけに安定した収入もある。・・・それだけ揃っていたら、多分『上郷』じゃなくても良かったってことだ」
「「あ~あ・・・」」
『上郷 将馬』が好きなのではなく、将馬を構築する『条件』が好きなのだろう。
飯田たちは深々と頷くと、些か哀れむような目で将馬を見た。
その本人はのんきに漫画を読んで、ニヤニヤと口元を歪めている。
「なんか・・上郷が可哀想に思えてきたんだけど。オレ・・」
憐れむ眼差しで将馬を見つめる飯田。林も頷いている。
ページを繰る視界の端に、自分を見る友人たちが映っていたし、彼らの会話も聞こえていたが、将馬は気づかないふりをしていた。
キーンコーン カーンコーン
昼休みが終わるチャイムが鳴ると、教室を出ていたクラスメートたちが戻り始め、林の席に集っていた将馬たちも、椅子を持ち主に返すべく立ち上がり、それぞれが自身の席に向かう。
その時、コソっと熊井が将馬の耳元に囁いた。
「なあ、告白してきた相手がもし小川さんだったら・・お前、どうした?」
「はああ?」
反射的に振り返ったが、意味深に口角を上げた熊井は返事を待たず席に戻っていった。
不意をつかれた将馬はポカンと立ち止まり、かけられた質問を反芻する。
(夏葉が告白? ・・・オレに?)
将馬はありえないと笑いたかったが、――――――――――――何故かできなかった。
入居してきてからずっと、手が掛かる、年上だけど妹のように見ていたはずだったのに、彼女の先日の恋人ができたとの告白で、今まで感じたことのない気持ちが、心臓のあたりをウゾウゾと這い回っている。
黙り込んでしまった将馬を心配してか、間近で覗き込んできた熊井に、彼はありえないと口にした。
「カレシができたんだって。この前嬉しそうに言ってたよ」
自分が少年らしくない大人びた苦笑を浮かべていることに、将馬は気付いていなかった。