引越し当日
ハルの家に向かう事になったのは、事態が完全に落ち着いて少し経った頃──ウィーブリルの夏期休暇が訪れた時だった。
全寮制のウィーブリルに通うならば、わざわざ王都に戻る必要もない。空間系の魔術を使えば時間を掛けずに行き来出来るが、わざわざやる必要は無いので止めておいた。魔術に頼らないで良い部分は頼りたくない。あの夜空の下でニコライに語られたかつての人類の在り方が、いつまでも脳裏に引っ掛かっているのだ。
そんな訳で、落ち着かない尻を抱えながら馬車に揺られて王都まで戻る。迎えの馬車に師匠が乗り込んでいたのには驚いたが、保護者なんだから来るぞと言われたら納得してしまう。堂々とした姿の師匠の体型は、すっかり元に戻っていた。
「ハルの家は、貴族街の端辺りにある。端と言っても王城に近い方の端だけどな」
王都に入って落ち着いた馬車の揺れを確認して、師匠が説明してくれる。してくれるのは良いが、知らない単語が混ざっていたので首を傾げた。
「貴族街とは……?」
「ああ、街区の説明は受けてないのか。じゃあ軽く説明するぞ」
曰く。
王国は山脈に寄り添うように築かれており、その中心である王都も険しい山を背負うように建てられている。山の向こうは海が広がっているそうで、他の国との位置関係等も考えた結果、山に一番近い場所に王城が建てられた。ざっくり言うと山を直径にした半円状に広がる王都の中心が王城、という格好だ。
半円状の王都は、王城からの距離によって大雑把に区画分けされている。貴族街と一般街だ。明確な境界線は存在せず、グラデーションのようなものだ。王城に近い程身分が高い家が使う、という程度。土地の値段も王城に近付くほど上がるので、自然とそうなったのかもしれない。
とにかく、王城に近い区画には貴族しか住まないから貴族街。ある程度離れると平民の中でも富裕層が住み始めるので、その辺りからが一般街。そういう風に呼ばれている。
街区が違う事で、並ぶ店も変わってくる。貴族街には貴族向けの高級店、一般街には平民向けの手に取りやすい店。収入がグラデーションに並んでいる事で、商売する側も的を絞った店を構えやすい。区画を越える事は禁止されていないから平民が貴族街に物見遊山で来る事もあるそうだが、基本的には住み分け出来ている。
そんな区画のうち、貴族街の端。それも、王城に近い方の。
「……最高クラスの土地なのでは?」
「そうだな。ハルが皇族としての立場を捨ててない以上、そこが妥当なんだ。治安的にもその辺りに家を構えない選択肢は無かったしな」
皇族。他国の王族。一時的な滞在ではなく居住するとなれば、確かに生半可な土地で済ませる訳にはいかないだろう。本人がそちらの立場を押し出してこないので忘れていた。
「そうは言っても持っている家は大きくない。一人暮らしなのと、本人が皇族として仕事をしてないからって最低限にするように頼んだらしいぞ」
「でも、空き部屋が複数あるって言ってませんでしたか」
「まあそこは貴族基準だからな」
貴族基準。これまで山小屋か寮しか住んだ事がないノアでは、その言葉の意味を正確に把握出来ない。師匠もそれは分かっているのだろう、窓の外を指で示された。
「他の家を見ておけ。貴族と平民の家の様子はかなり違うぞ」
王都の外から入って王城付近まで行くので、外を見ておけば大体の雰囲気が掴める。直接見るのが一番だ、というのは確かである。大人しく窓に目を向けた。
最初に目に入ったのは、ウィーブリル近くにある街と似たような建物達。王都に入って少し経っていたので、一般街の中でも貧しい地域は通り過ぎているのだろう。しっかりした造りの建物が並んでいる。
そのまま眺め続けていれば、段々と一つ一つの建物が大きくなってくる。庭付きの家も増えてきた。この辺りが一般街でも裕福な層に差し掛かるところらしい。
段々外から聞こえてくる賑わいも減ってきて、穏やかな雰囲気になる頃には大体の建物がとんでもない大きさになっている。建物同士の間にも大きな庭が挟まっていて、柵やら何やらで敷地がきっちり分けられていた。これが貴族街。
建物──このくらいの大きさだと屋敷と呼ぶらしいが、とにかくそれらもかなり凝った造りなのが見て分かる。見栄えに気を遣っているのだ。貴族はそういった美しさ、見栄え等に手を掛けている事で家の威厳を保つらしい。よく分からない世界だ。
そんな建物達を通り過ぎて、馬車が止まったのは一般街の富裕層辺りの大きさの家の前だった。一人暮らしには確かに広過ぎるが、周りと比べればかなり小さい。庭もあるものの、まあ一般的と言えるのではないかという大きさだ。
馬車から降りて、改めて見直す。どこか違和感を覚えて首を捻った。周囲の屋敷に比べて質素で、落ち着いた佇まいなのは原因ではないだろう。むしろ好ましいくらいなので違和感には繋がらない。
「ん?どうした、ノア」
「何か……言い方は悪いんですけど、違和感があって」
人の家に対して失礼な物言いだが、それ以外にどう言えば良いか分からなかった。変だ、とかではない。喉に小骨が引っ掛かったような謎の違和感。うーん、と考えた師匠は、すぐに思い当たったようでこちらを振り向いた。
「建築様式だろうな。ハルの家は、皇国の要素が取り入れられてるんだ」
「皇国の?他の国だと家の建て方も違うんですか」
「いや、皇国は特に独特なんだ」
皇国は、東にある島国。海路を渡るには労力が掛かる為、ずっと外交が少ないのだという。人や物の出入りが少なければ、文化も独自の発展を遂げやすい。そうして発展し続けた皇国の文化は他とかなり離れた様相を呈しており、王国と深い付き合いを始めたのも何代か前の国王が皇国文化にどハマりして皇国まで押しかけ、そこで皇族と意気投合したからだという。
「ハルは皇国文化に馴染んでるから、ここで暮らすってなった時、少しでも過ごしやすいように皇国の建築様式を取り入れた家を建てたんだ。庭もそうだな。あと、皇服……皇国の服を仕立てられる人間を向こうから寄越されてる」
「じゃあ、中も結構違うんですか」
「ああ。ま、見りゃ分かる。行くぞ」
全く違う文化が取り入れられた家。どんなものなのだろう、とドアを開けた師匠の後に続いて入り、まず床が一段高くなっているのに驚く。そして師匠が靴を脱ぎ始めたので仰天した。
「靴、脱ぐんですか」
「そうだぞ。全員脱いで上がるから綺麗だ。安心して脱げ」
「はい……」
そういう問題ではないのだが、これも皇国式なのだろう。人生で一番直に床を感じる。不思議な感触だ。嫌ではないな、と思いつつ、さくさく歩き始めた師匠に続いた。
廊下はそこまで変わったところはない。強いて言うなら木材が前面に出されているくらいか。シンプルで、機能的。好ましい内装だ。
並んでいるドアも普通……と思いきや、どれもドアノブが無い。蝶番も無かった。代わりのように楕円に掘り込まれた部分がある。どうやって開けるのかと思ったら、師匠が丁度ドアに手を掛けたところだった。
「ただいま」
がら、と音を立ててドアが横にズレる。また一つ驚かされながらも、そうやって開けるならドアノブは邪魔になるだけだなと納得した。
「ああ、お帰り。茶は冷えた物が良いかな」
「そうしてくれ。ノアはどうする」
「……えっと、冷たいので頼む」
部屋の中には色々と驚くところがあったが、一番にくるのはハルの服だ。ボタンの無い、前が重ね合わされるようになっているもの。袖が大きく作られていて、ハルが動くと風を含んで揺れる。下はスカートに見えるが多分違うのだろう。
入った部屋は広く、机が二つ置いてある。一つは慣れ親しんだ形で、そこで食事を取ったりするのだろう。もう一つは窓際にあり、極端に背が低い。添えてある椅子も脚が無いものだ。ハルはそこに座って、庭を眺めていたらしかった。
ハルが壁際にある紐を引くと、すぐに女性がやって来る。使用人だろう彼女は見慣れた格好で、しかし足元は靴が無かった。冷たい茶と菓子を頼み、ハルは背が高い方の机に座り直す。師匠もそちらに向かったので、ノアは二人に倣った。
「では改めて……ようこそ、ノア。歓迎するよ」
「ありがとう、ハル。その……この家について訊きたいんだが、良いか?」
「ああ、勿論。色々と慣れないだろうからなあ」
柔らかく笑うハルは、何を訊きたいかまで凡そ分かっているのだろう。何でも聞いて構わないとも、という言葉に甘えて質問責めにした。
まず、あのドアは皇国式の間仕切りと同じような開け方らしい。皇国の建築様式だと壁が少なく、間仕切りを使って部屋を区切るらしい。ただ王国で建てる関係上完璧には皇国式にできないので、ドアの開け閉めだけは似た感覚で出来るようにしたんだとか。
次に靴を脱ぐ事。これは皇国の文化で、基本的に屋内では靴を脱いで過ごす。慣れれば夏場の蒸れや窮屈さが無くて楽らしい。靴を脱いでいるので土埃の付かない床に座る事も多く、背の低い机はそういった文化の現れだ。
大きな窓の先に少しだけ張り出した床があるのは、縁側と言うもの。半分屋外みたいなもので、ベランダやバルコニーが下に降りてきたような感覚らしい。分かったような分からないような。
ハルの服は皇服だった。着慣れているので、師団の人間として動く時以外は基本的に皇服でいるそうだ。師団特別顧問としての格好は王国式で作ってあった。王国の人間としての立場だからだろう。また、皇服にもランクがあって、ハルの皇族としての正装は皇服の最高ランクのものになる。その辺は王国式の服と変わりないようだ。
細かいところまで訊きまくり、分かった事は一つ。
「この家、王国と皇国が混じり合ってるんだな」
「そうなるなあ。これはこれで面白い出来だと思うよ。うちの人間と王国の人達が頭を捻ってくれたお陰だ」
面白いと言うか、革新的と言うべきな気がする。皇国文化が他と大きく違うのは、この短時間によく分かった。それをこちらの文化と上手い具合に融合させるのは大変だっただろう。
「後で見て回っても良いか?」
「構わないよ。ここはもうお前の家でもあるから、好きにすると良い」
「ありがとう」
質問責めの途中で運ばれてきた菓子を齧る。こちらは普通に王国で売られている菓子だ。食事までは流石に皇国式に出来なかったらしい。
「まずは部屋に案内しよう。なるべく整えたが、確認してもらえるかい」
「ああ」
ノアの部屋。師匠が主に指示を出して、双子も意見を出しながら整えてくれたらしい。双子はウィーブリルにいたので手紙での参加だったが、中々良い具合になってると思う、とアルが胸を張っていた。彼等が心を込めて整えてくれた部屋は、きっと居心地が良いだろう。
「楽しみだ」
気持ちの通りに言葉を発して、笑う。それに嬉しそうな顔で笑い返してくれる二人はやっぱり大人で、父親の顔をしていた。




