第四話
次の日。
食事を運んできた官吏を見た時に、前日の少女との話の内容を思い出してしまい、思わず官吏の胸倉をつかむところだった。
彼にそんなことをしても意味はない…、と思いつつも、苛立ちはあった。
それを押し殺しながらも
「…幾つか頼みがあるのだが…」
と切り出してみる。思っていた以上に低く不機嫌なのが丸わかりな声になった。
彼は何事もないかのように、何か?と目で尋ね返してくる。
「一つは、あの子の鎖を外してやってくれないか。見ているこっちが痛くて堪らん」
その申し出に、彼は少々面食らっていたようであった。
「それと、部屋を分けてもらうわけにはいかないのか?」
「無理ですね」
官吏はにべも無く却下した。
「寝ている間に涙を流すかもしれないでしょう」
「私に一晩中起きていろというのか!?」
寝る時間がないのではないか…、と思わず声を荒げてしまうと、私の服を後ろから双樹がそっとひっぱる。
「柳が別の部屋に行ったら、私、また一人になっちゃう、それはなんか嫌」
お前はなあ…万が一にも私が間違った思いや行動を起こさないようにと思っての事なのに…。こちらは片手片足の動きは悪いが、双樹を押し倒すくらいの事はできる。そしてそちらの機能は健全なんだぞ……。
私は頭を抱え、座り込んでしまった。
ふっ、と頭上で笑った声がした。
目線を上げると、こほんと咳で誤魔化し、表情を無理やりに消した官吏が見えた。
「一日でずいぶんと懐かれたものですね」
何だそれは、皮肉か?とうがった考えをしたが、素直に受け止める事にして軽く顎を引くように頷いてみせた。
「寝る時に硯屏 (屏風)を立てるくらいで良いのでは?」
双樹はそれも不服そうであった。私は、まあ、今のところはそれで…と不承不承うなずいた。
「もう一つは…双樹が咲いていたら欲しいのだが…」
三つ目の頼みごとには、とてもとても面食らったようだった。
「その…この子の事を双樹と呼ぶことにしたのだが、その自分の目の色がどんな色かもわからないらしくてな。実際の花を見せようかと思って」
「そういえば、着替えの際などにも、官女たちに鏡を持たせて寄越したことがありませんでしたね」
今更ながら申し訳なかった、そういうことなら、と官吏は頷き、明日にでも持ってきましょう、と言い去って行った。
その言葉に嘘はなく、次の日、恭しい高台に乗せられ絹で包まれた琥珀の胸針が運ばれてきた。大きな蜂蜜色の玉は、それ自体でも美しかったが、さらに双樹の花弁型に彫刻されており、枝と葉は黒瑪瑙でできていた。
それともう一つ、蜂蜜の入った小振りな白磁の器もあった。
「花の時期は過ぎてしまっていたので、こちらを持ってまいりました。双樹の色によく似た蜂蜜も」
官吏はそのように告げてきた。確かに少女の瞳は蜂蜜色とも言える。だからそれはそれでありがたい。が、まさか、琥珀の胸針のような高価なものが出てくるとは思わず、壊さぬように気を張った。
双樹は、その胸針の美麗さに目を見張っていた。しばらくじっと見つめていたが、やがて顔を上げ、ありがとう、と微笑んだ。
元のように絹に包み、返そうとすると、官吏は、いや、よい、と首を振った。
「それは、帝が下賜されました」
「え…?」
ぽかん、とした目で官吏を見つめ返す。隣で双樹も同じように、目を丸くして官吏を見ていた。
その様子がおかしかったのか、官吏は先日のようにまた口元をほころばせかけたが、すぐに表情を正し、
「では、そういうことなので」
と、立ち去った。
手の中で咲く胸針の花に視線を落としてから、あまりにも破格の対応だな…これは、と天井を仰ぎ見て息を吐いた。
「私が持っていても仕方がない。双樹がもらっておけばいい」
と手渡すと、双樹は再び目を見開いた。
「いいの?だって柳が貰った物だよ?」
「誰に、と言われなかったから、私と双樹にということだろう。私は胸針など付けぬ。だから、双樹が貰っておけ」
私のその言葉に、双樹は本当に嬉しそうに頷いた。
「ここにきてから、初めてだよ、こんな綺麗な物を守人からもらったのは」
「私ではなく帝からだろう」
と言ったが、いいや、柳からだよ、と双樹はまた嬉しそうに微笑んだ。
「さて、蜂蜜はどうするか…寝る前に蜜水(水に蜂蜜を入れたもの)にして飲むか?それとも菓子でも作ってもらうか」
「お菓子がいい!黍粉の団子に混ぜてもらおうよ」
甘い物はやはり好きなのか、声が弾んでいた。
柳たちは知らなかったが、官吏は背中で双樹の嬉しそうな声を聞き、軽く一つ頷いていた。
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別の日の事。
双樹のかんざしが少しだけ緩んでいたのが気になった。
櫛を借り、髪を梳いてやり、片手が若干不自由ながらも簡単に編みこんでまとめてやったところ、いたく驚かれた。
「柳、器用ね!」
双樹は、先日官吏が、今更だがこちらを、と手渡してきた鏡をのぞき込んでいる。
「ああ、…年の離れた妹がいて、しょっちゅう髪をまとめろ、とねだられたからな。片手がこんな感じなものだから、簡単な形な上に少し幼い髪型にしてしまったかもしれん、そこはすまない」
「そんな事ない、かわいい」
双樹ははしゃいだような声を出す。喜んでもらえたようだ、と思うと口元が緩んだ。
「柳の妹さんってどんな人?」
「あー、ものすごい甘ったれだったなあ…」
妹の事を思い出しながら、空中へ視線をさまよわせた。流行り病だったというが、妹も、父も母も、苦しんだ時期が短ければ良いのだが……。
私がそんなふうに思いを馳せている横顔を、双樹がそっと窺い見ていた事には気が付けなかった。
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また別の日。
「柳は、柳絮というのが本当の名前なのよね?」
双樹は覗き込むようにして尋ねてきた。
「ああ、そうだ」
「柳の花のこと、なんでしょう?」
そこで、と名づけられた経緯を語った。
「せめてもの救いは、芍薬だとか白百合などといった花じゃなかったことだな…」
そう情けない表情で言ったのが面白かったのか、双樹は、くすくすと笑った。
「それはそれで面白かったかもしれないわ。芍薬だったら薬が二人になっていたかもね。あ、芍薬という名前だったら芍薬と双樹の二つの胸針が出されて、片方は柳のものだったかもね」
「あまりおもしろいとは思えんぞ、それは」
そう憮然として答えると、双樹はまた一人でくすくすと笑っていた。
「でも、今の名前なら、柳絮と双樹で音が似ているわ。お揃いね」
お揃い…なんとも面はゆい言い方をするのか…。そう考える私も口元が緩んでいた。
「…でも、見てみたいな。柳の家のが舞うの」
「それが、不思議なことに私が生まれた時のみだったようだ。今も花はつけないそうだ。見に行っても大きな柳の木を見るだけだぞ。無駄足になるだけだ。それでよければ見に来い」
そう言ってから、はっとした。
酷く寒い日に思いっきり息を吸った時に、氷の粒が胸の奥に入り込んだような、しんとしたものが胸中に広がり、喉がつかえた。
この子が…双樹がここから外に出るということはあり得るのか…?…うちの柳を見るなんて…
しかし、双樹は気に留めた風もなく
「きっとまた咲くよ」
と、笑ったままだった。
格子のはめられた小さな窓から、少しだけ見える空を仰ぎ見る。
双樹があの空の下で微笑みながら、舞っている柳の花に白く細い手を伸ばす…
服には琥珀でできた胸針……。
その隣には、同じく微笑んでいる自分。
そんな幻を、私が見た。