外の世界
エルヴァとルーナが依頼へ向かった日から一週間――
ルーナの足取りは自宅から食堂へと向いていた。
理由は簡単だ、エルヴァに会いに行くのだ。
ここのところエルヴァやロイやナタリー達は忙しいらしく、ルーナはあまり会っていなかったし、会っても短い言葉のやり取りで済まされてしまう。
食堂の前でルーナはピタリと止まった。
ドアに手をかけ、開く。
「おはようござ――」「うおわっ!?」
ガシャアァァァン――という激しい音と青年の驚きの声、ドスンッ――という落下音。
「きゃっ!?」
ルーナは思わず身構え、目を閉じてしまった。
が、特に痛みが走るわけでも何かがぶつかるわけでもなかったので、そっと目を開いた。
すると、視界に飛び込んできたのはカウンターの前で仰向けに倒れ込んでいる青年。
「…え?」「…~~~~っ…!!」
痛みを堪え、言葉にならない声をあげていることから、先程の落下音はこの青年であったことが伺える。
いつもは顔を隠しがちな漆黒の髪が仰向けになっているため今は青年の顔を露わにしている。
最も、通常より大きめの眼帯は顔の半分を隠しているが。
ルーナはキョトンとしてしまった。
いつもはこんな姿など見られないであろう青年の意外な一面を見たからだろう。
おそるおそる、といった感じでその青年の名を呼ぶ。
「エ、エルヴァ…?」
「…はぁ…ん?ルーナ?」
起き上がり、座り込んだ体勢になるエルヴァ。
ルーナはふいに、『あ、今日は《シリウス》と《レグルス》持ってないんだ』と思った。
エルヴァはロイの自宅の一室を借りているらしいので、多分その部屋に置いてきているのだろう。
よけいなことを頭の片隅で考えながらルーナは疑問をぶつけてみる。
「どうしたの?凄い音がしたけど…」
「…あぁ、あそこの上の棚の物を取ろうとしてな、カウンターに乗った」
もともといろいろなものが置いてあるため足場としては心もとなかったうえに、いきなり人が入ってきたので驚いた拍子に踏み外して床に落ちたらしい。
その説明を聞き、ルーナは思わず吹きだした。
エルヴァは怪訝そうな表情となる。何故説明しただけで笑われるのだろうか、と。
ドジを踏んだら笑われる、という考えは、かなり浮世離れしたこの青年には思いつきもしないらしい。
「フフフッ…エルヴァでもそんなドジするんだぁ…かなり意外」
「…お前は俺にどんなイメージ抱いてんだよ」
「どんなって…」
ルーナにとって、最初はクールで完璧主義にも見えたこの青年だが、今はそのイメージも崩れつつある。
クールだが優しいし、強いが完璧を求めるタイプではない。
失敗は失敗として認める。
最も、エルヴァの場合は失敗したところをあまり見ないが。
なんだかんだ言ってもエルヴァだって人間なのである、人間ならば失敗だってよくあることではないか!と、心の中で納得するルーナ。
ルーナの、人間に対する間違ったイメージがまた一つ追加されたと言ってもいいだろう。
言葉を打ち切ったルーナを怪訝そうに見るエルヴァに何気なく尋ねてみる。
「そういえば…何を取ろうとしたの?そこの下に落ちてるもの?」
「…ん?あぁ、それは…」
落ちた籠を拾おうとして、籠に入っているものが視界に入った。
見たところ飾りに見えなくもないが…これはなんなのだろう、とルーナは首を傾げる。
と、エルヴァはスッと籠を拾い上げた。
中身が見えぬようにすばやく布をかけてしまった。
「あ…」
「…俺一人で拾える」
エルヴァは首を竦めると、ロイとナタリーの住居、もといエルヴァが一室を借りている二階へと上がっていった。
しばらくしてエルヴァが降りてくると、いつの間に帰ってきたのか、ロイとルーナが談笑していた。
降りてきたエルヴァに気付いたロイはニヤリと笑って、
「よぉエルヴァ。荷物取っておいてくれたんだろ、お疲れ様」
黙っていつものカウンター席に座るエルヴァ。
「…それより、例の物の方はもう見つけたのか?」
「バ、バカ野郎!?なんでよりによってここで聞くんだよ…!!」
エルヴァの問いに慌てたロイがチラリと視線をやると、ルーナは小首を傾げた。
「ねぇ、例の物って?何の話?」
そうエルヴァに問う。
小首を傾げ、純粋な瞳を向け可愛らしく問う姿は多分無意識なのだろうが。
これが普通の男だったならば思わず話してしまうかもしれないが、あいにく相手は浮世離れした青年である。
「別に、何だっていいだろ」
淡々と述べる。
なんともいえない沈黙がその場を襲う。
と、その場の空気に耐えかねたらしいロイが、
「あー…っと…そ、そうだエルヴァ!アレの件、どうなった!?」
「は?アレってなんだ――」
「ど う な っ た ?」
エルヴァを遮るロイのオーラは何となく逆らい難いものだったが、エルヴァに通じるはずもない。
それでも、ルーナの方を気にしているロイを見て何が言いたいのかを悟ったらしく、ロイをキッチンに連れ込んだ。
後ろでルーナが訳がわからないといったようなキョトンとした表情を浮かべていたがエルヴァは気にしない。
話が聞こえぬようキッチンの奥の方へ行く。
「…で?その後例の物はどうなんだ?」
「…全くはかどっておりません」
渋々と言った感じで白状するロイ。
「……どうすんだ?ジェルトとカルを待たせてるんだろ?」
「正確には待たせてるのはカルだけどな」
「何でもいいよ、結局待たせてるのに変わりはないだろ」
ジェルトとカル。この街の鍛冶屋だ。
ジェルトは老齢だが鍛冶の才能にかけては超がつくほどの一流である。
そして、その弟子のカルは鍛冶、装飾、共に長けた才能の持ち主である。
腕のいい事で有名ではあるが、エルヴァに言わせれば「かなりの変わり者」である。
ジェルトは作ると決めたもの以外、例え天変地異が起ころうとも作らない頑固者であるし、カルは才能に恵まれているのに読書の方が好きで滅多に物を作らない。
そんな二人が作ると決めたというのに待たせているということは、そうとうご立腹なのではないかとエルヴァは思った。
「…で?言うことがあるんじゃないのか?」
「…かわいくねー奴」
ロイがボソッと呟いた言葉は、耳のいいエルヴァにはきちんと聞こえていたようで、しっかり睨まれた。
「かわいげがある必要性などないだろ」
「へいへい。それじゃエルヴァ、お前に依頼だ」
「…報酬は?」
ロイは少し考えるようなそぶりを見せた後、にやりと笑った。
「喜んだルーナの笑顔、でどうだ?」
「……」
恐ろしい目つきで睨んでくるエルヴァにさすがに身の危険を感じたロイは、
「冗談だっつの」
と慌てて否定した。
「それじゃ…家賃1ヵ月分の免除でどうだ?」
常人には嬉しいものなのだろうが、エルヴァはさほどその話に魅力を感じなかったのか無反応だ。
「…じゃあ、なにがいいんだよ?」
「俺の笛。返してもらう」
「…それでいいのか?」
頷くエルヴァ。
ロイは、まさかそこをついてくるとは思わなかったのか、意外そうな表情を見せながらも、
「よし!じゃあそれで交渉成立だな」
と、満足そうに頷いた。
エルヴァはポケットからメモ用紙と携帯用の小さなペンを取り出すとサラサラと書き込んでいく。
「依頼内容は…」
エルヴァは書き込む手を止めずに言う。
「要するに、翡翠とかそういう宝石を取ってくればいいんだな?」
「そういうことだ」
エルヴァはメモを再びポケットに突っこむと、ロイを見た。
「…街を出て東の方に良い洞窟を見つけた。鉱石などがよく取れるからそこへ行く。明日までには戻ってくるつもりだ」
「…わかった」
少し不思議そうなロイ。
ルーファス出身であり、この街で育ってきたロイよりエルヴァがこの辺の地理に詳しいのはどういうことか、ロイはときどき疑問に思うのであった。
キッチンから出てきたエルヴァが2階に上がっていって属性双剣を腰に下げ、荷物を整えて降りてくるのを見てルーナは首を傾げた。
「エルヴァ、どこかに行くの?」
「あぁ」
短い返答が返ってきた。
「ねぇ、私も行っていい?」
「無理」
即答が返ってきた。
「なんで?」
「……」
エルヴァは言葉に詰まった。今回の事はルーナには秘密なのだ。
だからついてくることを拒んだのだが…それを言えないので言葉に詰まったのだ。
「お願い!邪魔しないから連れて行って!!」
エルヴァはふと疑問を口にした。
「…お前は、なんでそんなに外を見たがる?」
「え?」
突然の問いにルーナは面食らったようである。
「この前は強さがどうとか言ってたよな?あれに嘘がないのはわかってる。だがあの時は戦いに行くとわかっていたからだ」
「…えっと…」
ルーナは一生懸命解釈しようとしているらしい。
「…今回は俺が戦いに行くとは限らない。どこに行くのかもわからないのについてくる、ということに俺は疑問を抱いた」
「……」
小首を傾げるルーナ。
「だから、「強くなりたい」ということ以外に何か外に行く理由でもあるのか?」
エルヴァの問いに、ルーナはしばらくまばたきを繰り返していたが、やがてその表情は苦笑いへと変わった。
「…どうなんだろうね。多分、単純に外の世界を見てみたいだけなんだと思うよ」
「……?」
今度はエルヴァが首を傾げた。
「私は聖属性の魔法を扱うでしょ?それだけのことなのに大切に扱われて…外に出ることだって許可されなくて…だから、私には外の世界がどれだけ広いかなんて見当もつかなかった」
悲しく、苦々しい事を語るかのようにルーナは話す。
だが、その次に見せたのは笑顔だった。
「だからね、私はもっと外の世界を見てみたいんだ!大事に扱われてるのに変わりはないから私1人での行動はすっごく制限されてるけど」
でもね、とルーナは続ける。
「誰かと一緒なら外に出てもいいって言われてるから、エルヴァについて行ってるんだ」
「…なるほどな」
つまりコルシュ王国の連中はよほどの過保護なわけだ、とエルヴァは思った。
何度か会ったコルシュ王国の女王セレネーの顔を思い出し、思わず苦笑する。
あの女王なら過保護すぎるのもまぁ頷けるな、と心の片隅で思う。
「だからね、できるだけ外に連れて行ってほしんだ!」
「………」
黙ったエルヴァを上目づかいで見上げ、だめ?と問う。
エルヴァの鋭い銀の瞳からは感情を読み取ることは不可能に近い。
なので、どんな答えが返ってくるのかルーナには見当もつかない。
しばらくの沈黙の後、エルヴァは肩を竦めた。
「…わかった」
「…え?」
「別に、邪魔さえしなけりゃいい」
「ほ…ほんと!?やったぁ!!」
子供のようにはしゃぐルーナ。
それを見てエルヴァはふいに思った。
なんだかルーナの保護者になった気分である、と。
今回のまとめ
・ルーファスの街の鍛冶屋、ジェルトとカルは「変わり者」
・ルーナは外の世界に興味がある
ちなみに、ルーナの言う外の世界はコルシュ王国以外の場所を指し、今は町の外に興味がおありのようです。