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死神相談所  作者: 兎月心幸
二章「操り人形の糸の先」
20/33

【番外編】「霊境ハロウィン:灯の子の鎮魂」

今日はハロウィンということで急遽番外編書かせていただきました!

楽しんでいただければ幸いです。



 死神相談所の夜は、今日も静かだった。

 橙の灯が霊境の窓を透かし、淡い光を机上に散らす。

 緋音がここに来てから、まだ一週間ほど。

 けれど十六夜と魂縁を結んで以来、時の流れがどこか柔らかく感じられるようになっていた。


 瑞響の筆が紙を擦る音と、十六夜が書類をめくる音。

 その微かな響きが、夜の静けさをより深くしていた。


 穏やかな空気を裂くように、瑞響の手元の冥令珠が淡く脈動した。

「……冥令局より新たな通達。霊境にて情障発生。発生源、芽魂と推定」

 低く落ち着いた声が響く。


 十六夜は筆を止め、視線を上げた。

「芽魂か。……どんな未練だ?」


「“ハロウィン”と関係があるようです」


 その一言に、緋音の瞳が柔らかく光った。

「……ハロウィン。お菓子を持った子どもたちが街を歩く夜だよね。

 外灯の下で笑い声が響いてて……見てるだけで、胸の奥が温かくなった」


「見てた、か」


 十六夜の問いに、緋音は小さく頷く。

「うん。わたしは外から。ガラス越しに見てただけ。

 仮装なんてできなかったけど……その夜の光が、少しだけ羨ましかった」


 その横顔に、淡い寂しさと憧れが滲む。

 十六夜は視線を落とし、微かに口角を緩めた。

「なら、今度は――その“笑顔”を忘れられずに迷ってる魂を、迎えに行こう」

 彼の声は穏やかで、それでいてどこか決意を帯びていた。


 瑞響が符を展開し、淡い光を映す。

「補足。“霊境侵入には現地擬態服装(ハロウィン準拠)を推奨”。……つまり、仮装です」

「…………は?」

「えっ!? 仮装って、あの仮装!?」

「はい。霊障の波形が“仮装した者”を優先的に受け入れる構造に変質しています。素の冥波では排除の危険が」

「……つまり、入るためには仮装しなきゃいけないってこと?」

「その通りです」


 十六夜が額を押さえて、ため息をつく。

「……冥令局、絶対楽しんでるだろこれ」

 緋音は口元を押さえ、くすくすと笑った。


「補足情報。霊境の情障は、“仮装した子どもたち”に反応しています。

 姿を変えた者を“仲間”と認識し、素の魂波を排除する傾向あり」

「つまり、仮装していないと近づけない……?」

「その通りです」


 緋音がそっと息を整え、橙の灯に照らされた横顔を上げた。

「でもさ……その人、きっと“仮装した子どもたち”を待ってるんじゃないかな。

 だったら、わたしたちも仮装して行こう。“怖くないよ”って、伝えられるかもしれない」


 その言葉に、十六夜がふっと笑みを漏らす。

「……優しい嘘、か。……キミらしいな」


 瑞響が軽く頷き、立ち上がった。

「では、準備を」


* * *


 応接室のテーブルには、仮装用の衣装と冥具が並んでいた。

 橙の灯が部屋を照らし、静かな気配が揺れる。


 最初に姿を見せたのは、十六夜だった。

 黒猫を模した執事服は、彼の月光の瞳をいっそう際立たせている。

 漆黒の燕尾服に銀の鎖が垂れ、胸元には小さな飾り。

 歩くたびに微かな音が鳴り、尻尾がしなやかに揺れた。

 その姿は気高くもどこか儚く、まるで“夜を歩く猫の貴族”のようだった。


「……だから、なんで尻尾まであるの?」


 十六夜がぼやくと、緋音が目を輝かせて両手を合わせた。

「わぁ……似合いすぎてる! 本物の執事さん……というか、モフモフ担当の癒し係って感じ!」

 十六夜は視線を逸らし、照れくさそうに息を吐く。

「……褒めてるの? それ……」


 そのやり取りを横目に、瑞響が無言で仮装を整えていた。

 彼の装いは、淡い青灰のチャイナ服に黒帯を締めた“キョンシー”。

 胸元には封符を模した冥具の札が貼られ、

 袖口と裾には淡紫の符文字が浮かんでいる。

 額の義符には「鎮魂」の二文字。

 無表情のまま立つその姿は、まるで墓標に宿る守護霊のようで――冷たくも、美しかった。


「……どうですか?」

「うん、怖いっていうより綺麗だよ、瑞響」

「分析するより、似合いすぎてちょっとズルいかも」


 最後に現れた緋音の衣装は、和風の魔女だった。

 黒地に夜桜と月模様をあしらった着物をミニ丈に仕立て、

 帯の代わりに紫のレースリボンを重ねる。

 帽子の縁には黎明色の光が差し、

 とんがり帽子の片側には金の簪。

 茜と夜色のグラデの髪がゆらりと流れる。


「どう? 変じゃない?」

「……変じゃない。むしろ、似合いすぎてる」


 十六夜がぼそりと呟いた瞬間、瑞響の筆がすかさず動く。

「記録:十六夜様、視線を逸らす反応〇・八秒」

「やめろってば瑞響!」

 緋音は堪えきれずに吹き出し、橙の空気がふっと和んだ。


 十六夜と緋音が互いの衣装を見合っている横で、

 瑞響は無言で机に並ぶ衣装をひとつひとつ確認していた。

 指先から淡い冥波が広がり、布の縫い目や装飾の位置を細かく調整していく。

 符の光が衣の端をなぞり、まるで生地が呼吸するように形を整えていった。

「動作安定率、九十八%……もう少しですね」

 彼はそう呟きながら、十六夜の背に付けられた尻尾の角度を慎重に直す。

「ちょっ!? 瑞響、くすぐったいってば……!」

「微調整中です。もう少しだけ我慢を」

 十六夜がむくれている横で、緋音は笑いをこらえて見ていた。


「わぁ……瑞響さん、器用だね。サイズぴったりじゃん」

「調整完了。……十六夜様の猫耳も安定しています」

「安定って……いや、これほんとに必要? 重いし、なんかくすぐった……」


 そのとき、背中に柔らかな感触が走った。十六夜がびくりと体を震わせる。

「……ん?」

「わっ……尻尾、ほんとにふわふわだ……!」


 つまんだ瞬間、十六夜が飛び上がった。

「――ひゃっ!? な、ななななにするのさっ!!!」

 顔が一瞬で真っ赤になり、尻尾を庇うように後ずさる。

「ご、ごめんっ! まさか反応あるとは思わなくて!」

「興味深い。感覚共有型冥具でしょうか」

「いやそういう分析いらない!! ていうかなんでこれ本物じゃないのに感覚あんの!?」


 緋音は笑いをこらえきれずに吹き出す。瑞響も珍しく口元を緩めた。

「……非常に愛らしい反応です、十六夜様」

「褒めてるの!? それ!?」


 空気がやわらぎ、橙の光が三人を包み込む。

「ねぇ、十六夜くん。その尻尾さ……もふもふで気持ちいいから、もう一回触っていい?」

「お願いだからやめて」

「……反射速度、〇・二秒。記録しました」

「記録すんなぁぁぁ!!」

 笑い声が響き、十六夜が天を仰いで深く息を吐いた。

「……ほんと、冥具ってどこまで万能なんだか……」


* * *


 相談所の扉が、静かに開いた。

 外の空気が変わる。霊境のはずなのに、どこか懐かしい甘い匂い――キャラメルと蝋燭が混じったような香りが漂ってきた。

 霧が橙に染まり、遠くで風鈴のような笑い声が流れる。


 見上げれば、夜空に無数の提灯。どれもがかぼちゃの形をしており、笑っているようで、泣いているようでもあった。

「……わぁ……きれい……。でも、なんかちょっと、寂しいね」

 緋音の呟きに、十六夜が霊境全体の波形を感じ取るように目を細める。

「情障と環障が混じってる。……でも、悪意はない。誰かが“楽しかった夜”を、もう一度見ていたいだけだ」

「霊波の歪み、安定範囲内。観測継続します」


 足元の石畳がやわらかく光り、かぼちゃランタンの道が現れる。

 その先に、微かな影が見えた。


「ねぇ、十六夜くん」

「ん?」

「さっきの……尻尾触ったときの反応、ほんとに可愛かったよ」

 十六夜がびくっとして、顔を背けた。

「二度と言うな」

 帽子のつばの影から、うっすら赤い頬が覗く。

 緋音はくすっと笑い、橙の霧の向こうを見つめた。


 その直後、霧の中の影がゆっくりとこちらを振り返る。

 灯に照らされたその姿は――大きなカボチャを被った人影だった。


 橙の霧が揺れ、かぼちゃランタンの灯が三人の足元を照らす。

 近づくにつれ、芽魂の輪郭がはっきりした。背は高く、肩は少し丸い。

 けれどその動きはどこまでも穏やかで、まるで誰かを驚かせないように息を潜めているようだった。


「……お菓子、いらないのかい……? 怖くないよ……?」

 掠れた声が霧の中で滲む。

 十六夜が一歩前に出て、静かに語りかけた。

「僕たちは怖がってなんかいないよ。むしろ、その灯り――すごく優しい」


 その言葉に、人影がわずかに肩を揺らす。

「……そうかい……優しい、か……。ハロウィンの夜は、怖がらせるつもりなんてなかったんだ。

 ただ、笑ってほしくてね……。みんな、そう呼んでたんだ――“カボチャマン”って」

 霧の向こうで、カボチャの被り物の口がふっと綻んだように見えた。

「だからさ……よかったら、君たちもそう呼んでくれ」


 十六夜が小さく頷く。

「わかった。……カボチャマン、だね」

 橙の灯が一瞬だけ優しく揺れ、まるで彼が微笑んだように見えた。


 カボチャマンが顔を傾ける。灯の穴の奥で、薄金の光が一瞬だけ揺れた。

「ありがとう、少年。でも、みんな……最初は怖がって、泣いちゃうんだ。

 だから、顔を隠してたんだよ……。このカボチャを被れば、みんな笑ってくれたから」

 声は震えていた。霧の中に、遠い笑い声が一瞬だけ響いて、すぐに風に溶けた。


「……怖がらせたくなかったんだね。本当は、優しいのに」

 緋音の言葉に、カボチャマンの肩が小さく震える。

「……うん。最後の夜も、子どもたちにお菓子を配って……“また来年もね”って言いたかったんだ。

 でも、間に合わなかった。心臓が、急に……」


 カボチャマンの声が途切れた瞬間、霧の灯がふっと揺らめく。

 その橙の光の中に、ぼんやりと過去の断片が浮かび上がった。


 ――路地の片隅。

 夕暮れの残光が滲む古い商店街。

 提灯を吊るしながら、ひとりの男が大きなカボチャの被り物を手に笑っている。

 顔は皺深く、口元には人懐っこい笑み。だが、その目の奥には少しだけ影があった。


 “怖い”と泣かれた夜も、“見ないで”と避けられた日もあった。

 それでも彼は、その手を止めなかった。

 自分でくり抜いたカボチャランタンを店先に並べ、

 ひとつひとつに包み紙でくるんだチョコを入れていく。


『トリック・オア・トリート!』


 玄関のベルが鳴き、仮装した子どもたちが駆けてくる。

 男は両手を広げ、照れたように笑ってチョコを渡した。


『ありがとう、カボチャのおじさん!』


 子どもたちは笑いながら走り去る。

 その背中を見送る男の影が、商店の灯に長く伸びた。

 静まり返った通りで、遠くの笑い声が風に溶ける。


 ――そして、静寂。


 男はゆっくりとカボチャの被り物を外した。

 手の中の仮面が、かすかに橙の灯を映す。

 ガラス窓に映った自分の顔には、深い皺と、どこか怯えたような目があった。

 その瞳に、提灯の光が淡く反射する。

 笑顔を作ろうとしても、頬がこわばる。


「……やっぱり、怖い顔だなぁ。……でも、笑ってくれた。……それで、いいや」


 彼はそっと仮面を膝に置き、橙の光に照らされたランタンを静かに見つめた。

 その光は、どこか子どもたちの笑い声のように揺れていた。


 そのまま、彼は椅子に腰を下ろし、手元のカボチャを見つめる。

 橙の光がゆらりと揺れ、まるで心臓の鼓動のように脈を打った。

 胸の奥で、微かに痛みが走る。


「……もう一つだけ、作っておこう。明日、あの子にも……」


 震える指で包み紙を取ろうとした瞬間、

 手が滑り、チョコレートが石畳を転がった。

 その音を最後に、彼の体は静かに傾き、

 椅子の上で眠るように動かなくなった。


 傍らのカボチャランタンが、ゆっくりと灯りを増す。

 まるで彼の代わりに小さく“ありがとう”と告げたかのように、

 静かな余韻だけが残った。


 ――霧が淡く弾け、現実の霊境へと戻る。


* * *


 瑞響の符が淡く光り、情緒波形が記録されていく。

「未練の波形、安定傾向。感情の核は“ありがとう”……」

「“ありがとう”を、誰かに伝えたかったんだな」


 カボチャマンはゆっくり頷く。

 その手の中に、時間に焼けた小さな包み紙――朽ちかけたチョコレートが握られていた。

「……そのお菓子、まだ大切に持ってたんだ」

「あぁ……。これを渡したかったんだよ。“怖くないおじさんだよ”って、笑って言いたかったんだ……」


 霧が再び明るくなり、遠くのランタンが一斉に灯る。

 緋音の髪が淡い光に照らされ、十六夜が前へと進み出た。

「なら、僕たちが受け取るよ。その気持ちを」

「うん。今度はちゃんと、渡せるから」


 緋音が手を伸ばす。

 その瞬間、霧の粒子が舞い上がり、灯の粒が彼女の掌に降り注いだ。

 ――ほんのりと甘いチョコレートの香りが漂う。


「……ありがとう。今年も、ちゃんとハロウィンが来たんだね……」


 その声は風に溶け、穏やかに消えていった。

 カボチャマンの姿も橙の光の粒となり、夜空へと昇っていく。

 最後に残ったランタンが、三人の前でふわりと揺れた。


* * *


 霊境の霧が、ゆっくりと晴れていく。

 夜空の橙が薄れ、遠くの空に黎明の光が滲み始めていた。

 残されたのは、一つの小さなかぼちゃランタン。

 中でほのかな金の灯が揺れている。


 緋音がそっとそれを抱き上げた。

「……あったかい。ねぇ、十六夜くん。この灯、きっと“ありがとう”の気持ちだよ」

「そうだな。怖がらせずに笑わせたくて、それでも笑顔を残して逝った――優しい魂だ」


 十六夜が指先でランタンを軽く叩くと、澄んだ小さな音が響いた。

 瑞響が記録符を閉じ、静かに頷く。

「情障、完全消失。記録完了――“灯の子”、鎮魂確認しました」


 霊境の灯が一つ、風に流れて消える。

 残ったのは穏やかな沈黙と、ほんの少しの温もり。


 緋音は空を見上げ、ぽつりと呟いた。

「ハロウィンって、“死者の夜”って言われるけど……本当は“想いを繋ぐ夜”なのかもね」

 十六夜が隣で微笑んだ。

「……その言葉、相談所のモットーにしてもいいくらいだ」

「“死神相談所――誰かの想いを、次の灯へ”。……悪くありません」


 三人の笑い声が、夜明けの風に溶けていく。

 その風が通り過ぎたあと、かぼちゃランタンの中で小さな光が瞬き、静かに消えた。

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