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死神相談所  作者: 兎月心幸
二章「操り人形の糸の先」
23/33

第二十一話「優しさの残響」

 


 ――静寂。


 ピアノの鍵盤がひとりでに鳴り、最後の一音を響かせる。

 リーシアの胸から、紅と金の光がふたたび浮かび上がった。


 瑞響が義眼で測定する。

「霊障反応、消滅。命核安定。……第二層、鎮静完了です。」


 ラディスが深く息を吐き、鋏を下ろす。

「……やれやれ。やっと一曲、終わったか。」


 十六夜が壁を見上げる。

 音の残響が完全に消え、淡紅の光だけが漂っていた。

「“優しさを拒まない”――それが、この層の解放条件だったんだね。」


 リーシアは静かに頷く。

「うん……お母さん、今なら笑えるよ。」


 緋音がその肩に手を置き、柔らかく微笑んだ。

「きっと、見てるよ。――優しさが“自由”になった世界を。」


 ラディスが扉の方へ視線を向ける。

「……次の部屋が開く音がしたな。」


 実際、ホールの奥では新たな扉が光を帯び、ゆっくりと開き始めていた。

 淡紅から蒼白へ――色が変わる。



 ---


 ――戦いが終わり、音が消えた。

 霊子の霧が薄れていく中、緋音は胸の前で手を重ねた。

 黎明の光がかすかに脈動している。


 以前なら、深く共鳴した後は魂が削られるような痛みが残った。

 けれど今は――不思議と静かだった。

 身体の奥から、淡い温もりだけがゆっくりと広がっていく。


「……ねぇ、十六夜くん。」

「ん?」

「最近ね、どんなに深く共鳴しても……あまり“削られる”感じがしないの。

 前は胸の奥が痛くて、立ってるのもやっとだったのに……今は、ちゃんと息ができる。」


 十六夜は少し驚いたように目を細め、微笑んだ。

「……それはきっと、“魂縁の契り”の影響だよ。

 キミの霊核と僕の命核は繋がっている。

 共鳴時の負荷が分散されて、命核への負担が軽減されるようになってるんだ。」


 緋音はうなずく。

「……やっぱり、そうなんだね。

 あの契りの時、あたたかい光が流れ込んでくるのを感じたの。

 “もう一人じゃない”って思えて――怖くなかった。」


 十六夜は穏やかに微笑む。

「黎明の力も少しずつ安定してきたんだと思う。」


「……そっか。」

 緋音は胸に手を当て、微笑む。

 その光は穏やかで、どこか懐かしい朝の気配を含んでいた。

「じゃあ……これが、私たちの“繋がり”なんだね。」


「そう。――魂が削れる代わりに、少しずつ“重なって”いくんだよ。」

 十六夜の声は静かで、夜明け前の灯みたいにあたたかかった。


 けれど、その瞳の奥には、かすかな影が揺れている。

「……でも――それが“大きな代償を伴う力”だということには変わりない。

 使いすぎには気をつけて。霊核は、簡単に癒えるものじゃないから。」


 緋音は少し驚いたように目を瞬かせ、すぐに笑みを浮かべた。

「ちゃんとわかってる。……でも、ありがとう。」


「うん。」


 十六夜は小さく頷き、天井から差し込む光を見上げた。

 その光は霧のように淡く、瞳の中でゆらめいている。

 ――まるで、**夜と朝の境に浮かぶ“約束の光”**のようだった。



 ---


 緋音の言葉が静かに空間へ溶けていく。

 残響の粒子がゆるやかに舞い、淡紅の光が静かに揺れる。

 その中心で、リーシアの胸の灯がかすかに明滅した。


「……あれ……?」

 彼女の瞳の奥に、一瞬だけ“別の光景”が映る。


 焦げた床、割れた鍵盤――そのはずの音楽室が、少しずつ修復されていく。

 霊波が逆流し、音がひとつ、またひとつ蘇っていく。


 瑞響が義眼を光らせた。

「反応あり。……命核の深層で記憶が展開しています。これは……」


 十六夜が短く息を呑む。

「――“記憶再生”か。ミリアさんの魂が、最後に見せた想い……」


 空間がゆっくりと反転する。

 光が淡紅から乳白へ。

 空気にやわらかな音が混じりはじめた――ピアノの旋律。


 それは“今”の音ではなく、“昔”の記憶。



 ――やわらかな夕光が、窓越しに差していた。

 白いカーテンが風に揺れ、ピアノの蓋が開かれている。

 部屋の空気には、香油の甘い匂いと、微かに鉄の匂いが混じっていた。


 幼いリーシアの指が、黒鍵の上で震えている。

「……お母さま……もう、弾けないよ……」

 掠れた声が、弱い風のように消えた。


 隣でミリアが微笑む。

 穏やかで、まるで祈るような笑顔。

 けれどその瞳の奥は――沈んだ湖のように、何も映していなかった。


「リーシア。……指をこの位置に。ずれてしまうと、音が濁るわ。」

 母の声は柔らかい。けれど、それは“命令”の響きだった。


 細い手が娘の手を包み、ゆっくりと押しつける。

 ――パリン……。


 爪が鍵盤に触れるたび、透明な何かが割れるような音がした。

 その音が、部屋の静けさを痛々しく切り裂く。


 部屋の奥で、低い声が響いた。

「……音が濁っている。」


 ヴァルター・ミルヴァルト。

 この屋敷の主であり、完璧を何よりも愛する男。

 声は冷たく、まるで空気そのものに秩序を押し付けるようだった。


「この子を“飾れ”。お前の手で、完璧に。」


 その言葉に、ミリアの肩が微かに揺れた。

 視線を落とし、鍵盤を見つめたまま――ゆっくりと息を吐く。


「……この子は、まだ七歳です。

 間違えることだって……」


「ならば、間違いごと削ぎ落とせ。」

 男の声が重なる。

 “躊躇”という名の感情を許さない音。


 ミリアの唇が、ほんの一瞬だけ震えた。

 けれど次の瞬間、彼女は――笑った。


 その笑みはあまりにも整いすぎていて、まるで作られた仮面だった。

「……わかりました。あなたの望む“愛”を、形にしましょう。」


 リーシアの瞳が怯える。

「お母さま……?」


 返ってきたのは、微笑みだけ。

 言葉はなく、音だけが流れた。


 鍵盤の上で、母の手がゆっくりと娘の指を導く。

「弾きなさい。笑って。……それが、私たちの“正しい形”よ。」


 指が動く。音が重なる。

 だが、響くのは“旋律”ではなく“命令”。


 ヴァルターが満足げに頷く。

「それでいい。愛を教えるな。形を教えろ。」


 ――パリン。


 その音は、ミリアの心のどこかが砕ける音だった。

 静かな微笑みの裏で、胸の奥に細いひびが走る。

 彼女はそれでも弾き続けた。


 ――娘のためではなく、“命令を果たすため”に。


「……あなたの言う“愛”で、私は娘を壊している。」

 その小さな呟きは、誰にも届かない。


 ピアノの音だけが、すべてを塗り潰していく。

 その旋律は優しく、美しく、そして残酷だった。


 リーシアの頬を、一筋の涙が伝う。

「お母さまの笑顔が、痛いよ……」


 ミリアの手が一瞬だけ止まり――また、鍵盤を押した。

 笑顔は崩れない。


 けれど、押された一音が、わずかに濁った。

 ――パリン。


 割れたガラスのようなその音が、二人の間に落ちて、静かに消えた。


 夕陽が沈む。

 ピアノの蓋がゆっくりと閉じる。

 母の手は冷たく、娘の手は涙で濡れていた。


 その日、音楽室には“優しさの音”ではなく――

 “命令の残響”だけが残った。



 ---


 ――静寂。


 戦いの余韻が消えていく。

 霊子の霧がゆっくりと散り、空気の温度が戻っていく。


 リーシアは震える指先を胸に当てた。

 その奥で、まだ微かに母の声が響いている気がした。


 緋音が静かに微笑んだ。

「……優しさって、痛いね。」


 十六夜は短く頷く。

「でも、痛みのある優しさこそ――本物だよ。」


 瑞響が符盤を閉じながら報告する。

「第二層、鎮静完了。霊波構造、安定。」


 ラディスが息を吐く。

「やれやれ……次の層はもう少し静かだといいんだがな。」


 その言葉に、十六夜はふと天井を見上げた。

 空間の高みに漂っていた淡紅の光が、ひとつ、またひとつ消えていく。

 代わりに――温かな橙色の灯がゆっくりと差し込んだ。


「……光が変わった?」


 緋音が囁く。

 瑞響の義眼が反応し、薄くノイズを走らせる。

「霊波の流れが中央に収束しています。……屋敷の“心臓部”へ。」


 リーシアが顔を上げる。

 胸の奥で、何かが呼んでいた。

 懐かしいようで、怖いようで、それでも――確かに“あたたかい”。


「……行かなきゃ。あの人が、まだ……止まってる。」


 その声に十六夜がうなずく。

「うん。行こう。今度こそ、“本当の想い”を取り戻そう。」


 足元の床が、ふっと鳴った。

 波紋のような光が広がり、世界がゆっくりと溶け始める。


 淡紅は橙に、橙は金へ――


 そして、静止した空間の中央に白いテーブルが浮かび上がった。

 空気が変わる。香ばしい甘い匂い、磨かれた銀食器の反射。

 ――そして、ピアノの代わりに響く“祝福の鐘”。


 リーシアの瞳がかすかに揺れた。

「……これ、誕生日の匂い……」


 その瞬間、世界が裏返った。

 淡い橙の光が一気に広がり、

 十四本の蝋燭が灯る大きなケーキが、静止した空間の中央に姿を現した。


 誰も息をしなかった。

 ただ、“止まった笑顔”たちがテーブルに並んでいた。

連続投稿3日目です!

ここまで付き合ってくれている読者の皆様。

本当にありがとうございます!

まだまだ投稿は続きますので明日の22時もお付き合いくだされば幸いです。

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