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死神相談所  作者: 兎月心幸
序章
3/5

第二話「木漏れ陽の出会い」

今日は2話連続投稿です。楽しんで頂ければ幸いです。

 霊波がわずかに揺れた。

 まるで空間そのものが、そっと呼吸を止めたかのような静寂が広がる。

 十六夜は、顔を真っ赤にしたまま俯いていた。

 瑞響は涼しい顔で記録帳を閉じ、ぱたりと音を立てた。


 しばし沈黙の後、十六夜が小さく咳払いを一つ。


 「……さて、キミの話に戻ろうか。瑞響、今度こそお願い」


 気を取り直すように背筋を正した彼の声に、空気がゆっくりと落ち着きを取り戻す。

 表情はいつもの穏やかなものに戻っていたけれど――

 まだ少しだけ赤い耳を、緋音は見逃さなかった。


 (……私の、記憶)

 胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。

 瑞響が記録帳をしまい、こちらに向き直る。

 その義眼が淡く光り――彼が静かに口を開いた。


 「これより、霊波解析を開始します。暁星緋音さんの記憶と魂波長、過去の共鳴履歴を確認し、現状との因果を明らかにします」 


 その声音は冷静で、けれど決して突き放すようなものではなかった。


 (……怖い。けど)


 目の前に広がるのは、自分の心の底。

 もう終わったはずの記憶なのに、あの痛みも、後悔も、まだ終わっていない気がしていた。

 それでも――目を逸らしたくなかった。

 「……お願いします」


 緋音がそう告げた瞬間。

 瑞響を中心に淡い波が、静かに空間へと満ちていく。

 波紋のように広がっていく光。

 その中心で、緋音の意識がゆっくりと沈んでいった。


 水底に落ちるみたいに、ゆっくり、深く――

 その光は、私の奥の奥にまで染み込んでいく。

 逃げ場のない温度が、あの日の空気と匂いを呼び起こす。


 そして――気づけば私は、あの日に戻っていた。


***


 幼い頃から――**「聞こえるはずのない声」**が耳の奥に届いてしまう子どもだった。

 誰もいない廊下で、「ありがとう」と囁く声。

 夜の寝室で、「もう行くね」と告げる吐息が耳元をかすめる。


 両親は優しかったが、その瞳の奥には「普通の子であってほしい」という祈りが薄く揺れていた。


 唯一の理解者は祖母。

「その耳はね、神さまからの贈り物かもしれないよ」


 そう笑ってくれた声だけは、不思議と温かく胸に残った。


 けれど、小学校高学年になるころ、クラスに噂が広がった。


 ──幽霊と話す、変な子。

 笑顔で合わせようとするほど、視線は逸らされ、机の間にぽっかりと距離ができる。

 その隙間から覗く笑いを、見なかったふりでやり過ごす日々。


 小さな孤独が、静かに心の奥へ根を張っていった。


 そしてその根は、中学に進学しても消えなかった。

 むしろ――入学式の日、さらに深く潜った。

 新しい制服に袖を通したその日。

 耳に届いたのは歓迎の声ではなく、ひそやかな陰口。


 ──あれが、幽霊と話すっていう子だよ。

 ──関わらないほうがいいよ。

 笑顔を作れば作るほど、視線は離れていく。

 人の声よりも、ふとした瞬間に聞こえる“誰かの声”のほうが近くにあった。


 昼休み、教室の喧噪に耐えきれず、保健室へ逃げ込んだ。

 白いベッドに腰掛け、窓の外をぼんやり眺める。


 カーテン越しの春の光が頬を照らし、ざわめきから遠ざかった空気が肺に満ちていく。

 クラスの喧噪から逃げるようにここへ来たのは、ただの偶然……ではなかったのかもしれない。


 カーテンが揺れ、椅子が引かれる音。

 誰かが隣に腰掛ける気配がして、振り向く前に声が届いた。


 「ねえ、それ……聞こえるんでしょ?」

 顔を上げると、柔らかな茶髪のセミロングに、茜色の瞳をした少女がそこにいた。


 唐突な問いかけに、緋音の心臓が跳ねた。

 秘密を知られる恐怖よりも、その声音に混じる不思議な温かさに、息が詰まる。


 彼女──明葉あけはは、迷いなく笑って続けた。


「それ、すごく素敵な力だよ。怖くなんかないって、わたしが保証する!」

「え……?」


 予想外の言葉に思わず間の抜けた声が漏れる。

 嘲りでも、好奇心でもない。

 ただ真っ直ぐに、受け入れるためだけに向けられた言葉。


 胸の奥の冷たい氷が、ひと欠片だけ音を立てて溶けていくような気がした。


 その熱が、喉の奥までじんわりと広がっていく。

 「……あなたは?」


 緋音の問いかけに、その子は一瞬だけ嬉しそうに目を細めた。


 「わたしは明葉(あけは)木森陽明葉(こもりびあけは)……同じクラスだよ。小学校のときから、ずっと知ってたんだ」


 そして申し訳なさそうに続けた。


「……わたし、緋音ちゃんのこと見てたから。ずっと、ひとりで辛そうだったから。 ほんとはずっと声かけたかったんだけど、タイミング掴めなくて……ごめんね」


 やさしい声。まるで春の陽射しのようなまなざし。 緋音の心の奥に、何かがあたたかく染み込んでいくのを感じた。


「……どうして。わたしのこと、気持ち悪いって思わないの……?」


 震える声で問いかけたとき、明葉はきっぱりと答えた。


「だって、緋音ちゃんは“その力”を誰かを傷つけるためじゃなくて、 誰かに寄り添うために使いたいって思ってるでしょ? それって、すっごく素敵なことだと思うな」


 その言葉が、どれほど緋音の心を救ったか――

 胸の奥に、じんわりと何かが染み込んでいく。

 ずっと張りつめていた冷たい氷が、ゆっくりと溶けていくような感覚。


 言葉にならない想いが込み上げてきて、気づけば、頬に涙が伝っていた。


「……っ」


 ぽろぽろと零れていく涙に、緋音自身も戸惑っていた。 そんな彼女の元へ、明葉が慌てて駆け寄る。


「わっ!? ご、ごめんね。泣かせるつもりは……!」


「……ううん。ちがうの、明葉ちゃん……」

 声が震えて、うまく言葉にならない。

 でも、心の底から伝えたい気持ちがあった。

「……ありがとう……」


「どういたしまして」

 明葉は緋音の涙を指で拭って春風のような笑顔を浮かべた。


「緋音ちゃんは笑顔のほうがずっと似合うよ。……ほら、笑って……!」


 小さく、けれど確かに笑った緋音の瞳は、 涙の向こうで初めて“あたたかさ”を宿していた。

 その瞬間、私の世界に“名前のある光”が灯った。


明葉の存在が、私の暗闇に初めて届いた気がして――


 それは――まるで春の木漏れ陽のようにあたたかくて――優しい出会いだった。


* * *


それからというもの、ふたりは放課後になると、決まって神社へ足を運んだ。


 長い石段を一段一段上るたび、街のざわめきが遠ざかっていく。


 息が少し上がる頃、視界が開け、夕暮れ色の境内が目の前に広がった。


 空は茜から群青へと溶け合い、その境目がきらきらと揺れている。


 古びた鈴が、風に揺れてかすかに鳴った。

 その音は冷たい金属の響きなのに、不思議と柔らかく、胸の奥にすっと沁みこんでくる。

 まるで「ここは安全だよ」と告げる合図のように。


 明葉は拝殿の階段に腰を下ろし、通学バッグを横に置いて足をぶらぶらと揺らす。

 ふいに、明葉が小さく首を傾げて笑った。


「ね、聞いてくれる?」


 話し始めるときの癖だ。

 緋音がどんな時でも自分を受け止めてくれる――そんな甘えが、声の端に滲んでいる。


「将来はね、世界中を旅したいの。海の色も、街の匂いも、ぜんぶこの目で見てみたい」


 明葉の瞳の奥が夕陽を映して金色にきらめく。

 その横顔を、緋音は言葉もなく見つめていた。

 彼女が語る「いつか行きたい場所」や「まだ見ぬ景色」の話は、緋音にとって縁遠い、絵本の中の世界みたいだった。


 明葉の声を聞いていると――その景色が、少しだけ自分にも届く気がした。


 「ねぇねぇ! 緋音ちゃんは、どこか行きたい場所とか、見てみたいものとかある?」


 急に向けられた問いかけに、緋音はまばたきをする。

 明葉がきらきらした瞳で、楽しそうに顔を覗き込んでいた。


 「わたしは……」

 視線を落とし、少しだけ唇を噛む。

 憂いを宿した顔でしばし思案してから、ゆっくりと口を開いた。


 「行きたい場所でも、見てみたいものでもないけど……夢――ならあるかな」


 明葉が首を傾げる。その仕草に、胸の奥が少しだけ温まる。


 「わたし、いつかこの力で誰かを救いたいの」

 言葉を紡ぐごとに、胸の奥の氷が少しずつ溶けていく。


 「ずっと考えてたんだけど……わたしがこの力を与えられたのは、きっと理由があるんじゃないかって。本来知るはずもなかった誰かの想いや苦しみが、わたしには見えちゃう。それって――誰よりも、その人の苦しみに寄り添えるってことじゃないかなって」


 明葉は黙って頷き、目を細めて聞いていた。

 「だから……本来、誰にも届かなかった苦しみを、拾い上げて寄り添う。わたしは、そんな人になりたい」


 言い終えた瞬間、境内の鈴がひときわ澄んだ音を響かせた。

 それはまるで、彼女の小さな決意を祝福するかのように――。


 ふと、明葉が空を見上げて微笑む。

 春の陽射しが、茶髪の端をやわらかく照らす。


 「どこにいても、空はつながってるから。だから、きっと大丈夫」


 その一言が、鈴の音と重なるように胸に響く。

 人の声を聞くことは、ずっと怖かった。

 けれど、明葉の声だけは違う。


 あの鈴の音と同じように、心の奥の凍りついた部分にそっと触れて、やわらかく溶かしてくれる。


 その時間は、緋音にとって何よりの救いだった。


 そして――その救いは、やがて彼女の世界を変えていく。

 境内で並んで座って、鈴の音を聞きながら、くだらない話で笑い合う。


 帰り道、夕焼けに染まる横顔を見て――それだけで、世界が満たされていく気がしていた。



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