マナー
日曜日の昼前、僕はアルバイト先の飲食店へ向かっていた。
僕のバイト先は電車に乗って4つ目の駅のすぐ近くにある。
自転車で行けないこともないけど、この時期は長い距離を走るとじっとりと汗をかいてしまうため、それがいやだった僕は駅のホームで電車が来るのを待っていた。
はあ、それにしても憂鬱だ。
最近、日曜日のこの時間帯に電車に乗るとある集団と居合わせることがある。
おばさんの5人組だ。
それだけなら当然、別にいやではないのだが、マナーがなっていない。
大声で喋るし、かばんは座席に置いて無駄に場所をとる。
ひどい時になると、オーバーアクションをとったときの手や足が通行人や隣の席の人に当たったにもかかわらず、何でそんなところにいるのよ、とでも言いたげな顔をするのだ。
僕もそうだし、周りの人たちも絡まれたくないためか、無視を決め込んでいるのだが、車内にはこのクソババァどもが!的な雰囲気が漂い非常に居心地が悪い。
まあ、そのおばさんたちは僕の乗った駅から2つ目の駅で降りるのだから、我慢しようと思うのだが。
電車が到着した。相変わらずの2両編成だ。先頭の1号車には人が入って混雑している。
が、2号車は結構すいている。
つまり、あのババァどもは2号車にいる。
こんな無駄な推測が無意識下で行われ、しかも当たる。
嫌になる。
《ご乗車ありがとうございます。この電車は○×駅を出発いたしまして、×△駅、△□駅、□○駅の順に停車いたします。お乗り間違えの無いようお気をつけください。まもなく発車致します》
「でね!この間なんかひどいのよ~!」
ひどいのはお前の厚化粧のほうだ。
「えぇ~!それはないでしょ!」
お前の方がありえない。
「でも~!それって…ってことじゃない!?」
………。
「でも、その人って役に立つの!?」
………………。
「居なくなってもらったほうが良くない!?」
………………………おまえらがこの世から居なくなれ。
《ご乗車ありがとうございました。まもなく×△駅~×△駅~お降りになるお客様はお忘れ物の無いようお気をつけください》
やっと一つ目の駅に到着する。
後一つでクソババァどもは降りる。
この居心地の悪い空間から脱出できる。
電車が止まり、降りる人はなく、数人の人が乗り込んできた。
その中に杖をついたおばあさんが居た。
しかし、空いている席はない。
クソババアどもがかばんを置いて無駄にとっている座席を除いて。
(おいっ!ババァ。その荷物をどかせ!いつまでくだらねぇおしゃべりに夢中になってんだ!今日はいつもより混んでるぞ!)
おそらくは、2号車内に居る人全員がそう思ったことだろう。
この日のこの時間帯は結構似た顔ぶれが多い。つまりは被害者が多数乗っている。
結局ババァどもにテレパシーは届かず、いまだにお喋りを続けている。
杖をついたおばあさんは僕から少し離れたところで手すりにしがみついている。
席を譲ろうとも思ったが、タイミングをはずし、言い出しにくい。
無駄なことをしていなければなぁ。
そのときさっき乗り込んできていたお初の子がおばあさんに声をかけた。
「あのっ!ここ、どうぞ!」
よくやったぞ!子供!いい子だ!
「ありがとうねぇ」
「うん!」
微笑ましい光景だ。
さて、ババァどもあの光景を見て何か感じることはありますか?
「「「「「ぎゃははっ!」」」」」
ありませんか。
残念です。
最近の若い者はあーだこーだ言いますけどね。最近の老いた者もどうかと思いますよ。僕は。
《ご乗車ありがとうございました。まもなく△□駅~△□駅~お降りになるお客様はお忘れ物の無いようお気をつけください》
「あら、もう着いちゃったわ」
「「「「早いわねぇ」」」」
もうじゃねぇよ。やっとだ。
ババァどもが降りて、車内に安息が訪れた。
どうやら杖をついたおばあさんもここで降りるようだ。
この駅では誰も乗り込んで来なく、座席にも余裕ができた。
さっきの子供が、席に座った。
すると、そのとなりの女の人がこういった。
「よく言えたね?いい子、いい子」
そして、頭をなでた。
「あたりまえのことだもん!」
当たり前か。
そうだよな…。
僕はその言葉にどこか違和感を覚えた。
なんだろうか?
その日のバイトはなぜだか身が入らず、久しぶりに怒鳴られた。
「何で、当たり前のことが当たり前にできないんだ!」
……あっ。そうか。
違和感の正体はこれか。
当たり前のことを当たり前にやる。
当然のことだ。
大人なら子供が言い出すより先におばあさんに席を譲るのが当たり前だった。
車内でうるさくしている人がいるなら注意するのが当たり前だった。
マナーを守れない人が居るならたとえ自分より年上だろうと注意するのが当たり前だった。
これができなくなってしまったから、最近の若い者も老いた者もだめになってしまったのだろうか。
子供たちにできて、大人にできないわけがない。
むしろ、大人になったなら一歩二歩ステップアップさせなきゃだめだろう。
僕はある決意をした。
「店長。ありがとうございました。おかげで今ならガツンといけるような気がします。なので、早退します。今日の埋め合わせは明日明後日明々後日で挽回するので……。では、失礼します」
「は?ん?ほえ?」
混乱している店長を置いて僕は、仕事着のまま店を出た。
僕は今、□△駅に居る。
あのババァどもにガツンといってやるためだ。
時間は14時過ぎ。
ババァどもが来るのを今か今かと待ち構える。
1時間後。
(…来ない)
2時間後。
(……来ない)
3時間後。
よくよく考えてみると、あのババァどもが何時にこの駅に戻ってくるのかも知らないし、もしかしたらこの駅の近くに住んでいて僕が乗り合わせるのは、家に帰っている途中なのかもしれないという可能性を失念していた。
(アホか。僕は)
また来週にしよう。
僕が背を向けたそのとき。
「「「「「ぎゃはは!」」」」」
どうやら、神はまだ僕を見捨てていなかったようだ。
「それでね!……」
「うそぉ!」
「ほんとよ!」
ババァどもはいつものような暴虐無人っぷりを発揮していた。
だが、まだ空いている。
うるさいと言われた程度では罪悪感は大した物ではない。
むしろ、何だ、文句あっか?おおう?
ってなもんだ。
だから、まだだ。
《ご乗車ありがとうございました。まもなく○×駅~○×駅~お降りになるお客様はお忘れ物の無いようお気をつけください》
もう、俺が降りる駅に着いてしまった。
だが、程よい具合に混雑してきている。
もう一駅待とう。
次の駅に到着した。
そして、俺の女神が、乗車した。
見た目は20後半の妊婦さんだ。
そして座る席はない。
すなわち、今しかない。
「そ(このおばさんたち。電車内では静かに、混雑時には手で荷物を持つのがマナーですよ?)
「おい、そこのおばさん達。電車内ではお静かに、そして混雑時には手で荷物を持つのが当たり前のマナーだぜ?」
………………台詞盗られた。
「なによ、チンピラみたいな格好しちゃって」
「「「「そーよ!そ-よ!!」」」」
プツンときた。
もう我慢できない。
台詞盗られたのは、恨むが、よく言ってやった。ナイスだ高校生!とは思ったのだ。
周りの大人が誰も言えなかったことを、(おそらく)初対面だというのにわかりやすいように直球で物申した勇気ある若者に。
チンピラ、だと?
「おい、ババァ!さっきから黙って聞いていれば、好き勝手言いやがって。チンピラみたいな格好だからってこの人が誰かに迷惑かけたのか?あんたらの耳障りながらがら声や自分勝手なマナーの悪さに比べれば月とすっぽんだぞこのやろー。当たり前のことができてないやつにそんなこと言う権利はないぞ。すっぽんババァ」
言ってやったぜ。当初とは大分違った感じだけど。
すっぽんババァどもはぽかんと口を開けて、何がなんだかわからないような顔をしている。
非常に滑稽だ。笑いがこみ上げてくるが、我慢だ。
《ご乗車ありがとうございました。まもなく×○駅~×○駅~お降りになるお客様はお忘れ物の無いようお気をつけください》
とりあえず、降りて、折り返しの電車に乗ろう。
いやぁすっきりした。
次の週、電車に乗ったら驚くほど静かになったババァたちが居た。
先週の出来事を知らない人は呆気にとられているようだ。
おそらく一人だけ事情を知っている僕は一人心の中でほくそ笑むのだった。