第二話
丈一は広場を出ると、わずかに舗装されている道を進み始めた。夜風が吹くたびに丈一の頬が撫ぜられ、背中まで伝うと、不愉快な冷気に身を竦めた。
木々のざわめきが一歩進むごとに強くなっているような感覚までする。二つの大袈裟な月光が薄紫色に辺りを広く照らしていたから、木々のない途切れ途切れの道は足元にさえ注意していれば問題なく歩けていた。
しかし、それでも夜の闇は深く濃密だった。ヘンゼルは最初、余裕を見せるためか、何度か軽口をたたいたが、丈一が道の先をしっかりと見据えて歩いている様子を見て、居心地が悪くなりやめた。その代わりに些細な物音に過剰に反応し、無意識のうちに丈一の影を踏んで歩こうとするようになった。
丈一は刀の鞘を刀を持った手の親指で撫でながら、先導した騎士の男たちの痕跡を探していた。折れた枝の先、踏みしめられた地面についた足跡、かき分けられた茂みを追跡していると、不自然にぬるい風が運ばれてきた。ヘンゼルが思わず呟く。
「血の匂いだ...」
ヘンゼルは口をついて出た言葉にしまったというような顔をしたが、丈一はそれに気づかなかった。丈一の意識は道の先の倒れた何かの動物の死体とそれを漁る子供の背丈をした緑色の亜人の姿に奪われていた。
亜人は丈一に気が付くと、醜悪な笑みを浮かべ近づいてこようとした。しかしその陰から現れたヘンゼルを認識すると2対1の状況に気が付き慌てて踵を返した。
ヘンゼルは逃げる背中を見て反射的に、その亜人の後を追った。それは丈一の判断よりも早く、丈一はその事実に少し驚きながらもヘンゼルの後を追った。
亜人は短い手足を懸命に振りながら走った。その両手両足は草木の色と全く同化していて、その手に握られた錆びたナイフとわずかに纏っているボロ切れがなければ、そのまま森に姿を消してしまいそうだった。
亜人は背後から近づいてくる足音から逃げられないと察し反転して、ナイフを構えようとしたその時、ヘンゼルの後ろからの容赦ないスライディングで体勢を崩し、顔に土をつけた。
ヘンゼルは亜人を転ばせると、素早く立ち上がり、亜人が握っていた錆びたナイフを森の奥に蹴飛ばすと、手慣れた様子で亜人を封じ込めた。
「ギッ!ギッ!ギィッ!」
「よーし!よし。お嬢ちゃん。大人しくしなぁ。喰ってっかかることはねぇからよぉ。おっと!」
亜人は必死になって抜け出そうとするが、その体格差で完全に制圧されていた。
「ギィ!ギィ!」
「はっは!本当にモンスターだこりゃ!」
ヘンゼルは亜人の緑の皮膚を押さえている片手で撫ぜると、嘲るように笑った。ヘンゼルが後ろの丈一に問いかける。
「丈一さん!なんか縛るもの持ってないかい?このカワイ子ちゃんもこのままじゃかわいそうだ!」
丈一が尋ねる。
「縛ってどうするんだ?見た感じ言葉は通じなさそうだが」
ヘンゼルがわずかに眉を上げて、丈一に命令口調で伝える。
「なに。エロいことはしねぇよ。ツタでもいいから探してこい」
丈一は小首をかしげた。丈一はヘンゼルと亜人を見比べて、ゆっくり亜人に近づくとその首筋を確かめた。
「なんだ?あんた、そういうフェチか?」
ヘンゼルが訝しげに丈一の顔を覗き込むと、丈一は一歩下がった。
「そのまま頭を押さえといてくれ」
「は?なにすんだ?」
丈一は流れるように鞘から刀を抜くと、落ちている果物に刃を突き立てるように、自然な動きで、亜人の首筋に突き刺した。
「ギィィィィィィ!」
亜人は断末魔を上げると深紅の血を噴出した。ヘンゼルは丈一の突然の凶行に思考を停止させるが、ゆっくりと抵抗する力が抜けていく亜人の腕をそっと離した。
ヘンゼルは驚きに満ちた顔で丈一を見つめるが、丈一は今殺した命に何の感傷も背負っていないようだった。
丈一の血に濡れた刀が揺らぎ、ヘンゼルは大きくビクついた。刀はいかにも素人臭い動きで血のりを払われると鞘に収まった。
「あぁ。すまない!」
丈一はヘンゼルの様子を見て気が付き謝罪をした。ヘンゼルは意識を取り戻して、丈一の声に反応する。
「い、いや。なにも殺さなくてもよかったんじゃーーー」
「服が汚れてしまったな。血塗れにさせてしまった」
ヘンゼルは亜人の血を被って上半身が真っ赤になっていた。丈一はポケットからハンカチをまさぐるが部屋着のためハンカチは入っていなかった。丈一のその動きはヘンゼルにとって非常に興味深く映った。
ヘンゼルは状況を理解すると急に笑いが込み上げてきた。
「はっはっはっはっ!」
丈一は血まみれで笑い出したヘンゼルを見て警戒した。ヘンゼルは強張る丈一の表情を横目に、かろうじて汚れていない服の袖で顔の血をふき取った。
「丈一さん、あんたサイコってやつかい?」
丈一は質問の意図が理解できず聞き返した。
「いや!別にいいか!無粋なこと聞いたな忘れてくれ」
ヘンゼルは片手で袖についた血を払いながら言った。ヘンゼルは立ち上がり血だまりから抜けると、丈一の肩を軽くたたき、改めて尋ねた。
「あんた、こいつ殺したときどう思った?」
丈一は質問の意図をつかみかねたが、正直に思っていたことを答えた。
「どう思ったって...そうしないと進まないだろ」
「進まない?何がだ?」
「いやだから。あの騎士が言ってたろ。モンスターが来て、それを倒す。そうしないと、なんか、こう、進まないだろ」
ヘンゼルは丈一の瞳の奥を覗き込む。それはヘンゼルが女を嬲った後によくする行為だった。絶望を与え、尊厳を捻じ曲げて、心を屈折させたときにみることができる、瞳の奥の奥を見ることでヘンゼルは満足感を得る性質だった。
ヘンゼルは丈一の瞳の奥の奥、ヘンゼルだけが見ることができる領域になにか偽装されているようなものを感じた。
しかし、その偽装は複雑な瞳の中のシステムにおいて偽装されていない普通の人よりも正常に機能しているように見えた。ヘンゼルはそのことに気が付いたがその矛盾を突き詰めるだけの能力はなかった。
ヘンゼルは鼻で笑った。
「はっ!ワケわかんね!」
丈一は亜人を殺した後、元の道に戻ろうとしたが、ヘンゼルはついていかなかった。
「人生楽しんだもの勝ちだもんな!私は戻るよ!」
丈一はヘンゼルの心変わりに若干の疑問を持ったが、引き留めることはしなかった。丈一はそれよりもどんどん深くなっていく森に魅了されていた。
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