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死神相談所  作者: 兎月心幸
第三章「死神相談所誕生秘話」
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第三十五話「月光――影が並び始める夜」

 十六夜の昔話がひと区切りついたころ、

 霊境の空気がほわりと柔らかく揺れた。


 緋音はカップを両手で包みながら、

 十六夜と瑞響を交互に見比べる。


(……いや、待って待って?

 この二人、昔こんな空気だったの……?

 今の距離感どこに置いてきたの……?)


 胸の奥で膨らむ違和感がついに口から漏れた。


「えっ!? 十六夜くんと瑞響さんって昔こんな感じだったの!?

 すっごく意外なんだけど……今はこんなに仲良しなのに!」


 十六夜はぱちりと瞬きし、

 小動物みたいに首をかしげる。


「え? 仲良し……?」


 瑞響もまったく同じ角度で傾いた。


「……仲良し、なのでしょうか?」


 ——シンクロ率100%。


 緋音は思わずカップを置いて立ち上がる。


「ほらもう!! その息ぴったりが仲良しなの!!」


 十六夜は困ったように目を伏せた。


「気づいたら一緒にいた、ってだけだよ」


 瑞響も自然に続く。


「気づいたら一緒にいました」


 ——また完璧に同時。


 緋音の眉が跳ね上がる。


「いやいやいや!!

 そんな“野良バディ結成”ある!?!?」


 十六夜は本気で首を傾げた。


「……普通じゃない?

 隣にいて、気づけばそのまま……みたいな」


 瑞響は淡々と、しかし当たり前のように言う。


「十六夜様は……観測していたら自然と隣に立っておられましたので」


「いや瑞響こそ。気づいたら隣で記録してたし」


「それはこちらの台詞です」


(なんでこう……本人たちだけ気づいてない夫婦歴二十年みたいな空気なの……?)


 緋音はぽかん。カップを落とさないのが奇跡だった。


「待って……

 この人たち、仲良しの根拠が“心”じゃなくて“魂”なんだけど……?」


 カップを持つ手にそっと力が入る。


 そして、つい口が滑った。


「でも十六夜くん、昔めちゃくちゃツンツンしてたんでしょ?」


「え……?」


 十六夜の耳がぴくりと跳ねた。


 瑞響は、その反応すらデータ扱いで即答する。


「ええ。出会った当初の十六夜様は、俗にいう“ツン”に分類されていました」


「はっ!? ツンって何だよ、ツンって!」


「事実です」


「いや、違っ……! 僕はただ必要最低限の距離を——」


 瑞響は淡々と追撃する。


「『来るなら勝手にしろ』

 『必要以上の会話はいらない』

 など、典型的な“距離確保型の初期反応”を示されていました」


 十六夜の耳がさらに真っ赤になる。

 視線は迷子になり、緋音のツボが完全に刺激される。


(うわ……かわ……

 十六夜くん、照れると本当に猫……)


「ち、ちが……っ!

 あれは……その……!」


 瑞響は小さく首を傾げ、無感情に刺す。


「では現在は、なぜ距離を詰めておられるのですか?」


「っ……」


 十六夜は喉がつまって言葉が出ない。


(この反応……完全に“認めたくないけど図星”のやつ……)


 瑞響は締め括るように淡々と言った。


「私は記録を述べただけです」


 十六夜はぷいっとそっぽを向き、小声でこぼした。


「……ほんと、昔から容赦ないな……瑞響は……」


 瑞響は淡々と返す。


「十六夜様の記録ですので。正確な記述は重要です」


 十六夜の耳はまだ真っ赤のまま。

 わざとらしい咳払いが落ちた。


「……こほん。

 話が脱線したけど——続きを語ろうか」


 空気がすっと整い、

 十六夜はまた“語り部”の顔へ戻っていった。


 * * *


 ——あれから、一ヶ月が過ぎた。


 十六夜と瑞響は、

 毎日のように任務を共にするようになっていた。


 最初の頃は、ただ歩き、ただ記録するだけの関係だった。

 言葉は最小限。

 互いに干渉しない“隣り合う静寂”。


 けれど、一週間、二週間と経つうちに——


 瑞響は十六夜の冥波が“揺らぐより前”の微細な変化を読めるようになり、

 十六夜はその察知の早さに、

 いつのまにか安堵を覚えるようになっていた。


 歩幅は自然と合い、

 沈黙は沈黙のまま心地よく、

 任務帰りの空気がほんの少しだけ柔らかくなる。


 まだ友情でも、信頼でもない。

 ただ——


「隣にいると、胸の重さが減る」


 そんな無自覚な距離だけが静かに積み重なっていった。



 霊境の帰り道。

 細い石段に月光が降り、ふたりの影を長く伸ばしていた。


 その夜、十六夜はふだんより歩みが遅かった。

 頬を撫でる霊境の冷気が冥波の奥をざわつかせ、

 胸の揺らぎは隠しきれずに漏れていた。


 そして、十六夜本人より先に——

 瑞響がその変化に気づく。


「……冥波が乱れています」


 十六夜は立ち止まり、

 月光を掬うように静かに息を吐いた。


「……最近、うまくいかないんだ。

 制御が、前より難しくなってる」


 横顔に落ちた月の線が、

 ふだんは見せない“不安”を淡く照らし出す。


 過共鳴の影。

 自分の力が暴れる恐れ。

 そして——“あの日”から残り続ける痛み。


 十六夜は視線を落とし、

 靴先に落ちる月をじっと見つめた。


「……任務中に暴走したら困るし。

 迷惑、かけたくない」


 その言葉はあまりに静かすぎて、

 強がりよりも“怯え”に近かった。


 瑞響はそっと一歩踏み出す。


「……十六夜様」


 その声は観測者としてではなく——

 ただ“ひとりの死神”としてのものだった。


「あなたが揺らぐ時は、私が支えます」


 十六夜の瞳が、わずかに揺れる。


「……キミが、支える?」


「はい。

 あなたの冥波がどれほど乱れても——

 共鳴を安定させる方法はあります。

 観測者として、ではなく……」


 瑞響は一拍だけ沈黙し、

 揺れる感情を押し出すように言葉を続けた。


「……あなたを落とさないために」


 その不器用で真っ直ぐなひと言に、

 十六夜の胸がかすかに震える。


 素直に受け止められなくて——


「……なんだよ、それ。

 キミらしくないな」


 視線をそらす。

 十六夜自身が気づかないほど、声は柔らかかった。


 瑞響は静かに微笑むでもなく、

 ただ同じ速度で隣に並んだ。


「らしくないでしょうか。

 ……けれど、今の私にはこれが正しいと思えます」


 十六夜は返事をしない。

 代わりに歩き出す。


 瑞響は音もなく並んだ。


 月光の中でふたつの影が伸び、

 互いを追い越すことなく寄り添うように揺れる。


 夜風が二人の間をすり抜けても、

 その距離はほんの少しも乱れなかった。


 ——変わり始めるものは、いつだって音を立てない。

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