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死神相談所  作者: 兎月心幸
ラディス外伝
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外伝「時計の傀儡の断てない糸・其の一」

 この屋敷には、音が少ない。


 風は吹いているはずなのに、

 カーテンは揺れず、

 床に積もった埃も舞い上がらない。


 代わりに聞こえるのは、

 遠くで軋む木の音と、

 規則正しくもない、壊れた拍動。


 ――コ、ン。


 柱時計が、一度だけ時を刻む。

 それが何時なのかを、示すことはない。

 ただ「ここにいる」と告げるためだけの音だ。


 屋敷は、呼吸をしているようだった。


 天井の高い廊下には、赤黒い糸が薄く張り巡らされている。

 光を受けるたびに、糸はわずかに震え、

 まるでこちらを確かめるように揺れた。


 足音は、ひとつ分しかない。

 他の気配は、もうない。


 壁には、絵が並んでいる。

 同じ角度の微笑み、

 同じ大きさの瞳、

 同じ幸福を模した表情。


 誰の名前も書かれていない。

 それでも――

 知っている顔が、いくつもあった。


 声も、癖も、

 言葉の選び方も覚えている。

 忘れたくて忘れられるほど、

 軽い関係じゃなかった。


 だから、名前は呼ばない。

 呼べば、きっと何かが“完成”してしまう。


 ここでは、

 思い出すことが、一番深く縫われる。


 彼は壁から視線を逸らし、

 胸元に手をやった。


 指先に触れるのは、

 壊れた懐中時計。


 針は止まり、

 ガラスは割れ、

 音も、もう鳴らない。


 それでも彼は、

 それを宝物のように握りしめていた。


 親指で、金属の縁をなぞる。

 何度も、何度も。

 まるで確かめるように。


 強く握れば、

 指の痛みで、

 まだ“ここにいる”と分かる気がした。


 この時計が止まった瞬間から、

 自分の時間も、

 同じ場所で立ち止まっている。


 助けを呼ぶ声はない。

 泣き声も、怒号もない。


 あるのは、

 整えられすぎた静けさと、

 笑顔だけが残された空間。


 それでも、彼はこの屋敷を離れない。


 出口がないことは、

 もう、何度も確かめた。


 それでも待っている。


 誰かが、

 ここへ辿り着くことを。


 理由はない。

 根拠もない。


 ただ――


 この屋敷は、

 “帰ってきた者”を、

 決して拒まない。


 だから今日も、彼は、壊れた懐中時計を胸に抱いたまま、

 止まった時間の中で、静かに、待っている。


 * * *


 祓魂庁の作戦室は、いつも通り静かだった。


 高い天井、円形に配置された机。

 壁面には霊波図と現世地図が重ねて投影され、淡い光が床に落ちている。

 血の匂いも、悲鳴もない。

 ここはまだ――任務の前だ。


 祓魂庁。

 冥界において、邪魂討伐と高危険霊障の処理を専門とする戦闘部門。

 だが同時に、「死なせない」ことを最優先に据えた部署でもある。

 討伐は目的ではなく、結果だ。

 生きて帰ること、それ自体が任務の成功条件だった。


円卓の正面に立つ男が、淡々と報告を続ける。


「対象は、現世ミルヴァスト家屋敷。

 数日前、近隣からの通報により発覚した霊障事案だ」


 空中に投影された資料が切り替わる。

 蔦に覆われた古い屋敷の外観。

 建材そのものに、赤黒い霊波がまだらに染みついている。


「通報内容は“一家心中の疑い”。

 現世側では、そう処理されている」


 上官は淡々と資料を切り替える。


「死亡自体は確認されている。

 だが、今回の問題はそこじゃない」


 投影された霊波図。

 屋敷の輪郭に沿って、赤黒い波形が幾重にも重なっている。


「未練を残した魂が留まること自体は、珍しくない。

 邪魂の発生も、想定範囲内だ」


 そこで、言葉が一度区切られた。


「――だが、この屋敷は違う」


 霊波が、明確な“層”を形成している。

 まるで設計された構造物のように。


「霊障が、空間そのものを固定している。

 家全体が、半独立領域として機能している状態だ」


 誰かが、低く息を吐いた。


「……屋敷型霊障、か」


「しかも発生から日が浅い。

 この密度と完成度は、自然発生では説明がつかない」


 霊波グラフが拡大される。

 幾重にも重なった層。

 だが、どれもまだ“新しい”。


「霊障は現在も拡大傾向にあるが、

 即死性の邪波は確認されていない。

 危険度は高いが――初動対応は可能と判断した」


 油断ではない。

 根拠のある判断だった。


 今、ここで手を打たなければ、

 “手遅れ”になる可能性が高い。

 だからこそ、この編成が選ばれている。

 円卓の一角、長身の男が静かに腕を組んでいる。

 赤黒い長髪を後ろで束ね、淡い紅の瞳は眠たげだが、視線は常に全体を捉えていた。


 祓魂庁・現場隊長――(おぼろ)


「調査が主だ」

 彼は落ち着いた声で言う。

「深入りはしない。異常を感じたら即撤退。

 ……深呼吸だ。今回は、帰ることを優先する」


 その言葉だけで、室内の空気が整う。

 “言葉で場を安定させる人”。

 それが、彼の役割だった。


「面倒な家ね」

 軽く肩をすくめたのは、鮮やかな赤髪の女だ。

 碧眼が霊波図を射抜く。


 凛火(りんか)

 朧の副隊長にして、前線火力の要。


「でも、この編成なら火力は足りてる。

 糸系なら、焼き切れるわ」


 その言い方はぶっきらぼうだが、

 “不足はない”と断言する声だった。


 円卓の反対側。

 和風の装束に身を包んだ女性が、屋敷名を見つめている。

 水色に近い黒髪が、わずかに揺れた。


「……精神系、来ますね」


 それだけ。

 だが、その一言で十分だった。


 癒魂庁所属・水音(みおん)

 精神霊障の専門家。

 彼女がそう言うなら、間違いない。


 そして――

 最後の一人。


 黒を基調とした祓魂庁の装束。

 灰色の短髪に、ところどころ白い糸の跡のような線。

 金の瞳は、資料ではなく“導線”を見ていた。


 ラディス。


 突入経路、退路、遮蔽物。

 誰かを守る前提の配置だけを、無言で確認している。


「突入班は俺が前に出る」


 短く、それだけ告げる。

 異論は出なかった。

 それが自然だったからだ。


 ――ここまで、いつもの任務。

 完成された隊。


 その時。


「それから──」


 上官の声が、わずかにトーンを変えた。


「今回の任務には、

 研修生を一名、同行させる」


 一瞬、空気が動く。


 反対の声はない。

 だが、全員が“理解した”。


 扉が開く。


 小柄な少女が、一歩前に出た。

 肩までの白金髪。

 大きな緑の瞳。

 装束は簡易制服――まだ正式配属前の証。


「記録課所属、研修生ユーノです!

 ご迷惑をかけないよう、精一杯務めます!」


 声は少し震えていたが、

 手にした記録符は、しっかりと構えられている。


 凛火が一瞬だけ眉を上げる。

「……聞いてないけど。

 まあいいわ。後ろから動かないで」


「無理はさせない」

 朧が即座に続ける。

「調査同行だ。前に出る必要はない」


 水音は何も言わず、ただ一度だけユーノを見る。

 その視線は、柔らかかった。


 ラディスは――

 無言で、立ち位置を変えた。


 自然に、前へ。

 研修生と屋敷の間に立つ位置へ。


 それを見て、ユーノが小さく息を呑む。


 円卓の上で、資料が閉じられた。


「以上だ。

 全員、装備を整え次第、境界路へ向かえ」

 誰も、声に出しては言わなかった。


 だがこの任務を、「いつも通り」だと疑う者もいなかった。


 調査であり、初動対応であり、そして――戻ることを前提とした出動。


 その認識だけが、当然のように共有されていた。


 * * *


 境界路エレベーターは、祓魂庁舎の奥に設置されている。


 高い天井を持つ転送区画の中央に、

 透き通った水晶塔がそびえていた。

 表面には庁章と結界紋が刻まれ、

 内部には、現世の光景と冥界の夜空が

 溶け合うように映り込んでいる。


 近づくと、水晶が淡く脈打った。

 死神たちの命核に呼応する、起動前の反応だ。


「全員、乗れ」


 朧の指示で、円形の床へと足を踏み入れる。

 足元は霊子の石畳。

 水面のように揺らぎながらも、確かな踏み応えがある。


 揺れはない。

 風もない。


 凛火が小さく鼻で笑った。

「相変わらず快適ね。これなら走っても平気そう」


 水音は静かに目を閉じ、鈴を軽く鳴らす。

「境界干渉、安定しています」


 ユーノは少し緊張した様子で、胸元の懐中時計を押さえた。

 秒針が、かすかに音を立てて進んでいる。


「……耳、ちょっと変な感じです」


「初めてなら普通だ」

 朧が即座に答える。

「すぐ慣れる」


 ラディスは、誰よりも前に立っていた。

 境界路と、仲間たちの間。

 自然に、守る配置。


 そのときだった。


 水晶塔の奥――

 現世の映像が滲む、その向こうで。


 糸が、張られる感覚。


 見えない。

 触れない。

 だが確かに、何かが“引っかかった”。


 ――名前を、呼ばれた気がした。


 振り返るが、誰もこちらを見ていない。

 幻覚だと切り捨てるには、あまりに一瞬で、あまりに微弱だった。



  境界路の水晶塔が、低く脈打った。


 祓魂庁舎の床に刻まれた魂紋が淡く発光し、

 円形の転送陣が静かに立ち上がる。

 光は眩しさを伴わず、ただ均一に広がっていった。


「転送、開始する」


 上官の合図と同時に、

 水晶塔の内部が満ちる。


 重力感覚はない。

 足元が持ち上がることも、沈むこともなく、

 ただ――空間の位相がずれる。


 光が視界を覆い、

 次の瞬間には、

 冷えた夜気が肌に触れた。


 転送は、正常に完了していた。


* * *


  境界路の光がほどけ、

 次の瞬間、靴裏に確かな感触が戻ってきた。


 石畳。

 湿り気を含んだ土の匂い。

 夜気は冷たく、けれど風は吹いていない。


 旧ミルヴァスト家屋敷は、

 丘の中腹に沈み込むように建っていた。


 威圧するほど大きいわけではない。

 だが、視線を向けた瞬間、

 自然と呼吸が浅くなる。


 外壁は淡い石造り。

 かつては白に近かったであろうその色は、

 年月と湿気を吸い込み、灰色にくすんでいる。


 壁を覆う蔦は無秩序ではなかった。

 絡みつき、侵食するというより――

 まるで、位置を選んで“縫い留められている”ようだった。


 窓枠はすべて閉ざされ、

 割れたガラスはひとつもない。

 破壊された形跡がないのが、逆に異様だった。


「……静かすぎるわね」


 凛火が低く呟く。

 周囲を包む夜は、音を吸い込むように澱んでいた。


 虫の声がない。

 遠くの町のざわめきも、ここまでは届かない。


「半独立領域、確定」


 水音が澪心鈴を軽く鳴らす。

 澄んだ音が夜に広がり――

 すぐに、途中でほどけるように消えた。


「境界が薄い……けど、完全には閉じてない」


 彼女はそう分析しながら、

 視線を屋敷へ向けた。


「“生まれたばかり”の霊障ね。

 まだ、形を決めきれていない」


 円熟した邪波ではない。

 けれど、それが逆に不気味だった。


 整えられていないものほど、

 予測は難しい。


「玄関は正面だけか」


 朧が、屋敷全体を一望する。

 赤黒い長髪が夜に溶け、

 淡い紅の瞳だけが冷静に状況を測っていた。


「外周に回る意味はない。

 正面から入る」


 判断は早く、迷いがない。


「異論は?」


 誰も口を開かなかった。

 それ自体が、朧への信頼を示していた。


 ラディスは一歩前に出て、

 自然に隊列の先頭へ立つ。

 ――考える前に、身体が動く。


 視線は玄関扉。

 古い木製の両開き扉は、

 固く閉ざされている――はずだった。


「……鍵、かかってません」


 ユーノの声が、わずかに震える。

 ルミナメモリーの針が、

 ゆっくりと一周し、淡い光を残して止まった。


「霊波の流れ……

 “中へどうぞ”って言われてるみたいです……」


 冗談めかした言い方だったが、

 誰も笑わなかった。


「歓迎されてる、ってこと?」


 凛火が鼻で笑う。


「悪趣味ね」


 朧は扉に手をかけ、

 一瞬だけ、間を置いた。


「いいか」


 低く、落ち着いた声。


「今回は調査だ。

 英雄になる必要はない」


 その視線が、一人ずつを確かめるように巡る。


「異常を感じたら、すぐに言え。

 ――全員、生きて帰る」


 それは命令ではなく、

 約束のような言葉だった。


 扉が、きい、と音を立てて開く。


 中から流れ出してきた空気は、

 外よりも冷たく、

 そして――甘かった。


 朽ちた花のような、

 記憶の底をくすぐる匂い。


「……入った瞬間から、だな」


 ラディスが呟く。


 床を踏みしめた瞬間、

 屋敷の内部で、何かが“息を吸った”。


 ――カチ。


 どこかで、

 柱時計が一度だけ、時を刻む。


 それは歓迎でも、警告でもない。


 ただ、

 「中へ入ったこと」を告げる音だった。


相談者の皆様、こんばんは。

今宵もここまで読んでいただき、ありがとうございます。


本作より、

ラディス外伝

**「時計の傀儡の断てない糸」**が始まります。


これは、

本編の裏側で止まっていた時間に触れる物語です。


明日は「其の二」、

明後日――25日には「其の三」を公開予定です。


さて、皆様。

12月25日は何の日か、ご存じですよね。


そう、クリスマスです。


その日に、番外編として

死神相談所のクリスマスエピソードを、

**「時計の傀儡の断てない糸・其の三」**と合わせて公開いたします。


今年のクリスマスは、

十六夜たちと共に過ごしてみるのはいかがでしょうか。


重たい話が続きますが、

最後まで見届けてもらえたら幸いです。


それでは、相談者の皆様。

また、霊境で。

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