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死神相談所  作者: 兎月心幸
第三章「死神相談所誕生秘話」
43/47

第四十一話「死神相談所」

 光が、完全に消え切ったあと――

 十六夜は、その場に静かに膝をついた。


 胸の奥で、

 鈴がまだ、かすかに揺れている。


 瑞響がそっと寄り添い、

 震えの残る肩へ、静かに手を置いた。


 十六夜は、息を整えながら、

 かすれた声で呟く。


「……ありがとう、瑞響」


 それは、初めて――

 はっきりと形を持った感謝だった。


 瑞響は穏やかに、首を振る。


「……私は、あなたの揺らぎを支えただけです。

 詩を紡いだのは――十六夜様、あなたです」


 霊境に、深い静けさが満ちる。


 ここで、

 ひとつの冥術が生まれた。


 十六夜の魂が、

 自分の痛みと向き合い、

 誰かの声に応えるために紡いだ――

 誓魂月詩。


 少女の魂が光へ還っていくのを見届け、

 十六夜は、そっと目を閉じた。


 胸の奥では、まだ鈴が震えている。

 それは心臓の鼓動ではなく、

 魂の深層から響く、静かな残響。


(……聞こえた……

 あの子の声が……

 最後の……「ありがとう」が……)


 掌には、

 誓魂月詩の余韻が、淡く残っていた。


 ――光が、揺れている。


 光が、消えきる直前。

 霊境が、ふっと静まった。


 音も、風も、ない。

 境界としての役割さえ、一瞬だけ手放したような沈黙。


 十六夜が顔を上げた、そのとき――


 ――声がした。


 けれどそれは、耳から聞こえたものじゃない。

 命核の奥へ、直接触れてくる。


『……驚かないで』


 声は、静かに名乗った。


『わたしは――霊境核魂。

 この境界を支えている、“核”の魂だよ』


 十六夜は、息を呑む。


(……霊境に、核……?)


 理解が追いつくより先に、

 瑞響の義眼が淡く光った。


(霊境の波形……中心点がある。

 空間そのものが、

 ひとつの命核みたいに脈打っている……)


 霊境核魂は、淡々と続ける。


『霊境は、ただの通路じゃない』


『現世と冥界の狭間で、

 行き場を失った想いを沈めるために生まれた――

 “受け皿”』


『その中心に、核がある』


『わたしは、

 ここに溜まっていく声を、ずっと抱えてきた』


 空間が、かすかに揺れた。

 揺れているのは霊境ではない。

 積もり続けた、“声そのもの”だ。


『泣くことも、怒ることもできずに』

『言葉になる前で止まった願いが、ここには溜まる』


 十六夜の胸が、ずきりと痛む。


『……また、ひとつ……聞いたね』


 十六夜は、思わず否定してしまう。


 それが、

 いつもの癖だと分かっていながら。


「……拾っただけだ……」

「救えたわけじゃない……

 間に合ったわけでも……」


 霊境核魂は、即答だった。


『それでいい』


『救いは、要らない』


『ここに欲しかったのは――

 “聞いてもらえた”という事実だけ』


 沈黙。


 そして、静かな問い。


『……ねえ、死神』

『あなたは、ここに――座ってくれる?』


 十六夜の喉が、詰まる。


 座る。

 留まる。

 逃げない。


『導く場所じゃなくていい』

『裁く必要も、癒す義務もない』


『ただ、声が来たら――

 逃げない場所』


 十六夜は、震える息を吸った。


「……作るんじゃない」

「……ここで、聞く」


 一拍。


 霊境が、応えた。


『……それで、十分』


 その瞬間。

 霊境の最深部で、核が静かに――定着した。


 音ではない。

 空間そのものが、

 “うなずいた”ような感覚。


 ――定着。


 瑞響の義眼が、強く光る。


(……波形が……固定された)

(霊境の中心核が、

 ひとつの意志として安定している……)


 霊境核魂の声が、静かに響く。


『選ばれたわけじゃない』

『願われたからでもない』


『あなたが、逃げなかった』


『それだけだよ』


 その言葉が落ちた瞬間――

 霊境の“在り方”が、変わった。


 足元の空間が、ふっとほどける。

 境界だったはずの霊境が、

 通路ではなくなる。


 “留まる場所”として、

 意味を持ち始めた。


 風が走る。

 だが、冷たくない。


 光が渦を巻く。

 だが、眩しくない。


 それは、破壊じゃない。

 生成だった。


 瑞響が、一歩下がる。


「……空間構造が、再編されています……」

「霊境が……形を、選んでいる……?」


 十六夜は、答えられなかった。


 ただ、胸の奥が、熱い。


(……まただ)

(……でも、今度は……)


 今度は、

 その声たちが――

 ここに居ていいと言われている。


 霊境核魂が、最後に告げる。


『ここは、家じゃない』

『施設でもない』


『ただ――

 声が、座っていられる場所』


『名前をつけるのは、あなた』


 その瞬間。


 霊境が、ぱん、と弾けるように広がった。


 夜色の幕が立ち上がり、

 藍黒の陰影が、空間に奥行きを与える。


 床が生まれる。

 壁が生まれる。


 建築じゃない。

 願いが、輪郭を持っただけ。


 和紙のような壁面に、

 淡い灯りの洋燭台。


 そして――

 天井から、金銀の鈴が、ひとつ。


 風はない。


 それでも――


 “ちりん”


 澄んだ音。


 十六夜の心臓が、跳ねる。


(……知ってる)


 見たことはない。

 来たこともない。


 けれど――

 魂が、覚えていた。


 声が届かなかった夜。

 それでも、

「気づいてほしい」と願った瞬間の音。


 瑞響が、低く息を呑む。


「……十六夜様の冥波が、

 この空間に……定着しています」


 義眼に映る波形は、

 完全に十六夜のものだった。


 十六夜は、震える指先で

 鈴に、そっと触れた。


 “ちりん”


 今度は、はっきりとした“応答”。


 まるで――

「ここだよ」と言われたみたいに。


「……聞ける場所だ」


 小さな、けれど確かな声。


「逃げないで……

 声を、そのまま……受け取れる……」


 瑞響は、静かに頷いた。


「ええ」

「ここは――相談所になります」


「あなたが、魂の声に寄り添うための場所」


 空間が、最後の光を放つ。


 夜色の壁。

 金の粒子。

 鈴の音。


 すべてがひとつに収束し――

 静かに、呼吸を始めた。


 十六夜は、ぽつりと呟く。


「……死神相談所」


 その名が霊境に溶けた瞬間。


 “ちりん”


 鈴が、祝福のように鳴った。


 ここから先は、

 通り過ぎるための場所じゃない。


 魂の声と、

 向き合い続けるための場所。


 ――十六夜の誓いが、

 世界に“形”を与えた瞬間だった。


* * *


 語り終えたあと、

 応接室には、しばらく言葉がなかった。


 天井から吊るされた鈴は鳴らず、

 霊境の空気も、ただ静かに落ち着いている。

 夜色の光が和紙の壁に淡く滲み、

 燭台の炎だけが、ゆっくりと揺れていた。


 十六夜は椅子に腰を預けたまま、

 カップに手を伸ばしかけて――結局、口をつけなかった。


 視線は伏せられ、表情は穏やかだ。

 けれどその奥には、張り詰めた余韻がまだ残っている。


 ――話した。

 それだけで、十分すぎるほどだった。


 緋音は、しばらく黙っていた。

 すぐに何かを言う気にはなれず、ただ十六夜を見つめる。


 (……こんな過去を抱えたまま、

  それでも、ここに立ち続けてきたんだ)


 胸の奥が、静かに痛んだ。


 やがて、緋音は小さく息を吸い、

 ぽつりと口を開く。


「……それでも、

 やめなかったんだね」


 責めるでもなく、慰めるでもない。

 ただ、事実を受け取る声だった。


 十六夜は一瞬だけ目を伏せ、

 それから、ほんのわずかに口元を緩めた。


「……うん。

 それしか、できなかったから」


 短い言葉。

 けれど、その中に迷いも、後悔も――ない。

そのやり取りを、

 瑞響は静かに見守っていた。


 やがて彼は一歩だけ前に出る。

 義眼冥具《響映の眼》が、淡く光を反射した。


「……この相談所は、正式な施設ではありません」


 瑞響は淡々と言った。


「霊境が変質して生まれた空間です。

 壊せば、境界そのものに影響が出る」


 緋音は、わずかに目を見開く。


「……それって……」


 言葉を探すように、視線が揺れる。


 瑞響が続けた。


「結果として、

 閻魔庁は“黙認”という判断を取りました」


「霊境が安定している以上、

 下手に介入する方が危険だと」


 緋音は、小さく息を呑む。


「……そんな判断が、あるんだ……」


「はい」


 瑞響は頷いた。


「そして私は、本来――

 十六夜様の冥波が安定すれば、

 任を解かれる予定でした」


 十六夜が、静かに目を瞬かせる。


「ですが、この場所が生まれてしまった」


「個人ではなく、

 霊境そのものが変化した以上、

 記録と監視が必要になったのです」


「そうだったんだ……わたし、全然知らなかった。」


 責めるでもなく、

 戸惑いを飲み込むような声だった。

 

「えぇ……これは、十六夜様にとっても……

 私にとっても、大切な記録です」


 瑞響は、そこで緋音の方を見る。


「ですので、

 緋音さんにも――知っていてほしかったのです」


 説明ではない。

 命令でもない。


 ただ、“共有”だった。


 緋音はその言葉を受け止め、

 小さく頷く。


「……ありがとう。

 話してくれて」


 その一言は、

 十六夜にも、瑞響にも――等しく向けられていた。


 瑞響はそれ以上何も言わず、

 元の位置へと静かに戻る。


 十六夜は、肩の力をほんの少しだけ抜いた。

 深く息を吐き、夜色の天井を見上げる。


 相談所は、変わらずそこにある。

 静かで、揺らぎながら――それでも確かに、在り続ける場所。


 (……ここは、

  この人たちが守ってきた場所なんだ)


 緋音は、心の中でそう思った。


 そして、そっと決意を結ぶ。


 (――じゃあ今度は、

  わたしも一緒に、支える番だ)


 鈴は、まだ鳴らない。

 けれどその沈黙は、

 三人が同じ場所に立った証のように、

 やさしく霊境に溶けていた。

* * *


 相談所が眠りにつく頃。

 霊境の奥、ひときわ静かな場所に、十六夜はひとり立っていた。


 重厚な扉。

 星光を宿した封印紋。


 ここは、誰も立ち入らない――

 いや、立ち入らせない場所だ。


 十六夜は懐から鍵を取り出す。

 黒銀の冥具鍵が、かすかに月光を反射した。


 鍵を差し込むと、

 低く、鈍い音が響く。


 ――解錠。


 扉の向こうから、冷えた空気が流れ出す。

 香りはない。音もない。

 ただ、残された声だけが、そこにある。


 中へ足を踏み入れた瞬間、

 無数の“記憶断片”が星屑のように浮かび上がった。


 光の欠片。

 言葉にならなかった想い。

 救えなかった魂の、残響。


 十六夜はそれらを見上げる。


「……久しぶりだね」


 誰に向けた言葉でもない。

 けれどこの場所では、独り言に意味がある。


 指先を伸ばし、

 ひとつの記憶断片に、そっと触れる。


 瞬間――

 胸の奥が、わずかに軋んだ。


 悲鳴。

 泣き声。

 名を呼ぶことさえできなかった、かすれた願い。


 (……忘れない)


 十六夜は、静かに目を閉じる。


 ここに封じられているのは、

 「失敗」ではない。

 「後悔」でもない。


 ――記録だ。


 救えなかったという事実を、

 それでも見捨てなかったという証を、

 自分自身に刻み続けるための場所。


「……置いていけないんだ」


 声は低く、静かだった。


 前へ進むために、

 忘れた方が楽だとしても。


 ここに来るたび、心が削られても。


 (それでも……)


 十六夜の視線が、

 記憶断片のさらに奥――

 ひときわ淡く、脆い光へと向く。


 そこには、まだ触れられない記録があった。


 名前はない。

 形も、はっきりしない。

 けれど、その残響だけは――誰よりも鮮明だった。


 (……朝陽)


 胸の奥が、きゅっと締めつけられる。


 生前。

 十六夜の隣に立っていた、唯一の親友。


 最期に、確かに名前を呼ばれた。

 それだけは覚えている。


 けれど――その先の言葉を、十六夜は知らない。


 何を伝えたかったのか。

 何を願っていたのか。

 恐怖だったのか、後悔だったのか。

 それとも――。


 分からない。


 分からないまま、

 その声は途切れた。


 十六夜は、ゆっくりと息を吸う。


 (……まだ、辿り着いていない)


 だから、やめられない。

 だから、ここに在り続ける。


 魂の声を聞くことを。

 拾い続けることを。


 それは誰かを救うためであると同時に――

 たったひとつの魂の“続き”に辿り着くためだ。


 封印庫の光が、わずかに揺れた。


 まるで遠い記憶が、

 「まだだ」と告げるように。


 十六夜は静かに手を下ろす。


「……大丈夫」


 自分に言い聞かせるように。


「まだ、続けられる」


 扉を閉じると、

 記憶の残響は再び静まり、星屑は眠りについた。


 鍵を戻し、

 十六夜はゆっくりと背を向ける。


 夜明けは、まだ先だ。

 けれど――歩みは止めなかった。


* * *


――あの夜も、相談所はまだ新しかった。


 霊境に定着したばかりの空間は今より輪郭が曖昧で、

 壁も床も、十六夜の冥波に合わせてかすかに揺れていた。


 応接室の灯は少なく、

 和紙の壁に落ちる影は長い。


 その静けさの中で、十六夜はひとり、机に肘をついていた。

 救った魂の余韻が、まだ胸の奥に残っている。

 安堵と痛みが、混ざり合ったまま。


 そのときだった。


 風もないのに、霧が――ゆっくりと割れた。


 そこに立っていたのは、銀白の髪を束ねた男。

 霧の羽織が、音もなく揺れている。


「……落ち着いたようだね」


 穏やかな声。

 けれど、その瞳はすべてを見透かしていた。


 十六夜は顔を上げる。


「……黎明官殿」


 白夢は視線を室内へ巡らせた。

 吊るされた鈴。

 整えられた椅子。

 魂の波長に呼応して、わずかに瞬く金の光。


「ここが……君の選んだ場所か」


「選んだ、というよりは……

 気づいたら、ここに在っただけです」


 十六夜は静かに答える。


「救おうとしたら……

 魂の声を聞こうとしたら……

 霊境が、応えてきた。……それだけで」


 白夢は小さく息を吐いた。


「……霊境はね。

 強い願いには、嘘をつけない」


 彼は十六夜の前に立ち、

 その魂の波長を静かに感じ取る。


「君は――

 “救う者”として、ここにいる」


「けれど――それだけじゃない」


 十六夜の指が、わずかに強張った。


 白夢は、優しくも残酷な声で続ける。


「君は、探している」


 夜色の空気が、ぴんと張りつめる。


「……何を、でしょうか」


 分かっているくせに。

 それでも、十六夜は尋ねた。


 白夢は即答しない。

 ただ遠くを見るように、目を細める。


「……魂の声を聞き続ける者は、

 いつか、辿り着くことがある」


「“最も強く結ばれた魂”の残響に」


 十六夜の喉が、小さく鳴った。


「……それは……」


 白夢は首を横に振る。


「私は、保証しない。

 辿り着けるとも、救えるとも――言わない」


 それでも、と。


「それでも――君は、聞き続けるだろう?」


 沈黙。


 鈴が、ちり、と鳴った。


 十六夜は目を伏せたまま答える。


「……はい」


 声は、迷いなく。


「たとえ、辿り着けなくとも」

「たとえ、それがただの希望でしかなくても」


 ゆっくりと顔を上げ、十六夜は白夢を見た。


「魂の声を聞くことだけは……

 やめるつもりは、ありません」


 白夢はその言葉を聞き、

 ほんの一瞬だけ、祈るような眼差しを浮かべた。


「……それが、君の選んだ光か」


 霧が、すべてを飲み込んだ。

 白夢の姿も、声も、あの夜の空気も――

 ゆっくりと霊境の奥へ溶けていく。


 そして静寂だけが残った。


 記憶封印庫の前。

 重厚な扉と、星光を宿した封印紋。

 現実は、そこにあった。


 十六夜は深く息を吐く。


 胸の奥が、わずかに痛む。

 けれどそれは、引き裂かれる痛みじゃない。


 思い出したことで、

 確かに“ここに戻ってきた”という感覚だった。


 (……まだ、辿り着いていない)


 朝陽の声は、いまも――どこにも残っていない。

 あの日、何を言おうとしていたのか。

 何を伝えたかったのか。


 十六夜は、それを知らない。


 だから――今も探している。


 魂の声を。

 言葉にならなかった想いを。

 取りこぼされてしまった“最後の響き”を。


 視線を上げると、

 封印庫の空間に浮かぶ記憶断片が、静かに揺れていた。


 救えなかった魂。

 間に合わなかった声。

 それでも確かに、聞こうとした痕跡。


 (……全部、ここにある)


 忘れていない。

 置いていっていない。


 それは贖罪じゃない。

 自罰でもない。


 ただ――

 見捨てなかったという事実の集積だ。


 十六夜は鍵を握る指に、そっと力を込めた。


 (……続けよう)


 辿り着けるかどうかは、分からない。

 救えるかどうかも、約束できない。


 それでも。


 声を聞くことだけは、やめない。

 拾い上げることだけは、やめない。


 十六夜は小さく頷く。

 答えは、もう出ている。


 封印庫の扉に手をかけ、静かに閉じる。

 重い音が、低く響いた。


 記憶の残響は再び眠りにつき、

 星屑は闇の中へ還っていく。


 十六夜は背を向けた。


 夜は、まだ深い。

 朝陽は、まだ遠い。


 けれど――

 ここには、今日も魂の声が届く。


 それだけで、十分だった。


 十六夜は、ゆっくりと歩き出す。


「……行こうか」


 誰にともなく、そう呟いて。

 相談所の方へと、足を向けた。


* * *


 記憶封印庫を離れ、十六夜が相談所の主空間へ戻ると、

 霊境の空気はゆっくりと、いつもの温度を取り戻していった。


 張り詰めていた静寂がほどけ、

 夜色の空間に、かすかな生活音が滲む。


 鈴が、どこかで小さく揺れる。

 霊波に反応した、いつもの合図。


 ――そして。


「……あ、十六夜くん」


 縁側の方から、柔らかな声がした。

 緋音だった。


 夜光石の淡い光の中、

 縁側に腰掛け、湯気の立つカップを両手で包んでいる。


 十六夜は一瞬だけ足を止める。


「……起きてたんだ」


「うん。なんとなく」


 理由は言わない。

 けれど、その“なんとなく”が、十六夜の胸に静かに沁みた。


 十六夜が近づくと、緋音はそっと視線を上げる。

 深くは聞かない。詮索もしない。

 ただ、そこにいる。


「……大丈夫?」


 それだけ。


 十六夜は少し考えてから答えた。


「……うん。今は」


 嘘ではない。

 全部でもないけれど。


 緋音は、ほっとしたように息を吐く。


「そっか」


 それ以上、踏み込まない。


 瑞響が資料室から姿を現す。


「……冥波は安定しています」


 淡々とした報告。

 けれど、その視線は――

 いつもよりわずかに、やわらかい。


 十六夜は縁側の空を見上げた。


 霊境の夜は静かだ。

 けれど、確かに“呼ばれている”。


「……もうすぐ、来るね」


「うん」


 緋音が、即座にうなずいた。


「わたしも、そう思ってた」


 十六夜は小さく笑う。


 ――この子は、本当に勘がいい。

 それとも、魂の声に近いところに立っているからだろうか。


 十六夜は立ち上がる。


 迷いはない。

 決意を作る必要もない。


 緋音も、カップを置いて立ち上がった。


「行く?」


 十六夜は一瞬だけ彼女を見る。

 それから、いつもの調子で言った。


「……行こうか」


 それは緋音に向けた言葉であり、

 瑞響への合図であり、

 そして――自分自身への返事だった。


 三人が相談所の中心へ向かう。


 扉の前に立つ。

 十六夜は取っ手に手をかける前に、

 ほんの一瞬だけ緋音の方を見た。


 緋音は静かにうなずく。


 ――大丈夫。ここにいる。


 言葉はなくても、それで足りた。


 十六夜は扉を開く。


 鈴が鳴った。


 高くも低くもない、

 夜に溶けるような音。


 霊境の空気がわずかに揺らぎ、

 霧が生まれ、金の光粒子が集まっていく。


 相談所の扉の向こうに、

 ひとつの魂の気配が、確かに立っていた。


 緋音は自然と一歩前に出る。

 瑞響は静かに記録符を展開する。


 三人の立ち位置は、もう迷わない。


 十六夜は、扉を完全に開いた。


 夜色の空間に、柔らかな光が満ちる。

 吊るされた鈴が、歓迎するように小さく鳴った。


 震えている。

 それでも、逃げてはいない。


 ――それだけで、十分だった。


 十六夜は、ゆっくりと息を吸う。


 胸の奥で、過去の声がかすかに疼く。

 救えなかった記憶。

 届かなかった言葉。


 それでも、もう立ち止まらない。


 拾い続けてきた声。

 隣にいる存在。

 ここまで歩いてきた時間。


 十六夜は、まっすぐに魂を見つめた。


 その眼差しは、闇を裁くためのものじゃない。

 救いを押しつけるためのものでもない。


 ――ただ、聞くための目。


 十六夜は微笑んだ。

 夜明け前の月光みたいに、

 いちばん静かで、いちばん優しい表情で。


「ようこそ、死神相談所へ。

 キミは――どんな結末がお望みかな?」


 鈴が、ちりん、と鳴った。


 霊境が、確かに応えた。


 相談所は、今日もここにある。

 魂の声を聞くために。

 誰かをひとりにしないために。

 そして――まだ聞こえていない声に、辿り着くために。


 夜は続く。


 けれど、もう暗闇だけじゃない。


 灯りは、ここにある。


皆様こんばんは、兎月心幸です。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。

 『死神相談所』の物語は、ここでひとつの区切りを迎えます。


 この物語は、

「救えなかった声」

「言葉にならなかった願い」

そういうものを、どうしても置いていけなかった死神の話でした。


 十六夜は、強いわけでも、正しいわけでもありません。

 ただ、逃げなかった。

 それだけで、ここまで来てしまった存在です。


 そして気づけば、この相談所には、

 彼ひとりでは立てない“居場所”ができていました。


 書きながら、ずっと思っていました。

 この物語は、誰かを裁く話でも、

 綺麗に救う話でもない。


 ただ――

 話を、聞く話なんだと。


 だから、ここまで読んでくれたあなたのことを、

 私は「読者」ではなく、

 **「相談者」**と呼びたいな、と思っています。


 相談所に座って、

 何も言わなくてもいい。

 途中で立ち上がってもいい。

 最後まで聞いていなくてもいい。


 それでも、

 “ここに来てくれた”という事実だけで、十分だから。



 小説家になろうにて連載を始めてから、およそ三ヶ月。

 わたしは、この物語を綴ってきました。


 正直に言えば、

『死神相談所』は、まだ多くの人に届いている作品ではありません。

 新しく来てくれる方も多くはなく、

 今も読んでくださっているのは、ほんの少数です。


 それでも――

 それでも、わたしはこの物語を、

 どうしても一人でも多くの人に届けたい。


 だから今回、本作を

 「MF文庫大賞」へ応募することを決めました。


 その準備のため、

 少しだけ時間をいただきます。

 約一ヶ月ほど、本編の更新をお休みします。

ただし、完全なお休みというわけではありません。


 この期間は、

 本編とは少し距離を置きつつ、

 これまで温めていた番外編や外伝のエピソードを

 いくつかお届けしていく予定です。


 相談所の日常や、

 本編では描ききれなかった時間も、

 ゆっくり消化していけたらと思っています。

 そこでお知らせがあります。

 きっと多くの相談者の方が、心に引っかかっていることがあると思います。


 本編では、構成の都合もあり、

 詳しく描くことができなかった出来事。


 ――ラディスという死神に、

 十四年前、何があったのか。


 本編の中で語られたのは、ほんの断片だけでした。

 それでも、彼の選択や最期が、

 強く心に残った方も多いのではないでしょうか。


 正直に言えば、

 わたし自身も「書かないまま進む」という選択ができませんでした。


 なので――

 この区切りのあと、

 一週間後に、ラディスを描いた外伝エピソードを公開します。


 本編では語られなかった、

 ミルヴァスト家で起きた十四年前の悲劇。

 彼が何を見て、何を失い、

 それでも“自分の意思で立ち続けた”理由。


 それを、外伝という形で、

 きちんと書き残すことにしました。


 本編とは少し空気の違う、

 けれど確かに「死神相談所」に繋がる物語です。


 楽しみにしていただけたら、幸いです。

 

 また鈴が鳴ったら、

 そのときは――

 新しい相談者が来た、ということ。


 ここまで一緒に歩いてくれて、ありがとうございました。

 死神相談所は、これからもここにあります。

 相談者の皆様。

 また、霊境で。

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