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18話

 結局ぐずぐず泣く事しか出来なかったノアは、柔らかい声がこの場を制圧したと知らせに来たのを最後に気を失った。魔術の探知に気を張っていたのと、泣き疲れたんだろうと目覚めた時にフィリに言われた。泣き疲れて寝るなんてもう何年も前に卒業したと思っていたので、冷静になった頭では普通に恥ずかしかった。十六にもなって何をしているのか。

 しかし恥入ってばかりもいられない。師匠の体がかなり弱っているとも言われたからだ。なんでも栄養失調と運動不足でとんでもない事になっているらしい。面会は可能だと聞いて、即座に会いに行く事にした。

「起きたのね。体調は……大丈夫ね、良かった。総師団長は中で休んでいるわ」

 面会の許可を貰いに行った先にはカトレアがいた。気絶したから心配を掛けたのだろう。どうやら師匠も彼女が診てくれているらしく、紙に何かを書き付けたり封をしたりと忙しそうだ。礼を言って師匠の使っている寮の一室に入る。

 シンプルな備え付けのベッドの上、クッションに寄り掛かって書類を読んでいる師匠がいた。

「ああ、ノア。おはよう。……とは言っても、昼だが」

「……おはよう、師匠」

 ふわりと微笑む顔は、頬が痩けてしまっている。ベッドは大きくないのに、スペースがやたらと余っているように見えた。栄養失調と、運動不足。体が衰えているのだ。

「フィリとアルが、色々話してくれた。俺がいない間も、沢山頑張ったな。誇らしく思う」

 そう言って、頭を撫でられて。また泣きそうになったけれど、今度は涙腺を引き締める事に成功した。こちらの話はある程度双子が伝えてくれているらしい。それなら。

「師匠の方は、……どうだったんですか」

 ここまで体が衰える環境。劣悪な扱いだったのは間違いない。どうやって訊こうかと迷って、結局愚直に切り込んだ。やはり自分に駆け引きは向かない。

「はは、その真っ直ぐな訊き方は変わらなかったんだな」

 揶揄うように笑われて、無言で不貞腐れる。そこも長所だよとフォローされたが、再会して早々揶揄われるのは不本意である。しかも真面目な話で。むくれたまま続きを促す目線を送れば、苦笑しながら話してくれる。

「俺の方……とは言うが、実はほとんど記憶が無いんだ。記憶というか、意識が無いの方が正しいな。必要な時だけ叩き起こされて、あとはどうやってか意識を落とされてた。だから、情報収集も脱出の試みもほとんど出来てない」

「意識を?……薬でも使われたんですか?」

「その線はカトレアに調べてもらってるが、多分そうじゃないだろうな。力が抜けていって意識が保てなかったんだ。気絶というよりかは眠らされていたような感じだった」

 強制的に眠りに落とされていたが、睡眠薬ではない。聞けば、変な匂いもしなければ食事を摂っていない時でも意識を落とされたという。それは確かに薬とは違う要因を疑う必要がありそうだ。

「幸い、あの拠点は制圧出来たから、細かく調査し直している最中だ。書類関係はひとまず引っ張り出すだけ引っ張り出して保管、中身はこうして手の空いてる奴が確認してる」

 サイドチェストに積まれた書類は、『極光』の拠点から持ってきた物だったらしい。師匠はしばらく養生しなければならないので、事務作業をしているとの事だった。

「いやあ、突入作戦で拠点制圧までいけたのは良かったな。ハルが乱入したのが功を奏した。とんでもないやり方だったけどな」

「ハル?……誰ですか?」

 馴染みのない名前に首を傾げる。そもそも名前としても違和感のある響きだ。違う言語の人名だろうか。

「お前も会ってるよ。昔にも会わせてるんだけど、時期が悪いから覚えてないのは仕方ない」

 会っている。突入作戦の時は、あまり顔を合わせた事のない師団員も沢山いたから、あのうち一人という事だろうか。いや、だとしたら乱入とは言わないだろう。とんでもないやり方とも言わない。そういう言葉を師匠が言いそうな相手は。

 もしかして、と思い当たった時、ドアが静かにノックされた。師匠が入室の許可を出す。ほとんど音を立てずに開かれたドアの先を見て、師匠が笑った。

「噂をすれば、だな。よおハル。今日は助かったよ」

「ジルバートには散々怒られたけどなあ。僕としては武力衝突に呼ばれないなら存在意義が疑わしくて」

「そりゃそうだ」

 気安く師匠が話しかけたのは、入ってきた男──作戦の時一瞬顔を合わせた双子の師匠だった。予想が当たっていた事に少しほっとする。そういえば、あの時もこの男──ハルは一目でノアの身分を言い当てた。昔に会っていたと師匠が言っていたし、ノアが覚えていないだけで顔見知りではあったらしい。

「さて、それじゃ、ノアに改めてお前を紹介しようと思うんだが」

「前に会った時の事は覚えてないんだったか?」

「時期が悪い。あの後は会わせられなかったしな」

「自我の形成に他の人間が関わるとぐらつきそうだったからなあ。小屋の場所を探す人達を潰すのもあったし」

 穏やかな笑顔を絶やさず、柔らかな物腰はアルとよく似ている。どちらかというとアルが似ている、ないしは似せたと言うべきだろうか。アルは煮えたぎる怒りを隠す為にのんびりした口調を意識しているらしく見えるので、その口調の参考元になったと考えるのが妥当に思う。

 表情や口調はアルを思い起こさせるが、一方で癖の無い長髪を一つに括った格好はフィリと似通っている。気絶する前に会った時は薄暗い室内だったので黒く見えた髪だが、こうして明るい場所で見ると師匠とは色が違う。黒に近いのは確かだが、どちらかというと濃い紺色だ。空いていた椅子に腰掛けると共に揺れた長髪は、フィリと色合いが異なるだけで随分重そうに見えた。

「ノア。こいつはハル。ハル=ホズミ。皇国……東の島国だな、そこの皇弟。国王の弟だ」

「おいおい、それより先に紹介すべき肩書きがあるんじゃないか?ふふ、相変わらず意地の悪い」

 割ととんでもない立場をぶち込んできた師匠を否定する事はなく、ただ愉快そうにくつくつ笑ったハルは自分で紹介をやり直した。

「ハル=ホズミ、今は宮廷魔術師団の特別顧問をやらせてもらっているよ。さっきハインツが言ったのも間違いじゃあないが、名前ばかりだ」

「特別顧問……師匠とはどっちが上司なんだ?」

「ふふ、これは手厳しい。立場は対等といったところかな。そもそも、特別顧問というのは師団の階級とは少し離れた立ち位置にある」

 特別、と名前に付くだけある立場のようだ、とハルと自分の関係を考える。王族として考えるのであれば、ノアはハルにきちんと敬意を払った立ち振る舞いをしなければならない。そうしなければ厄介事が起こる。しかしハルはそちらを名ばかりと言い切り、師団の特別顧問を自称した。であればそちらで考えるべきだ。師匠の弟子であるノアと、特別顧問のハル。……特別畏まる必要は、無さそうに思える。

「ノア=ヴァイス。師匠の弟子。よろしく頼む、ハル」

「ああ、よろしく。随分大きくなったなあ。ふふ、感慨深い」

 手を差し出せば柔らかく握り返される。やはり昔に会った事があるからだろうか、ハルはそれだけで嬉しそうに笑う。こちらは覚えていないので、少し罪悪感があった。

「ハルは、あの小屋と王都を繋ぐ魔術的通路の守りを買って出てくれていた。その関係で、ノアを保護したばかりの頃に一度だけ会ってる。覚えてないだろうけどな」

 師匠の説明に、それは確かに時期が悪いと納得する。ノアの記憶は師匠に拾われてしばらく経ってからしかない。それまでの間は、生きているだけで何も感じていなかったのだ。だから、記憶も何もあったものじゃなかった。ハルが見たという昔の自分は、人形のような──師匠の言うところの襤褸切れだったことだろう。

「……あ、じゃあ、俺があの時飛び出したのは」

「ああ、ハルの家だ。対応してくれたのは、ハルが雇ってる家政婦」

 あの時。師匠が攫われた時。ノアは、何かあったらここに飛び込めと教えられていた魔術的な通路に飛び込んだ。そこは師匠が小屋に帰ってくる時に使う通路でもあったので、そこの守りを任されていたハルの家に繋がっていたのも不思議ではない。そこからとんとん拍子で王城に連れて行かれる算段が整ったのも、師団と関係のあるハルが色々と手配してくれていたのだろう。これまで深く気にしていなかったが、色々と嵌る部分が多くて目から鱗が出たような気持ちだ。

「タイミングが合わなくて顔は合わせていなかったけれど、フィリとアルから沢山連絡が来ていたよ。勤勉で良い子だと。ここまでよく頑張ったなあ」

 よしよしと頭を撫でられる。双子は背が低いからかあまり頭を撫でてくる事は無かったが、スキンシップはそれなりに多かったな、と思い出した。どうやら、双子にとっても師匠は大きな存在のようだ。言動の端々に双子と似通ったものを感じる。

「さてさて、色々と積もる話もあるが、それはこの書類を片付けてからにしなければなあ」

 ぱっと手を離し、ハルがゆるりと笑う。頭を撫でなかった方の手には書類が抱えられていた。この部屋の状況や師匠から聞いた話を踏まえると、『極光』の拠点から持ち出してきたものだろう。サイドチェストの書類の山が少し高くなるのを見て、師匠は嫌そうに溜息を吐いた。

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