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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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家族マッチングアプリ利用規約 第53条

掲載日:2026/08/08

※毒親描写があります。

※ヒロインが最後ダークヒロインになります。

苦手な方はご注意ください。



西暦2096年。

日本のどこかにあるファッション誌編集部の昼休み。


フロアに響く同僚たちの笑い声は、香織にとって、どこか人工芝のようにツルツルとしていて、一切の手触りがない。


自分のデスクで黙々とお昼を食べている香織に、隣から声が投げられた。


「香織って、まだあの母親と一緒に住んでるの? ださいわね」


いつもの甲高い声に、香織は箸を止めた。隣のデスクに顔を向けると、同期であり、二卵性の双子の姉でもある愛華が、小馬鹿にしたように頬杖をついていた。


愛華は扱いが難しい。

編集部員である香織が自分の実力でこの座を勝ち取ったのに対し、愛華は有力な上司のコネでねじ込まれた補助的なポジション。それなのに、彼女はいつも自分が上位の人間であるかのように振る舞うのだ。


香織はため息を飲み込み、少しだけ身体の向きを変える。そして、いつもの防衛線を張る。


「……実の母親と一緒に暮らして、何が悪いのよ」

「信じられない。私の今のママは現役のピアニストで、パパなんか元売れっ子の俳優なのに! 香織も『家族アプリ』使えばいいのに。フィルターをかければ、最高の家族が手に入るわよ」


愛華はテーブルの上のスマホを指差し、完璧に彩られたネイルで画面をコツコツと叩いた。


【家族マッチングアプリ】

元々は国主導による孤児と養父母の縁組システムだったそれは、民営化され普及するにつれ、本来の目的からグロテスクに歪んでいった。

年収、容姿、さらには『理想の遺伝子配列』まで。検索条件ひとつで、手頃に理想の新しい家族が手に入る。気が合わなければボタン一つで離縁。トレンドのファッションを着替えるように、戸籍も家族もアップデートする人々が増えた。


愛華もまた、その波に嬉々として乗る一人だった。


「……婚活アプリじゃダメなの? パートナー探しくらいに留めておけばいいのに」


香織が呆れ混じりに言うと、愛華は鼻で笑った。


「馬鹿ね。結婚なんてただの個人間の契約じゃない。ハイセンスな家族に囲まれていなきゃ、私自身のブランド価値まで下がっちゃうでしょ? 常に最上級に更新しなきゃ」


「お姉ちゃんさ、家族を変えるの何回目よ」

「お姉ちゃんって呼ばないで!」


地雷を踏まれた愛華が、弾かれたように身体を起こしてキッと睨みつける。


「何回目かなんて忘れたわよ! いい、あのクズとの繋がりを思い出させるワードは二度と使わないで。どれだけ私のポテンシャルが高くても、アイツが『元父親』ってだけで世間から後ろ指を指されるのよ。香織だって身に染みてるでしょ?」


声を潜めた愛華の言葉に、香織はわずかに顔を背けた。痛いところを突かれたからだ。


二人の実の父親は、不倫して家を出た正真正銘のクズだった。

内緒で勝手に貯蓄を食いつぶした挙句に多額の借金を作り、問い詰めても「家族のため」の一点張りで詳細を明かさない。さらに厄介なことに、外面だけは完璧なモラハラ気質だった。


世間にとっては優しくてイケメンな素敵な旦那さん。そんな外面の良い元父親のせいで、周囲の反応は冷たかった。

『あんなに良い旦那さんだったのに? きっと奥さんにも原因があったのよ』

『家族のために使ったお金なら仕方ない』

『奥さんに魅力がなかったんじゃない?』

などと面白おかしく母親を非難した。その理不尽な好奇の目は、残された幼い姉妹にも深く突き刺さっていた。


父親の最低な裏切りと、世間の無責任な刃。それは香織の心に、底知れない男性不信を深く叩き込んだ。


同時に、精神のバランスを崩してしまった母親へは強い同情を抱いている。これ以上、壊れた母を傷つけたくない。そして何より、香織自身が『もう二度と家族に捨てられたくない』と強く渇望していた。


そして、目の前で傲慢な言葉を並べる姉に対しても、香織はどこか見限れないでいた。かつて家族が幸せだった頃、愛華は優しくて妹思いの良い子だったのだ。


―いつかまた、あの頃の優しいお姉ちゃんに戻ってくれるはず


香織は心の奥底で、そんな淡い希望を捨てきれずにいたのだ。


だからこそ、香織はこのアプリを憎んでいる。ボタン一つで簡単に家族を切り捨てるこのシステムは、大好きな姉を狂わせた元凶だからだ。


「血が繋がっているから何? いつまでも昔のことにウジウジと……それって本当に幸せなわけ?」


愛華は心底忌々しそうに顔を歪め、吐き捨てるように言った。その瞳には、単なる軽蔑だけではない、明確な苛立ちが渦巻いていた。


「あんな男に騙されて壊れたアホな母親なんて、さっさと切り捨てればいいのよ。あんたがそうやって近くで過去を引きずってるだけで、全部思い出してイライラする」


過去の惨めな自分を見ているようで腹が立つ。そんな愛華のヒステリックな苛立ちが、言葉の端々から鋭く刺さってくる。


坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、とはよく言ったもの。

父親を憎むあまり、あの過去に縛られ続ける母親も、それを庇う香織のことも、今の愛華にとっては忌まわしい『過去の残骸』でしかないのだ。


「血縁なんて時代遅れの呪いよ。過去も家族もトレンドに合わせて最適化するのが、この2096年の常識じゃない」

「……家族を簡単に捨てるシステムなんて、変だよ」


香織が静かに、だが明確な嫌悪感を込めて呟くと、愛華は心底見下したように鼻を鳴らした。


こんな言動をしても、上司のお気に入りの愛華は許される。上層部の反感を買いたくない周囲の同僚たちは、みなとっくに距離を置き、面倒な会話は聞かないフリをしている。だからこそ愛華は、社会的にも自分が優位に立っていると本気で信じ込めていた。


双子とはいえ、なぜここまで考え方が違うのか。


二卵性だからだろうか、と香織が現実逃避をしかけたその時、聞き慣れない通知音が鳴り、愛華のスマホ画面が光る。パッと弾けるように覗き込んだ愛華の目が、異様なほどギラギラと輝いた。


「来たわ! セレブへの特急券が!」

「何?」

「これよ!『世界家族交流プログラム』の招待状!」


ずいっと押し付けられた画面を、香織は仰け反りながら目で追う。



*************

【世界家族交流プログラムへの招待状】


おめでとうございます。

あなたは「プレミアム家族候補」に選出されました。


本制度は、国際的な家族形成を目的とした選抜プログラムです。選抜者には海外での生活研修を受講していただき、修了者は世界上位0.01%の家族とのマッチング資格を取得できます。あなたも、世界で活躍する家族の一員になりませんか?


家族は、生まれるものから、選ぶものへ。

あなたを選ぶ家族が、世界にきっといます。


※適性評価により研修先を決定します。

※帰国時期は受入機関との協議により決定します。

*************



いかにも甘い言葉で飾られた、ツッコミどころ満載の文面。香織は思わず怪訝な目を向けた。


「なにこれ?」

「知らないの? 本物の海外セレブへ養子入りするための事前研修よ。インフルエンサー界隈じゃ有名なの」


確かに香織も、海外セレブの仲間入りを自慢するインフルエンサーをSNSで見かけたことはある。そして、何故か彼等は家族のマッチングアプリを通したのだと、タグなどで主張している。


「……でも、怪しくない? ちゃんと利用規約とか読んだの?」

「もう、うるさいわね! 嫉妬してるんでしょ。これは私のチャンスなんだから、絶対に譲らないわよ!」


愛華は聞く耳を持たず、慌てたように身の回りの最小限の荷物をハイブランドのバッグに詰め込むと、嵐のように職場を飛び出していった。


主を失ったデスクを見つめながら、香織は小さくぼやく。


「……家族アプリなんて、最初はただの現実逃避の雑談だったのにね」


父親が出て行った直後、『どんな父親が理想か』と、悲しみを誤魔化すように無邪気に語り合った純粋な姉の姿が脳裏をよぎる。あの優しい姉は、もうどこにもいないのか。


すっかり冷めきったランチに向き直ろうとした瞬間、タイミングよくメッセージが届いた。


『残りの荷物は処分しておいてね!』


傲慢な一言に、香織の中で僅かに残っていた家族への未練のようなものが、パキリと音を立てて割れた。




---------




そして、愛華が海外へ発ってから、一ヶ月が過ぎた。


家族アプリを通して海外セレブの仲間入りを果たした愛華のSNSアカウントは、その話題性から瞬く間にインフルエンサーの【AIKA】として、その名を響かせたのである。


そんな折、愛華のアカウントから香織宛てにダイレクトメールが届く。


『夢が叶ったわ! 香織のおかげよ、ありがとう。母子家庭でもファッション誌に勤めるハイセンスな双子の姉妹って肩書、こっちですごく評判がいいの。嫌だったけど、同じ職場にして正解だったわ!香織も利用できるものは最大限に利用しなきゃね。まあ、香織も私みたいに華やかな顔立ちならよかったのに、残念ね』


余計なお世話と、二卵性の双子である香織への露骨な侮辱。海外へ渡ると共に、本気で家族を捨てたという決裂宣言に、香織は頭が真っ白になった。


震える指で、どうにか冷静に『ありがとう。お幸せに』とだけ返信した瞬間。


香織の中で、何かが決定的に壊れ、同時に新しい形へと組み替わっていくのを感じた。ふっと全身の力が抜け落ち、虚ろだった瞳の奥に、底知れない仄暗い光が宿る。


「おねえちゃんは、もう、いなくなったんだ……」


その言葉は徐々に心に浸透して、急激に香織の世界が変革した。



―お姉ちゃんも、お父さんと同じ人種だったんだ



最愛の家族から敵へと静かにアップデートされた。



---------



インフルエンサーとなった愛華のSNSは、最初は眩しいほどに輝いていた。豪華客船の甲板で、金髪の新しい両親に囲まれて微笑む愛華。フォロワーたちは熱狂し、今日もコメント欄に群がっている。


しかし、異変は静かに、だが確実に訪れた。


愛華の笑顔は同じなのによく見ると仄かにぎこちない。写真の背景に映るプールの水の流れが、何日も全く同じだった。それが生成AIによる投稿を裏付けることと同時に、とあるSNSで見かけた噂を彷彿とさせる。


それは数年前、ある裏アカウントの告発をきっかけにネットを騒がせた陰謀論。


『例のプログラムに行った元家族が、帰ってこない』

『性格破綻者だったから、どうでもいいけど』

『もしかして国が用意した人間を処理するシステムだった?だとしたら超感謝』


その冷徹な本音は賛否両論を呼び、結局アカウントごと削除された。真相は闇の中であるが、あれは本当である可能性が高いと香織は感じていた。


愛華が甘い誘い文句に釣られて自ら飛び込んだのは、華やかなセレブの世界などではない。もっとおぞましい、血も涙もない闇の市場だったのかもしれない。おそらく生身の愛華は、もうこの世にはいない。それなのに、SNS上の「愛華」だけがAIによって無限に複製され、生存アピールを続けている。


香織の胸を満たしたのは、悲しみでも恐怖でもなく、甘美な背徳感だった。



---------



ある日のファッション編集部の昼休み。


休憩室で、香織はスマホをスクロールしていた。画面の先には、今日もAIが生み出した偽物の愛華が完璧な笑顔を振りまいている。


『AIKAさん、今日も素敵!』

『すごくおしゃれ! 憧れる!』


熱狂するフォロワーたちのコメントに紛れ、ふと、鋭い一文を見つけた。


『あと数年もすれば、他のインフルエンサーみたいにアカウントごと消されるかもね』


香織は感心しながら、親指で淡々と文字を打ち込む。


『海外での生活、馴染んでてよかった。私も頑張ってるよ。安心してね、いつまでも大好き』


元姉を気遣う妹が、関係者にだけわかる程度の匂わせのコメント。


それは、家族を捨ててセレブになった傲慢な姉を、それでも健気に慕い続ける妹という演出。世間はこういう『可哀想で美しい物語』が大好きだということを、香織は嫌というほど知っていた。


―利用できるものは、最大限に利用しなきゃね。


「デジタルのおねえちゃん、大好きだよ」


自分に言い聞こえるように呟き、送信ボタンを押す。


消え去った肉親の代わりに、決して文句を言わず、永遠に自分を引き立ててくれる『完璧なデジタルの姉』。それを手に入れた香織は満足げにスマホをしまい、何食わぬ顔で仕事へと戻っていった。


もちろん、元姉からの返事など来ないし、永遠に必要ない。



---------



その日の帰り道、香織は背後から声をかけられた。


「あの! インフルエンサーのAIKAさんの妹さんですよね!? 私、お姉さんに憧れてて!」


振り返ると、夢見がちな瞳を輝かせた、若くて可愛らしい女の子が立っていた。香織は内心でため息を吐きながら、器用に表情筋を動かして微笑みを作る。


「……そうですね。元、ですけど」

「やっぱり! あの、おねえさんみたいになるにはどうしたらいいですか? 私もセレブになりたくて……!」

「えーと、おすすめの本がありますよ。告発エッセイに見せかけたファンタジーなんですけど、やり方とか、元姉にそっくりで」


香織は手慣れた動作でスマホを操作し、ある電子書籍の表紙を見せた。



*******


【タイトル】

〜成り上がりセレブインフルエンサーの優美な消失〜


【あらすじ】

『家族は利用するもの。愛なんてない、全てはお金である』

それは家族マッチングを使用し、セレブに仲間入りした彼女の信念であった。


*******



そんな強烈なキャッチコピーから始まる、背徳的なフィクションエッセイ。


母子家庭、家族アプリ、海外セレブ。実の姉の生涯をそのまま模して、香織自身が匿名で世に出したものだった。中身は完全なノンフィクションの告発本。


何も知らない一般人からすれば、よくできた胸糞悪い都市伝説にしか見えない。


「これです。あくまでもフィクションだから、参考程度にね?」

「そうなんですね! ありがとうございます!」


嬉々として香織のスマホの画面の写真を撮り、足早に去っていく少女の背中を、香織は優しく手を振って見送った。


やがてその姿が見えなくなったところで、フッと口の端を歪める。


「おねえちゃん予備軍、追加完了……」


また一つ、デジタルのコレクションが増えそうな予感に、香織は恍惚とした気分で頬を染め、夕暮れの雑踏の中へと溶け込んでいった。


あの本は、せめて純粋な人間が悪意に食い物にされないようにと紡いだ、注意喚起でもあった。


ただ、愚かな人間が後を絶たない。ならば、最速でゴールさせるために、香織にとって望ましい方向性を提示して燃料を注ぐことにした。


すると、勝手に勘違いしてデジタルになる。


香織は何も悪くない。

相手が求めて手を伸ばしてきただけ。それを教えてあげただけだし、その証拠に相手も喜んでいる。


世間が判断するのはいつだって表面だけなのだから。綺麗で、誰かにとってのメリットになるのなら、本音なんて気付かれない。


それこそが、この2096年における最も正しい『善』なのだから。


____


家族マッチングアプリ利用規約 第53条


『家族適性喪失者は、海外提携機関への身柄の移送について同意したものとみなします』

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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とても引き込まれる始まりでした! テンポもかなりいい方で、文章も読みやすくスラスラと読むことができました!
捨てられた側が、捨てる側へと変わる瞬間が印象に残りました。 面白い話でした。ありがとうございます。
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