第三話
先の帝も、そのまた先の帝も、戦に次ぐ戦、増税に次ぐ増税、諫言は聞かず、それどころか刑を下す、その他にもいろいろと悪政をひいた帝たちとして名高い…。
今の帝はその位についた時から戦はおさめ、国庫を開き、民が苦しまぬような政を打ち立てた。
それが二百年以上にわたり、今なお善政をひいている。
次にこの国を背負う人間が、先代や先々代のような悪政を行わないとも限らない。だから、少しでも長く続くことを願った結果のことなのだろう。
それにしても人攫いは宜しくない、と思うのだが。
「先ほど、婚姻を結んだ相手も長寿になると言っていたが……、ひょっとして、帝の后になれと言われたのではないか…?」
「うん、なんか、偉そうなおじいさんたちがそう言ってた。でも、私が連れて来られた時は幼すぎて結婚は無理だって、帝って人が強く言ってた」
確か皇后は百五十年程前に普通の寿命で崩御なさっていたはずだ。…皇后にはこの子の涙や血は飲ませなかったのか…。
そこで、ふと、気がついたことがあった。
「ちょっとすまないが…腕を見せてもらえるか?」
少女はためらいもせず、服の腕を捲くり上げた。
案の定、細くて白い腕には傷がたくさんついていた……。
血色悪いと思ったのは、血を採られすぎた所為か…。
先ほど私に、切らない人か、と尋ねたのはこれの所為か…。
そう思うと眉間に力を入れていた。
「こうして血を採るのが一番楽だから。今までの薬守の人たちは、ほとんどそうだった」
手当てはきちんとしてもらっているようではあったし、栄養価のあるものを供されているようだ…。それがせめてもの慰めかもしれない。
私が武人であったから…だから、平気でこの少女を切りつけ血を採るように思われたのかもしれない。
そして、手足に傷を負い、多少の不便さがあるから、官吏曰くの「手は出さない」と思われたのだろう。
なぜ自分がこの役目に名指しされたのかを知った気がし嘆息した。
「どうかしたの?」
そう尋ねられ、苦笑しつつも何でもない、と片手を振った。
「よくわかった…。私は君を切らないように気をつけるよ」
そう言ってはみたが、少女の金の目からは、今までの人たちもそうだったけどね…、という言葉がありありと見て取れた。
さもありなん…
少女に気付かれないように、もう一度嘆息する。
着替えや湯あみは、官女がやってきてしてくれている、との事だった。
それはありがたい。それも私がやるのかと思うと、さすがになあ…。官吏よ、そういう事もきちんと説明していってくれ…。
「とりあえず、これからよろしく頼む。私は柳絮だ。柳と呼んでくれ」
「…柳絮…」
「ああ、女みたいな名前だろう?気恥ずかしいから柳と呼んでもらっているんだ」
「女みたいな名前……なの?」
「ああ、そりゃ、あの白くてふわふわと飛ぶ、柳の花の名前と同じなんだから。そんな小奇麗な名前じゃ似合わないから、柳と呼んでもらいたい」
少女は何か考えるような顔をしつつも、頷いた。
「君の事は、なんと呼べば良いのか?」
「ここに来てからは“薬”とか“薬壺”と呼ばれているけれど」
「いや、そうではなく、名前」
そう尋ねると、少々ぽかんとした顔をし、そしてすぐに困ったような顔をした。
「自分の名前は…忘れた。だから好きに呼んで」
好きに呼べと言われてもな…。かといって、一人の人間を薬壺と呼ぶのも何か抵抗がある。
困った、と頬をかきながら考え、少女を今一度見た。珍しい淡い金の瞳…。
「そうだな…、では双樹と呼ぶが…」
ためらいがちにそう言うと、少女は、双樹?と首をかしげた。
「君の目の色が金色だからな。美しい淡い黄色に見える花なのだよ双樹は。…気に入らんか?…花の名前そのものだしなあ…」
「私のこの目の色は、双樹色なの…?」
やはり別の呼び方をするか…琥珀の方が良いか?いやそれとも蜂蜜?と考えていたのだが。
「双樹。うん、双樹」
少女…双樹は、わずかに嬉しそうに頷いた。
「年は幾つなんだ?」
「年…?わからないわ、ここに来てずいぶん経ったし、私たちはあまり年齢を数えるような習慣は無かったと思うから」
なるほど、長寿もすぎるとそうなるのかもしれないな…。
見た目から判断してのおおよその計算ではあるが、この少女が私たちのように一歳分大きくなるには、十四~十五年、といったところだろう。
「すると、そうか。今思い至ったが、君の方が年上か…」
見た目が年頃の少女であるから、つい気安く年下へ向けるような口調で話してしまっていた。改めるべきだろうか。
「気にしてないわ。柳は幾つなの?」
「私は二十四だよ」
私の年齢を聞いた双樹は、一瞬だけ不思議そうな顔をした。
「えーと…ずいぶん若い、のね?」
「君の感覚からすると、そうだろうなあ」
苦笑いをするしかなかった。まあ、武人の中でも若い方には入っていたから、あながち間違ってはいない。