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第一回潜入任務:3

 夏期休暇が始まると、学生は家に帰される。居残ってあれこれ嗅ぎ回れたら捜査も捗るだろうが、生憎と今回の潜入については知る人間も厳選されている。ウィーブリル側でアルと兄さんの身分を分かっているのは学長ただ一人だ。となれば当然、余程の理由でもなければ残って見て回るのは不自然極まりない。大人しくローゼン辺境伯領に戻るのが正解である。

 馬車に揺られて山を幾つも越え、ぱきぱきと背骨を鳴らしながら伸びをする。夏休みの間はこの地に居続けろとの命令も貰っているから、しばらくは見知った顔が少ない屋敷で過ごす事になる。

 勿論体を鈍らせる訳にはいかないし、命令の中には領主の軍に混じって訓練しろと書いてある。偶には違う鍛錬法を試すのも悪くなかろう、と笑う師匠が思い浮かんだ。うん、言いそう。師匠は武芸に対して常に真摯だから。

 兄さんにじゃれつきながら屋敷に入り、割り当てられた部屋に荷物を下ろす。今日は旅の疲れもあるし、時間も中途半端だから訓練には参加しない。簡単なストレッチを各自やるくらいだ。しかし、それとは別に用事が一つ。

「こんにちは。アルフレドです」

「フィオリアです。よろしくお願い致します」

 この屋敷の主人、ローゼン傍系の夫婦への挨拶である。偽名で名乗るのはどうかと思わなくもないが、咄嗟に呼び間違えられても困る。彼等に自分達の事情が伝わっている以上本名くらいは知っているだろうが、普段からそういう体で行きますよ、という説明も兼ねて偽名を使う事にした。

「ああ、よろしく。リアが君達の事はよく書き送ってきたものでね、こちらとしては迎えられて嬉しさもひとしおといった感じだよ」

「不便があったら遠慮なく言って頂戴ね。私達は親なんですもの」

 そう。この夫婦は、フィオリアとアルフレドの両親という事になる。師団の都合で作られた書類上の子供にどういった反応があるかは分からない、何なら腫れ物のような扱いを受けても仕方がないと覚悟していたが、中々どうして好意的なお言葉だ。

 父親の方が口に出したリア、というのは第一師団長のハイルフィリアの愛称だ。どうやら親戚の中でも親しい位置の人達だったらしい。向こうとしてもある程度性格やら暮らしぶりやらが分かっている相手ならば不安は少ないだろう。

「ありがとうございます。そう言って頂けるだけでも心が軽いですよ」

 にこやかに対応するのはアルの役目だ。兄さんも口角を上げてはいるけれど、そこに心がまるで存在しないのは分かりやすい。愛想笑いなんて珍しくもないが、それの理由をきちんと理解していない人からは無礼だと思われたりもする。だから、そういう人達を上手く躱すのは自分の務め。

 これを嫌だと思った瞬間は無い。自分にしか出来ない事で兄さんを支えられるのは、アルにとって最大の栄誉だ。その為に、不慣れながらも社交の技術は磨いてきた。尤も、一時的とは言え親子となる人達にそのスキルを使わなくて済むのは幸いと言えるだろう。

「これから、終わったとしても仲良くしてもらえると嬉しいわ。よろしくね」

「はい、こちらこそ」

 アルが今浮かべているのは本心からの笑顔だ。優しく、こちらに理解を示してくれる人達への感謝がそうさせる。兄さんは感謝が感情に繋がらないけれど、アルはその辺の繋がりがまだ生きているから嬉しいと思える。

 つくづく自分は人に恵まれている。兄さんがいて、師匠と総長がいて、師団の皆がいる。だからこうして外に出ても、不快にならないようにと手を回して貰えている。それに報える人間でありたい。精進あるのみである。

 そのまま少し談笑し、また夕飯時にと部屋を出る。良い人達だね、と笑いかければ、兄さんも穏やかに頷いた。


 × × ×


 辺境伯とは。読んで字の如く、国境沿いの領地を預かる高位の貴族である。その性質上国防の要としての色が強く、総じて武に秀でた家柄だ。

 山脈に張り付くような国土を持つ王国は天然の要塞を持っているようなものなので、他国に比べると戦争に巻き込まれ難い。しかし、そういった要素があろうが無かろうが、辺境伯領というのは常に備えが必要な場所だ。何かが起こった時、辺境伯領が耐えられるか否かが大きな分水嶺になるのだから当然だろう。

 そんな辺境伯領の誇る軍ともなれば、師団に勝るとも劣らない訓練が行われているのもまた当然だ。体が成長しないアル達には中々辛いものがある。師団にいようと変わらない辛さだし、こればかりは己が悪いのでただ努力するのみだ。

 今日も今日とて散々しごかれて汗だくになり、訓練場に備え付けてあるシャワーを浴びる。学校ではあまり本格的に訓練出来ないのもあって、体が少し鈍っていたから余計に汗をかく羽目になっていた。面子もへったくれもあったもんじゃないが、元々そんなのは気にするだけ無駄だ。何たってこの体なのだ。大人として云々、なんて程遠い話である。

「ぷはー、すっきりした!えっと、今は……うん、間に合いそうだね」

「でも急ごう。リリアは遅れるより早く来るタイプ」

 とっ散らかった思考を汗と共に押し流して時計を見る。今日から数日間、リリアが遊びに来る事になっているのだ。別に軍に混じって訓練しているのがバレて困る訳ではないが、やはり迎える側としては土埃やら汗やらを見せたくない。そして遅れるのは言語道断。となればある程度余裕があるように見えたとしても、急いで準備するのが最善だ。相手が同じ価値観の人間なら尚更。

 濡れた髪を乾かして、用意してもらった服に着替える。自分達の私服でも構わなかったのだけれど、家格に合っているか不安だったので厚意に甘える事にした。生地が私物より上物だったので、どうやら甘えたのは正解だったらしい。軽くタイを締めたところでノックが鳴り響いた。

「はい」

 先に用意が終わっていた兄さんがドアを開けると、自分達に付けてもらっている侍従が立っていた。ぺこりと頭を下げて用向きを口に出す。

「馬車が見えたのでご連絡に伺いました。ご友人かと思われます」

「ありがとうございます。アル」

「はいは〜い、準備出来てるよ。ありがとうございます、打ち合わせ通りテラスにお願いしますね」

「かしこまりました。では失礼致します」

 事前に許可は貰っていて、最初はテラス、その後の宿泊は客間のうち一つを使って良いと言われている。使用人達とも打ち合わせは済ませているから、特に混乱もなく迎えられそうだ。

 普段より少しだけ慌ただしい空気の中、馬車が到着する。軽やかな足取りで降りてきたリリアが、こちらを見てにっこりと笑った。

「フィリ、アル!会えて嬉しいわ」

「こちらこそ!ようこそ、リリア。楽しんでね」

 ぎゅ、と兄さんにハグをして、こちらに満開の花のような笑顔を向けてくれるリリアとは、夏休みまでの間で親しい友人と言えるだけの関係を築いていた。兄さんを姉さんだと思っている事によるスキンシップは少々問題と言えなくもないが、騙しているこちらが全面的に悪い。兄さんが感情を失っており、それ故に何も感じ取らないのが唯一弁解出来そうな点だ。

 初めての辺境伯領にはしゃぐリリアをテラスに案内する。天気も良いので、庭を眺められる場所で軽いお茶会をする事にしたのだ。

 辺境伯領で採れる薬草を混ぜたハーブティーと、長く受け継がれた素朴な味のクッキー。豪華でもなければ流行り物でもないけれど、リリアが喜んでくれるのは分かっていた。それを分かる程度には深く付き合っている。

「不思議な味……薬草なんでしょ?もしかして、健康に良かったりするかしら」

「入ってる量が少ないし、はっきり効能があるとまでは言えないと思うよ。でも、少なくとも体に悪いって事はないんじゃないかなあ」

「そうよね。……少し癖があるけど、このクッキーと合わさると最強に美味しいわ。売れる気しかしないもの、最高」

「ありがと〜。気に入ってもらえて良かったよ」

 商人としての英才教育を受けているリリアにとって、売れるというのは高いランクの褒め言葉だ。言う相手は選ぶが、それを引き出せたという事は相当気に入ったと見える。何なら売り方まで考えてそうな口振りである。大変結構。

 じっくりと味わうリリアが料理人を質問責めにしかけたのを引き剥がし、気になるなら明日一緒に作ろうと宥めながら部屋に案内する。料理人には夕飯の準備もあるのだ。後で作り方を教えてもらえるか訊きに行かなければ、と脳内の予定表に書き加える。

「ご両親に挨拶は……」

「今はいないから。本家の方で用事があるんだって」

 嘘ではない。仲の良い親族の家に遊びに行く、という用事を作ってもらったから。ついでに幾つか商談を片付けてくるらしい。有能な人達を両親に出来て良かったと言うべきだろう。

「それなら仕方ないわね。泊まらせて頂くお礼を持ってきてるから、後で渡してもらえる?中身は改めてからで構わないわ」

「ありがと、きっと喜ぶよ」

 この辺りの礼を欠かさないのは、流石フェルプス商会の娘だ。小さめの箱を二つトランクから出してきたので受け取る。こういう場合によくあるのは食べ物の類なので、そうだった場合は本家の方に送るとしよう。悪くなる前に食べてもらいたい。

「そ、れ、と。夏休み前に話してたやつ、見繕ってきたわ!もう絶対、とんでもなく似合うわよ!」

「待ってました!今日はファッションショーで締めにしよう!」

 急激にテンションが上がった二人の横で、兄さんはいつも通りの無表情だ。しかし、今回の主役は兄さんである。

「はい、このワンピースドレスをまず着て。コルセットは上から着けるタイプなの、これよ。全体的にシンプルに纏めたわ。フィリならこの組み合わせの魅力を完璧に引き出せる筈よ……!」

「流石リリア、分かってる〜!」

 そう。夏休み前、辺境伯領にリリアが遊びに来ると決まった時点で、兄さんに似合う服を見繕ってもらう約束をしていたのだ。

 ウィーブリルには制服があるから、あまり兄さんを着飾る楽しみがない。学園を離れれば機会はあるものの、それは男物が基本だ。勿論男物だろうが何だろうが兄さんを飾るのは最高に楽しいけれど、折角女物を堂々と着せる機会なのだ。センスの良い友達に頼んでみたくなるのも仕方ないというもの。

 リリアが取り出したのは白いワンピースドレス。十を越した辺りの年頃向けの製品だが、少し大人っぽいデザインだ。フリルやリボンといった飾りは少なめ、スカートの広がりも抑えられている。その代わり、黒いレースが所々にあしらわれていた。

 ドレスのデザインに合わせるように、コルセットはシンプルな黒のもの。胸元から腰に掛けて黒が入る事で、全体の印象が引き締まる。兄さんは可愛いよりも綺麗の方が強いので、こうした引き締めを入れるのは大賛成だ。総じて、兄さんなら着こなせるという言葉は正しいだろう。

 流石に兄さんの下着姿をリリアに見せるのは問題なので、着付けはアルが行う事にした。兄さんなら一人で着れない事も無さそうだが、こういうのは変に引っかけたりするとすぐに痛む。手伝いが一人はいた方が良いだろう。

「姉さん、大丈夫?キツくない?」

「平気。……コルセットは、もっと締めるものだと思っていた」

 体に沿う程度にコルセットを締めて尋ねると、こてんと首を傾げられる。確かに、一般的にコルセットというものはもっと締める。腰を普通より絞って美しく見せるのが目的だからだ。それこそ体調に影響を及ぼすレベルで締める令嬢も少なくない。

  しかし。

「適齢期ならそういう人も多いかもねえ。でも、俺くん達はまだまだ子供だし。そもそも夜会でもないから、そこまでキツキツにしなくて大丈夫でしょ」

「そういうもの?分かった」

 アルが、兄さんに苦しい思いなんぞさせる訳がないのだ。大体兄さんの体はそのままでも均整が取れている。わざわざ締めて細く見せなくたって何も問題は無い。

 皺や傾きが無いかを最後に確認して、リリアに見せに戻る。リリアとて大商会の娘、コルセットの締め方なんて分かっている筈だが、何も言わずにただ嬉しそうに笑った。

「やっぱり、このスタイルがここまで似合う人は中々いないわ!フィリ、貴女ってほんと最高!」

「うんうん、リリアってば分かってる〜!こういうシンプルなのって似合わない人は少ないけど、姉さんくらい似合う人も少ないんだよねえ」

「そうよね、そうなのよ!勿論飾っても綺麗でしょうけど、まずはここを攻めたかったの。それでね、もし良ければなんだけど、髪も結って良いかしら?」

 がっしりアルと握手して頷き合ったリリアは、兄さんの方に顔を向けてそう尋ねる。ここで兄さんに訊く辺りもリリアと分かり合えるポイントだ。

 基本的に兄さんに纏わるあれこれを決断するのはアルの方に見える──感情という錘が消えてしまった兄さんの代わりに、そこを含めた意見を出すのがアルの役目だからだ──が、兄さん自身の意思が消えたわけでは無い。そこを履き違えて、意志薄弱で好きなように動かせる、と兄さんを侮る人間は意外と多い。リリアはそうではないのだ。

「好きにして良い。私には、よく分からないから」

「ありがと、それなら最初は簡単なやつからいきましょうか。そのままでも綺麗な髪だけど、幾つかバリエーションはあっても良いと思うの」

 許可を得たリリアが、黒いバレッタを一つ取り出す。どうやら継続させる事も考えて、初心者向けの髪型を作るつもりらしい。それなら、とアルも兄さんに近付いた。

「ねえリリア、俺くんにやり方教えてくれない?姉さんはあんまり興味が無いからさ、俺くんが覚えておきたいなって」

「勿論良いわよ。簡単なやつだし、アルならすぐ出来るようになると思うわ」

 二つ返事で了承してくれたリリアに礼を言って、解説と共に動かされる手元をよく見る。髪の一部を取って整え、くるんと返してバレッタで留めるだけ。手順は少ないが、その割に凝った見た目になるらしい。

 ぱちん、と軽い音を立てて留まったバレッタは、兄さんの白金色の髪の中で静かな存在感を放っている。総じて、大変よく似合っていた。

「うん、ばっちり!フィリ、今日はこの格好でいてくれる?目の保養になるもの」

「構わない。思ったより動きやすいから」

 頷いた兄さんにリリアと一緒に感謝して、夕飯の時間まで雑談する事にする。気の合う友人というものを初めて持ったアルにとって、こういった些細な時間すらも愛おしい。思わず熱が入ってしまい、呼びに来た侍従に微笑ましそうに笑われたのは少し気恥ずかしかった。

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