殺さない。殺せない。
「あんたってば、ほーんとに役立たずね」
頭上から、馬鹿にしたような笑い声が降りかかる。口内に砂利と血の味が広がった。
一瞬のことだった。俺は、上級眷属の放った魔法により、一撃でダウンさせられてしまった。
「ヴァレンティナ様も、何でこんな奴を眷属に選んだのかしら。男のくせに弱いし、すぐ泣くし、ウジウジして気持ちが悪い。強くて優しくて、かっこいいヴァレンティナ様とは大違いだわ」
上級眷属に髪を掴まれ、無理矢理顔を上げさせられる。
「ねぇ、あなた。ヴァレンティナ様に感謝しなさいよ? ヴァレンティナ様が助けてくださらなければ、あんたみたいな弱い魔族はどこかで野垂れ死ぬのが運命だったんだから。だからせめて、ヴァレンティナ様のお役に立てるように努力くらい、しなさいよね!」
腹を蹴り飛ばされる。一瞬呼吸が止まり、苦しくなって咳き込んだ。上級眷属は、高笑いをしながらどこかへと消えていく。
惨めだった。起き上がる気にもなれずに横になっていると、しばらくして、先程の眷属のものとは違う足音が聞こえてくる。
【貴様、また負けたのか】
「ヴァレンティナ、様……」
ヴァレンティナ様が、回復魔法を俺にかけてくれた。体が軽くなる。それでも、立ち上がるほどの気力はまだなかった。
【何故反撃しようとしない。魔法を扱うだけの十分な魔力と、技術は持っているはずだ、それなのに何故_____】
「ヴァレンティナ様」
俺はヴァレンティナ様に向かって頭を下げ、地面に額を擦り付ける。
「俺を殺してください」
【……】
「どうしてあの時、俺を殺してくれなかったんですか。俺はあの時、死んでも良かったんです。誰かを殺すくらいなら、殺された方が_____」
ヴァレンティナ様に胸ぐらを掴まれる。
【私の質問を無視するとは、随分と偉くなったようだな、クオーレ。だが、その度胸に免じて答えてやろう。……貴様を殺すつもりはない。確かに貴様は弱い。だが、それはまだ、力の出し方を分かっていないからだ】
ヴァレンティナ様は、不敵に笑う。
【力を持つものは、力を行使する義務がある。そして貴様には力がある。私は貴様を、最大限利用してやる方法を知っているだけだ】
楽しげに目を細めていたヴァレンティナ様は、しかし一転して冷ややかな表情になると、俺を突き飛ばした。
【ひとつ教えてやろう。お前の原動力は「怒り」だ。貴様は怒りを抱くことで、誰よりも強くなれる。……恨むんだ。自分の人生を狂わせた奴を恨み、その感情を決して手放すな。そうすることで貴様は強くなることができる】
そう言って、ヴァレンティナ様は去っていった。
そういえば、あの頃には既に、力をつけた勇者が魔王城に乗り込んでくるという噂が立っていた。
その噂通り、勇者は俺達のところへとやってきて、上級眷属を1匹残らず殺してしまったのだ。
死体の山に隠れ震えていた俺を、ヴァレンティナ様は見つけた。そして、いつになく冷たく、楽しそうな笑みを浮かべて俺を見下ろしたのだった。
【貴様、私の身代わりになれ】
*
「ヴァレンティナ様……」
俺の目の前に、ヴァレンティナが立っている。
冷徹で、恐ろしく、「氷の王」とまで言われたヴァレンティナの姿は、俺の知るものとはすっかり変わってしまっていた。
高かった身長は半分以下に縮み、長い髪は切り刻まれてしまっている。幼い少年の姿をしたヴァレンティナが、以前と変わらない不敵な表情で俺を見下ろしていた。
【せっかく私の魔力を渡してやったというのに、やすやすと勇者に殺されたうえに、人間ごときの結界魔法もすぐに破けないとはな。貴様は相変わらずの「役立たず」だ】
「魔力……?」
ヴァレンティナは、俺の心臓を指さした。俺はハッと気がついて、服の下の紋章を見た。
そうか、眷属の紋章だ。
魔族は、眷属になることで主人から様々な力を得ることができる。魔力の明け渡しや、声を出さずに会話ができるのも、そのうちのひとつだ。
ヴァレンティナは、俺に変身魔法をかける際に魔力を俺に移したのだ。その魔力を持ったまま生まれ変わったことで、俺は魔王の生まれ変わりと勘違いされたということか。
【貴様を見つけるまで、長かった。そして、惨めだった。この私が、身を隠しながら、泥を啜るような生活を送らなければならなかったのだからな。だが、その生活もこれで終わりだ】
魔王の手が俺に伸びてくる。しかし、俺の体は痺れたように動けずにいた。
【クオーレ。帰ろう……私達の故郷に】
ヴァレンティナが俺に触れようとしたその時、スピカが俺達の間に割って入った。スピカは俺を庇うように大きく手を広げている。
「スピカ……」
【クオーレ。この人間は誰だ?】
ヴァレンティナに冷たく問いかけられる。
【貴様、まさか人間に絆されたわけではないだろうな?】
「……だったら何だって言うんですか。今の俺は人間ですよ」
ヴァレンティナは吐き捨てるように息を短く吐くと、腕を振り上げた。
_____危ない!
スピカの体を突き飛ばす。何かが破裂するような音と共に、先程までスピカが立っていたところに抉れたような跡が生まれた。
「防御魔法!」
スピカに防御魔法をかける。
「スピカ、逃げてくれ!」
スピカが拒否するように頭を大きく振った。
「良いから逃げろって言ってんだろ!」
怒鳴りつけると、スピカは俺の方を何度も振り返りながら遠くへと走っていく。ヴァレンティナはスピカに対する興味を失ったのか、彼女を追うことはしなかった。
俺はヴァレンティナを睨みつける。
【だいぶ良い顔つきになってきたじゃないか、クオーレ。それでこそ私の眷属だ】
「ヴァレンティナ様、頼む。俺はもう、あんたの眷属には_____」
【黙れ!】
ヴァレンティナの手から放たれた氷柱を避ける。氷柱は俺の背後の木を抉るように刺した。
【眷属ごときが、この私に指図しようとするな!】
矢のように、氷柱が降り注ぐ。ヴァレンティナに近づこうにも、近づけない。
【私がどれだけこの時を待っていたと思っている。どれだけ貴様を探したと思っている。全て、全て、私が再び魔王としてこの世に君臨するためだ!】
少年の顔には相応しくない歪な表情を浮かべながら、ヴァレンティナは何度も俺に氷柱を繰り出し続ける。魔力が尽きる気配はない。
ヴァレンティナの魔力を持っている影響だろうか。俺の頭には、習得した覚えのない詠唱が、いくつも渦巻いている。そのそれぞれが、何をする魔法なのかも何となく分かる。
全部、相手を傷つけるための魔法だ。俺はこれらの魔法を使いたくない。
たとえ、相手が魔王であったとしても。
「ヴァレンティナ様、もうやめてくれ。俺はあんたの下につくつもりはもうないんだ!」
【うるさい、私に指図するな!】
ヴァレンティナは髪を振り乱しながら、これまで以上に大きく鋭い氷柱を俺に向けて放った。そのうちの1本が、俺の心臓に刺さった。
「ぐっ……」
ヴァレンティナがニヤリと笑う。しかし。
心臓を貫いたかのように思われた氷柱は、俺の胸に当たった瞬間、真っ二つに折れて地面に転がった。
……良くあるよな。実際にはそれほど痛くないのに、思わず「いたっ」って言ってしまう現象。
地面に落ちた氷柱を拾い上げようとする。しかし、俺が触れた瞬間、それは粉々に砕け散ってしまった。
ヴァレンティナが目を見開く。
【貴様、何故_____】
魔王様。あんたがもし俺の主人じゃなければ、そして普通に「声を使って」会話をしようとしていれば、すぐに気がついていただろうな。
魔法は、使う方にも条件があるが、使われる方にも条件がある。
魔法を扱う者の詠唱が聞こえなければ、そもそも魔法は効かないのだ。
「……だからやめろって言っただろ」
俺に、魔法は効かない。
「あんたに俺は倒せないよ」
ヴァレンティナは歯を噛み締めると、俺を睨みつけた。魔法は効かないと悟ったのか、一目散に俺に向かってくる。
「突風魔法!」
俺は魔王を追い払おうとした。しかし、予想以上に威力が強く、俺の攻撃を受けた魔王は吹っ飛ばされ、木に強く背中をぶつけた。
「ヴァレンティナ様!」
砂埃が立つ中を、風を掻き分けてヴァレンティナの姿を探す。
果たして、ヴァレンティナは地面に倒れ伏していた。俺の魔法によって、服はズダズダに切り裂かれてしまっている。しかし死んではいないようだ。
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、俺はあることに気がついた。
「……あんた、まさか」
眼前に曝け出された白い素肌。その胸元に、男であるなら本来ないはずの膨らみを、俺は見つけてしまった。
「……女、だったのか」
俺は目を逸らすことしかできなかった。
次回、最終話です。




