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死神相談所  作者: 兎月心幸
二章「操り人形の糸の先」
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第二十九話「願いと命令の狭間で」



 リーシアの周囲にだけ渦を巻く紅糸。

 それ以外の侵入者には、針の群れのように牙を剥く暴風。


 十六夜が前に立ち、緋音を庇いながら符を展開する。

 瑞響の義眼は悲鳴のように光を跳ね返し、空間の乱れを必死に追う。


 紅糸の一撃がリーシアへ向いた――刹那。


「リーシアちゃん!!」


 緋音が思わず飛び出しかける。

 糸に触れれば即座に精神を縫われると理解していながら、身体が反射的に動いた。


 十六夜が素早く腕を伸ばし、緋音の肩を掴む。


「ダメだ、行くな! キミまで縫われる。

  リーシアは必ず助け出す! だから今は堪えて!」


 緋音は唇を噛みしめ、震える足を必死に止めた。


 その中で――

 ただひとり、ラディスだけが“別のもの”を見ていた。


 暴走する紅糸ではない。

 耳を裂くような鼓動でもない。


 ──十四年前とまったく同じ“気配”。


 仲間の笑い声がふっと消え、

 紅い糸に絡め取られ、

 肉より先に“心”が切り離されていったあの日。


 視界の端で、仲間がひとり、またひとり――

 糸に引き裂かれ、感情も声も奪われていく。


 そして最後に。


 紅糸が吹き荒れる中に立ち尽くす、

 最後の“小柄な白金色の髪の少女”。


 大きめの簡易制服が揺れ、

 涙でにじむ緑の瞳が、必死に笑おうとしていた。


『……だいじょうぶです……ラディ、スさん……

  わたし……まだ動けますから……足、引っぱりません……から……』


 呼吸は浅く、声は震えているのに、

 心配をかけまいとする“気丈さ”だけが最後まで残っていた。


 紅糸が脚を絡め取り、腕を縫い止め、

 胸の奥へと侵食していく。


 それでも少女は首を横に振った。


『……泣かないでください……だいじょうぶ……ですから……

  わたし、ぜったい……泣きません……』


 唇が震え、声が詰まる。


 その瞬間――

 緑の瞳がラディスを見上げた。


 すがるように。

 子どものように。

 いつもの強がりが崩れ落ちて。


 かすれた一言だけが、本当の心からこぼれた。


『……おいていかないで……』


 その手は次の瞬間には紅糸に縫われ、

 温度も、願いも、静かに止まった。


 その断末魔の“残響”が、

 いまこの紅糸のざわめきと重なって胸奥に突き刺さる。


 足元が揺らぎ、膝が抜けそうになる。


(……やめろ……

  その声だけは……重ねるな……)


 怒りとも恐怖ともつかない衝動が腹の奥で燃え上がり、

 ラディスは紅糸の暴風を逆らうように一歩前へ踏み出した。


 十六夜が振り返る。


「ラディス、下がれ! ここは――」


 その声が届いた、ほんの“刹那”。


 ──空気が、めり、と沈んだ。


 胸奥で、クロノ・シザーが低く震えた。


 喉奥までこみ上げるような金属の鼓動。

 封じ込められた十四年の怨念を吸い上げるように、

 鋏の冥具核が脈打つ。


 ラディスの唇が歪み、乾いた笑いが漏れた。


「……下がれ? 冗談だろ、十六夜」


 紅糸が足元から突き上がる。

 避けない。切らない。

 ただ“踏みしだいて”進む。


「十四年前……俺はただ見てた。

 仲間が……“糸の操り人形”に変わっていくのをな」


 冗談めいた声なのに、

 震える指先だけが本音を物語っていた。


「あいつの手も……最後は動かなくなって……

  それでも俺に言ったんだよ」


 喉が詰まり、言葉が掠れる。


「『置いていかないで』……ってな」


 金の瞳が、悔恨の奥で軋むように揺れた。


「だがな。今の俺には……選べる刃がある」


 胸元のクロノ・シザーが、心臓の鼓動と同期するように淡く脈動した。


 紅糸が襲いかかる。

 母胎の鼓動と完全に同期した、無限の連撃。


 それでもラディスは、一歩も下がらない。


「俺はずっと……操られたままだった。

 誰の声にも……自分の声にも、触れられなかった」


 糸が骨を軋ませ、霊子の光が散る。

 痛みが走るはずなのに、足は止まらない。


「だが……今日は違う。

 “俺の意志”で、ここに立てる」


 金の瞳に宿る、十四年越しの決意。


「ミリア……聞こえるかよ」


 紅糸の海の奥へ低く呟く。


「アンタのせいで、俺は止まってた。

  だからな……今日で終わりにする」


 ラディスの指先で、クロノ・シザーが“カチリ”と鳴った。


 霊子の刃が開く。

 次の瞬間――紅が真っ二つに裂けた。


 ──十四年越しの反撃が、ついに始まった。


 ラディスが紅糸の暴風を押し返し、

 糸切り鋏の光で前線を切り開いていく。


 十六夜はその背を一瞬だけ見つめ、

 ふたたびミリアの仮面に目を戻した。


「……やっぱり変だ」


 瑞響が義眼に走る波形を凝視し、わずかに眉を寄せる。


「母胎領域……応答の揺れ方が不自然です。

 攻撃→再生→防御……その循環に“意志の揺らぎ”があります」


 十六夜は紅糸の動きを読み取りながら低く呟く。


「母の“怒り”だけで動くなら、こんな波形にはならない。

 これは……揺れてる。恐怖と……願いで」


 そのとき。


 緋音の肩が、小さく震えた。


 「……あ……」


 十六夜がすぐ気づく。


「緋音? どうした」


 緋音は胸の奥を押さえ、紅糸のざわめきに意識を沈めた。


(この感じ……

 胸の奥が“きしむ”みたいに痛い……

 これ、どこかで……)


 息が止まる。


 ――霊障とは違う。

 胸の奥で“誰かの感情”が震えている。


 その瞬間、

 緋音の脳裏に夜の霊境が鮮明に蘇った。


 箒を置いたとき、

 胸奥に確かに響いた、あの声。


 『……だれか、たすけて……』


 緋音の瞳が大きく揺れた。


「……この声……!」


 十六夜と瑞響が振り返る。


 緋音は震える声で続けた。


「この感じ……あの時と同じ……

 相談所で聞こえた“たすけて”……あれ……!」


 紅糸が脈動するたび、

 あの夜の霧、胸を刺す痛みが蘇る。


 緋音は――

 はっきりと気づいた。


「……あれ、リーシアちゃんの声じゃなかった……!」


 空気がひりつき、十六夜が目を見開く。


 緋音は震える息を吸い、十六夜を振り返った。


「十六夜くん! わたし……前に相談所で留守番してた時、

 勝手に外に出ちゃったでしょ?」


「うん。確か、声が聞こえたって……それで霊境の外に――」


 十六夜は、口を半ば開いたまま固まった。

 次の瞬間、息を呑む音がはっきり響いた。


「……まさか……緋音。

 キミがあの時、相談所を出た理由って……」


 緋音は強く頷いた。


「そう……“この声”が聞こえたからなの。

 今、紅糸から伝わってきた震え……

 あの時と同じだったの」


 十六夜と瑞響が、息を呑む。


「……助けて、って……あれは……

 ミリアさんの声だったんだ……!」


 瑞響の義眼が強く光を跳ね返す。


「霊核の深層から漏れた“無意識の叫び”……

 緋音さんの黎明感受が……拾った……?」


 十六夜は深く頷き、ミリアを見据えた。


「緋音の力は、魂が奥底で抱えてる“本当の願い”に反応する。

 だから……ミリアの叫びだけが届いたんだ」


 緋音は胸元を押さえながら続ける。


「ミリアさん……ずっと怖かったんだ……

 苦しくて……苦しくて……

 それでも……リーシアちゃんには“届いてほしかった”んだよ……」


 十六夜は静かに呟いた。


「……ミリア。

 あなたは最初から……リーシアに救ってほしかったんだ……」


 その言葉に、紅糸が“ふるり”と震えた。


 母の深層に触れたかのように。


ミリアの咆哮と共に紅糸が暴風のように渦巻き、

 空間全体が赤黒く脈動した。


 だがその直前、

 十六夜の「あなたはリーシアに救ってほしかった」に触れた瞬間――


 ミリアの瞳がびくりと揺れ、

 仮面の裏で“震え”が走った。


 その震えは、母の愛ではなく。


 ――“触れられたくない場所”を突かれた拒絶。


「いや……来ないで……

 わたしの心に……入らないで……!」


 ミリアの声が割れ、紅糸が一気に暴走へ転じた。

 怒りでも憎しみでもない。

 **“見抜かれた弱さからの拒絶”**だった。


 その瞬間――

 緋音の胸奥が“ひきちぎられるように”痛んだ。


「っ……あれ……?」


 息が吸えない。

 視界が赤黒く揺れ、内臓がひっくり返るほどの吐き気。

 指先の熱が溶け落ち、世界がざらついた砂のように崩れていく。


 ミリアの悲しみ、恐怖、孤独、願い――

 その全部が、“生のまま”緋音の心に流れ込んでくる。


 黎明の感受性が、最悪の形で暴走した。


 瑞響の義眼が閃く。


「緋音さん! 感受領域が侵食されています……!

  このままでは“心まで縫われる”!!」


 耳を塞いでも意味がない。

 他人の想いが、そのまま緋音の内側に侵入してくる。


 ——ひとりにしないで

 ——抱いて

 ——触れて

 ——どうして

 ——どうして置いていくの

 ——“愛してほしい”


 それはミリアの叫びなのに、

 その形は緋音の胸奥で“別の誰かの記憶”と混ざり合った。


(……これ……だれの……

  わたし……前にも……こんな……)


 幼い頃の記憶断片――

 熱い掌、泣き声、誰かに呼ばれる声、

 その全部が、ミリアの感情と一緒に一瞬だけ蘇る。


 境界が崩れ、

 緋音は“自分”と“ミリア”の区別を失いかけた。


 胸の奥から勝手に溢れた言葉。


「……お母……さん……?」


 その呟きに――

 紅糸が一斉に緋音へ向けて牙を剝いた。


 十六夜が叫ぶ。


「緋音!!」


 紅糸が触れた瞬間、意識が白熱して飛びそうになる。


(だめ……わたし……

  ミリアさんの……“底”に……飲まれる……)


 その刹那――

 十六夜の腕が緋音を強く抱き寄せた。


 紅糸が二人の横を裂くように通りすぎる。


「緋音!! 戻ってこい!!」


 その声が、過共鳴の渦を断ち切った。


 緋音の意識が辛うじて浮上し、

 十六夜の姿が視界に戻る。


「い、ざよい……くん……?」


 十六夜は震える手で緋音の手を握りしめた。

 自分も恐怖しているのに、それでも守ろうとしていた。


「心を開くな!

  そのままじゃミリアの願いに呑まれる!!

  キミの心は……キミのものだ。離れるな!」


 緋音は苦しげに口を震わせる。


「……ごめん……

 ミリアさんの“悲しみ”が……全部流れ込んで……

  動けなくて……」


 十六夜は強く首を振った。


「謝るな。それを感じ取ったのは……キミが優しいからだ」


 紅糸の嵐はおさまるどころか、さらに勢いを増していた。

 床も天井も、壁すらも“巨大な心臓”のように脈打っている。


 十六夜が糸の奔流を斬り払うたび、

 切れた糸は瞬時に縫い戻され、倍の量で牙を剥く。


「……きりがない……!」


 緋音は胸を押さえながら後退する。

 ミリアの霊波がまた揺らぎ、胸奥をきつく締めつけてくる。


 その中で――

 ひとりだけ、明らかに“異質な反応”を受けている者がいた。


 リーシアだ。


 彼女の周囲に伸びた糸だけが、

 まるで触れることを拒むように弾かれている。


(……どうして……わたしには触れないの……?)


 リーシアは震える指先で、そっと一筋の糸へ手を伸ばした。


 ――ぴたり。


 紅糸が空気ごと停止した。


 ミリアの身体がわずかに揺れる。


「……リーシア……?」


 その一言だけで、暴風の糸が一瞬だけ緩む。


 十六夜はその変化を見逃さなかった。


「……今、糸の動きが止まった……?」


 瑞響の義眼が強く光り、波形を読み取る。


「……これは“命令”ではありません……

 いまのミリアは、リーシアさんの“声”に反応しています……!」


 リーシアは胸を押さえ、震える声で母へ向き直る。


「お母さま……わたし、あなたに命令なんてしない……ただ……“届いてほしい”って……思っただけ……」


 ぱきり。


 ミリアの仮面に、新たなひびが走った。


 紅と蒼の色が瞳の中で激しくせめぎ合う。


 十六夜が息を呑む。


「……なるほど……!

 ミリアは“命令”には反応する。でも……“願い”には揺らぐんだ……!」


 緋音も気づいて声を上げる。


「つまり……リーシアちゃんの“願い”が……

 お母さんの心を動かす……?」


 瑞響が静かに肯定した。


「いいえ……弱点ではありません。

 “唯一の鍵”です。

 ミリアさんの心に触れられるのは……リーシアさんだけ」


 その言葉に応えるように、

 紅糸がざわりと震え、ミリアの喉から言葉が漏れた。


「リーシア……

 どうして……私の言葉じゃなく……

 “あなた自身”の想いで……動こうとするの……?」


 その声は――震えていた。


 怒りでも、支配でもない。


 ――娘を失う“恐怖”。


 その感情が臨界を迎えた瞬間、

 空間全体の紅糸が大きく脈打ち、暴走は新たな段階へ突入する。


「リーシア!!」

 十六夜が叫ぶ。


「いまの反応、絶対に覚えておけ!!

 彼女を止められるのは――キミだけだ!!」

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