第七話
そして丈一にとっては恋焦がれたその日がやってきた。その日の夜、丈一がベッドに入ろうとすると、突如ゾクリとした寒気が丈一を襲った。丈一は飛び上がり、刀を抜くと、そこにはすでにリックとシェリーがいた。
また一瞬のうちに転移したようだ。丈一は左右を見回すと、ここが洞窟の中であることが分かった。なんとなしに壁を触ると、冷たい岩肌だった。足場を踏みしめると、ごつごつとした感触に、確かな反発が返ってくる。
洞窟の中なのに仄かに明るいのは、そこら中に生えている光る苔のおかげだろうか。丈一はキューブを凝視する。キューブは虹色に輝き、三人の顔を照らしていた。三人はしばらく黙っていたが、沈黙に耐えかねたリックが言った。
「今回は三人で固まって動くぞ」
シェリーは静かに頷いた。リックが丈一を睨むと、丈一はすんなり頷いた。
「ああ。シェリーが付いてくれると助かる」
丈一がなんのけなしに言った言葉はリックの癪に障った。
「俺は戦力外ってわけか」
丈一は素直に答える。
「そうともとれるな」
リックは丈一の言い回しに慣れ始めたのか、今度は拳を振り上げなかった。そして自分の無力さに悔しくなった。丈一がキューブに触れると、モンスターの情報が出てきた。
モンスター 洞窟の蝙蝠
ランク D
報酬 二点
その表記の横には人に似た顔をした蝙蝠が翼を広げていた。
丈一は少し体を動かして体を温めると、キューブの合図を待った。
リックは身震いを抑えられなかった。その時、ステータスに表示されていた【ブレイブハート D】を思い出した。
リックは強く念じると、心の奥底から煮えたぎるものが湧いてきた。それは全身に伝い、リックの胸を熱くすると、リックの身体は震えから逃れることができた。
リックはシェリーの顔色が悪いことに気が付くと、シェリーの肩に手を置いた。シェリーはトラウマからその手を弾こうとしたが、リックの手から流れる勇気を受け取ると、心がすっと軽くなるのを感じた。シェリーは心地よい感触に驚く。
「リック、あなたなにしたの?」
「スキルの効果みたいだ。やっと俺も少しは役に立てそうだ、と思ったが、あんたには必要なさそうだな」
丈一は相変わらず飄々としていた。丈一はリックのスキルを眺め、自分にも似たようなことができないかと自分の中の【怜悧な直感 C】に働きかけるが、心なしか感覚が鋭敏になったこと以外の反応は帰ってこなかった。
キューブからけたたましい音が鳴った。洞窟の広場にいた三人の前後の道の煙が消える。丈一はもう一度、直感に働きかけると、片方から風が吹き込むのを感じた。
丈一は迷わず、風が吹いてこない方を選択して、二人についてくるよう伝えた。洞窟は三人並んで歩いても余裕があるほどの道幅で、丈一は僅かに湿気があることに気づいた。
刀を構えながら慎重に進んでいくと、二つの人影が現れた。それは逆さに吊られているようで、リックは思わず逃げ出しそうになるのを抑えた。丈一が告げる。
「リックはシェリーの護衛を。あの二匹は俺が殺る」
丈一はそういうと刀を片手で持って、忍び足で蝙蝠の背後に近づく。しかし、僅かに立ててしまった足音に蝙蝠たちは機敏に身を翻した。
「キィァァァァァァァ!」
洞窟に蝙蝠の絶叫が響いた。丈一は洞窟の奥まで響いたであろうその声に、直感が今までに無いほどアラートを鳴らす。
丈一は素早く蝙蝠を斬りつけた。首筋を狙った一撃は、蝙蝠の翼を利用した大きいバックステップに避けられ、かすり傷しか与えられなかった。
丈一は洞窟の奥から徐々に迫りくる羽音の塊に気づいていた。丈一がリックとシェリーに告げる。
「逃げるぞ!」
三人は複雑な洞窟を駆けずり回った。シェリーは廃村から持ってきていたナイフで来た道に印をつける。蝙蝠たちは丈一の居場所を正確に把握し、執拗に追いかけた。
丈一たちは入り口の小さな横道を見つけ、そこに隠れた。丈一たちの前に現れた蝙蝠の集団は丈一が数える限り二十匹近くいた。
丈一は集団に押される形で突っ込んできた蝙蝠を一匹串刺しにすると、その死体をもって横道を塞いだ。リックと丈一が蝙蝠の死体を背に蝙蝠たちの突入を防ぐ。
断続的に体当たりをぶつけてくる蝙蝠たちに、リックと丈一の体力は着実に削られていった。リックが呻るように漏らす。
「どうする!丈一さん!」
丈一はジリ貧な現状に覚悟を決めた。
「シェリー!俺の背後についてくれ!」
シェリーは言われるがまま丈一の背に付き従った。
「リック!可能な限りシェリーを守れ!モンスターは俺が全員倒す!」
リックが目を瞠った。
「まさかあんた、あの群れに突っ込むつもりか!?」
「致命傷は負わないようにするから、俺の傷は即座に直してくれ!」
シェリーが言う。
「そんなの無理よ!私の回復にも限度があるわ!」
丈一は横穴の大きさを素早く確認すると言った。
「いや!いける!この横穴ならあいつらも全員は入ってこれないはずだ!一匹ずつやるぞ」
丈一はそう言って突き刺していた蝙蝠の死体を外に向かって蹴り飛ばした。蝙蝠たちはそれをみて喜色を露に、ざわめきを大きくすると、一気に突っ込んできた。
横道に頭を出してきた蝙蝠の首を丈一は刎ねる。血液が溢れ出た。そのまま二匹目に取り掛かるが、既に横道に三匹の侵入を許していた。丈一は焦りのあまり剣筋が鈍り、二匹目の首を切断する途中で骨に刀をとられてしまう。
「くそっ!」
丈一は刀を手放し奥に蹴りやると、刀を再形成した。しかしその一瞬の隙をついた三匹目が丈一に噛みついた。
丈一は辛うじて噛みつきを腕で防いだ。四匹目が連鎖して襲い掛かる。
それを防いだのはリックだった。シールドバッシュで四匹目を壁に押し付けると、四匹目はうめき声を上げながら絶命した。
丈一は噛みついている三匹目の蝙蝠の横腹を刀で複数回刺すと、蝙蝠は顎の力を静かに緩めていった。丈一はリックの盾から棘が出ていることに気が付く。丈一は聞かされていたリックの盾の能力を思い出していた。
シェリーが丈一の腕を素早く治療した。
「リック!その調子だ!お前の盾は人を守るためじゃない!モンスターを殺すためにある!」
リックはその言葉に【倫理の盾 C】の使い方を悟った。
(自分の倫理に反する行いをするほど硬くなる盾。俺の倫理に明確に反する行為は殺害だ!)
リックは横穴の入り口から入ってこようとする五匹目と六匹目に明確な殺意を持ってぶつかった。リックはこれが正しいことかどうか考える余裕すらなかった。
五匹目が盾の棘に串刺しになり、六匹目がリックに覆いかぶさる。リックは体勢を崩し転ばされる。六匹目がリックの頭に噛みつこうとしたとき、丈一の眼球目掛けた突きが六匹目の脳漿に突き刺された。
血がリックにかかる。丈一は荒々しく刀を振りぬくと、覆いかぶさる蝙蝠を蹴飛ばしリックの腕を掴み無理やり立たせた。
「やるぞ!」
リックは地獄の泥濘へ片足を浸した。丈一は何匹目か数えるのも億劫になるほど、蝙蝠を斬り飛ばした。洞窟が再び静寂を取り戻した時、三人は満身創痍だった。
シェリーは丈一が負った傷を治そうとしたが、スキルの治癒力は既に枯渇していた。無理やり集めた光は霧散し、丈一の傷を舐める程度の働きしかしなかった。リックは血だまりの中に仰向けで倒れていた。
「最悪だ」
リックはそうつぶやくと自分が奪った命を数えた。片手で足りないことに気が付くと、己の罪の重さに圧し潰されそうだった。リックが自責の念に苦しんでいる時、リックの耳に誰かの笑い声が届いた。
「ははっ!ははっ!」
それは紛れもなく丈一の笑い声だった。丈一は肩で息をしながらも、込み上げてくる笑いに苦しんでいた。片膝をつき、両手を地面について、笑いが収まるのをじっと待ちながら、自分が奪った命の数をポイントに換算し愉悦に浸っていた。
「そうこなくっちゃな…」
リックはその笑みを見て虫唾が走った。悪魔が笑うならこうやって笑うのだろうとリックは察した。丈一はシェリーとリックに目立った怪我がないことを確認すると、シェリーがつけた目印をもとにキューブの位置まで戻った。