第五話
片手でも吹けるような簡単な竹笛を作ろうと、小刀を借りて細工していた
竹と小刀はいつもの官吏に用立てを頼んだのだが、小刀を貸して欲しい、と言った時に、思いっきり嫌そうな顔をされた。
用途の説明をすると、顔をしかめたまま、笛くらい持ってくる、と言われた。
だが、以前の胸針の件もあり、高級な物を持ってこられる事が予想されたため、遠慮申し上げた。
手荒に扱って破損でもさせてしまったら、こちらの寿命が縮む。
上手く動かない私の片腕の代わりに、自分が竹を支える、と双樹が申し出てきた。
それに対し
「そう言ってくれるのはありがたいが、君に傷をつけそうで怖いから遠慮しておく」
と苦笑いをして断ると、双樹は何を言われているのかわからない、というような顔をした。
「その方が血が出て、柳のお仕事が楽なんじゃないの?」
私は一瞬で表情を消した。
「…冗談でもそんな事を言うな」
低く、不機嫌な声が出た。
「冗談なんかじゃなく、指先ならそんなに大きな傷にならなくて私も…」
ダン!
と、こぶしで卓を力いっぱい叩き、双樹がそれ以上いうのを無理やりに止めた。
「それ以上は言うなと言っている!」
私が本気で怒っているのだ、とわかった双樹はうなだれて、そっと壁まで後ずさり、足を抱えてうずくまってしまった。
右手で額を抑え、深く息を吐きだして、すまん、と謝った。
「大きな音を出したり、強めの言い方をしてすまなかった。けれども、双樹、自分を傷をつけてもいい、などと言わないでくれ」
怯えというよりも、悲しそうに目をうるませていた双樹が、そっと私を伺う。
もう怒っていない、と笑って見せると、おずおずとまた隣へやってきた。
「傷ついても、指先ならすぐに血は止まるし、って思って…ごめんなさい…」
「いや、私の口調も悪かった、怖がらせてすまない」
互いに謝り合った後、顔を見合わせて苦笑した。
「竹笛作りは休憩にして、仲直りのために、茶にでもするか」
「うん」
歪ながらも穏やかな、こんな日がいつまで続くのだろうか……。
その日、私は、先ほどの言い合いで双樹の目に涙が浮かびかけていた事には気が付かなかった。いや、気が付きたくなかった。
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双樹は私に、外のことを聞きたがった。
私の見たものや、私の聞いた話などを聞きたがった。
気の遠くなるような年月を、この中だけで過ごしてきたのだから、外のことが一つ一つ珍しいのだろう。そう思って、私も思いつくままに語って聞かせた。
ただ…私が武人であったこともあるため、私が話せることは、戦に関するもののことが多かった。
なるべく自分で楽しかったことだけを話すようにしてはいたが…。
「柳の手と足は…生まれつき?」
ある日、双樹は尋ねにくそうにそう聞いてきた。
その問いに、この手足は戦で傷を負ったためだ、と答えた。自分の戦いぶりと、そして、斬りつけられ、弓で射かけられ、傷を負ったその無様さとを。正直に。それを聞いていた双樹の目は翳った。
「…痛かったよね」
と呟くように言うので、勤めて明るい口調で
「痛かったことは痛かったが、まぁ、死なずにすんだだけ儲けものだ…武人としてはいられなくなったがな」
と答えたのだが、彼女の目の影は晴れなかった。
「柳は…剣を握り続けていたかったんだよね…」
その言葉に、私は何も答えることが出来なかった。
剣を取ることも、弓を引くことも確かに好きだったし、楽しかった。だが戦ではどうだったか…。
双樹から視線を外し苦笑した私の左手…ちょうど傷を負ったあたりにそっと手を伸ばしてきた。
そして、その翳っていた蜂蜜色をした目から涙がこぼれかけていた。
私はその事に気が付いてしまった。
それを目にした私は、瞬時に小さな杯を手にし、その涙を受けた。
その瞬間。
ぎくりとした鈍い痛みが喉から胸の辺りに広がった。
痛みは自己嫌悪からのものだ。
そして、これと似た痛みを過去に味わったことがある。
甲冑に身を包み、剣を片手に初めて参戦し、初めて人を斬った時。
その初めて斬りつけた敵が、あまりにも若い、十代になったばかりであろう、若すぎるほどの少年であったことを確認した時。
あの時も、私は同じ痛みを感じた。
戦において、我が国の軍はなるべく殺さず戦意をそぐだけに留めるように戦っていた。だが、その時の私は力加減を誤った。
あの時の思いと痛み…。
戦場において敵と斬りむすぶたびに、わずかにその痛みはついてきた。
…しかし、悲しい事にいつしかそれにも慣れていってしまった…。
官吏を呼び出す小さな鐘のついた紐を引き、数滴の涙を受けた杯を渡すと、彼は多少驚いたような顔をした。
「一月足らずで、しかも涙とは。柳殿、さすがですな」
何が、さすがのだろうか…。
官吏に怒鳴りつけてしまいそうになったために何も言わず、歯を嚙みしめて表情を固くしたままでいた。
結局、その日は一日中、苦い思いを抱えながら眉根を寄せて過ごした。
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“薬”の摂取という仕事をしてから、二日ほど経っても固い表情のまま、言葉が少なくなった私に、おずおずと双樹が近寄ってくる。
そんな彼女に視線を落とした。
「柳…どうしたの…?」
心配そうな双樹の声を耳にしながら、それには答えず、格子の間から空を見上げた。
「あの空の下へ…外へ行こうとは思ったことはないのか…」
「さあ…ここに連れて来られた時には、そういう事も思ってた気がするけど…忘れた」
その答えを聞いて私はまた双樹へと視線を落とした。
「約束をしたよな……」
聞こえるかどうか、わからないくらいの小さな声が漏れる。双樹の耳に届いているのかどうか、わからないが、私が何かを言ったというのはわかったらしく、小首をかしげてこちらを見ている。
慣れていくのだろう、この事にも。
…戦場でそうだったように。そして、これまでの守人たちがそうであったように、刃で切るようになってしまうのだろう…。
私はよほど昏い目をしていたのだろう。双樹は私の視線を避けるようにうつむいた。
その時、ふと思いついたことを思わず口にしていた。
ひょっとして
お前の涙か血を飲めば、
私の手足は元の通りになるのだろうか?
双樹は一瞬、驚いたように目を見開き、すぐに絶望と悲哀を顔に出した。
「…結局同じなんだ……」
そうなのだな、私の手と足の具合は治るのだな
彼女の言葉で確信した。
あの痛みに慣れていかないようにするために、逃げなくてはならない。
だから私は昏い目のまま、小刀を手にした……