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死神相談所  作者: 兎月心幸
一章「初任務と蠢く黒霧」
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第十一話「編みかけの約束」

皆様の応援のお陰で日間ランキング266位にランクインしました。これからも死神相談所をよろしくお願いいたします。


 放課後の旧準備室は、夕陽が差し込むと黄金色の箱のように輝いた。


 誰も使わなくなった机と椅子が並び、窓際の棚には割れた花瓶や古い譜面が積まれている。

 けれど、その中に二人が置いた折り紙や小さな落書きが、少しずつ“秘密基地”の色を作っていた。


「ほら、これ見て。昨日より上手く折れたんだぞ」


 颯真が紙飛行機を指先でつまんで、ひょいと投げる。

 風を切るように教室を横切り、窓の隙間から差す光の帯の中をくるくると回った。


 結翔はそれを目で追いながら、口元をわずかにゆるめる。


「……本当に飛んだ」

「当たり前。オレ、風の読み得意なんだ」


 颯真は胸を張って笑った。

 その無邪気な声が、静かな部屋の空気をやさしく震わせる。


 結翔は机の上の毛糸玉を手に取り、指先で糸を撫でた。


「……ねぇ、あのとき、笑わなかったの。どうして?」


 突然の問いに、颯真は少しだけ首を傾げる。


「笑う理由がなかったから。だって、すげぇと思っただけだし」

「すごい?」

「うん。糸って、こんなに細いのに、ちゃんと形になるだろ? それ作れるの、ちょっとカッコいいじゃん」


 その言葉に、結翔の喉が小さく震えた。


「……カッコいい、なんて言われたの、初めてかも」

「なら、オレが一番乗りだな」


 颯真はにっと笑って、机の上の毛糸を指先でつついた。


「なあ、これ……また編んでみせてよ。オレもやってみたい」

「え……?」


 結翔は思わず顔を上げる。

 颯真の瞳は真っ直ぐで、そこに嘘や興味本位の色は一つもなかった。


「教えてくれたら、オレも“作る側”になれるだろ? そのほうが楽しそう」

「……変なの」

「変でもいい。秘密基地は変なことする場所だし」


 二人は笑いあった。

 その笑い声が重なった瞬間、結翔の胸の奥で何かがほどける音がした。


 かつて笑い声は痛みの記憶だった。

 でも今、同じ“笑い”がこんなにも温かいものだと、初めて知った。


 夕陽が沈みかけ、部屋の光がやわらかい橙に変わる。

 机の上で糸がくるりとほどけ、結翔は小さなため息とともに微笑んだ。


「……できたら、見せてもいい?」

「もちろん。楽しみにしてる」


 颯真はそう言って、黒板の端にまたチョークで文字を残す。


 ――『またあした』。


 粉が舞い上がり、光の粒のように揺れた。

 それは約束というより、“今日もここで一緒に笑えた”という印だった。


***


 その日の放課後、秘密基地には冷たい風が吹き込んでいた。

 窓の隙間から入り込む空気は少しひんやりしていて、けれどその中に漂うチョークと毛糸の匂いが、いつも通りの安心を運んでくる。


「もうすぐ冬休みかぁ」


 颯真が窓の外を眺めながらつぶやいた。

 夕陽が沈みきるころ、空の端が薄い群青に染まりはじめている。


 結翔は机の上で毛糸を巻きながら、そっと笑った。


「休みになったら、ここ来れなくなっちゃうね」

「うーん、たしかにな。……あ、でもオレ、冬休み中に誕生日あるんだ」


「えっ、そうなの?」

「うん。二十四日。クリスマスとほぼ一緒」

「いいなぁ……」


 結翔の指先が、毛糸の端で止まる。

 少し考えたあと、声を潜めるように言った。


「……じゃあ、その日に何か作ってあげようか?」


 颯真が驚いたように目を瞬かせる。


「作るって……また編み物?」

「うん。……まだ下手だけど」

「いや、嬉しいよ。……オレ、世界でひとつだけのプレゼントもらえるんだな」


 颯真の声にはからかいも照れもなく、ただ真っすぐな喜びが混じっていた。

 その響きに、結翔の胸の奥がぽっと熱を灯す。


「約束だよ」

「うん。約束」


 二人は軽く拳を合わせた。

 その音は、小さくても確かに響いた。


***


 窓の外では、空気が透き通るように冷えていた。

 夜の始まりを知らせる一番星が瞬き、部屋の中に差し込む橙の光がゆっくりと薄れていく。


 結翔は少し迷ってから、机の端に置いてあったチョークを手に取った。

 颯真が書いた『またあした』の隣に、小さな字でひとつだけ言葉を添える。


 ――『約束』。


 白い粉が落ちて、光を反射する。

 それを見て、颯真は少し笑った。


「……いい字だな」

「下手でも、気持ちは本物」

「うん。オレも、ちゃんと受け取る」


 その瞬間、窓の外で風がひゅうっと鳴った。

 二人の髪が揺れ、チョークの粉が夜気の中を舞う。


***


 誕生日の朝。


 雪は夜明けからしんしんと降り続けていた。

 吐く息はすぐに白く凍り、街全体が深い静寂に包まれている。


 結翔は厚着の袖の中で、小さな包みを大事そうに抱えていた。

 中には、不格好ながら心を込めて編んだマフラー。


「今日は絶対に渡すんだ」


 胸の奥でその言葉を何度も繰り返しながら、雪を踏みしめて歩いていく。


***


 秘密基地へ向かう途中、立ち止まって包みを開けた。

 編み目は歪んでいる。それでも、颯真のために仕上げたその布はどこか誇らしく見えた。


(……喜んでくれるかな)


 期待と不安が胸の奥で交互に波を立てる。


 ――その頃、颯真は。


 病室の窓から、同じ雪空を眺めていた。

 高熱で布団から出られず、ただ「ごめん」と心の中で何度も呟く。

 約束の場所に行けない自分を責めながら、窓を叩く雪の音に耳を塞いでいた。


***


 けれど、結翔はその事実を知らない。

 ただ一人で、雪深い道を秘密基地へと向かっていた。


 小さな背中は、降り積もる白にかき消されるように遠ざかっていく。


 雪はさらに勢いを増し、世界は白一色に塗りつぶされた。

 彼の足跡だけが、一本道のように雪面に刻まれている。


「……寒い……」


 吐く息がすぐに凍りつき、頬は赤く、指先は痛みを通り越して感覚を失っていく。

 それでも結翔は、胸の包みをぎゅっと抱きしめ、歩みを止めなかった。


(もうすぐだ……もうすぐ、渡せる……)


 そう思った、その瞬間だった。


 ――ゴゴゴ、と大地が低く唸る。


 山肌が裂けるように音を立て、上方から白い壁が迫ってきた。


「……え?」


 次の瞬間、雪崩は怒涛のように押し寄せた。

 視界は真っ白に埋め尽くされ、冷たさと重みが全身を押し潰す。


 掴もうと伸ばした指先は空を切り、包みが雪に弾かれて遠ざかっていく。


 ――まだ、渡してないのに。

 ――約束を、守れてないのに。


 胸の奥で最後に燃えたのは、悔しさと願いだった。

 その想いを抱えたまま、結翔の小さな身体は雪に呑まれていった。


***


 ――渡したかった。

 ――でも、渡せなかった。


 その記憶が緋音の胸に突き刺さる。

 心臓がぎゅっと縮み、視界の奥が滲んでいった。


 雪に呑まれる直前に伸ばした手。

 冷たさ、痛み、悔しさ。


「まだ伝えてない」という後悔が、魂を現世に縛りつけていく。


 光景が途切れても、その声だけが緋音の胸に残った。


 ――「渡したかった」


 その震える囁きが、心臓をひっかくように響く。


「っ……」


 緋音の瞳に熱い涙がこみ上げ、視界がじんわり滲んだ。

 胸の奥に流れ込む少年の痛みが、あまりにも真っ直ぐすぎて呼吸が乱れる。


(……こんなにも、苦しかったんだ……)


 頬を伝う涙は、自分のものか、結翔のものか分からなかった。

 ただ一つだけ確かだった――


 この「渡せなかった後悔」こそが、少年を縛りつける“未練の核”だということ。


***


 背後で、十六夜の低い声が静かに響く。

「……これが、魂を留める鎖だよ。触れれば触れるほど、痛みも強くなる」


 瑞響は淡々と筆を走らせた。

「未練の固定化を確認。……対象の魂、縛着度合い:深刻」


 緋音は涙を拭おうともせず、結翔をまっすぐに見つめ続けた。


「……絶対に、放さない。私が……必ず導くから」


 結翔の指先は、編みかけのマフラーに触れられないまま宙をさまよっていた。

 その姿があまりに切なくて、緋音の胸がきゅっと痛む。


「……渡したかったんだよね」


 思わずこぼれた声は、自分でも驚くほど震えていた。


 結翔の影が揺れ、目を伏せる。

「でも……できなかった。守れなかったんだ。約束……」


 緋音は一歩近づき、膝を折って目線を合わせた。

 涙に滲む視界の中で、それでもまっすぐに彼を見つめる。


「……守れなかった約束でも、君が渡したかった気持ちは本物だよ。

 “好き”とか、“大事”とか……そういう気持ちは、きっと相手に届いてる」


 言葉に呼応するように、緋音の胸元で黎明色の光が淡く脈打った。

 その光は指先へと流れ、そっとマフラーの端に触れる。


 淡い輝きが布に溶け込み、未完成の編み目を優しく照らした。


 結翔は驚いたように瞳を揺らし、そしてかすかに笑った。


「……ほんとに、届くかな」

「うん。だって、その気持ちを誰よりも大事にしてるのは――君自身だから」


 光が結翔の輪郭を包み込み、揺れていた影が静かに整っていく。

 足元の霧が晴れ、教室の空気が澄み渡った。


 結翔は光の中で立ち上がり、編みかけのマフラーを見つめながら小さく呟く。

「……ありがとう」


 その言葉とともに、身体が淡い粒子となって空へ舞い上がった。

 笑顔を残したまま、光に溶けて消えていく。


***


 ――静寂。


 けれどその静寂は、もう哀しみではなく穏やかな余韻だった。


 緋音は涙を拭い、小さく息を吐く。

「……よかった」


 背後で十六夜が静かに頷き、瑞響は符に筆を走らせながら呟いた。


「適性、確認。黎明色の波長……記録します」


 その瞬間、教室に漂う空気がぴたりと張りつめた。



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