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花浅葱  作者: 秋桜
6/6

菓子

 人と会った帰り道、小腹が空いたので何か食べてから屯所に帰ろうと思った藤堂は、気に入りの店が連なる通りをひとりで歩いていた。

 蕎麦にしようか、寿司にしようか、いやでもあちらの天麩羅も美味そうだ。

 空腹だというのに、いやだからこそ目移りしてしまって決めかねる。

 こういうときは、最初に食すつもりでいたものを選ぶが吉だ。

 確か最初、自分は蕎麦を食べるつもりだった。ならば決まりだ──蕎麦にしよう。

 ようやく食べるものを決めた藤堂が、馴染みの蕎麦屋へ足を向けようとしたそのときである。

「おや、藤堂じゃないか」

 知った声が藤堂の名前を呼んだ。

 団子屋の軒先で、背中を丸めるようにして団子を食べている男が、にこにこと手を振っていた。

「やあ、沖田じゃないか」

 彼の姿を認めた瞬間、蕎麦屋という選択肢が消えた。

 藤堂もまた沖田に手を振り、彼の方へと小走りに駆け寄る。確か一番組は夜の巡察が入っていたはずだ。ということはいまこの時間は、自由時間ということだろう。

 一日に数刻与えられる自由時間を、沖田は大抵子供と遊んだり菓子屋に足を運んだりと、他の隊士たちとは少しばかり違った時間の過ごし方をした。

 この男の風変わりなところが、藤堂は結構好きだ。

 沖田の傍らには数枚の皿が積み上げられていた。背が大きな男だけあって、彼はとにかくよく食べるのだ。

「一緒してもいいか?」

 尋ねる言葉を言い切らぬうちに、沖田の隣にすとんと腰を落とす。しかし沖田は気にした様子もなく、串に刺さった団子をふたつ一気に頬張り、頬を膨らませながら不明瞭な声で言った。

「この店は汁粉がお勧めだよ」

「ん? ああ……京の汁粉もうまいと思うが、ここだけの話、舌触りがあまり好きじゃないんだ」

 周囲の客や店員に気を使い、声は潜めた。

 江戸の汁粉は粒餡の汁に餅が入っているが、京の汁粉は漉し餡から作ったらしい汁に餅が入っている。

 どちらもうまいが、藤堂はやはり食べ慣れている江戸風の汁粉が好きだった。

「江戸と京では、食べ物ひとつとっても色々違うよね。こっちの食べ物もうまいけど、食べ慣れた江戸の食事も懐かしくなる」

 京の食を思い切り堪能している風の沖田でも、そんな風に思うようだ。

 店員を呼んだ藤堂は団子を注文し、沖田も饅頭を追加で注文した。まだ食べる気なのか、と重ねられた皿の枚数に、驚きを通り越して笑いが零れる。

「藤堂は今日、非番だったっけ」

「ああ。友人に会ってきたんだ。飯を食べながら話をしていたんだが、議論が白熱して、結局食べる方がおろそかになっちまった」

 尊攘派寄りの考えを持っている藤堂は、新撰組内ではあまり自分の思想について語らない──新選組は佐幕寄りの立場にあるからだ。

 だが新撰組は、個々の思想を表立って抑圧するわけではない。山南も永倉も佐幕派ではないが、新選組の幹部に名を連ねている。

 ──いまのところは。

「藤堂も永倉さんも、ふたりとも猪突猛進って感じの気性なのに、そういう論議とかが好きなんだね。僕は難しい話なんかより、食べる方が好きだけど」

 それでよく土方さんに叱られるんだけどねー、と笑いながら、沖田は手にした饅頭を一口で頬張った。結構大ぶりな饅頭だというのに、よく口が裂けないものだ。

 沖田の慕う近藤は、酔っぱらうと己の握り拳を口の中に入れてみせる、という奇妙な──言葉を換えれば愛嬌のある行動に出るのだが、まさか沖田はいずれその技を会得するつもりでいるのだろうか、と藤堂は不安になる。

「もうちょっと沖田は菓子を味わって食べた方がいいと思うぞ……近藤さんみたいな大口になりたいと思ってやってるなら、別だが」

「ん? ちゃんと味わってるけど?」

 指先についた饅頭の皮を舐め取った沖田は、しかし藤堂の言葉に思う事でもあったのか、次に手に取った饅頭は端っこを齧るようにして食した。

 まるでネズミのような食べ方をしている沖田の横顔を見つめながら、藤堂は自分も団子を齧り……そして思い切って口を開く。

「土方さんが話すことは、難しすぎてよく分かんないって言うんだけどさ」

 少し硬い声音になった藤堂の様子に、沖田が饅頭を齧る手を止めた。 

「でも本当は沖田、わかるんだよ。土方さんの話も、近藤さんの話も、山南さんの話だって。ちゃんと思考すれば、わかるはずなんだ──なのに何だって馬鹿の振りをするのか、俺にはいつも不思議に思ってる」

「藤堂は面白いことを言うなぁ」

 ふ、と笑って、沖田はそれだけ言った。

 それ以上なにも言わない沖田に焦れて、藤堂はさらに言葉を続ける。

「これから先、この国がどうなるかとか、本当に一度も考えたことがないのか?」

「ないね」

「近藤さんと土方さんについていくだけだ、っていつも言っているけど、もしもあの二人が道を誤ったらどうする? いや、それはないとしても、近藤さんと土方さんが道を分かつ日が来たら、お前はどうするんだ?」

 新撰組内が最近、少しざわついていることに、沖田も気づいているはずだ。

 最初は些細なことだと思っていた思想の違いが、ここにきて人間関係に少しずつ亀裂を生み出している。

 藤堂は思うのだ──試衛館時代の仲間たちですら、いつかばらばらになってしまうのではないかと。

 この場所から自分もいつか出ていく未来が、そう遠くないうちに来るのではないかと。

 近藤・土方の名前に、沖田はふっと表情をなくした。

 沖田の無表情と言うのは、日常ではあまり見ることがないので大変珍しい。

 それだけ藤堂の言葉は、沖田を動揺させたのだろうか。

「心配してくれてるんだね、ありがとう」

 しばらくの間の後にそう言葉を発した沖田の顔には、笑みが浮かんでいた。眉がハの字になった、困ったような笑みだ。

「でも君が信じている道があるように、僕にも信じる道がある」

 すると突然沖田が、皿の上に転がっていた団子の串を手に取り、それを藤堂の額に押し当てた。

 鋭い先端が、ゆるく額を圧迫する。

 新撰組内でも五指に入るほどの優れた剣客、と言われている藤堂だったが、沖田の串をよけることが出来なかった。

 額にあたった感触で、ようやくいま自分は生死を握られているのだと気づいた始末だ。

「そしてその道を歩み続ける覚悟もある」

 だからこれ以上は何も言うな、という気迫を感じる。

 生唾を飲み込み、藤堂は両手を挙げた。了解した、という意味のその所作を正しく理解した沖田は、何事もなかったように串を引く。

 そして穏やかな口調で言葉を綴った。

「僕、敵は容赦なく斬り捨てるけど、信念を持って命をかけて向かってくる人間は、嫌いじゃないよ。うん、ある意味尊敬している。芹沢さんも──」

 ずっと片手に持ったままだった饅頭を口に放り込んで咀嚼してから、沖田は言葉を続ける。

「近藤さんと土方さんに大概なことをしてくれたけど、あの人はあの人で、己の信念を持った人だったよ。そして周りにどう思われようとも、決してその信念は揺るがなかった。そういうところは好ましかったな」

 考えや信念が違い、いつか道が分かたれたとしても、そしてそれによって互いが殺し合い状況になったとしても、藤堂がゆるぎない信念を持っているのならばそれは評価し、そして尊敬もする──と言ってくれているようだ。

「じゃあ巡察の準備もあるし、僕は先に行くよ」

「ああ」

「今度はお互い非番の時、何か食べに行こう。難しい話は抜きでね」

「そうだな。楽しみにしている」

 ひら、と手を振って、沖田は雑踏のなかに身を投じた。人よりも頭ひとつ分以上大きな沖田の姿は、人に埋もれることはない。

 藤堂は沖田が道の角を曲がるまで、その後ろ姿を見送った。

 そしてその姿が完全に己の視界から消えると、はぁっ、と深いため息を吐いた──自己嫌悪のため息だ。

 もしも自分がこの新撰組を去るときが訪れるのだとしたら、そのとき沖田も一緒に来てくれたら嬉しいと思っていた。彼の剣の腕も、人柄も、藤堂は尊敬していたし好ましく思っていたから。

 だが、

「そうだよな……冷静になってみたら、私の言葉に乗って着いてくる沖田なんて、沖田じゃないか」

 温くなってしまった茶をすすり、藤堂は力なくそんなことを呟いた。

 少しばかり、思想やら世情とやらが邪魔くさいものに思えてしまったが、藤堂は慌ててそれに蓋をする。

 串に残っていた団子を頬張り、藤堂はそれと一緒にもやもやとしたものを、身体の奥深くへと流し込んだ。

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