表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死神相談所  作者: 兎月心幸
ラディス外伝
46/47

番外編「同じ聖夜に、灯りがある。」

霊境に雪が降り始めたのは、

死神相談所が、ほんの少しだけ明るくなった頃だった。


冷たさはない。

触れれば溶けてしまいそうな白い粒子が、淡い光を帯びながら、音もなく落ちてくる。

霊子でできた雪は、床に触れる前にほどけ、夜の空気そのものに溶けていった。


相談所の一角には、小さなクリスマスツリーが立っている。

木と呼ぶには頼りなく、けれど確かに“樹”の形をしたそれは、霊子を編み上げて作られたものだった。


枝先で、星屑の鈴がひとつ、静かに揺れている。


「……その飾り、少し左かな」


十六夜の声に、緋音が小さくうなずいた。

彼女は黎明の力で指先に霊子を集め、ツリーのてっぺんへとそっと流し込む。


星の飾りが、淡く脈打った。


次の瞬間、緋音の頭の中に浮かんだ光景が、そのまま形になる。

月の欠片のようなオーナメント。

灯りの雫が、枝から一粒、また一粒と生まれていく。


「……わ、きれい」


思わず漏れた声に、十六夜は何も言わなかった。

ただ、その光景を少しだけ長く見つめている。


死神は、食事を必要としない。

それでも、今夜は小さな卓に、いつもより少しだけ手の込んだ料理が並んでいた。

誰かを迎える予定があるわけでもないのに。

それでも――今日は、そういう夜だった。


ちりん、と。


星屑の鈴が、澄んだ音を立てた。


音は一度きりだった。

呼び止めるようでも、急かすようでもない。

ただ、ここに誰かが来たことを告げるだけの音。


瑞響の義眼が、わずかに扉の方を向く。


「……境界に、反応があります」


十六夜と緋音は、同時に手を止めた。


扉の向こうに立っていたのは、

ひどく静かな魂だった。


霊子の雪が、外套の肩や裾に淡く積もっている。

だが、彼はそれを払おうともしない。

まるで、ここへ来る途中で時間が止まってしまったかのように、

ただ灯りのある方を見ていた。


扉は、閉じていない。

けれど、開いているとも言えなかった。


魂は、しばらくその場に立ち尽くしていた。


「……ここ」


ようやく、声が落ちる。


「入っても……大丈夫なんでしょうか」


問いは、誰に向けたものでもなかった。


十六夜は、すぐには答えなかった。

一歩も近づかず、距離を保ったまま、静かに言う。


「無理に入らなくていい」


その言葉に、魂がわずかに目を見開く。


「ここは、

 立ち止まっても、引き返してもいい場所だ」


扉の内側を示すこともしない。

ただ、そこに在る事実だけを告げる。


沈黙。


やがて、魂は視線を落とし、

自分の足元を見た。


霊子の雪が、境界線のところで淡く光っている。


「……少しだけ」


言い訳のような声だった。


「少しだけ、ここに居てもいいなら」


十六夜は、ようやく一歩、横に退く。


道を空けるだけの、最小限の動き。


「いいよ」


それだけだった。


魂は、ゆっくりと足を踏み出す。


境界を越えた瞬間、

外套の裾にまとわりついていた雪が、音もなくほどけた。


彼は一度だけ、振り返った。

外の夜を確かめるように。


そして、扉の内側へと、完全に身を置く。


魂は、しばらく何も言わなかった。


椅子に腰を下ろしたまま、室内をゆっくりと見回している。

視線が止まるのは、窓の外の雪や、ツリーの淡い灯り。

けれど、それらを評価するような様子はなく、

ただ「そこに在る」ものとして受け取っているようだった。


肩の力が、ほんのわずかに抜ける。


「……静かですね」


ぽつりと零れた声は、感想というより確認に近い。


「はい」


緋音が小さくうなずく。


「ここ、あんまり音がしないんです。

 雪も、鈴も」


魂はその言葉に、もう一度だけ窓の外を見る。

降り続く雪は、確かに音を立てていない。


「……落ち着かない場所かと思ってました」


「そう思う人もいる」


十六夜が答えた。


「でも、ここは急がせない場所だから」


魂は、十六夜の方を見る。

問い返すことはせず、ただ、その言葉を受け止める。


「ここでは、行き先を決める前に立ち止まっていい。

 無理に話さなくてもいいし、

 答えを出さなくてもいい」


少しの間を置いてから、続ける。


「話したくなったことだけでいい」


魂は、すぐには返事をしなかった。

視線を落とし、指先を軽く組む。


「……そうですか」


短い言葉だったが、拒絶の色はなかった。


また沈黙が落ちる。

ツリーの灯りが、わずかに揺れる。


雪を見ていた魂が、ゆっくりと息を吸った。


「……大した話じゃないんですけど」


言い訳のような前置きだった。


「聞いてもらうほどのことでもなくて……

 ただ、少しだけ」


十六夜も緋音も、何も言わない。


魂は、言葉を探すように、しばらく黙ったまま続ける。


「生きてた頃……

 こういう日は、いつも一人でした」


事実を述べるだけの声音だった。


「特別なことがあったわけじゃないです。

 誰かと過ごしてたわけでもないし、

 嫌な思い出があるわけでもない」


一度、言葉を切る。


「……ただ、

 気づいたら終わってる日、って感じで」


視線が、また雪へ向かう。


「街は明るくて、

 みんな楽しそうで。

 それを見て、きれいだなって思って……

 それで終わりでした」


誰も、評価しない。

慰めもしない。


魂は、自分が話していることに、少し遅れて気づいたように、

小さく息を吐く。


「……相談、なんですけど」


今度は、はっきりと十六夜を見る。


「誰かと過ごす夜が、

 どんなものなのか……」


言葉が、少しだけ詰まる。


「分からないまま、終わってしまったなって」


それだけだった。


魂が言葉を置いたあと、

相談所には、すぐには何も起こらなかった。


誰も返事をしない。

問い返すことも、慰めることもない。


ただ、時間だけがそこに残る。


窓の外では、霊子の雪が降り続いている。

冷たさを持たない白い粒子が、灯りを受けて、ゆっくりとほどけていく。


ツリーの光が、枝先で淡く揺れた。

飾りの星屑が、わずかに瞬く。


魂は、その光景を見つめていた。

促されることもなく、置き去りにされることもなく、

ただ、同じ空間にいる。


「……」


言葉にしかけて、やめる。

それでも、居心地の悪さはなかった。


答えを返されない沈黙は、

拒絶ではないと、ここでは分かる。


――ここは、言葉を置いていい場所なのだと。


やがて、緋音が立ち上がる。

大げさな動きではない。

ただ、自然に。


「……雪、きれいですね」


そう言って、窓のそばに立つ。


魂は一瞬だけ迷い、

それから、ゆっくりと椅子を離れた。


並んで立つ。

肩が触れるほど近くはない。

けれど、離れてもいない。


同じ方向を向いて、雪を見る。


卓の上の灯りが、背中を照らしている。

ツリーの光が、視界の端で静かに揺れる。


誰も何かを“してあげて”はいない。

何も用意されていない。

ただ、同じ夜を過ごしているだけだった。


そのとき、魂は気づく。


――今、自分は、

誰かと同じ時間の中にいる。


それは、初めての感覚だった。


十六夜は、少し離れた場所で、その様子を見ていた。

何も説明しない。

意味を与えもしない。


ただ、必要な言葉だけを選ぶ。


「この夜は、キミのものだ」


短く、静かな声だった。


評価でも、断定でもない。

奪わないし、与えもしない。


それでも、その一言は、

今この瞬間を、確かに肯定していた。


その言葉を聞いた瞬間、

魂の視界から、相談所の灯りがゆっくりと遠のいた。


雪の光が、滲む。


代わりに思い出されるのは、

ずっと前の、よく似た夜だった。


仕事帰りの道。

街は明るく、浮かれていて、

自分だけが少し遅れているような感覚。


ショーウィンドウに映るツリー。

ガラス越しの灯り。

足を止めるほどでもなく、

でも、視線は自然と向いてしまう。


コンビニに入ったのは、

特別な理由があったからじゃない。


温かい飲み物を買うため。

それだけのつもりだった。


レジに並ぶ直前、

視界の端に、小さなケーキが映る。


一人分。

簡素な箱。

派手さのない、白いクリーム。


一瞬だけ、足が止まった。


――今日は、そういう日だったな。


そう思っただけだ。


手を伸ばしかけて、やめる。

理由は、ちゃんとあった。


どうせ、一人だから。


レジを通り、袋を受け取る。

店を出ると、夜の空気が少しだけ冷たい。


街は相変わらず明るくて、

楽しそうな声が、遠くで弾んでいる。


それを見て、きれいだな、と思った。


それで終わりだった。


特別な出来事はない。

後悔した覚えもない。

ただ、いつもの夜が、

いつも通りに過ぎていっただけ。


――そういう人生だった。


気づけば、

そんな夜ばかりが、静かに積み重なっていた。


そして今。


同じように、雪が降っている。


でも、違う。


背中に、灯りがある。

すぐ隣に、誰かの気配がある。


魂は、ゆっくりと息を吐いた。


知らなかったわけじゃない。

ただ、気づいていなかっただけだった。


雪の光が、ゆっくりと焦点を結ぶ。


魂は、再び相談所の中に立っていた。

窓の外では、相変わらず霊子の雪が降っている。

ツリーの灯りも、さっきと同じ場所で、同じ明るさで揺れていた。


何も変わっていない。

――はずだった。


けれど、胸の奥に残っていたものが、

いつの間にか、静かに形を失っている。


「……」


言葉にしようとして、やめる。

もう、言う必要がなかった。


魂は、自分の手を見る。

透けていたはずの輪郭が、先ほどよりも淡く、やわらいでいる。


失われた、という感覚はない。

奪われたわけでも、消されたわけでもない。


ただ、

置いてきたものを、そっと下ろした。

それだけだった。


「……ああ」


小さな声が、自然に漏れる。


「こういう夜……

 嫌いじゃなかったんだな」


誰に聞かせるでもなく、

自分自身に確かめるような声音だった。


雪を見る視線が、穏やかになる。

灯りを受けた粒子が、ゆっくりとほどけていく。


外套の裾が、風もないのに揺れた。

霊子でできた影が、光に溶けるように薄くなる。


鈴は、鳴らない。


それでも、魂は理解していた。

ここで得たものは、

この夜だけのものじゃない。


「……ありがとうございました」


振り返って、そう言った。

深く頭を下げることもなく、

ただ、静かに。


十六夜は、うなずくだけだった。

緋音も、微笑みはしない。

それで十分だった。


魂の輪郭が、さらに淡くなる。

灯りに溶けるように、

雪の中へとほどけていく。


最後まで、音は立たなかった。


椅子は、空のままそこにある。

ツリーの光も、変わらず揺れている。


十六夜は、その光を一度だけ見つめ、

誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。


「……メリークリスマス」


夜は、まだ続いていた。


――来訪、一件。

未練:同席未経験。

結果:解消。

特記事項なし。


書き終えたあと、ほんの一瞬だけ、手が止まる。

そして、そのまま符を重ねた。


相談所には、まだ灯りがある。

雪も、降り続いている。


クリスマスの夜は、静かに、次の時間へと流れていった。


こんばんは、兎月心幸です。

今回は、少し静かなクリスマスのお話でした。


事件も、大きな奇跡も起きません。

誰かの人生が劇的に変わるわけでもありません。


ただ、

同じ夜に、同じ灯りの下で、

ほんの少しだけ時間を共有する――

それだけの物語です。


でも、

死神相談所という場所は、

本来こういう夜のために在るのだと思っています。


声にならなかった想い。

未練と呼ぶには小さくて、

それでも確かに胸に残っていた感情。


そういうものを、

「それでもいい」と受け止める場所。


今年のクリスマスが、

誰かと過ごせた人にも、

そうでなかった人にも、

この物語の灯りがそっと届いていたら嬉しいです。


それでは、相談者の皆様。

メリークリスマス。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ