07・押し付けられた重責
「ま、こんなもんか?」
厚紙に描いた、某人気アニメのネコ型ロボットの顔をじっくりと見直し、自身で及第点を出す。机の脇のゴミ箱の中には、何度も失敗して放り込まれた厚紙が山となり、床にまで溢れてしまっている。
油性マーカーで丁寧に色付けしたそれを、今度はまあるく切り取り始めた。
クラスの催し物の準備は、なんとか整いつつある。先週までなんにも協力しなかった男子連中は、きっとどのクラスにも必ず(?)一人はいるだろう、学級委員長的メガネ女子の密告によって担任の知るところとなり、直々に会場作りという大工仕事を与えられていた。
毎日早朝と放課後、担任の監視の下、教室内は徐々に縁日らしい装いに変わりつつある。
「は~~~・・やっと終わった」
正直、図画工作はあまり得意ではない。手先は器用な方だと自負しているが、どうもセンスの点で何かが欠落しているらしく、良い評価をもらったことがない。
小学時代に写生大会で描いた絵も、校内の花壇を描いたはずなのに、こんな場所は見たことないとクラスメートにからかわれ、中学1年の時に作った粘土細工の『手』も、逆立ちした火星人だと笑われた。
そんな将馬が仕上げたお面も、本人の充足感など吹き飛ばし、きっと大勢の笑ツボを刺激することだろう。
時計を見ると現時刻AM1:36。思っていた以上に時間がかかった。まだ風呂にも入っていないことに気がついた将馬は、慌ててパジャマと下着を揃え、階下に向かった。
「あ、ヤベ。明日の朝は分別ゴミの回収日だ・・・」
手早く衣服を脱ぎ捨てると、湯船を沸かし直しながら、肌寒さと戦いつつ髪を洗う。その際、突如明日・・いや、日付が変わったから今日の早朝、燃やせないゴミの収集日であることを思い出してしまった。
「・・・ちゃんと起きられるか? オレ」
もちろん自宅のゴミは完璧に仕分けしてある。あとは出すだけだ。だが当然というべきか、将馬には大家として、アパートの住人が出すゴミのチェックも全くしないわけにはいかない。
特に心配な"片付けられない女"を思い浮かべ、眉間にシワが寄る。
ウンザリとしながらシャンプーをシャワーで流し、ちょうど追い焚きが済んだ湯船にザブンと肩まで浸かった。
「あ~・・・」
無意識にゴクラクゴクラクと口をついて出る。
それにしても、まだ学生である身の将馬になんて重責を押し付けてくれたものだと、改めて祖母を恨めしく思った。
◇
将馬がアパート『まーがれっとハイツ』の大家を任されたのは、10歳になった誕生日当日だった。
「遺言書に将ちゃんの名前書いといたの。いずれアンタのものになるって言っても、急にじゃわかんないでしょ? だから今からちゃんと教えとくわね」
夕飯の席にささやかながらも誕生パーティと称し、普段よりもちょっとだけ豪華な食卓を前に、アポ無しで押しかけてきた母方の祖母・赤羽 紗和子は、ジャラリと合鍵の束を差し出してニッコリと笑った。
「・・・・・・は?」
突然過ぎて頭が回らないままに受け取ってしまった将馬と、「あちゃ~」と額を押さえる父親。なぜか祖母に同行してきた再従兄弟の彰文は、ラフな私服に不似合いな革の鞄を開くと、中から書類をゴッソリと取り出した。
「はい。コレがサワ祖母ちゃんからのバースディプレゼント。あ、俺からはコレね。将ちゃん専用実印~! とーっても大事なものだから、絶対に無くすなよ!」
「この紙の束。すっごいでしょ~? これぜーんぶ必要書類よ。大切なことが全部書かれているの。責任重大よ~。ひとつ間違っても大問題! なぜなら大家さんのミスや怠惰は、そのまま店子の皆さんへ影響しちゃうから」
他人様の生活に直接響くから、ちゃんと全部に目を通して、しっかりと勉強してね! ・・ドン! ドドン! と目の前に積み上げられたソレを、将馬は呆然と見つめた。
もう何がなんだか分からず、言葉も出ない。
「なッ、彰文クン! いつの間に実印なんか作ったんだ?!」
「えー、先月の頭くらいかな? 将ちゃん連れて出掛けたことあったでしょ?」
ギャンギャンと怒り出した父親をそっちのけにして、母親はよかったわね~と普通に喜んでいる。
「でも、お母さん。将馬にはちょっと早い気がするんだけど」
「そんなことないわよ。将ちゃんは優秀だから~。アンタん時だって十代だったじゃない?」
「アラ、私の時は高校卒業のお祝いだったわよ。将馬とは10歳も違うじゃない。それに私がお祖父ちゃまに貰ったのは建物じゃなくて土地だったわ。・・・まあ、今は駐車場になってるけど」
一般的なものとはかなりズレている親子の会話。それもその筈、実は将馬の母方の曽祖父・神戸 市武はかなりの資産家だったそうで、広大な土地を所有していたらしい。しかし金持ちにありがちの独占主義ではなかったとかで、やる気のある者にはどんどん貸し与え、子や孫には条件付きで、生前のうちから分与していたそうだ。
「あの場所はアタリだったわねー。昔は田舎でなーんにもない所だったけど、今じゃ広い公道が開通して、レストランとか超巨大ショッピングモールとか出来ちゃって、もの凄く活気に満ちてるもの」
聞けばショッピングモールと借地契約を結び、駐車場として貸出しているという。
「お祖父ちゃまからの条件で、『売るべからず』だからね。自分で使わないなら、貸すしかないでしょ? おかげで潤わせていただいてます」
大人たちの会話に耳を傾けていた将馬は、渡された鍵の束と書類に目を移した。
鍵には全て部屋番号のシールが貼られ、書類の束はまだ読めない漢字だらけ。両腕にかかる重みは責任の重みだと言われ、即座に理解できる小学生が一体この世の中、何人存在するというのだろう。
しかも、その中の一人になれということだ。
「将馬、断りなさい。子供に押し付けるような簡単なことじゃない。ハッキリ言って非常識だ」
ごく一般的な環境で育ち、普通の考えを持つ父親は、怒ったような表情でやめておけと言う。確かにそれが普通なのだ。将馬にもわかる。だが、
「将ちゃん、自信ないー? 出来ないなら無理には奨めないけどー?」
ニヤニヤと口角を上げる紗和子と彰文の顔にムカついた。胸の中にモヤモヤと広がっていた不安な気持ちが霧散して、将馬の中の男の意地が背中をグイグイ押してくる。
「やる。やります。・・・祖母ちゃん、彰兄ぃ。ありがとう。ツツシンデお受けいたします」
いろいろ教えてくださいと頭を下げると、ガックリと肩を落とした父親以外は、パチパチと手を叩いた。
「よ~し! そうと決まれば、ガンガン教えていくわよ~!」
私は老い先短いんだからと、紗和子は朗らかに笑った。
◇
「あ~~~~~~。今になってあの日の自分が恨めしい。なんでもっと考えなかったよ、オレ」
風呂から上がり体を拭きながら、どこか遠くを見つめる。現在のこの苦労を知っていたら、絶対に請け負わなかっただろう。
有言実行。翌日から紗和子は日参し、言葉通り超特急でガンガン仕事を叩き込んできた。
登校前と帰宅後、将馬をあちこちに連れて回り、おかげで友達と遊ぶ時間は激減。常にアパートとその住人のことを考えなくてはならない生活は、将馬の精神を疲弊させた。
ある事があって一度は挫折しかかったけれど、あの時のことがあるからこそ、今の将馬が在る。
「そーだよなー。途中でやめてたら、『まーがれっとハイツ』の人たちと会えなかったってことだよなぁ」
それは夏葉にも会えなかったってことだ。
ちょっとさみしいと感じた将馬はすぐにハッと我に返り、いやいやと首を横に振った。