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花浅葱  作者: 秋桜
1/6

隊士徴募

新撰組を題材にしていますが、史実とは異なる点が多数あります。あくまで新撰組をモチーフとしたフィクションです。ご了承ください。

また時系列順が入れ替わる可能性もあります。

 何やら道場の入口が騒がしい。

 裏手で汚れ物を洗濯していた賢之助は、その喧騒に耳を傾けながら、洗い終えた手拭いやら道着やらを物干し縄にひっかけた。

 もう夕暮れ時だから、これは帰るまでに乾くはずもないが、干さないまま放置しておくよりはましな筈だ。

 ぱん、と布を伸ばして整えたのち、賢之助は濡れた手を拭いながら道場の表へと回った。

 結構のんびりと洗濯をしていたのにも係らず、喧騒は大きくなることがない代わりに、静まることもない。

 何か厄介ごとが生じていたのならば、状況を把握していないことで面倒なことに巻き込まれるかもしれないので、取りあえず様子を見に行くのが賢明かと判じたのだ。

 人だかりができている玄関に行ってみれば、そこには見慣れない顔がふたつあった。道場の人間が、その見知らぬ彼らを囲むようにしている。

 ざわざわと聞こえてくる声を、賢之助はてっきり道場の門下生とその来客が交わしている言葉なのだと思っていたのだが、近づくとそれが勘違いだったと気づいた。

 来訪者を遠巻きにして、門下生たちは隣に立った仲間たちと何やら囁き合っているだけだ。

「おい、何があったんだ?」

 近くにいた顔に尋ねるがどうも要領を得ず、業を煮やした賢之助は人垣をかき分けて前へと進み出た。

 そこでようやく、賢之助は来訪者が何者か理解し、同時に門下生たちが遠巻きにするばかりだった理由も察する。

 ふたりは、目にも鮮やかな浅葱色の羽織を纏っていた──彼らは壬生浪士だ。

 壬生浪士の悪行は京中に知れ渡っており、そしてその悪評を知る者で、彼らと積極的に係りたいと思う人間はそう多くはないはずだ。

 反幕府勢力の取り締まりを行っているというが、みすぼらしい身なりで京を練り歩き、粗雑な彼らのことを、誰もが忌み嫌っている。

 そういえば最近彼らは、会津藩より賜った「新撰組」という名に改めていると聞いていた。浅葱という奇抜な色をした羽織もそれに合わせて誂えた、のだと聞く。

 趣味が悪いとは思うが、見た目は以前ほどみすぼらしくはない。

 というよりも、目の前に立っている二人の隊士に限って言えば、若さと風貌も相まって、なかなかに凛々しくみえた。奇抜な浅葱色も妙に様になっている。

「新撰組の方々が、当道場に何か御用か」

 賢之助の言葉に、新選組のひとりがくつくつと笑った。

 目元と口元が柔らかく緩み、見るものを無条件でほっとさせる雰囲気を醸し出す。正直、あまり新撰組隊士らしく見えない。

 だが連れのほうは表情一つ変えず、得体が知れない感じがあり、いかにもうわさに聞く新撰組らしいと納得するものがあった。

「僕たちをその名で呼んだのは、君が初めてだ。行く先々で、壬生浪壬生浪、と散々言われてきたものだから、いやなんだか嬉しくなって思わず笑っちゃったよ。失礼した」

 理解に苦しむが、新撰組と呼んだ、たったそれだけのことがこの隊士から笑いを引き出したらしい。

「その羽織を見れば、一目瞭然かと。ところで重ねてお聞きするが、当道場に何用か」

「ああ、隊士を募集しているんだ。そのためにこうして道場を回って、隊士の徴募を行っている」

 面倒くさいことになったな、と賢之助は内心で舌打ちをした。

 できることならば早々にお引き取り願いたいところだが、賢之助にそんな権限はない。

 そうこうしているうちに、数人の門下生が道場の奥へと駆けていった──権限のある者のところへ、指示を仰ぎに行ったのだろう。

 やがて、奥のほうからどすどすと、荒っぽい足音が聞こえてきた。

 足音の主を察した賢之助はすっと身を引き、門下生らの中に埋もれるような位置へと移動する。顔を合わせたい相手ではないし、賢之助が彼らの対応をしていたと知れば、恐らく難癖をつけられるだろうと、過去の経験から察したからだ。

「私は当道場の師範代、小山田という。隊士の徴募に来たというのか」

 熊のような風貌と体格の小山田は、背丈こそ高いが隆々とした体格ではない二人の新撰組隊士の姿に、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「まあ、当道場から壬生浪……いや失礼、新選組に入りたいと言うものがいるかもしれぬ。だがまず師範代の私自ら、あなた方の腕前が如何ほどのものか確かめさせて頂きたい」

「ごもっともです」

 妙に居丈高な態度だが、新選組隊士はさして気にした様子もなく、小山田が顎で促すままに履物を脱ぎ、道場へと案内された。

 荒くれ者の集まりだといわれている新選組に対しても、普段と変わらぬ様子を見せる師範代の姿に、門下生たちは尊敬の眼差しをむけているようだが、賢之助はひとり冷めている。

 彼があんな態度をとるのは、この隊士たちが歳若く、自分よりも体格において劣っている──と思っているからだ。

 ぞろぞろと門下生が道場に向かう列の最後尾についた賢之助は、人山の後ろの方から師範代と新撰組の立ち合いを見学する。背丈が高い方なので、十分ふたりの立ち合いを視界に収めることはできた。

 小山田は相変わらず偉そうな様子で、門下生がいそいそと持ってきた竹刀を受け取る。

「竹刀でよろしいか」

「僕は木刀でも、真剣でもいいんですけどねぇ」

 君、それ貸して──と近くにいた門下生の竹刀を奪ったよく笑う隊士が、それを肩に担いだ。

 肩の凝りを解すように竹刀で数度叩き、小山田が不愉快そうに眉を寄せながら構えを取ったのを確認してから、隊士もまた竹刀を構えた。 

「そういえば聞いていなかった。名は?」

「──沖田」

 その瞬間、沖田と名乗った男の雰囲気が変わる。

 先程までは日向で昼寝をしている猫のような風体だったのに、いまはまるで山猫だ。

 身をわずかに前に倒して刀を構える様といい、鋭くなった眼光といい、獲物に狙いを定めている獣そのものだった。

 構えた刃はわずかに右に寄っている。

 あの構え方だと左に隙がある、と誰かが囁くのが聞こえたが、賢之助は胸の内で、それは違うと返答した。

 隙など、沖田という男には少しもない。隙に見えるそこに打ち込んだところで、すぐにそれは薙ぎ払われるだろう。少し賢ければ、あんなところに打ち込んだりはしないはずだ。

 だが小山田はそこに竹刀を打ち込む──策があってのことではなく、それを隙だと信じ込んでのことだというのは、沖田によって竹刀を受けられたときの表情でよくわかった。

 パァン、と音を立てて小山田の竹刀を受けた沖田は、すぐに間合いを取る。

 焦ったようにその間合いに、小山田が踏み込んできた。

 く、と沖田の唇がたゆんだ。

 小山田のことを、相手にもならないと判断したのが分かるような笑みだった。だが沖田が浮かべたその笑みに気づいたものが、果たしてどれくらい居ただろう。

 沖田の唇に笑みを浮かんだのを見た、と賢之助が思った次の瞬間に、沖田の右足が大きく踏み出された。だん、と足裏が床を叩く音が、道場に響き渡る。

 その音の余韻が消えないうちに、小山田の身体が壁に叩きつけられる音が重なった。

 沖田の突きが、小山田の身体を吹っ飛ばしたのだ。

「吹っ飛ばされ、た……?」

 唖然とした声を誰がもらしたのかわからない。

 壁に背を打ち付け、床にずるりと崩れ落ちた小山田自身も、自分の身に何が起きたのかをよく理解していないようだった。

 突かれた胸元が相当痛むのか脂汗を流しているその表情は、ただ呆然としている。

 そんな小山田に一礼をした沖田は、礼の言葉と共に、門下生に借りていた竹刀を返した。

「どうもありがとう」

「い、いえ……」

 先程まで刀を振るっていた男と、にこりと笑むこの男が同一人物だとは思えず、道場中の人間は間抜けに口を開けていた。

「では今日はこれで失礼します。もしも新選組に入る意志があるようなら、壬生寺ちかくの八木邸まで」

 そんな門下生の間を縫って、沖田は連れの男と一緒に道場から去っていく。小山田は立ち上がることもできずに、彼らの背中を見つめるばかりだ。

 賢之助もまた浅葱の羽織が視界から消えるまでその場から動けなかったが、すぐに我に返って、道場の端に転がっていた木刀を二本握りしめると彼らを追った。

 門下生たちは当分動けないだろうし、全員動けるような状態になれば小山田を宥めなければならないはずだ。

 だから今のうちに──

「あの!」

 道場の前の道を歩く沖田たちを、大きな声で呼び止める。

「あの……自分はあまり稽古をつけてもらえておらず、到底沖田さんの相手にはならないと思います。でも、自分と一度手合せ願いたい」

 賢之助の言葉に、沖田が緩く首を傾げた。

 幼げな仕草からは、やはり先程の山猫のような姿は想像できない。

「……君、さっきのあれを見ていて、そういうことを言うんだ? 木刀を持ってきちゃうんだ?」

 竹刀よりも木刀の方が、殺傷力がある。手練れが木刀で本気を出せば、人だってたやすく殺せるのだ。

 それを理解しているのか、という沖田に、賢之助はただ頷くことで答えた。

 すると沖田は、その顔を不意に伏せた。

 ふる、と肩がわずかに震えたのを見た賢之助は、自分が彼を不快にさせたのかと不安を覚える。

 稽古もろくにしたことがない者が、木刀で手合せを願うという不遜さに怒りを覚え、震えたのかと思ったのだ。

 だが沖田の口からこぼれた声に、自分が勘違いをしていたとすぐに気づく。

 沖田はひどく面白そうに笑っていた。

 最初はくすくすという感じだったが、時期にけらけらという風になり、最後には腹を抱えて笑い転げる。

 困惑して連れの新選組隊士の方を見ると、彼もまた無表情だった顔に少しの困惑をのせていた。

「総司。手合せする気があるのか、ないのか」

「あっはははは! あるある。だから、斎藤。ちょっと待っててくれるかな」

「それは構わないが、とりあえずその馬鹿笑いをおさめろ。失礼だろう」

「そうだね、ごめんごめん……別に馬鹿にしたわけじゃないからね、ええと」 

 浮かんだ笑い涙を指で拭いながら、沖田が賢之助の顔を見る。名前を問われているのだとすぐに気づき、少しの躊躇の後に、姓名を名乗った。

「小山田賢之助」

「小山田……ってことは、さっきの師範代の身内?」

「あれは兄です。念のために言っておきますが、手合せを申し込んだ理由は、敵討ちとかではありません」

 そんな気持ちは欠片だってない。賢之助はあの兄を疎んじている。

 長男だからというだけで、弟である自分を手下のように扱うところも、器がちいさいくせに自分を大きく見せたがるところも、窮地に立つと無駄に大きな声を出して誰かに責任転嫁するところも、全てが疎ましい。

 そして何が一番嫌かというと、賢之助の太刀筋が悪くないと知るやいなや、門下生たちに手をまわして、賢之助の稽古が立ち行かぬようにした姑息さだ。

 弟には何一つ勝られたくないという気持ちは、わからないでもない。だがそのために自分の腕を上げる努力をせずに相手を貶める手段を選んだ兄の性格を、賢之助は嫌悪していた。

「先程も言ったように、訳あって自分はなかなか稽古をつけてもらえない状況にあります。なので、この機会に稽古までは望みませんが、手合せだけでもどうか」

「うん、いいよ。本気で打ちこんでおいで。そうじゃないとつまんないから」

 賢之助の持っている木刀を一本受け取り、沖田はそれを構えた。

 斎藤と呼ばれた男は道の端に寄り、壁に背を預けている。無表情に見えるその顔だが、瞳がわずかに笑んでいるところを見ると、どうやらこの事態を彼も楽しんでいるようだ。

 沖田と向かい合った賢之助だったが、すぐに打ち込むような真似はしなかった。

 構えに生じている左の隙は、本当の隙でない。小山田との立ち合いの際に見たが、彼は驚くほど素早く、そして滑らかに刀を操る──よほどの事がない限り、そこに打ち込んだって一本をとれない。

 それを理解しているから、賢之助は打ち込むような愚かしい真似をせずに、沖田に本当の隙が生まれるのをひたすら待った。

 こうして待っていると焦りが胸のうちに湧き上がってくるし、続く緊張感に息苦しさを覚えたりもするが、我慢強さには定評がある賢之助はそれらに耐え続ける。

 わざとらしく作られる隙に食らいつきそうになるも、沖田の僅かに動いた足の動きからそれは罠だと気づいて踏みとどまった。

「大したもんだ」

 沖田の唇が、笑みを刻む。

 それは小山田に向けて浮かべた嘲笑にも似たものとは違い、ひどく愉快そうな笑みだった。

 ざ、と沖田の足が地を擦り、打ち込んでくる。

 驚くほどに素早い動きだったが、手加減されているのか打ち込みが甘く、かろうじて木刀を受けることができた。

 受けたそれを腕の力で弾いたときに、僅かに開いた沖田の胸元。それを誘いとみるか、隙とみるか……判断は一瞬で下さなければならない。

 賢之助は手首を返して、そこへ木刀を叩き込んだ。

 パァン、と乾いた音が響き──賢之助の木刀は、驚くほど素早く動いた沖田の木刀によって撥ね飛ばされる。

 鋭い打ち込みに手首どころか脳天まで痺れた。

 手から離れていった賢之助の木刀は、青空にくるくると舞って、そしてからんと地面に落ちる。

 開いた胸元は、やはり作られた隙だったようだ。

 額にびっしりと浮いた汗を拭った賢之助は、沖田に頭を下げた。

「ありがとうございました」

「ありがとうございました──ねえ君さ、さっきなんで打ち込んできたの」

 問いかけの意味が分からずに眉を寄せると、沖田は自らの胸を緩く握った拳でとんとんと叩く。

「ここ、わざと作った隙だって分かってたんじゃないの? そこに打ち込んで来たら弾かれるのは当然だよね」

「ああ……でもそこに打ち込まずに身体を引いたら、面を食らうような気がしたので、それだったら小手を取られる方がましだと判断しました。もしこれが真剣だったら、脳をやられたら終わりですから」

 地面に転がった木刀を斎藤が拾い、沖田の持っていたものと共に、賢之助に渡してくれた。

 受け取ったものの手がしびれていて、取り落としそうになる。腕に抱え込むようにして、木刀を抱え込んだ。

 この力で腕に打ち込まれていたら、骨のひとつは逝っただろう。

「ねえ、君さ、人を斬ったことはある?」

「ないです」

「真剣での斬り合いは」

「それもないです。竹刀や木刀での打ち合いも、あまり数をこなしていません。先程も言ったように、小山田がそれを許さないので」

「その割には迷いがない、いい太刀筋だったなぁ。動体視力も半端なく良いし、我慢強さもある。ねえ、斎藤も思わない?」

「そうだな」

 沖田と斎藤が夕日を背にして、ふたり並んで立つ。

 青いはずのダンダラ羽織が、夕日の色に染まって赤く見えた。

 朱の色に染まった沖田と斎藤が、瞳だけを細めて笑う。

「賢之助だっけ? 君さ、うちにおいでよ。存分に稽古ができる環境だよ。腕だってすぐに上達する──なんせ生死にがかかっているからね」


■■


 それから数日後のこと。

 賢之助が僅かばかりの荷物とともにふらりと壬生寺に立ち寄ると、そこに知った顔がいた。

 子供を数人まとわりつかせながら、前に見た時と変わらず穏やかな笑みを浮かべている。

 この人はこんなところで何をしているんだろう、と考えながら立ち尽くしていると、沖田がちらりと視線を投げかけてきた。驚いた様子はなく、どうやらとっくに賢之助の気配を察していたらしい。

「やっぱり来たね」

「はい」

 そんなあなたは一体何をしているんですか? と口から出そうになったが、何とかその言葉を飲み込んだ。

 ひざの上に乗っていたり、背中に乗っかっていたりした子供の頭を撫でながら、沖田は彼らにもう帰るようにと告げる。

 もうあたりは夕焼け色に染まっていた。

 子供たちは大した駄々もこねず、おとなしく沖田に手を振ってそれぞれ散っていく。

 それに答えるように手を振りかえしながら、沖田が賢之助に尋ねてきた。

「それ、どうしたの?」

 『それ』とは、賢之助の額に巻かれている包帯のことだ。

 問われた賢之助はひょいと肩を竦め、事情を説明する。

「家を出るときにかなり揉めまして」

 暴君気質の兄の気をそらす役割を担っていた賢之助を手放すことを、両親も兄も嫌がったのだ。

 それだけではなく、身内から壬生浪士とさげすまれている新撰組に入る者が出るなんて不名誉だ、という理由もあったのだが、そちらは口外しない。

「ふぅん。あの師範代にでも斬りつけられた? それとも父君に徳利でも投げつけられたとか?」

「いいえ。誰かに負わされた傷ではなく、自分の刀でこう、米神あたりからぐいっと頭部にかけて掻っ切りました」

「へえ、何でまたそんなことを?」

 予想外の答えだったらしく、好奇心に満ちた視線が賢之助の方へ向けられた。

「血を流さないと覚悟が伝わらない雰囲気だったので。腕や胸とか腹でもよかったんですけど、それだと刀を振るうのに不自由しそうだから、あまり支障がなさそうな頭部にしました。頭部はさほど大きくない傷でも出血が多いと聞いていたので」 

 視覚的効果は絶大で、血まみれになった賢之助はそれ以上引き止められることはなかった。

 出ていくにあたって、人斬り集団に加わるのならば家族の縁は切ってもらう、と言われたが、それは賢之助にとって願ったりでもある。

 沖田はその話を聞いて、また腹を抱えて笑っていた。

 よく笑う男だ。だがこんな隊士はそう多くはないのだろう。

 ここに来る途中で何人か巡察中の新選組隊士にあったのだが、誰もが厳しい表情をしていた。言葉を選ばなければ、人相が悪い。

 だが、その一員になることに不安はあるが、迷いなどはなかった。

 道場で沖田の太刀裁きを見たとき、いろいろなことを諦め、冷めた目で世の中を見ていた賢之助のなかに何か変化が生じていた。

 それが何かはよくわからないが、確かなことはこの男の傍らで剣を振るい、認められたいという感情があるということだけ。

 将軍を護るとか、幕府を護るとか、そういう難しいことは正直よくわからないが、『誠』を掲げる新撰組に身を置きたいという気持ちに偽りはなかった。

 強さに対する憧れ、というものに突き動かされているのかもしれない。

「さてと。荷物を抱えているってことは、まだ屯所には行っていないんだよね。僕も帰るから、一緒に行こうか」

 まだ笑いが収まらないのか、喉をひくつかせながら沖田は賢之助の前に立って歩き出した。

 そして、何でもない事のように言う。

「実は君がここに来るだろうって確証があったから、土方さんにはもう言ってあるんだ。君は新撰組一番隊に入ってもらうよ」

 土方、とは新撰組副長の、土方歳三のことだろうか。沖田は妙に気安くその名前を呼んだ。いや、名前の呼び方云々ではなく、彼は隊編成に対して口出しをする権限を持っているような口調だ。

 怪訝そうに沖田の背中を見つめると、彼は首だけ賢之助の方を振り返った。口元には笑みが浮かんでいるが、妙に性質が悪い感じに歪められている。

「改めてよろしく。僕は新撰組一番隊組長、沖田総司です」

 ──沖田という男が、あの一番隊組長である沖田総司だと何故か考えもしていなかった賢之助は絶句し、そして言葉の意味を理解した瞬間に絶叫していた。


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