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死神相談所  作者: 兎月心幸
二章「操り人形の糸の先」
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第十五話「未明にほどけるもの」

 朝の霊境は薄金の霧に包まれ、相談所の奥に細い音が漂っていた。

 それは、世界が目を覚ます前の“心音”のようだった。


 応接室の机を挟み、緋音は椅子に座り、十六夜の前で小さく身を縮めている。


「……緋音」


 十六夜の声は穏やかだったが、奥に冷たい鋭さを含んでいた。

「キミが外に出た理由は、聞かなくても分かる。――声が聞こえたんだね」


「……うん。気づいたら、身体が勝手に……」


「“勝手に”は一番危ない言葉だよ」


 緋音はびくりと肩を震わせる。

 十六夜の金の瞳は叱るよりも、“守りたい”という焦りを帯びていた。


「霊境は“魂の終着点”。

 現世の迷える魂も、負の感情に堕ちた魂も流れつく場所だ。

 悪意を持つものもいる。

 戦えないキミが一人で外に出たら、取り込まれる可能性だってある」


 彼はそこで言葉を切り、短く息を吐いた。

 霧がわずかに揺れ、沈黙が部屋を包む。


「……キミの力の特性を考えれば、こうなることは事前に予測できたはずなのに。

 何も対策しなかった僕にも責任はある。

 ――本当に、キミが無事で良かった」


 その言葉と同時に、机の上の鈴が微かに鳴った。

 空気を震わせるその音は、叱責ではなく安堵の響きを帯びていた。


 緋音は目を瞬かせ、胸の奥がじんわりと熱くなった。

 叱られているのに、不思議と痛くなかった。

 それは、彼の声が“怒り”ではなく“安堵”を含んでいたからだ。


「……ごめんなさい」


「分かればいい。でも、次からは必ず僕か瑞響に知らせて」


 十六夜は一度、深く息を吐く。

 鈴の音はすでに消え、静けさだけが残った。


「それで――昨夜、キミが会った少女のことを教えて」


 緋音はあの夜の光景を思い返す。

 霧、糸、紅の光。


「名前は……リーシア。黒と紅のドレスを着てて、お人形みたいに綺麗な女の子だった」


 十六夜の筆が止まる。

 わずかに瞳の色が揺れる。


「……やっぱり、彼女か」


「知ってるの?」


「うん。祓魂庁所属の死神だ。霊境周辺の警備担当で、几帳面で真面目すぎるくらいの子だった」


 その横で、瑞響が静かに筆を走らせながら口を開く。

「補足します。

 正式記録――祓魂庁・幽階所属。

 異名は“操り人形マリオネット”。

 冥具アニメトスを媒介に紅糸を操り、多体傀儡で戦う戦術型の死神です。

 命令遵守度は極めて高く、冥令局の報告書には“自我より命令を優先する傾向が強い”と記録されています。」


「……まさにリーシアらしい記録だね」


 十六夜は小さく息を吐き、筆先を止めた。

「彼女は命令に従うことでしか、自分を保てなかった。

 けれど昨夜は――命令じゃなく、“誰かを守るために”迷わず動いた。

 霊境警備の任務の一環だったのかもしれない。

 でも、あの時の動きは……任務より“本能”に近かった気がする」


 緋音はその言葉に息を呑む。

「じゃあ、あれは……リーシアちゃんの意志?」


 十六夜は静かに目を伏せ、淡く微笑んだ。

「かもしれないね。……命令のない場所で、それでも誰かを救おうとしたなら――

 それだけで、あの子はきっと“変わり始めてる”」


 十六夜は静かに顔を上げる。

「……でも、今は――彼女がまた“命令で動く”番だ」


 その言葉と同時に、机上の《冥令珠》が澄んだ音を放つ。

 金の光が波紋となって広がり、霧の中に文字が浮かび上がった。


【指令】

 任務名:現世北部・旧ミルヴァルト家屋敷 霊障調査および封印再構築

 派遣対象:死神相談所所属 十六夜・瑞響・暁星緋音

 祓魂庁より補助死神一名を派遣。現地にて合流せよ。

 ――冥令局 第三指令課


 瑞響が符に文字を写し取りながら、低く呟く。

「旧ミルヴァルト家……十四年前に、一家心中事件が起きた場所ですね」


 十六夜は頷き、筆を置いた。

「当時、現場の死神たちは“霊障”を確認して封印を試みたが――全員、消息を絶った。

 封印は不完全なまま放置され、屋敷そのものが“霊的汚染源”と化した」


「霊障……?」と緋音が小首をかしげる。

 瑞響が静かに補足する。

「端的に言えば、邪魂が放つ邪波によって引き起こされる霊的異常現象です。

 精神・肉体・空間・感情――あらゆる層に干渉し、命を削り、心を蝕む。

 あの屋敷では、それが長年積み重なり、“空間そのもの”が歪んでいます」


 十六夜は短く息を吐いた。

「それで冥令局は、再封印を決定した。

 ……ただ、誰を送っても帰還できず、長らく“触れられぬ禁区”となっていた。

 ――けれど、ある冥令官が気づいたらしい」


 緋音が目を上げる。

「気づいた……?」


「屋敷の主である邪魂の霊波――それが、リーシアの冥波と完全に一致した。

 つまり、彼女の魂はあの屋敷に深く縛られている。

 だからこそ、冥令局は彼女を派遣した。“原因”であり、“鍵”でもある存在として」


 瑞響が記録符に淡い光を刻む。

「指令内容、確認。現世への干渉許可も同時に発令されています」


 十六夜は静かに椅子を引き、立ち上がった。

「――行こう。リーシアを、あの場所から解放する」


 霊境の霧がわずかに震え、金の粒が静かに宙を舞った。

 それはまるで、新しい“魂の糸”が結ばれる瞬間のようだった。


 窓の外、霧の粒が舞う。

 鈴がほんの一瞬、やさしく鳴り、音が霧に滲んでいった。

 冥界の夜は薄明に変わりつつあり、金の霧が境界塔をやわらかく照らしていた。

 出発の準備を終えた十六夜たちは、霊境の片隅に佇む水晶塔『境界路』の前に立っていた。


 塔の表面は透き通った水面のように光を反射し、内部には冥界と現世の光景がゆらりと溶け合っている。

 十六夜は静かに目を閉じ、自らの胸に手を添えた。


「――命核、共鳴」


 淡い金の光が彼の胸元から滲み出し、水晶塔の中心へと流れ込む。

 光は波紋となって塔全体に広がり、霊子の鼓動が低く響いた。

 やがて荘厳な音を立てて、水晶の扉がゆっくりと開く。


「現世への転送準備、完了。時刻同期、問題なし」

 瑞響の報告に、十六夜が頷く。

「よし。あとは――」


 そのとき、開かれた扉の向こうから鈴の音がかすかに響いた。

 霧がゆらめき、赤と黒の影がゆっくりと現れる。


「……リーシアちゃん」

 緋音の声がわずかに震える。


 月光を吸い込むような黒と紅のドレス、血のように脈打つ左手のドクロ紋。

 祓魂庁所属の死神――リーシアは無表情のまま一礼した。


「冥令局の指令により、任務に同行します」

 その声は、鈴の音を残したまま静かに霧へ溶けていく。


 十六夜は魂筆を手にしたまま、目を細める。

「久しぶりだね。……局の正式派遣か」


「はい。任務内容は“旧ミルヴァルト家屋敷の霊障調査および封印再構築”。

 主導権は死神相談所に委任されています」


 一礼の所作には、呼吸すら乱れがない。

 緋音は思わず一歩近づき、声をかけた。


「この前は、助けてくれて……ありがとう」


 リーシアはゆっくりと視線を向ける。

 瞳の奥に、ほんの一瞬だけ――人間らしい光が揺れた。


「……あれは、警備任務の一環です」

 そう答えると、再び表情を閉ざした。


 十六夜はその様子を見つめ、静かに言葉を落とす。

「無理に話さなくていい。――そろそろ行こうか」


 四人は歩みを揃え、境界塔の中へと足を踏み入れる。

 床の霊紋が淡く光を放ち、命核の共鳴に応じて空気が震えた。


 荘厳な鈴の響きが空間を貫く。

 金の光が足元から立ち上がり、四つの影を包み込む。


 霊境の光と冥界の闇が一瞬交錯し――

 彼らの姿は、静かに光の柱の中へと消えていった。



この先はじっくり執筆したいので、次回の更新は1週間後の24日となります。

少しだけ待っていてくれると嬉しいです。

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