第一回潜入任務:4
夏休み明けというのは、普段よりも皆どこか浮き足立つものらしい。記憶にあるものよりも幾分か大きい騒めきの中で、アルは兄さんと同じ書類を受け取っていた。
「うんうん、良かったねえ」
「気を引き締めていこう」
机の上に封をされて置かれていたのは、秋口の生徒会加入を許可するものだ。人員の見極めが目的だから権限は低いし、仕事内容は雑用がメインになる。しかし、色々と歩き回る名目が欲しい自分達からすれば願ってもない話だ。使い走りに出されていれば、これまで行けなかった場所にも入り込めるだろう。
二人で頷き合っていると、一人の男子生徒が近付いてくる。紺色の髪をした利発そうな佇まいの子供の事は、大体の情報を把握していた。
「ちゃんと話すのは初めてかな。初めまして、フランツ=ライアンだよ。君達が生徒会に入るって聞いてるけど、合ってるかな?」
フランツ=ライアン。ライアン侯爵家嫡男、現王太子の乳兄弟。王太子との関係も深く、現時点で側近入りは確実と囁かれる。全寮制のウィーブリルに早い段階から入学しているのも、側近としての能力を磨くと同時に、王太子が学ぶのに相応しいかウィーブリルを見定めるのが理由。本人が優秀なのもあり、初等科第一学年の時から生徒会に所属している。大まかにはこんな具合だ。
つまり、あまり人気のない秋口募集に受かった自分達に接触するには自然な相手と言える。失礼の無いよう、そして好感を持たせられるように笑顔を浮かべて対応する。
「初めまして〜。俺くんはアルフレド、姉さんはフィオリア。秋の募集に受かったって通知を丁度見てたとこだよ」
ひら、と手に持っていた何枚かの紙を揺らす。合格通知と、注意事項等が書かれたものだ。読み込むのは当然として、生徒会のメンバーから話を聞けるなら儲け物。兄さんも考えは同じらしく、口を開かないものの頭を軽く下げて挨拶をした。
「うん、よろしく。それじゃあ、今日の放課後に付き合ってもらえないかな?生徒会室に案内するよ」
「助かるよ〜、こっちから頼みたいくらい。ありがとね」
こうして声を掛けてくれたのも合わせて、生徒会に入ったという印象付けはばっちり出来るだろう。そうなれば動きやすさに拍車が掛かる。
そのままやり取りをして、また放課後にと別れる。離れる直前に、一度も口を開かなかった兄さんに視線をやったのが少しだけ気に掛かった。
放課後。また少し大きくなる騒めきを背にして、アル達はフランツの後に続いて廊下を歩いていた。生徒会室は職員達の為の設備が多い棟に置かれているらしく、これまでほとんど来なかった場所を物珍しそうに見回せば軽く笑われる。
「皆最初はそうだったな。じきに慣れるよ」
「皆って事は、フランツもかな?」
「恥ずかしいけどね」
そう口にする割には照れた様子など見当たらない。むしろこちらを揶揄うような、総師団長ことハインツがよくやる顔をしている。
「さ、着いたよ。中の設備の説明もするね」
そうこうしているうちに生徒会室とプレートが掲げられた部屋に辿り着く。中には誰もおらず、綺麗に片付いた机と椅子、本の並べられた棚等が整然と並んでいた。
「鍵が付いた棚は、先生の許可が無いと開けられないようになってる。あと、机は生徒会のメンバーにそれぞれ割り当てられてるものだから、引き出しを勝手に開けたりはしないように。君達……というか、秋の人達にはこれを使ってもらう事になってる」
手で示された方を見ると、成程いかにも急に追加しました、と言わんばかりの机が二組ある。片方をアルが、片方を兄さんが使うのだろう。他のものに比べるとグレードは落ちるが、使い心地自体は良さそうだ。
「初等科だと、生徒会と言っても重要な書類を扱ったりはしないけど……だからと言って何でも話して良い訳じゃない。その辺も合わせて、君達には生徒会に相応しい振る舞いを期待してるよ」
締めるようにそう言うフランツは、やはりハインツに少しばかり似た顔をしている。人を試すのが性に合っている人間の顔だ。ハインツの方は自分の能力が高過ぎるが故の気性だが、この子供はどうしてなのだろうか。
「うんうん、当然だねえ。じゃあ、改めてよろしく〜。仕事の連絡とかってどうやって来るの?毎日ここに来たりするのかな?」
「いや、用事がある時は俺が言うか、今日みたいに書類が届くと思うよ。色々とやってもらうつもりではあるけど、忙しくさせなきゃいけない程人手が足りない訳じゃないからね」
「りょ〜かい。それなら今日はこれで解散かな」
「そうだね。ただ、俺とも仲良くしてくれると嬉しいよ。個人的にね」
笑いを含んだ柔らかな声に、悟られないよう真意を探る。貴族、それも未来の王太子の側近ともなれば、この歳であっても迂闊な言葉は使わない。ぽっと出の自分達と個人的に仲良くしたい、という言葉を疑わない訳にはいかなかった。
柔らかい笑顔。穏やかな瞳。その裏を読み切るのは、実の所アルはあまり得意ではない。師匠に連れられて社交の場を経験してはいるものの、直感と衝動の強い自分には向いているとは言い難かった。一応社交に出ても問題ない程度の技術は持ち合わせているが、兄さんの方が余程正確に相手の意図を読み取れる。兄さんの判断基準は理性、そして論理しかないからだ。
「ありがとう。では、私の事はフィリ、弟の事はアルと呼んで」
「前から思っていたけど、愛称はフィオじゃないんだね。でもありがとう、俺の方は愛称らしいものは思いつかないけど」
アルが兄さんの方に目線をやるのと同時に、兄さんが承諾の返事をする。それに対するフランツの返答は、少し揶揄いを含んだものだった。
フランツの言う通り、フィオリアという名前に愛称をつけるならフィオが一番自然だ。フィリ、というのはあまり女性の愛称らしくない。しかし、そんなものを気にするような自分達ではない。アレシアをアルと呼んだ時点で今更なのである。
「別に良いでしょ、俺くん達がそう決めたんだし。文句ある?」
ただ、突くチャンスではあった。社交界、特に保守派の人々は女性らしさだの男性らしさだのを気にする傾向にある。そういうのは気に入らない。こちらのスタンスを表明するのに丁度良い話題だ。
少しばかり喧嘩腰な言葉を投げ掛けると、フランツは笑みを深くする。その顔に感情が滲んだけれど、どこか眩しそうな色だった。
「ううん。格好良いじゃないか。俺は好きだよ、そういうの」
その言葉を聞いた瞬間、アルはフランツとも仲良くなれるな、と直感した。羨むような、どこか悔しそうな、それでいてこちらを称賛する声色。これは嘘じゃないと思った。きっと、フランツにも似た所があるのだろう。立場上表に出せないような何かが。
「ありがと。フランツの事もいつか聞かせてね」
それを聞けるくらい親しくなれたなら、きっと分かり合える。今はまだお互いに手探りだけど、そのうち手を取り合えるだろう。
「鋭いね……うん、いつか。そうなれたら良いな」
願わくば、その時には自分達の本当の身分すら超えられますように。
兄さんと話して、任務が終わってもリリアとは連絡を取れるようにしようと決めている。リリアが怒って絶交を言い渡したら別だけれど、彼女はそんな事をしないだろうと信頼したから。フランツともそうなれたら良いなと思う。きっと、彼はリリアとも気が合う筈だ。
眉を下げて苦笑するフランツに、にっこりと笑いかける。入学して半年、ようやく二人目の友人が出来そうだった。