「好きな人ができたから、お前には代わりを用意した」と言われ続けた結果【連載版はじめました】
「好きな人ができたから、お前に代わりを用意した」
隣の家に住む幼馴染、婚約者にそう言われたのが、十八の春のこと。彼の隣では大人しくて可愛らしい雰囲気のお嬢さんが申し訳なさそうに眉を下げていた。
「だいたいアンナはガサツっていうか、なんでも自分でやれちまうし、可愛げがないし、女として見れなかったんだよな」
あまりのことに開いた口が塞がらない。
私だって、馬鹿で呑気で後先考えないあんたが未来の旦那なことを不安に思っていたわよ。
なんて、仮にも浮気されたとはいえ、お嬢さんの前で言うべきではない。握り拳の準備だけしていると、ガハハと笑う彼の耳をお嬢さんが引っ張った。
「ごめんなさいっ!」
なんでも街で暴漢に襲われていた時に助けられて、婚約者がいるとも知らずにそのまま良い仲になってしまったのだと言う。まあ、クズだけど勇気だけは持ってるからね。図体だけはデカいし。その体力を活かして、山を越えなきゃいけない街に牛乳を売りに行っていたわけで……女見つけてこられては世話ないけど。
お嬢さんはそんな彼の頭を力技で下げ、何度も謝ってくれた。私は必死に頭を下げる彼女を宥め、彼の腹に渾身の一撃を入れてやった。
「うぐおっ」
「気にしないで。全部こいつが悪いから」
今は亡きお父ちゃん、婚前交渉だけは許さないって口酸っぱく言いつけてくれてありがとう。騒ぎを聞きつけて出てきた病弱なお母ちゃん、寝てていいよ。私、見た通り強いから。
「んで、代わりって誰よ。バーノンおじさんとかだったら引っ叩くからね」
「なわけないだろ!?」
バーノンおじさんとは、私たちの村で有名な地雷独身おじさんである。しかし私たちの過疎村にはおじさんとこいつくらいしか独身がいない。赤子や子供を除き。
「街で仲良くしてる奴がさ、嫁を探してたんだよ。お前の話したら是非とももらいたいって」
「それなんか裏がない?」
私の容姿はごく普通。茶色い髪に赤い瞳。おまけにそばかすの痩せぎす。他にたくさんいるような街で、こんな女を欲しがるなんて。
住所のメモを渡しながら、彼は言う。
「寝たきりの母さんがいるんだと」
とりあえず、蹴り飛ばした。
しかし、こんな家畜の世話しかできないような村娘を雇ってくれるところなんてどこにもない。私には支えなきゃいけない家族もいるし、今度はその人の婚約者になることにした。義理の親の面倒を見るのが、早いか遅いか、長いか短いかだ。耐え忍ぶしかない。
「じゃあ、お幸せに!」
ついでに、倒れ込んだ元婚約者の手を踏んづけてやった。幼馴染の家に慰謝料代わりに母の面倒を見るように言いつけて、私は村を出た。あいつやおじさんはともかく、おばさんはまともな人だから大丈夫だろう。弟にも何かあったらすぐ手紙を出すように言っておいたし。
街は栄えていて、どこからも家畜の匂いがしないことに驚いた。
「これからよろしくお願いします」
そんな町の中でも一際大きな屋敷が、私の次の婚約者の家だった。彼は街で有名な商家の息子だった。
「あー、うん。よろしくね」
彼は私を上から下まで見て、可愛らしい妻の幻想をなくしたらしかった。まあいい。いずれ夫婦となる身として、信頼さえ積み重ねられれば。見ず知らずの村娘をすぐに信じることはできないのはわかるし、私も警戒心くらい持っている。住み込みの使用人のような扱いで始まったことに、別に文句はない。
私の新しい朝は、未来の義母のベッドルームに顔を洗う水を持っていくことから始まる。
「愚図だね! これならメイドの方がまだマシだよ!」
「あーら、じゃあ教えてくださいよ。その口ぶりじゃあ、不出来な嫁を躾けるのが姑の仕事なのでしょう?」
なんというかクセのある人だったけど、村にはもっとめんどくさい人はたくさんいたし、私だって可愛らしい性格ではない。
日中の介護に加えて、夜は経理の勉強。というのも、未来の旦那様が怠け者なことが発覚したからだった。彼が後を継ぐと同時に結婚する予定になっているけど、この人に任せていたら潰れてしまう。
「ねぇ、婚約して一年経ったじゃん? せっかく同じ家に住んでるんだからさぁ」
「婚前交渉はしないと決めているんです。明日はガネル商会との商談ですし、早く寝てください。おやすみなさいませ」
「うん……。アンナも、頑張りすぎないようにね」
悪人ではない。悪口を直に言ってくるほど馬鹿でもない。私がお膳立てすれば、真面目に仕事もしてくれる。
ただ、まだ愛どころか信頼関係すら生まれていないから。バタン、と自室のドアを閉めた。
それから数週間後のことだった。
「好きな人ができたんだ。次の嫁入り先は見つけておいたから、勘弁してくれないかい?」
なんでも、私が商談をセッティングした、あのガネル商会のお嬢さんなのだとか。
献身的な村娘と、他領で市場占有率首位にいる商会の令嬢。どちらと一緒にいた方がいいか、経理やら商売に携わるうちに、私も理解できるようになっていた。
「仕事でお世話になっている人で、ウィンザー侯爵の騎士なんだけど、家のことに手が回らないらしいんだよね」
衣食住は充実していた。けど、一方的な婚約破棄にイラつかないわけがなく。
「お幸せに!」
頬に張り手をして出て行った。出て行く前に元未来の義母に呼ばれた。今まで世話になったから、と銀貨の入った袋……へそくりをもらったので、一回家に帰った。幼馴染夫婦には子供が一人産まれていたけど、お母ちゃんはちゃんと面倒見てもらっていて安心した。弟もちゃんと村の学校に通えていた。残りはいざという時に使えと置いてきた。
長い間荷馬車に揺られてたどり着いたウィンザー侯爵領は、街よりも栄えていた。村とは文明が違うんじゃないかってくらい先進的だった。そんな街中の集合住宅……アパートの一室が騎士様の家だった。
「これからよろしくお願いします」
「急なことですまないが、よろしく頼みます」
騎士様は真面目で堅物といった雰囲気で、花形職業なのに遊んでいる感じがしなかった。狭い家でも自ら片付けてまで私のために一室を用意してくれて、ありがたかった。
家事をこなしながら、お隣の家に住むお金持ちそうなご夫婦や同じく騎士の妻な方々と交流する。最新式のキッチンや知らない食べ物には悪戦苦闘したけど、騎士様は何も文句を言わなかった。
「本邸のメイドが足りないらしく……」
「わかりました。行って参ります」
時たま本邸のメイドもした。なんでも侯爵に惚れて一服盛ろうとした輩がいて、大量解雇されたのだという。人手不足だからといじめられることもなく業務を教えてもらって、二足の草鞋と言えるほどにまで慣れた。メイド長に認めてもらったし、盛ろうとした輩の残党をとっ捕まえて主人……侯爵に褒めてもらったこともあった。
「お帰りなさい。お夕飯できてますよ」
「ありがとう存じます。……あの」
「はい、なんでしょうか」
「この間の遠征でたまたま居合わせた男爵家のご令嬢に助けていただいたのですが、お礼はどうしたら良いでしょうか」
「男爵令嬢とのことですし、侯爵領で流行りの紅茶の茶葉などはいかがでしょうか」
「良いですね。そうします」
お互い働き者というか、まるで雇用関係のようだったけど、信頼はできていたと思う。侯爵家のドタバタも落ち着いてきて、そろそろ結婚しようかというところだった。
「好きな人ができました。悪いとは思っています」
拭いていたお皿を落としかけて、静かに食器棚に仕舞う。
お相手は、この間紅茶の茶葉を贈った男爵令嬢とのことだった。二度あることは三度あるというけれど、今度こそ、大丈夫だと思っていたのに。
なんとなく、次の言葉に予想がつく。
「ですが、主君が貴方を婚約者として迎えたいと……」
詫びの意思はあっても、あまり深刻に考えていないのは、玉の輿に乗ったと思っているからだろう。
主君、つまり侯爵。金髪紫眼が麗しく、適齢期なのに婚約者がいないことで有名で、食えない人。騎士様は分かっていないだろうけど、ぜっったいに裏がある。でも、侯爵から呼ばれて断れる身分ではない。
「誠実に言ってくださってありがとうございます」
けど、ここまで尽くしてそれなのか、と思うところはあるわけで。
「貴方も、私を捨てるんですね」
恨み言を吐いて、部屋に戻った。トランク一個分しか、私の荷物はない。だって、ねだったことも貰ったこともないから。
「それとは別に、お幸せに」
流石に良心をお持ちの騎士様は、結果として身分は上の人に嫁げるのだから、と思い上がっていた自分を恥じたようだった。わざとドアを乱雑に閉めて、二年住んだ家を出た。
侯爵邸に向かう途中で、何人もいる元婚約者の一人、商会の息子を見かけた。侯爵領の商会と取引にきたのだろう。少し太ったようで、ずいぶんと幸せそうだった。
職場だったはずの侯爵邸の執務室のソファに、私は座っていた。
「君に、私の婚約者をお願いしたい」
婚約者、という名の防波堤。美麗な顔で言われても、そうとしか聞こえなかった。
私が何度も捨てられている、婚約者のプロと知ってのことだろうか。いや、そんなことはあの幼馴染しか知る由のないこと。
「では、代わりに私の家族の面倒を見ていただけますか?」
幼馴染には子供が三人生まれ、私の母の面倒を見るのが厳しいのだと、手紙をもらった。理解できる。過疎村で小さな子供を育てているのに、随分前に婚約破棄した女の母の面倒まで見てられない。
侯爵はなんだそんなことか、といったように引き受けてくれた。近所の人にお金を奪われては困るから、私からのほんのわずかな仕送りという体で送った。
「あまり、貴族令嬢と結婚する気にはなれなくてね」
権力の関係的に、高位の令嬢と結婚することはできず、下位の令嬢のハイエナのような視線と無能さに辟易としているらしい。その上、殿下が結婚できるまでは、自分もする気がないのだとか。
「君は素晴らしい。メイドたちから好かれているし、有能だ。周りに結婚を急かす者もいない」
とはいえ、侯爵家の妻がマナーのなっていない平民というのもよくない。
私は侯爵家の遠縁の子爵家の名ばかりの養子となり、淑女教育を受けることになった。立ち振る舞い、勉強、マナー、ダンス……本来何年もかかるものを、一年で叩き込まれた。
ある日、黒髪碧眼の美男がやってきた。
「やあ、待っていたよ。彼女が私の婚約者のアンナだ」
「お初にお目にかかります。アンナと申します」
新聞でしか見たこともない、王子殿下だった。ただの平民が、まさか王子の前でカーテシーすることになるとは。王子殿下といえば、人間不信で有名な方で、有能なのに婚約者ができないせいで男色とまで言われていた。
「チッ」
これは言われてもしょうがない。初対面は最悪だった。
王子殿下は唯一、乳兄弟の侯爵には心を開いているようで、よく遊びにきていた。侯爵も忙しいから、留守の時は私が相手をすることも多かった。話す内容がなくて身の上話をしていると、婚約者になり続けるというのも変な話だから、王子は興味深そうに聞いてくれた。そのうちに、王子も自分の話をしてくれるようになった。
兄弟同士の血の争い、婚約者候補間でのいじめ、他国からの刺客……散々な話ばかりで、人間不信も納得だった。同情していたら、私の方が同情されるべきだと言われて、なんだかんだ仲良くなった。侯爵は安心した様子だった。多分婚約者としての一番の難関だったのだろう。
「分をわきまえなさい!」
何度か舞踏会にも出席して、社交界にも参加した。令嬢たちは最初やっかんできたけど、幼馴染に婚約破棄された話をしたら、なぜか味方になってくれた。淑女教育が終わってからは暇だったから刺繍やお菓子作りをしていて、それをお茶会に持って行ったら引っ張りだこになってしまった。平民の器用さというのは珍しいらしい。
そんなこんなで、侯爵の婚約者というのも、割とうまく行っていた。
「……何か悩みでもあるのですか?」
夕食中の軽い会話の中で、いつものように優雅だけどなんだか落ち着かない様子の侯爵に違和感を覚えた。
「うーん。そうだね、君になら話してもいいか」
「内密にした方がよろしいのですね」
給仕をしていた使用人を下げる。静かな食堂には、侯爵がステーキを切る音だけが鳴っていた。ワインが傾いて、泡が弾ける。
「殿下が、他国から献上された姫君を振ってしまったんだ」
彼女は、長く続いた因縁の終止符とばかりに送られてきた王女様なのだという。
「王女とはいえ末席でね、帰る場所なんてないと泣く。今は王宮の客室に住まわせているが……どうしたものかな、と」
私だって気を許してもらえるまで大変だったのに、ほぼ敵国から送られてきた王女様なんて王子は見向きもしないだろう。
「……差し出がましいことを申し上げますが、ひとまずお話を伺ってみてはどうでしょうか。王女様は、今とても不安だと思いますので」
婚約破棄を何度もされた身として、今後どうなるかわからない不安というのはすごくよくわかる。すぐにはどうにもできないとしても、味方がいるのだとは思わせてあげたい。
そのことを詳しく説明したら、侯爵は納得したようだった。しばらくの間の夕食の時の会話のネタは王女様のことだった。
思えば、この時点で気づくべきだった。
「私は、愛する人ができてしまった」
その愛する人というのが、王女様だった。
侯爵が申し訳なさそうな顔をする。食えない人にそんな顔をさせるくらいには、この三年で親しくなれていた。
「それで……」
「結構です」
二度あることは三度ある、と言うけれど、三度なんて超えた。今回で四度目の婚約破棄。十八の時に婚約を破棄されて、今は二十四。
「もう、疲れたんです」
私は、キューピッドなのだと思う。私との婚約を破棄した人は、皆幸せになれている。
……でも、じゃあ私は? また捨てられる恐怖に怯えて、やっと慣れた頃に捨てられるの?
段々と、婚約破棄される時の辛さが増しているのに。
「いっそ未婚のままで働きに出ます。皆様のおかげで、もう何も持たない村娘ではなくなりましたから」
今まで様々な経験をした。今までは婚約者だったから、お給金はもらえなかったけど、この能力があれば、家族に仕送りできるくらいは稼げると思う。家督は弟が継ぐし、全く問題はない。
「では、お世話になりました」
髪艶が良くなった。目元のクマがなくなった。健康的な体を持った。教養を手に入れた。
キューピッドという仕事の代わりに、神様が与えてくれたものは、自立するに有り余るほどの力だ。
「アンナ、待ってくれ。こんなことを言う権利はないと思う。だが、もう一度だけ、信じてくれないか?」
去ろうとした私を、侯爵が引き留める。
「殿下が、君を娶りたいと」
侯爵の必死な顔に、天を仰ぎ見る。
ああ、神様。今度は殿下を幸せにしろと言うのですか。今度こそ国中の笑い者ですよ。
「わかりました。お引き受けします」
また捨てられてでも、運命の人と引き合わせてみせます。でもどうか、あの人間不信な不憫な人を最後にしてください。
「お幸せに」
王宮はとても豪華だった。数年前の私だったら、財力の違いに腰を抜かしていたと思う。応接間に案内されて、紅茶を出されて。王子が話した通り、一口も飲まずに待った。王宮では信用のおける数人以外が出したものは口に入れてはいけないと言っていた。
ドアが開く。静かに立ち上がって、頭を下げた。
「お久しぶりです、王子殿下。これからよろしくお願いしま……」
「籍を入れよう」
紙と羽ペンを押し付けられる。私が名前を書くところ以外、全部記入されていた。
「あの、女性避けの防波堤では?」
「何を言っているんだ?」
「なぜ結婚の証書を渡されているのかが聞きたいのです」
「結婚するからだが?」
何を当たり前なことを聞いているんだ、という風に詰められる。はい?
「なぜ結婚するのです?!」
「好きだから以外に理由があるか!?」
「はい?!」
こっちがあっけに取られている間にガッと手を取られ、すでにインクの付いた羽ペンを持たされて、名前を書かされる。いや、犯罪ですよそれ。
「よし、あとはこれを出してくる」
「ちょっと待った!!」
「ん? なんだ? 時間が惜しいんだが。結婚式はもちろん別で、時間をかけて正式に行う」
妙に元気な様子の王子を止める。何大事なことをしれっと流しているのだろう。まるで、当たり前のように。
「好き、なんですか?」
「ああ、好きだ」
「なんで」
「好きに理由も何もない。好きなところなら朝まで伝えられるが、夫婦になった後にしてくれ」
頭を撫でられ、額にキスされ……思わず額を押さえる。顔が熱い。何年もいろんな人の婚約者になったけど、こんなことなかった。何してるのこの人。
「案外初心だな」
王子がくしゃりと笑う。その笑い顔が可愛いと思ったのは、初めてじゃない、けども。
「あいつが姫を好きになってくれて好都合だが……謎の強制力が働いては我慢ならないからな」
のちに私の話は大衆小説として王都で人気になり、麦わら一本で長者になったおとぎ話になぞらえて、わらしべ王妃と呼ばれることになる。実際は幼馴染に、商人に、騎士様に、侯爵に、婚約破棄されただけなのに。
読んで下さりありがとうございました。
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追記 色々なコメントをいただきまして、長編化いたしました。返信するまで時間がかかると思いますので、こちらを返事と思っていただけると嬉しいです。




