俳句
新撰組という組織が本格的に始動しはじめてからの土方は、日頃から何かと忙しい。
多摩にいた頃も、竹刀やら木刀を振り回したり、石田散薬の行商をしたり、稲の収穫の時期に人を使って効率よく作業を進める指示を出したりとある意味忙しく立ち回っていたのだが、自らが動いて身体を動かしていた昔と違い、いまは文机の前でものを書き綴り、監察を走らせて情報を収集し、隊員の動向に目を配り、采配を振るう毎日だ。
すっかり忙しさの種類が全く変わってしまったな、と昔の仲間たちはいうのだが、土方自身はあまりそう思ってはいない。やっていることの根本は何も変わっていないつもりだ。
だが入れ物の形が変われば、その中に入っているものが昔から同じものだったのだとしても、傍から見ている者は中身までもが変わってしまったのだと考えがちだ。
実際、中身も変わってしまったのだと思わせるように振舞うときもある。
「……もしかしたら変わってないと思ってんのは俺だけで、多摩にいた頃とは全然違う自分になっちまってるのかもしれねえな」
妙な感傷に浸りそうになった土方は、ゆるく首を振った。いまはそんなことに頭を使っている場合ではない。
組織は生き物だ。常に変化するもので、問題は尽きることなく湧いてくる。それをどのように詰めていこうかと考えながら、土方は自室の障子を開く。
と、そこに何故か沖田の姿があった。まるで自分の部屋にいるように寛いでいる。
「美味い饅頭屋を見つけたから、土産に買ってきたんですよ。一緒に食べましょう」
「食うのはいいが、勝手に部屋に入ってんな」
畳の上に転がっていた身体を起こしながらそんなことを言う沖田に文句をつけながら、土方はその向かいに腰を下ろした。
土方が帰ってくる時間を見越して用意していたのか、少し離れた場所に置かれている盆の上には、まだ湯気が立っている湯呑がふたつ乗っていた。
「入るのは百歩譲って許してもいいが、勝手に文机のものを漁るな。機密文書があったらどうするつもりだ。場合によっては斬らなきゃならなくなるんだぞ」
文机の書類がわずかに乱れているのを見咎めて、土方は沖田を睨みつける。
言っている言葉に嘘はないが、別の理由もあって文机に触れられたくなかった土方の表情には、若干の焦りが見えた。
案外と察しのいいところがある沖田が、それに気づかないわけがない。
にやりという風に唇をたゆませて、懐から出した半紙を土方の前でひらつかせた。
「これは機密文書になりますか?」
土方は悲鳴をあげそうになった。
朝方の時間があるときに、心の赴くままに浮かんだ句の案を書き記したものだ。
書類の下の方に隠しておいたのを、沖田は目ざとく気づき、勝手に読んだようである。
土方は自分の詠む句があまり巧くないのを知っている。だからあまり人には見せたくないし、句を詠んでいることも知られたくない。
ましてやいま沖田の手の中にあるのは、草稿する段階にも達していない文字の羅列だ。
己を押し殺し、動揺を表に出さない術に長けている土方だったが、己の句に関する事柄についてはなかなか巧く動揺を隠せなかった。
それに沖田の前では、彼の持つ雰囲気と昔馴染みという気安さから、素を見せることが多い。
「お前なぁ!」
顔に朱を上らせ、沖田を声高に怒鳴りつけた土方だったが、怒鳴られた本人は飄々とした顔をしている。
「そんな大声出さないで下さい。僕は結構好きですよ、土方さんの句」
「見え透いた世辞は好かん」
「世辞なんかじゃありません。朴直でわかりやすい句で、見ていてほっとします。でも他の人に見せない方がいいですね。土方さんの本質が知れてしまいますから。それは本意じゃないんでしょう?」
沖田の無邪気な物言いに、土方は苦笑いを漏らした。
照れくさいのと腹立たしいのと、そのほか様々な感情がないまぜになって、苦笑を浮かべるしかなかったのだ。
「そういえば土方さん、多摩に『豊玉発句集』は置いてきちゃったんですよね。残念だなぁ。僕、あれ読むの好きだったのに」
豊玉発句集というのは、土方が詠んだ歌をまとめて冊子状にしたものである。京に出る直前にまとめ上げ、実家に置いてきたのだ。
書いた句を人に見せた覚えはないのだが、いつの間にか置いてある場所が変わっていたりしたので、誰かしらが読んでいるのだろうと思っていたが、そのうちの一人が沖田だったらしい。
「『梅の花、一輪咲いても梅は梅』とか好きですよ。最後の頁に書いてあったから、京を出る直前に詠んだんですか。でも巻頭に書いてあった句の方が、多摩で最後に詠んだ句のような気がするんだよなぁ……京に出るにあたっての覚悟が垣間見える気がして」
こめかみを指先で叩きながら視線を空に彷徨わせ、沖田はその句を諳んじた。
「『さしむかう 心は清き 水鏡』」
「……よく覚えてんな」
「全部諳んじれますよ。順番通りとはいきませんけど。やってみましょうか?」
勘弁してくれ、と土方は頭を抱える。
沖田は理由のない嘘を吐くような人間ではないので、土方の句が好きだというのも、諳んじれるというのも、間違いなく真実なのだろう。
頭を抱えたまま、土方は沖田に命じた。
「おい総司。お前も一句詠め」
「え? 無理です。一回も詠んだことありませんもん」
「男が無理とか簡単に言うな! いいから詠め! 俺がこれだけ恥をかかされたんだ、お前も恥をかけ!」
子供の癇癪のようだ。
だが土方がこんな風に感情を発露することは、今となってはとても難しい。副長という彼の立場や状況が許さないし、何より土方自身がそれを許さない。
沖田はそれが気に入らないらしく、こんな風にして土方に癇癪を起させようと画策しているきらいがあった。
「えぇと……それじゃあ」
土方の気迫に、これは逃れられない──逃れるのは面倒くさそうだと考えたのか、沖田は饅頭を口に押し込みながら、天井をじっと見上げる。
沖田自身は気づいていないようだが、彼は幼い頃から何か思考を巡らせるとき、視線を必ず空へと巡らせた。
饅頭をふたつ食べ終える間、ずっと天井を睨みつけていた沖田は、ようやく視線を畳の上に戻す。
すっかり温くなった茶の入った湯呑を持ち、ぼそっと言葉を紡いだ。
「『動かねば、闇にへだつや 花と水』」
「……何だ、巧いじゃねえか」
予想を上回る出来の良さに、眉間にしわが寄る。
「適当に言ってみただけですよ。もし京に向かう直前に土方さんが『さしむかう』の句を詠んだとしたら、そしてそのとき僕が隣にいたとしたら、そういう返歌をしたかなぁと思って」
そして沖田は、饅頭と茶を、土方の前にずいっと突きつけた。その顔が少し赤いのは、自分で詠んだ句に対してあれこれ言われることが、恥ずかしかったのだろう。
少しはこっちの気持ちを知りやがれ、と思いながら、土方は饅頭を口に運んだ。
甘いものはあまり好きではないのだが、沖田が買ってくる饅頭はそれを理解しているからか、甘みが強くないものが多い。
うめえな、と思いながらふたつめを口に運んだときだった。
「そうだ。京から多摩に送った荷に添えたっていう、『報国の心を忘るる婦人哉』は別の意味で最高だと思います」
ぶっと口に含んでいた饅頭を吹く。
「土方さんにもそういう洒落気があったんだなぁ。微笑ましい気持ちになります。女にもてて仕方がない、困りものだとか言いながら、もらった恋文の束を実家に送るなんてねぇ」
「総司!」
動揺した土方の膝が湯呑をひっくり返したのを見て、沖田は腹を抱えて爆笑した。