04・二人の出会い〈前編〉
小川 夏葉は2年前、大学を卒業して就職が決まり、新社会人として自立すべく一人暮らしを決意したのだと言った。
「よ、よろしくお願いしますッ」
部屋の引渡しと諸説明のため、将馬が親戚でもある不動産管理会社の若き社長・神戸 彰文(37)と共に213号室で初めて顔を合わせた夏葉は、ちょっとだけ緊張した様子でペコリと頭を下げた。
「はい、よろしくお願いします。で、小川さん。こちらがこのアパート『まーがれっとハイツ』のオーナーの上郷 将馬クンです。将ちゃん。彼女が13の前入居者・太田さんのイトコの小川 夏葉さん。一人暮らし初めてだから、よろしく頼むね」
「はい」
将馬は3月の半ばまでここに住んでいたポッチャリとした明るい女性を思い浮かべ、素直に返事をした。・・・が、
「えええッ?! オ、オ~ナ~ッ? え・・ウソ、まだ子ど・・まだ凄く若く見えるんですけどッ?」
イトコに聞いていなかったのか、目を丸くして大声で騒ぎ出した夏葉に、彰文は楽しそうに答えた。
「言ってませんでした? 彼、まだ学生なんです。小学生。えー・・と、何年だったっけ?」
「6年」
「しょッ、しょうがくろくねん~~~ッ?!」
多分もう少し上だと思っていたのだろう。将馬は母方の祖父が日系米人のため、顔立ちはちゃんと日本人なのだが体格は少々平均値を上回っていて、小柄な彼女よりもいくらか背が高いし、雰囲気が大人びている。・・まあ後者に至っては、生まれ育った環境のせいが多分に影響しているのだが。
とにかく、こんなふうに反応されるのが初めてじゃない将馬はごく当然だと受け止めた。
夏葉が混乱している横で、彰文と将馬は合鍵や必要書類の引き継ぎをサクサクと進めている。
「はい、じゃあコレ。契約書のコピーね。原本は事務所で管理だから」
「うん。何かあったらすぐに連絡する。・・・にしても、なんだか心配な人が入ってきたなぁ」
未だグルグルしている夏葉を横目に見て呟くと、彰文は意味深な笑みを浮かべ「気になるのか?」と訊いた。
「あのタイプが好みか?」
「違う。ただ気にかかるだけだよ。なんて言うか、まだ学生って感じだし、やたらと天然っぽいヒトだなぁって」
「そうだな。太田さんのイトコって聞いてたけど、全く系統が違うよな」
太田さん・・太田 ちひろは、見た目はぽちゃぽちゃとマシュマロ体型で、ふんわりオットリしたイメージ&話し方だったけれど、それに反して性格はそんなに甘くなく、かなり現実派だった。
大学4年間を『まーがれっとハイツ』で暮らしていた彼女は、空き時間のほとんどを、アルバイトと資格の取得に費やしていた。
『玉の輿が狙える容姿じゃないことは自分が一番よく知っているから、たとえ一生独身でも困らないように、今から準備しておかなきゃね!』
そう言ってオバチャンのようにカラカラと笑ったちひろを、十分魅力的だと将馬や『まーがれっとハイツ』の住人は思っていたが、それに気づいていないのは本人ばかりだった。
そんな彼女が年明け早々、彰文の会社を訪れたそうだ。
『お願いします! 私のイトコ、一人暮らしするって言ってるんですが、もう心配で心配で! だから私が引っ越したあと、彼女にあの部屋を・・213号室を貸して欲しいんです!』
ここなら大家である将馬は隣に住んでいるし、アパートの住人やご近所さん方もいい人ばかり。幸いにも入社が決まっている会社が近いうえ、この周辺は住環境に恵まれている――――――だから是非ともお願いしますと、深々と何度も頭を下げて頼んで来たそうだ。
「あまりの迫力に、つい了解しちゃったんだ。・・ま、とにかく将ちゃん。よろしく頼むよ」
身内の気安さからか彰文は将馬の肩を叩き、あっけらかんと言い放つ。
「気楽に言ってくれる・・・」
将馬はボリボリと頭を掻くと深く嘆息し、横目に夏葉を盗み見た。やっと落ち着いたらしく、彼女はきょとんと二人の背中を見ている。
「じゃあ、コレ。玄関の鍵。もし失くしたらドアの鍵ごとチェンジだから気をつけて」
ニッコリと人好きのする営業スマイルで、鍵を夏葉に手渡した彰文は、光熱・水道局関係書類一式を将馬に手渡すと、次の予定があるからと言って暇を告げた。
「申し訳ないですね。小川さん。でも、将ちゃん・・彼がちゃんと責任もって説明してくれますから、ご安心を。彼ね、こう見えても大家としてかなり有能ですから、わからないことはなんでも聞いてください」
玄関で靴を履いた男は将馬に振り返り、よろしくと念を押して出て行った。
「・・・」
鍵を握り締めてポカンとドアを凝視している夏葉の後ろでは、いい加減いつものことと諦めた将馬が深々と嘆息した。
「えーっと、小川さん。改めまして、大家の上郷です。よろしくお願いします。では神戸さんから引き継ぎましたので説明をさせていただきます」
まだ戻ってこない夏葉に構わず、将馬はサクサクと話し始めた。
「まずはコレ。電力会社と水道局の電話番号です。一番に連絡しておかないと、トイレも使用できません。かなり切実です。それとガス会社。こちらの番号は近くのガス屋さんで、『まーがれっとハイツ』の方々は100%ここにお願いしてます」
手際よく次々と書類を渡しながら、内容と重点を伝える。一応夏葉が頷くのを確認しつつ進めてはいるけれど、一人暮らしデビューであろう彼女がどれくらい理解しているかはわからない。
神妙な面持ちながらも、どこか漠然とした様子の夏葉に、将馬は一抹の不安を覚えていた。