表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死神相談所  作者: 兎月心幸
序章
4/6

第三話「誰かの夜を照らせる結末を」


 そして時は流れ、明葉と緋音は高校生になっていた。

 新しい制服に身を包み、少しだけ大人びた景色の中で、それでも二人の関係はあの日のまま変わらなかった。


 こんな日々が、ずっと続くと思ってた。

 放課後の帰り道、銀杏並木がゆっくりと色を変えていく。


 落ち葉を踏むたび、かさりと乾いた音が響き、そのたびに明葉が楽しそうに笑った。


「ねぇ、これ踏むといい音するよ!」

 そう言って、わざと大きく踏みしめる姿が子供みたいで、思わず笑ってしまう。


 空は夕焼けと群青の境目を揺らし、遠くから祭囃子のような鈴の音が風に運ばれてきた。


 ふたりで並んで歩くだけで、胸の奥まであたたかく満たされていくような気がした。


 世界はこんなにも優しい色をしていて――

 その優しさは、ずっと消えないと思っていた。

――ずっとずっと、一緒に居られると思ってた。

――そう……あの日までは。


 翌日の朝、教室に入ると、明葉の席がぽっかりと空いていた。

 珍しいな……と思う。

 風邪でもひいちゃったのかな。

 放課後にでも、お見舞いに行ってみよう。

 その時は、ただそれだけしか考えていなかった。


 自分の席に向かい、鞄を置こうとしたとき。

 ふいに、背後のクラスメイトたちの会話が耳に入る。


「……昨日の夜、駅前の交差点でさ」

「え、あのトラックの事故?」

「そうそう、木森陽さんが――」


 その言葉が耳に届いた瞬間、鞄を持つ手が止まった。

 ――カチリ、と。

 心のどこかで、何かが外れる音がした。

 次の瞬間、世界の色が一段と淡くなる。

 ざわめきも、笑い声も、水の底から聞こえてくるみたいに遠のいていく。


 目の前で口を動かす彼らの声は届かないのに、断片的な単語だけが鮮明に浮かび上がった。


 ……トラックの事故?

 ……意識不明。

 ……木森陽さん。

 ――明葉ちゃん!?


 喉がひゅっと縮まり、息がうまく吸えない。

 机の角が冷たく手のひらに食い込む感覚だけが、現実とのかすかな繋がりだった。


 耳にした言葉の意味を、頭がすぐには理解できなかった。


 それでも、胸の奥が嫌な音を立てて沈んでいく。


 ――嘘。そんなはず、ない。

 気づけば授業の記憶はほとんどなく、放課後の校門を出ていた。


 足はまるで勝手に動くみたいに、駅へ、そして病院へ。

 病院の自動ドアが開いた瞬間、ひやりとした空気と消毒液の匂いが鼻をついた。


 人の声も足音も遠く、白い廊下がどこまでも続いているように見える。


 受付で名前を告げると、案内されたのは三階の病室だった。


 ドアの前で一度だけ深呼吸をして――そっと中を覗く。

 明葉は、真っ白なシーツの上に横たわっていた。


 小さく上下する胸が、生きている証のように規則正しく動いている。

 ただ、その顔は眠っているように穏やかで――まるで、時間が止まってしまったかのようだった。


 ……そのとき、視界の端で何かが揺れた。

 ベッドの傍ら、誰もいないはずの空間に、人影があった。


 それは淡く透け、光の粒子が零れ落ちるような輪郭をしている。


 ――明葉だった。

 現実の身体とは別に、魂だけがそこに座っている。


 前から時々あった……“魂が見える”現象。

 それが、今ははっきりと形を取っている。


 「……緋音ちゃん」


 魂の明葉が、無理に笑みを作って囁いた。

 「大丈夫、大したことないよ。ちょっとお昼寝してるだけ」


 その明るい声は、まるで緋音を安心させるための仮面のようで――胸の奥が軋んだ。


「……やだ、やだよ明葉ちゃん。置いていかないで」

「……ねえ、ちゃんと目を開けて。声、聞こえるでしょ?」

「ほら、私だよ……ずっと一緒って、言ったじゃない……」


 必死に呼びかける。

 声が震え、涙が頬を伝い、床に落ちるたびに小さな水音が響く。


 けれど、魂の輪郭は少しずつ薄れていく。

 呼びかければ呼びかけるほど、自分の魂までも削られていくような感覚。


 それでも声を止められなかった――届かないと分かっていても。


 それから、ほぼ毎日のように病院へ通った。

 白い廊下の匂いも、無機質なモニターの電子音も、いつの間にか当たり前になっていった。


 病室の隅に座る魂の明葉は、最初の頃こそ笑みを浮かべ、取り留めのない話をしてくれた。


 けれど日を追うごとに、その声は小さくなり、言葉の間に沈黙が増えていった。


「……今日はね、夢を見たの」

 そんなふうに話し始めても、続きは最後まで聞けないまま、輪郭がかすみ、消えていく。


 そのたびに緋音は、必死に名前を呼んだ。

 しかし呼び声は、まるで深い水底へ沈んでいくように届かない。


 魂が薄れるとき、胸の奥に鈍い痛みが走る。

 まるで、自分の中の何かを削って彼女をつなぎとめているようで――息が詰まるほど苦しかった。


 それでも、行くのをやめようとは思わなかった。

 明葉がそこにいて、自分を必要としてくれる限り。


* * *

 その日、病室の扉を開けた瞬間、緋音は息をのんだ。

 白いカーテンの隙間から差し込む午後の光が、淡く揺れている。


 隅の椅子に座る明葉の魂は、光に溶けてしまいそうなほど薄かった。

 「……明葉ちゃん」


 震える声が、自分でも情けないほど掠れていた。

 ゆっくりと顔を上げた彼女は、かすかな笑みを浮かべる。


「……ごめんね、緋音ちゃん。」


 その声は、あの日神社で聞いた鈴の音のように、微かに震えていた。


「まだ……行かないで。お願いだから」


 手を伸ばす。けれど、その輪郭は指先をすり抜け、春先の霧みたいに形を保たない。

 短い沈黙が落ちる。

 窓の外から、かすかな風の音が届いた。


「……私、まだ行きたくないよ。でも……ね」


 言葉の先は、光に飲まれるように途切れていく。

 光に包まれながら、彼女はかすかに微笑んだ。

「ほら、笑って……!」


 緋音は必死に名前を呼び続けた。

 呼ぶたびに、胸の奥が軋む。

まるで、声に乗せた想いがそのまま自分の中から削り取られていくようだった。

 

 その小さな声だけが、最後に残った。

 あの時と同じ、温もりのように。

 瞬きをしたときには、もうそこには誰もいなかった。


 ただ、モニターの電子音だけが、変わらず冷たく響いていた。


 指先に残ったのは、触れられなかった温もりの幻だけだった。


 さっきまでここにあったはずの声も、笑顔も、全部――白い光に呑まれて消えていった。

 足元が揺れる。

 何かを支えにしなければ立っていられないのに、掴むものが何もない。


 ――もう、届かない。

 その現実が胸に沈んだ瞬間、世界から色が抜け落ちた。

 病室の白も、窓の外の空も、ぜんぶ灰色に見える。


 あの日々は、突然終わった。

 神社の境内で交わした他愛のない会話も、笑い声も、鈴の音も――

 もう二度と戻ってこない。


 残されたのは、静まり返った世界と、胸の奥でじくじくと疼く、どうしようもない空虚だけだった。


 病室を出ると、吐く息が白く夜気に溶けた。

 冬の空は冴え冴えとして、遠くの街灯りまでが滲んで見える。


 緋音はマフラーを巻き直しながら、ゆっくりと歩道を進んだ。

 けれど、足取りは重く、体の芯まで冷え切っているようだった。


 ……ふらっ

 視界が揺れた。

 気づけば、目の前に階段が迫っている。

 足がもつれ、次の瞬間には空を切る感覚――。

 ドン、と鈍い衝撃が背中を打つ。


 転がり落ちる間、世界がスローモーションになった。


 街灯の光が幾度も反転し、やがて視界の端で遠のいていく。


 そのときだった。

「……緋音ちゃん、ありがとう」

 続けて、何かを言いかけるように唇が動く。

「――これ……も――……の夜を……してあげ……」


 断片だけが、波の向こうから届いた。

 意味はつかめない。

 それでも――なぜか、胸の奥があたたかくなった。


 耳元で、確かに聞こえた。

 冬の夜気よりもずっと優しく、あたたかい声。

 間違えようもなく――明葉の魂の最後の言葉。

 胸の奥で、何かが弾けた。


 涙がひと粒、冷たい舗道に落ちる。

 暗闇が、静かに迫ってくる。

 その闇は恐ろしいものではなく、柔らかな毛布のように彼女を包み込んだ。

 抗うこともできず、眠るように意識が沈んでいく。


「もっと……話したかった」

「助けたかった」

「未来を見届けたかった」


 ――けれど。

 明葉の「ありがとう」だけが、唯一の救いだった。

 それは、心の奥に灯りを残してくれた。

 暗闇が静かに満ちていく。


 その最中、耳元で――あの声が響いた。


『キミは、どんな結末をお望みかな?』


 静かに、しかし確かに届く問いかけが、沈んでいた想いを浮かび上がらせていく。

 あの霧の中で、躊躇いながら答えた問い。

 けれど今なら、迷わず言える。


『……わたしは――』


 あの時は、迷いながらも同じ言葉を口にした。

 けれど今は違う。

 これは、わたしひとりの願いじゃない。

 明葉の「ありがとう」が胸の奥で灯る。

 その灯りを握りしめながら、緋音は改めてはっきりと口にした。


『……誰かの夜を、照らせる結末を』


 あの時は短い沈黙のあと、微かに笑うような息遣いが返ってきた。


『キミがその夜明けを望むなら――その結末に、僕が導こう』


 その声は、夜の闇を裂く月光のように澄んでいた。


 次の瞬間、闇の中に一筋の光が差し込む。

 光は形を持ち、どこか懐かしい鈴の音を響かせながら――緋音を次の場所へと導いていった。

 彼女は静かに拳を握る。

 今度こそ、誰かの未来を繋ぐために。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ