22話
師匠が部屋を訪ねてきた時、ノアは双子とボードゲームを作っていた。双六、と呼ばれる物らしい。人と遊ぶ事が前提のものは何も知らなかったから、ルールを教わってマップを作ってみていたのだ。元はハルがいた国のゲームなのだそうで、双子はよく双六を作ったり発展させたりして遊んでいたらしい。
こういうアレンジがあってね、と楽しそうに話していたアルがびたりと口を閉じ、それと同時にフィリが立ち上がる。ドアの方に向かうのを見て初めて、部屋の外から近づいてくる靴音に気が付いた。気配を探る練習はしていたが、やはりまだまだのようだ。集中していなければ出来ないのは、身に付いていると言えない。
ノックの後名乗る声に、フィリがドアを開ける。よ、と軽く手を挙げた師匠が告げたのは、予想の遥か外にある言葉だった。
「ノア、それからフィリとアル。結論から言うと、お前達にシャトレと会ってもらう事になった。細かい所はこいつを読め」
「……シャトレと、俺が?」
「ああ。手段に過ぎないが、会うのは会う。とにかく読め」
「はい、師匠」
驚いたが、取り敢えず差し出された紙を受け取る。シャトレの件は完全にノアと無関係に起きた事で、師団の仕事だ。てっきり部外者の自分ではこれ以上関われないだろうと思っていた。だが、手段という事は、シャトレと関わる必要が出てきたという事。その先にある目的の為に、情報を遮断する方が厄介だという事だ。
読めと言われた紙に目を落とす。フィリとアルも読んどけ、と言われた双子が覗き込みやすいよう、下げるのも忘れない。
書かれていた内容は、簡単に纏められたシャトレの供述だった。魔力という単語を母親から知った事、その研究を支援すると言われて組織に名前をつけた事、組織の実態はまるで知らない事。最後に、纏めるような形で精霊と対話する場を改めて設けると注釈がついて終わっている。
「つまり、総長とノアくんが話してる間、一番詳しいシャトレと護衛の俺くん達が同席するって事ですか?」
「そういう事だ。日取りはまだ決まってない」
「了解、じゃあ場所確保と通達はしときますね〜」
「ああ、頼んだ。シャトレの方は俺達で整える」
色々とノアの知らない情報も持っているだろうアルが、師匠と話を進める。シャトレと会う、というのも会うと言うよりは同席するだけに近いようだ。言葉を交わすかも怪しい。ただ、その時にシャトレの事を知っておくに越した事はないという配慮が為された結果がこの紙だろう。
ハルの言葉を思い出す。典型的な研究者。その言葉からイメージが膨らむ程の人生経験は無いが、悪意があって『極光』に関わっていた訳ではないと解釈した。それはどうやら合っているらしい。
「ノア、質問は?」
「無いです。細かい話は後で来るんでしょう」
「ああ。じゃ、戻るわ。何かあったら双子に言っても良いし、ハルとか俺に言っても良いからな」
「わかりました」
ひらひら手を振って出ていく師匠は、呆れるくらいいつも通りだ。痩せているのにそう感じさせないのは、態度が変わらないからだろう。歩き方も、呼吸も、何もかもが変わらない。今は激しい運動を禁じられていると聞いたが、あの調子なら元に戻るまで時間はかからなさそうだ。
「総長、元気そうで良かったねえ」
「ああ、本当に。……近いうちに、また叩きのめされるんだろうな」
「乱暴な稽古方法だよねえ。総長って教師には向いてないと思う」
「それは……否定出来ないな」
口を尖らせたアルの言う事は尤もで、苦笑するしかない。ノアは様々な事を師匠に教えられて育ったけれど、師匠は決して教え方が上手い訳ではなかった。本人もそれは分かっていて、俺は体で覚えるしか出来ない人間だとよく口にしている。だから、お前にも体で覚えさせる、と。
「あはは、やっぱり?でも、良い師匠だよね」
「……そう、見えるか」
「うん」
にこにこと笑うアルは、いつもよりも少し雰囲気が柔らかい。明るく華やかな笑いではなく、ふわりと暖かい笑顔だ。
「だって、ノアくんの事を沢山考えてるから。自分が出来る精一杯をしようとしてる。良い師匠だねえ」
双子は、嘘を吐かない。少なくともノアに対しては。だから、この嬉しそうな顔も、声も、全部本物だ。ノアにとって師匠が最高の存在だと分かって、それを嬉しく思ってくれている。
「ありがとう。そう言ってくれて、嬉しい」
その理解が、寄り添いが、この上なく嬉しい。自分の事も、師匠の事もちゃんと分かってくれている。多くを語る訳では無いけれど、それがよく伝わった。浮かぶ心のままに口角を上げれば、アルと──その隣にいるフィリも、笑い返してくれる。
ああ、幸せだ。師匠と二人きりで閉じた世界にいた時も幸せだったけれど、こうして色々なものを得なければ感じられない幸せもある。幸せばかりでないとしても、外の世界に触れられた事はノアにとって幸いだ。
会えて良かった。師匠だけでなくフィリとアル、そして師団の人達に。この繋がりを大切にしよう、と何度目か分からない決意をする。大切な人は何よりも得難い財産なのだから。