引越し談義
「そう言えばさあ、ノアくんのお家ってどうするの?」
アルがそんな疑問を口に出したのは、『極光』の騒ぎが落ち着きつつある時だった。師団の集会場所になりつつあるウィーブリルの寮の食堂での事である。
「今まで使ってた小屋は駄目だろうけど、確か総長って自分の家持ってなかったよね?」
くるんと振り向いた先にいた師匠は、確かに、と難しい顔をする。
「一人で生きてく分には、師団の寮が一番安上がりで十分だったからな。だが、あそこは師団所属以外は原則立ち入り禁止だ。いつまでも例外を突き通す訳にもいかない」
ウィーブリルに来るまでノアが師団で過ごしていたのは、特別に特別を重ねた措置だった。師匠が攫われて居ない、誰よりも信頼出来る守りが消えた状態だから、それ以外で一番守りが固い場所に取り敢えずで置いた。その取り敢えず、にも気は使われていて、機密がノアの目に触れたり耳に入ったりしないように色々と手間を掛けていたのだという。そんな状態を、必要が無くなった今続けるのは問題しかないのだろう。
「貯金に問題は無いし、買うか?だとすると家具だの場所だの、あとは人の用意も必要か?」
面倒だと顔に書かれたまま、師匠があれこれ考え始める。家についてはノアが全く力になれない領分なので、ただ黙っている事しか出来ない。あの小屋しか家らしきものに覚えが無いし、小屋が普通とはかけ離れているのは理解しているのだ。
「そうだなあ……二人が良ければ、うちに来るかい」
音一つ立てずにカップを置いたハルが、こちらは特に悩みもせずに提案した。
「一人暮らしには広い家だし、人も揃えてある。家具類は好きに変えてもらっても構わないよ。場所も本部からそう遠くはないし、条件としては良いだろう」
一つ一つ指を折りながら条件を挙げていく。「広さが足りないなら建て替えも視野に入れよう」というのは流石に冗談かと思ったが、師匠が「絶対やるな」と即座に否定したのを見るに冗談ではないかもしれない。ハルの顔は特に変化がないものの、師匠の方は顔から声まで本気である。
「お前の家なら広さは足りる。だからやるな」
「分かったよ。ノアの方はどうだい」
師匠は肯定も否定もしなかったが、二人の間では何かしらの了解が取れたらしい。ノアに向き直ったハルの顔を見て、少し考える。
ハルの家。小屋から飛び出た時に少しだけいた事がある。あの時は余裕がなかった為よく覚えていないが、よく整理された家だったように思う。小屋は少し散らかり気味というか、色んなものが詰め込まれた場所だった。それに対してあの家は、多少余裕があった気がする。記憶が曖昧なので何とも言えないが。
対応してくれた家政婦も良い人だった。混乱していたノアを落ち着かせて、でも必要以上に踏み込む事はせずに素早く手続きを済ませてくれた。ああいう人達が働いている家なら、居心地が悪いという事はないだろう。
「良ければ、世話になりたい」
恐らく最高の条件だ。嫌がる要素が見つからない。よろしく頼む、と頭を下げれば、ハルが嬉しそうに笑った。
「分かった。では整えておこう。部屋に希望はあるかい」
「部屋に……?」
部屋に希望、とは。何を希望することがあるのか。首を傾げると、フィリが説明してくれる。
「日当たりとか、場所とか。どんな家具を置きたいか、内装の雰囲気は、といった事。師匠の家には空き部屋が幾つかあるから、そのうち一番希望に合うものを使う」
「成程」
どうやら結構広い家らしい。一人暮らしでは使い切れない部屋が出ているのだろう。それが複数あるから希望を訊いたという訳だ。
「机と、本棚が欲しい。内装は……派手でなければそれで良い」
これから先、どう転んでもノアは勉強をし続ける。学ぶべき事はまだまだあるから。未熟な今用意してもらう部屋なら、勉強が出来る机と知識を納める本棚は欲しい。内装については何も知らな過ぎて希望を出せなかった。
少ない希望にハルは頷き、師匠に向き直る。師匠の側も分かっていたのか、迷う事なく口を開いた。
「実際に見ながら指示出す。魔術通路繋げるから今から行こうぜ、寮の方も話通したいし」
「分かったよ。だが、学長先生には通路を開ける許可を頂いておかねば」
「そうだな。よし、じゃあ学長室から繋げるか」
「ふふ、それは安全上良くないかもしれないなあ」
ひょいと立ち上がった師匠の体は、まだ細いが少しずつ元に戻ってきている。運動量も増やしているそうだ。
二人が並んで出て行く。軽口を叩き合う二人はごく自然で、慣れた距離感なのがよく分かった。親友という言葉を思い返す。師匠と弟子とは違う、でも深い関係性なのだ、と納得した。
「行っちゃったねえ。う〜ん……ノアくん、ちょっと家具とか見に行ってみる?気に入ったのがあったら、総長に頼んで運んどいてもらおうよ」
「ハルの家にも家具はあるんだろう?なら、新しく買う必要は無いんじゃないか」
「棚とかはそうかも。でも俺くん的にはねえ、椅子は自分がちゃんと気に入ったの使うと効率上がると思うんだよ。それ以外にも、カーテンとか一目惚れあるかもだし」
ね、と首を傾げて一押しされる。どうやら先程ピンときていなかったのを見て、家具類の店に連れて行くべきだと思ったらしい。確かにどんな種類のものがあるのか、そしてどのくらいの値段なのかは知っておくべきだろう。
「分かった。行こう」
「やった〜、じゃあいつ行く?俺くん達は特に急ぎの用事無いし、ノアくんの好きな時で大丈夫だよ」
「そうだな……時間を掛けて見たいから、明日。午前中から行こう」
「りょ〜かい」
機嫌が良さそうにアルが鼻歌を歌い出す。きちんと音程の取れたそれを聞いているうちに眠気が出てきた。くあ、と欠伸をすると、フィリがこちらを見る。
「おやすみ」
「ん……夕飯前には、起こしてくれ」
「分かった」
ここ最近は色々とあり過ぎて、精神的に詰まっている部分があった。その疲れが出ているのだろう。眠気に抗わず目を閉じる。机に突っ伏したのとほぼ同時に意識が落ちた。




