親世代の昔話:3
ハインツが家族に出した手紙には、親友の身分を書いていない。言質を取ってから細かい事を詰めようと思っての事だったが、このまま適当な身分で誤魔化して家族にはハルが皇族だと分からない状態に持ち込む。その上でハルが実家に家出する旨を送りつけてそのままうちに来れば、雑ではあるが雲隠れする事が可能だ。
幸い、王国は皇国との距離があり過ぎて人の行き来が少なく、貴族間であっても皇族の顔は天皇夫妻くらいしか知られていない。皇太子の顔を知っていたら通と言われるレベルである。身分さえ誤魔化せば、ハルが皇族だとバレる心配は薄い。
学園に問い合わせられた時に行き先がバレないよう、トラブルが起きて皇国に一時帰国すると学園側には言っておく。トラブルが起きたのは間違いじゃ無いから、信憑性は持たせられるはずだ。緊急で皇国側の人手が用意出来ないという事にすれば、ゲルシュナーの人間を使う事も出来る。そうなれば後は好きに行き先変更が可能という算段である。
「雑な計画だし、まず間違いなく休暇中にバレちまうとは思うが、要は意思表示の手段だ。ある程度の偽装までして家出する、それ程に立腹したって表明だな」
「この一瞬で思いついたにしては綿密だと思うがなあ。それはそうとハインツ、本音は何だい」
「お前が家出したら滅茶苦茶面白い事になるだろうなと思った」
親友に隠し事は出来ないししたくないので、早々に吐く。ぶっちゃけ興味が七割の提案だ。この穏やかで優しくて問題になるような反抗なんてした事なさそうなハルが、留学中に家出をかましたらどんな騒ぎになるだろうか。数々の反抗と騒動と親の雷を引き起こしてきた──そしてそれが人生経験として良かった身としては、一度くらい盛大に反抗してみて欲しいというのがあるのだ。
「正直で何より。ふむ……しかし、実際やってみる価値はあるかもなあ。正攻法で叩き潰しても構わんが、こういう無法は学生のうちにしておかなければ機会が無かろう」
「だろ?この程度なら表沙汰にしないで終わらせることも出来そうだしな。じゃ、やるか」
「ああ、そうしよう」
ハルの方も面白そうに笑い、二人で笑顔を突き合わせる。普段は皇族として皆の見本になる振る舞いをしているハルも、ハインツと親友になるだけの人間ではあるのだ。つまるところ、茶目っ気を持ち合わせているのである。
頷き合った二人は放課後、ハルの部屋に集まって作戦会議を行った。そうして夏期休暇開始と共に数週間の家出劇が幕を開けたのである。
× × ×
予想通り、皇国も王国も、そして学園も表立った動きは見せなかった。ハインツがハルを別荘に連れ出したのもあり、当初の見通しより一週間程度発覚を引き延ばせたのは嬉しい誤算だったと言えるだろう。多分。
しかし所詮は子供の家出、偽装工作だってゲルシュナーの家の人間を使った時点で甘い。それを分かった上で敢行したものなので、前触れも無く別荘に親が来た事は特に驚かなかった。驚いたのは、国王陛下と天皇、皇太子にハルを怒らせた弟皇子が揃い踏みで親に同行してきた事である。特に天皇はよくここまで来たものだ。国家元首とは思えないフットワークの軽さに度肝を抜かれた。
まずは雷を落とされるか、と構えたハインツの予想とは裏腹に、ハルと二人して応接室に呼ばれる。そこにいたのは王族と皇族のみで、両親はいなかった。そして四人の王族皇族達は特に怒っている感じはしない。隠すのが上手いだけの可能性もあるが、空気感がそうではなかった。
国王陛下と天皇が来客用ソファに座り、皇太子と弟は追加で後ろに用意された椅子に掛けている。その正面、家の者が座るソファにハルと並んで座った。ハインツといえどもこの面子の中で姿勢を崩す勇気は流石に無かったが、ハルの方は脚を組んだ上に腕まで組んだ。これはかなり珍しい。普段は手本のように美しい座り方しかしない男なのだ。怒り冷めやらぬといった風情である。
「それで?父上。不意打ちの如く訪ねてきて何用ですか。王国の陛下までお連れとは恐れ入る、たかが家出息子に対してはるばる王国に御出でになるだけに留まらぬとは。この身は皇太子でもなく、むしろ兄上の御立場を脅かす危険分子。消えるならばこれ幸いと放置すれば宜しかろう」
口火を切ったのはハルだった。冷え冷えとした声と、感情の一切を排した口調。冷静でありながら、剣先を突き付けるような怒りをこれでもかと詰め込んだ話し方だ。国王陛下の口元が一瞬動く。僅かにだが、陛下に驚いた事を顔に出させたのは凄まじい。伊達に皇族をやっていないという事だろう。
ハルが話しかけたのは天皇だったが、激烈に反応したのは弟だった。椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、そのままハルの前まで来て叫ぶ。
「消えるなど、ハル兄様、そのような事などあってはなりません!ハル兄様こそが至宝、兄様がいらっしゃらなければ──」
「黙れ。僕の視界に入るな」
何やらおかしな事を言いそうだったが、その前に静かなハルの声が止める。黙れだけに収まらず、視界にすら入るなとは相当だ。悲痛に顔を歪めた弟を、皇太子が無理矢理後ろに連れて行く。
「父上、それを連れて来たのは僕の危険性を国王陛下に見せる為ですか。国際的な信用を確実に落としたいと」
「いや……スオウは来る前に叱っておいたんだが、分かっていなかったらしい。お前に謝らせようと連れて来たんだが……失敗だったな。シュウ、下がらせろ」
眉間に手をやった天皇が、もう片手を追い払うように振る。皇太子──シュウが頷くが、それに対して半分暴れるように弟──スオウが反抗した。
「何故、何故ですか兄様!僕は、僕だけが皇国を正そうとしているというのに!何故、ああ、ハル兄様……!」
反抗虚しく抑え込まれた弟は、どうやら武術に明るくないらしい。動きが滅茶苦茶だ。対して皇太子の方は的確に抑え込んでいたので、ある程度は出来るようだ。扉の外に控えていた騎士に引き渡して戻って来た顔は苦笑していた。
「ハル。気持ちは分かるが、父上の話を聞いてやってくれないか?父上も今回の事は寝耳に水だったんだ、ここに来ているのが父上の誠意の表れだよ」
「……兄上がそう仰るのであれば」
宥める声掛けに、無表情のままハルが頷く。元々父親に対する怒りはそこまで強くないのだろう、弟が放り出された事によって少しだけだが空気が柔らかくなった。それを確認して父親が口を開いた。
「ありがとう、ハル。……今回は、スオウの暴走にギリギリまで気が付けず、天皇として、そして父親として監督不行き届きだった。お前が予測を立てて報せてくれなければ、こうも秘密裏には処理しきれなかっただろう。最後の家出宣言については、こちらも泡を食ったがね」
国王として、息子相手かつ非公式の場であっても頭は下げない。ここには王国の者がいるから当然だ。ハルもそれは理解しているのだろう、明確な謝罪を求める気は無いようだった。
「あれが影響を及ぼせる範囲は知れているのだから、僕が言わずともお二人であれば収められたでしょう。礼を言われることなど何もしてはいません」
「だが、スオウはお前の名を使っていた。お前が直筆で止めなければ、どうしたって初めから無かった事にはできなかっただろうよ。気を回してくれてありがとう」
そう、ハルは家出すると送りつける際、弟が手を回したであろう場所へと向けた、ハルしか使えない印を押した書類を同封したのである。内容は、今回の事についてハルは感知しておらず、弟の勝手な振る舞いにいたく立腹しているというものだ。
弟とハルの力関係は完全にハルの側に傾いているらしく、それを使った事で穏便かつ迅速に事態を収束させてここに来たのだろう。そう出来るよう、ハルが計らった。
「だが、無かった事にしているとはいえ、起こりかけた事は消し去れん。人の口に戸は立てられんからな。よってスオウの継承権を最下位に下げ、政に関する権限の一切を取り上げる事とした。監督も厳しくするが、それでも改善の兆しが無いようなら修道院に入れる事になるだろうな」
「……僕の予想よりも処罰が厳しいな。あれはそこまで愚鈍でしたか」
天皇の告げた処罰は、確かに事前にハルが立てていた予想の倍は厳しい。謹慎と再教育になるのでは、とハルは言っていたのだ。しかし、ハインツとしては納得というか、弟の様子を目の当たりにして納得させられていた。
「処罰については、父上と私の二人で決めたんだよ。スオウはお前のことを……崇拝に近いレベルで慕っているのが発覚してね。あの思想と思い込みを矯正するには時間が掛かるし、成功するかも分からない。爆弾みたいなものだ。であれば、中枢から遠ざけるしかないだろう?」
椅子を自ら前に出した皇太子が参加してくる。そう、あれはほぼ崇拝とか信仰とか、そういう類の感情だ。それも熱狂的なタイプの。熱に浮かされたような、異様な色を宿した瞳をしていた。
あそこまで振り切ってしまうのは珍しいが、似たような目は割とよく見る。人間、誰かに強い憧れや幻想、好意を抱いてしまうのは珍しくないからだ。代表的な例で言えば、演劇役者のファンクラブなんかはそういう人間の集まりである。学園でも、目立つ人間には大なり小なりファンクラブがつく事はよくある。
そういうちょっとした理想視というのはそこかしこに転がっていて、それ自体は問題にならない。まあ多少熱意が先走ってやらかす可能性が高いのは良くないが、取り立てて問題にする程ではないのだ。健全な範囲に収まっていれば。
「お前を慕うのは一向に構わないのだけど、方向性が歪んでる上に勢いだけはある。お前の意向を完全に無視して騒ぎを起こそうとした事から考えても、お前を免罪符にして自分の望みを叶えようとしている可能性は高そうだ」
弟のような跳ねっ返りを起こす輩で、崇拝対象がそれを望んでいない場合、信者自身の願いを無意識に投影しているのは往々にしてあるものだ。今回は皇太子を引き摺り下ろしたいという気持ちが弟の中にあったのだろう。
「良い迷惑です。一発殴っておけば良かった」
「お前の拳は、ちょっと強過ぎるかもしれないな」
顔を顰めたハルに苦笑して、立ち上がった皇太子がそのままハルの頭をぽんぽんと叩く。慣れた手つきに、昔から繰り返してきた事が窺えた。本当に仲が良いようで何よりである。
「さて、ハル。スオウの処分に関して、お前もまた被害者の一人であるからには口を挟む権利がある。気になる点や希望があれば述べろ」
その様子を見ていた天皇の言葉にハルは首を横に振る。
「特には。矯正を試みる上、失敗した場合まで考えておられるのであれば、僕から何か希望する事はありません。そもそも考えるのすら嫌になる」
「……名前を呼ばないとは思っていたが、相当嫌われたな。良い薬になる事を願うか」
視界に入るな、と吐き捨てた通り、相当あの弟に嫌悪感を抱いているらしい。名前を呼ばないばかりか考えたくもない、というのはかなり苛烈な反応だ。普段が穏やかなハルだけに、その落差はかなりのものに見える。果たしてあの弟は、ここから挽回できるのだろうか。……無理かもしれない。少なくとも相当時間が掛かるのだけは間違いない。
「あれの話はさておき、父上。陛下がこちらにいらっしゃる理由をお聞かせ願えますか。お忙しい身を動かすのに、何の理由もないとは仰るまい」
すい、とこれまで沈黙を保っていた国王陛下に視線を向ける。最初に口元を少し動かした以外は殆ど表情も変化させていなかった陛下は、一つ頷いた。それを確認した天皇が答える。
「スオウの件は我が国の問題だが、お前の家出は我が国だけで片付ける訳にはいかない。分かるな、ハル」
「……ハインツは、僕の我儘に付き合ってくれただけです」
「おい、ハル」
肩を掴み、軽く睨む。責任を勝手に取り上げるなんて許さない。親友、それも皇子を家出させる事がどんな罰を連れてくるか、分からない歳じゃない。分かった上で、家族を巻き込まない形で家出させたのだ。それはハインツの責任で、背負うべき当然の報いだ。
「無礼を承知で申し上げます。ハルを……ハル殿下を家出させたのは俺です。家出しないかと持ち掛け、計画も立てました。ですが、家族には一切知らせていません。罰はどうぞ、俺だけに」
勢い良く言い切り、頭を下げる。ハインツ、と困ったようにハルが呼びかけてくるが無視した。責任逃れをするなんて真平ごめん、ましてや親友にひっ被せようなんぞ思うものか。そちらが勝手をするのなら、こっちだって好きにさせてもらう。
下げ続けていた頭の先で、コツンと硬い音がする。机を指で叩いた音だろうか。
「面を上げろ」
「はい、陛下」
命令に即座に従うと、濃い金眼と視線が合う。予想を裏切り、その顔は穏やかなものだった。
「ハインツ=ゲルシュナー伯爵令息。そなたの処罰については既に決定している。……責任から逃れようとするならば、貴族籍の剥奪。責任を取ろうとするならば、戸籍をゲルシュナー家から抜く、と」
「……それは」
戸籍を抜く。つまり、ゲルシュナー家の一員と法的には処理されなくなる。しかし貴族としての立場は残る為、新しく一代限りの爵位を授かる形になる、という事だ。こういった場合は、元の爵位よりは低いがほぼ同等の待遇を表す準伯爵が授けられるのが一般的。
「ありがとうございます」
余りにも寛大な処置だ。他国の王族を誘拐に等しい状況に誘い込んだのだから、ハル本人が口添えしても修道院への追放までは有り得ると考えていた。それを、財産や領地から切り離されるとは言え、貴族として活動出来る状態で留めておいて貰えるというのは破格である。
「そなたの両親も、戸籍を抜くのみならばこれまでと変わらず扱うと言っていた。詳しくは家族で話すと良い」
「はい。陛下、そして天皇陛下にも改めて感謝を。ありがとうございます」
この決定は、両国の陛下がどちらも納得しなければ成立しない。ハルとの会話を聞いていても分かったが、どうやら皇国の天皇陛下も度量の広い方のようだ。首を垂れて感謝を述べ直せば「そう畏まらないで構わない」と声が降ってくる。
「シュウから聞いたが、君はハルと得難い友情を築いてくれたんだろう?そういう人材を皇国で用意出来なかった私達にとって、君は一種の恩人なんだ。……一切処罰しないという訳にはいかなかったが、こちらが君に感謝を述べたいくらいの気持ちを持っている。そして、それを忘れないと約束しよう」
それは、皇族として公的に友好を示す事を確約する言葉だ。ハルの親友として、皇族全体がハインツを認め、尊重する。それが社交界、そして国際的な立場にどう影響するのかは言うまでもない。
「ありがとうございます」
今度は目を見て感謝を述べる。こちらこそ、と柔らかく返してくれた天皇陛下の目元は、瞳の色こそ違うもののハルによく似ていた。




