こんなところで、会いたくなかった。
ここ最近、スピカの様子がおかしい。なんだか妙に落ち込んでいるように見えたのだ。
俺が尋ねるも、スピカは微苦笑を浮かべるだけで答えようとしなかった。
俺が食事を終えるのを見届けると、すぐさま皿を回収して、スピカは逃げるように外に出ようとする。こんな時に限ってあの空気を読まない選択肢は出てきてくれない。
痺れを切らして、俺はスピカの手を掴んだ。
「スピカ、悩みがあるなら俺に話してほしい。それとも、俺には言えないようなことなのか?」
そう尋ねると、スピカの視線が揺らいだ。
「俺がスピカを困らせているなら、改善する。だから、何かあったなら教えて_____」
『違うの』
スピカは首を振った。
『クオーレのせいじゃない。私が、どうすれば良いか分かっていないだけ』
スピカの目から、涙が一粒落ちた。それを皮切りに、スピカの目からは、次から次へと涙があふれ出す。
スピカは顔を手で覆い隠すと、しゃがみ込んでしまった。
*
「……お別れ?」
スピカはこくりと頷いた。目を真っ赤にさせて、少しまだしゃくり上げながら、それでも身振りを使って俺に説明をしてくれる。
『元々期限は決まってたの。5年間。あなたの面倒を見る。それが私の仕事。もうすぐ、5年になる』
「そうか……ここでの仕事が終わった後のことは、スピカを雇ってる人から聞いてる?」
スピカは首を振る。
『聞いてない。でも、ここにはもういられない。私、行く場所がないの。両親はいない。故郷もない。文字も読めないし、仕事の探し方も分からない。このままじゃ、私……』
そこまで言って、スピカは黙ってしまう。
スピカが「買われた」存在であることは、彼女から聞いている。奴等は金さえ手に入れば、後のことはどうでも良いのだ。奴隷に教育を施す商人なんているはずがない。それに、奴隷を買う奴等も、彼女達のことを同じ人間として扱っていない。
スピカは可愛い。彼女なら仕事を見つけることは簡単そうだ。それが幸福なことなのか、不幸なことなのか、俺が決めることはできない。
でも……そもそも、スピカが生きてここを出られる保証もない。
俺は魔王の生まれ変わりとしてここに幽閉されている。そして、スピカもそのことを知っている。5年という期限を設けているのは、それ以上長く世話をし続けていたら、俺に情が湧いてしまうからだろう。
歩き方の癖から、少なくとも5人以上は俺の世話係が存在していた。中には1年ほども経たずに交代した人もいる。
その人達がどこに行ってしまったのか、俺は何も知らない。
『嫌だよ』
スピカが俺の服の袖を掴む。
『クオーレと仲良くなれたのに、初めてお友達ができたのに、こんなところで別れたくない』
涙ながらに訴えてくるスピカを見て、俺はとある決断を下した。
「……じゃあ、俺と一緒に来るか?」
俺と一緒に来たところで、スピカが幸せになるとは限らない。でも、俺が、スピカを見殺しにはしたくないんだ。
俺は誰かを傷つけるような選択はしたくない。昔も……そして、これからも。
スピカが頷いたのを見届けて、俺はスピカの手を掴んだ。スピカが鍵を使って牢屋を開ける。地上に向かって一目散に駆けていくスピカの後を俺は追う。
*
魔法を使うには、いくつかの条件がある。
ひとつ。声を出せること。
ひとつ。目が見えること。
ひとつ。魔法を扱えるだけの魔力を有していること。
詠唱ができなければ、魔法をかける対象を目で認識していなければ、魔法を使うことはできない。
視力と声を取り戻したことで、俺は魔法を再び使うことができるようになった。そして、探知魔法を使ったことで、俺が幽閉されている屋敷の周りには、結界魔法がかけられていることも把握していた。
この結界には、魔王の残党を俺に寄せ付けない意図と、そもそも俺を外に出さない意図があるだろう。
結界を破ることは造作もない。しかし、ここから先、ちゃんとスピカを守り切れるだろうか。
「破界魔法!」
俺が魔法を唱えると、周囲に張り巡らされている結界が破れる気配がした。同時に、四方から何かが飛んでくるのを感じ取る。
「防御魔法!」
俺とスピカを取り囲むように、ドーム状のバリアを張る。四方から飛んできた矢は、バリアに弾き返されて地面に落ちる。しかし、矢は雨のように降り続ける。
このくらいで壊れるようなやわな魔法は使っていない。でも……キリがないな。
俺達を矢で倒すのは難しいと判断したのか、しばらくして何体もの泥人形が現れた。俺達の数倍の身長はありそうな泥人形は、大きな拳を振るい、バリアを殴りつける。
スピカが怯えたように周囲を見回す。
『あれ、誰なの!?』
「魔法で作られた護衛用の人形……『泥人形』だ」
与えられた使命を遂行するためだけに動き続ける、知能のない生命体。攻撃すれば簡単に崩れてしまう、脆い人形だ。しかし、これだけの数いれば、やはりキリはないだろう。
どうする。テレポートを使うか?……いや、あれは駄目だ。
テレポートには大量の内部魔力を必要とする。以前スピカの体内に宿る魔力の量を調べたことがあったが、テレポートができるほどの魔力は持っていなかった。下手に使えば、多量の魔力消費により命を落とす可能性もある。
どうする? やっぱり、泥人形を破壊するしかないか?
顔のない泥人形は、俺達の周りを取り囲み、ひたすらバリアを叩き続けている。
奴等は生きていない。ただ、生命があるかのようなフリをしているだけだ。倒すのは造作もないだろう。
分かっている。分かっているけれど、俺の体は動かない。心臓がドクドクと激しく音を立てた。嫌な汗がぶわっと噴き出し、背中を伝う。
頭の中にとある映像が、途切れ途切れに映し出される。
そうだ。あの時もそうだった……。反魔王勢力が俺達の村に立て籠もって、抗争を始めた時。俺は、戦うのに十分な魔力は持っていたんだ。だけど体が動かなかった。俺は部屋の隅で、体を震わせながら、窓の外から聞こえてくる悲鳴から逃れるようにひたすら耳を塞いでいた。
怖かったんだ。誰かを殺すのが。自分の手を汚すのが。やるのは簡単で、だけど一度やってしまえば、二度と取り返しがつかなくなるような気がした。
『クオーレ!?』
息をするのが苦しい。脳を鷲掴みにされているみたいに、頭が痛い。
『しっかりして、クオーレ!』
嫌だ、嫌だ、嫌だ……! 俺は、誰かを殺したくない_____
その時、俺達を殺そうとする気配がふっと止んだのを感じた。
「え……」
顔を上げる。先程までいたはずの泥人形は全て、地面にバラバラに切り刻まれた状態で倒れている。効力を失った泥人形達は、俺の目の前でみるみるうちに水溜まりへと姿を変えていく。
【久しぶりだな、クオーレ】
声がした方を、振り返る。
「……ヴァレンティナ、様」




