第二十七話「赦しの光」
リーシアは膝をつき、胸を押さえた。
命核の奥で、何かが強く脈打つ。
――熱い。けれど痛くない。
触れた瞬間、光の残滓が視界に広がった。
「……これは……」
十六夜たちの声が遠くなる。
世界が溶けて、白い光だけが満ちていく。
(……わたし……この光を、知ってる……)
それは、十四年前。
自分が“死神”として生まれた、最初の記憶だった。
* * *
赤い糸が、静かに途切れた。
ミリアの腕の中で、リーシアの胸の灯が消える。
世界は音を失い、光が遠のいていく。
空気が水のように重く沈み、何も動かない。
母の顔が滲みながら遠ざかる。
声を出そうとしても、息だけが漏れた。
(……お母さんを……赦したい……)
それは最後に残った、たったひとつの想い。
憎しみでも悲鳴でもなく、赦しの祈りだった。
その瞬間、紅く濁った闇の中に、一筋の光が差し込む。
光の海の中心に、一つの人影が立っていた。
銀白の髪が流れ、霧の羽織が風もないのに揺れる。
透き通るような白い肌。
そして、淡く紫銀に光る瞳――
その奥には、黎明官の証である“彼岸花の紋様”が咲いていた。
花弁が光を放つたび、魂の粒が共鳴して震える。
その姿に、リーシアは思わず息を呑む。
「……あなたは……?」
男は穏やかに微笑んだ。
「……私は黎明官、白夢。
終わりと始まりの狭間で、魂の“選定”を担う者だ。」
リーシアはその言葉を聞き、唇を震わせる。
「……選定……?」
白夢は頷き、手のひらで淡い光を掬う。
「死を迎えた魂は、“終魂の海”に還る。
だがその中で、誰かを憎むのではなく――赦し、救いを願う者がいる。
そうした魂は、閻魔のもとへ導かれる資格を持つんだ。」
光がゆっくりと渦を巻く。
その中心で、紅と金の糸がひとつに交わっていく。
「閻魔は、導かれた魂の“霊核”を“命核”へと作り変える。
それはただの再生ではない――魂そのものの再構築。
命核を宿した者は冥波を帯び、“死神”として新たに生まれ変わる。」
リーシアの周囲を漂っていた光が、ゆっくりと肌に触れた。
温かい――けれど、何も感じない。
手を見下ろすと、輪郭が淡く透けている。
指先を握っても、音がしない。
その静けさの中で、ようやく気づく。
――わたし、もう“生きて”いないんだ。
胸の奥に重く沈む感覚。
涙も出ない。心臓も、もう動いていない。
けれど、消えたいとは思わなかった。
ただ、母の笑顔だけが、遠くで揺れている。
リーシアは息を震わせながら問う。
「……わたし……死んだんですね……?」
白夢はゆっくりと頷く。
「そうだね。けれど、まだ“消えて”はいない。
君の中に、ひとつの願いが残っている。
それが、君をここまで導いたんだ。」
指先が霧の中で光を掬う。
そこに、淡い紅と金の糸が揺れていた。
「これは君の霊核の欠片。
“赦す”という想いから生まれた光。
痛みを否定せず、受け入れることで生まれた力だよ。」
リーシアはその光を見つめ、涙をこぼす。
「お母さんを、苦しみから解き放ちたかったんです。
でも……できなかった……」
白夢は静かに首を横に振った。
「できなかったのではない。
“壊れた愛”を前にしても、君は憎まなかった。
その在り方は、もう救いの形だよ。」
「……わたし、間違ってなかったんですか?」
「誰も正しくなどいられない。
けれど、君は夜の中で光を見つけた。
私はそれを否定しない。
――それが、君の選んだ道だから。」
霧の中に、微かな風が吹いた。
紅と金の糸が絡まり、光の核を形づくっていく。
白夢はその光を両手で包み、穏やかに告げた。
「君の魂は“赦し”を司る波長を持っている。
憎しみを断ち、痛みに寄り添う者として、
これから多くの夜を渡るだろう。」
彼は少し目を伏せ、静かに問いかけた。
「……それでも構わないか?
この光を受け入れ、死神として歩む覚悟があるなら――
私は君を、閻魔のもとへ導こう。」
リーシアの胸に、母の微笑みが浮かんだ。
血に染まった夜。抱かれた温もり。
そのすべてが痛みと一緒に、まだ心の奥に残っている。
もし、このまま消えたら――
お母さんの想いは、誰が覚えていてくれるんだろう。
誰も責めない世界を、いつか作れるなら。
(もう、泣くだけの夜にはしたくない……)
そう思ったとき、紅と金の光が脈打った。
胸の奥にあった“赦し”が、静かに形を取っていく。
リーシアはゆっくりと目を閉じ、光に手を伸ばした。
紅と金の輝きが胸の奥に沈み、霊核の中心に淡い波紋が広がっていく。
それはまだ形を持たない――ただ、温もりだけが確かにあった。
「……これは?」
白夢は静かに答える。
「命核の“雛形”だよ。
君が選んだ想いが形になっただけ。
真に死神となるのは、閻魔のもとへ至ったあとだ。」
白夢はその様子を見届け、静かに囁いた。
「君の夜は、ここから始まる。
誰かを責めるためではなく、誰かを救うために――
君の光が、また一人の魂を照らす日が来るだろう。」
霧が流れ、彼の姿が淡く溶けていく。
ただその瞳の彼岸花だけが、最後まで輝いていた。
* * *
「リーシアちゃん……! ねぇ、リーシアちゃんっ!」
緋音の声が、霧の向こうから響いた。
肩を掴まれる感覚が、夢の膜を揺らす。
柔らかな光が砕けて、世界が――現実の色を取り戻していく。
ぼんやりとした視界の中で、緋音の顔がにじんだ。
心配そうに覗き込む瞳が、涙で濡れている。
「よかった……目、開いた……!」
リーシアはゆっくりと瞬きをした。
冷たい空気が肺に入り、身体の重みが戻ってくる。
周囲は、先ほどまでの記憶とはまるで別の景色だった。
――崩れかけた寝室。
紅い糸の残滓が霧のように漂い、壁や床に淡い光の痕跡を残している。
空気の底で、低く冥波が鳴った。
まるで、まだこの場所が過去を手放せずにいるかのように。
「……リーシア、戻ったか」
十六夜の声が静かに落ちる。
その横で、瑞響が義眼を光らせた。
「命核の波形、安定しています。
一時的に共鳴暴走を起こしていましたが、問題ありません。」
ラディスが腕を組んで息を吐く。
「まったく……心臓止まるかと思ったぜ。
突然あんな光を放つなんてな。」
緋音はまだ彼女の手を握ったまま、安心したように微笑んだ。
リーシアは小さく首を振る。
胸の奥――命核が、まだ微かに温かい。
(……この感覚……あの時と同じ……)
光の海、白夢の瞳、母の微笑み。
それらが断片となって、心の奥に溶け込んでいく。
懐かしくて、痛くて、でも優しい。
(どうして……こんなに大切なことを、今まで忘れていたんだろう……)
唇がかすかに震える。
目の奥に溜まっていた涙が、静かに零れた。
それは悲しみではなく――
ようやく、心の形を取り戻した証のように。
リーシアはそっと目を閉じ、胸に手を当てる。
「……お母さま。
今度こそ――わたしが、赦すね。」
命核が柔らかく光を帯びた。
紅と金が溶け合い、黎明のような色が部屋を包む。
その光は、まるで十四年前の夜を優しく塗り替えるように――
静かに、屋敷の闇へと滲んでいった。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
本来なら「操り人形編・完結までの2週間連続更新を行います。」と宣言していたのですが……
思った以上に描きたいことが膨らみ、少し立ち止まることにしました。
加えて、キービジュアルの資料作成をしなくてはいけないので
投稿は1週間ほどお休みをいただきます。
楽しみにしてくださっていた皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいですが、
中途半端に終わらせるより、しっかり心を込めて完成させたいと思っています。
次回の更新期間で、操り人形編を正式に完結させる予定です。
どうかもう少しだけ、待っていてください。
――兎月心幸




