表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死神相談所  作者: 兎月心幸
二章「操り人形の糸の先」
19/33

第十八話「動き出した傀儡、はじまりの操り糸」



 ――“過去”が動き出した。

 ――それは、十四年前の玄関ホール。


 まだ壊れる前の屋敷。

 床は磨かれ、壁の絵は色鮮やかで、

 天井のシャンデリアは穏やかな光を滴らせていた。


 その中央に、二人の人影が立っていた。

 一人は、冷ややかな瞳をした壮年の男――ヴァルター・ミルヴァルト。

 この屋敷の主であり、かつて名門と呼ばれたミルヴァルト家の当主。

 そしてもう一人は、その妻――ミリア。

 淡い金髪に白磁の肌を持つ、静かな気品を宿した女性。


 だが、二人の間に流れる空気は、光の温もりとはほど遠い。

 ヴァルターは机に向かい、整えた書類に目を落としながら静かに言った。

「……この子は“完璧な娘”になる。感情など必要ない」


 ミリアの胸が震える。

「あなた、それは違うわ! この子はまだ小さい。

“教育”なんて名の命令で縛るなんて、間違ってる!」


 ヴァルターの手が止まり、ゆっくりと顔を上げた。

 その眼差しは怒りでも激情でもなく、ただ無慈悲な静寂だった。


「黙れ。お前は“母親”のくせに、感情に溺れるな」

「感情? それがなければ、どうやって子を抱くの?」

「“完璧な娘”に抱擁は不要だ」


 彼の言葉は信念だった。

 ヴァルターはかつて父親に叩き込まれてきた“家訓”を口癖のように繰り返す。

 ――“ミルヴァルトの血は理性で続く。愛は腐敗だ”。

 それは彼自身もまた、愛を知らぬまま育てられた証だった。


 短い応酬のあと、ヴァルターは机上の金のベルを指で軽く叩いた。

 ――チリン。

 その一音で、すべてが命令に変わる。


 廊下の奥から、無言の使用人が現れた。

 泣きじゃくる幼いリーシアを抱き上げ、そのまま扉の向こうへ運んでいく。


 ミリアが駆け寄ろうとした瞬間、ヴァルターの声が背後から刺さった。

「見苦しい。娘に“弱さ”を見せるな」


 扉が閉まる。

 重い音が、まるで“母と子の断絶”を告げる鐘のように響いた。


 残されたミリアはその場に立ち尽くす。

 指先が震えても、声は出ない。

 ――あの人の言葉に逆らえば、リーシアが罰せられる。

 ――笑えなければ、また閉じ込められる。


 そんな恐怖が、心を縫い止めていく。

 頬に青い痕が残るたび、彼女は悟っていった。

「命令を代わりに伝えれば、あの子は傷つかない」


 そして――“命令を代弁する母親”が生まれた。


 その夜、ミリアは娘の部屋の前に立ち続けた。

 鍵の向こうから、かすかな嗚咽が聞こえる。


「おかあさま……あけて……」


 けれど、取っ手は冷たく閉ざされたまま。

 回しても、叩いても、何も動かない。


 ――“母親失格”。

 その言葉が、背後の闇から囁かれた気がした。


 泣けば、娘が罰せられる。

 叫べば、家が崩れる。

 だから彼女は――笑った。


 翌朝、リーシアが戻ってきた時、

 ミリアは掠れた声で言った。


「……リーシア、笑って。そうすれば痛くないわ」


 その言葉に、幼い娘は震える唇で微笑もうとした。

 泣き顔のまま、それでも笑顔を作る。


 ヴァルターはそれを見て満足げに頷き、書類を閉じた。


 ――紅い涙が、ミリアの頬を伝い、床へと落ちる。

 その瞬間、空気が凍りついた。


 涙は糸となり、細く長く伸びていく。

 母の掌から、娘の影へと――。


 “愛”の名を借りた鎖。

 これが、この屋敷で生まれた最初の()()()だった。


 ミリアはそれを見つめたまま、震える声で呟く。

「……ごめんなさい。

 あなたを笑わせるしか、守る方法がなかったの」


 映像が揺らぎ、紅糸がほどけるように光を散らす。

 母の姿が薄れ、声だけが残る。


『――笑っていれば、誰も壊れないと思ってたの』


 光が消える。

 残ったのは、静寂と、赤い残光だけだった。


* * *


 壁を覆っていた肖像画がひとつ、またひとつと崩れ落ちる。

 乾いた音を立てて砕けたキャンバスの向こうに、

 淡い光が――リーシアの胸へと流れ込んだ。


 紅と金、二つの糸が胸の上に重なって浮かび上がる。

 それは、操りの紅と、黎明の金。

 支配と救いの境界線。


 十六夜が静かにその光を見つめ、低く呟いた。

「……愛の始まりは、支配の始まりでもあった、か」


 瑞響は義眼をわずかに細め、崩れた肖像に散った霊子の軌跡を静かに記録する。

「命令構文、消失を確認……。

――けれど、この“記録”は消えません。母の想いそのものとして、残ります」


 緋音は目を伏せ、唇を噛んだ。

「優しさが……呪いになってたなんて。

  こんな結末、誰が望んだんだろ……」


 その声には怒りでも悲しみでもなく、ただ哀しみが滲んでいた。


 リーシアは胸の糸を見つめたまま、何も言わなかった。

 だが、その瞳の奥で確かに“何か”がほどけていく。

 その表情は痛みと安堵が混じり合った、誰にも真似できない微笑だった。


 ――その時、かすかな音が響いた。


 オルゴールの旋律。

 壊れた肖像の破片の中から、小さな箱が光を放っている。

 曲はやさしく、どこか懐かしい。

 母がかつてリーシアに贈った子守唄だった。


 緋音が呟く。

「……この音、あったかいのに、胸が痛い」


 瑞響が静かに頷く。

「“記録”は、哀しみさえも抱えて残るものですから」


 十六夜は奥の扉を見やり、静かに告げた。

「優しさは、次の罠だ。――進もう」


 その言葉に、ラディスがわずかに肩をすくめる。

「……ここから先は、俺にも何が起こるか分からない」

 乾いた笑みとともに、視線を扉へ向けた。


「けど――見届けたいんだ。

 この“家族の劇”が、ようやく終わるその瞬間を」


 十六夜は彼を見据え、短く頷く。

「なら、一緒に行こう」


 ラディスの金の瞳が淡く光を帯びる。

「案内は得意なんだ。もっとも……この屋敷が素直に道を開けるとは限らないがな」


 オルゴールの旋律が一段と強まる。

 淡紅色の光が扉の隙間から洩れ出している。

 それは、旋律に呼応するように揺らめいていた。

【お知らせ】

次回の更新は1週間後の11月1日 22:00です。

そしてその日から、操り人形編・完結までの2週間連続更新を行います。

毎晩22時、最後までお付き合いください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ