16話
その日、朝早くにノアの部屋を訪れた双子が持ってきたのは、ハイルフィリアとジルバートが重要な話があるから来るようにと三人を呼び出したという報せだった。双子の上司であるハイルフィリア達も学園に来ていると聞いてはいたが、タイミングが合わずにこれまで会っていなかった。彼等は今回の警備強化に関する責任者らしく、仕事が山積みだという話だったのだ。それが、朝一番に呼び出しである。余程重要な──例えば、『極光』に関する問題の進展とか、そういう話なのだろう。
呼び出された先は、学長室。ここに来るのはかれこれ三回目だ。重要な話をするには都合が良い場所なのかもしれない。防音設備が整っていたりするのだろうか。
アルがやたらリズミカルにドアを叩く。そういえば、双子に初めて会った時もこんなリズムでノックしていた。懐かしい気持ちになりながら、「入れ」と中から聞こえる声に従って部屋に踏み入れる。学長室では、ハイルフィリアとジルバート、それに学長が何やら紙を広げて向かい合っていた。
「やあ、来たね三人とも。座りたまえ、説明するから」
ピンクブロンドの髪を揺らしてハイルフィリアが手招く。空いている席を指されたので、学長の横に座った。アルはハイルフィリアとジルバートの横、フィリはノアの隣だ。
「さて、では本題の前に再確認といこう。ノア、今回君を通わせる学校の選定に当たり、何故ウィーブリルしか選択肢が用意されなかったか分かるかい?」
突然問い掛けられて驚く。驚くが、これも必要な質問なのだろうと頭を捻った。
ウィーブリルに通わないかと双子が話を持ちかけて来た時、言われたのは勉学をするのであれば専門の人間に教わった方が良いという事。ウィーブリルは環境が整っているという事。ノアの学力であれば入学を不安に思う事は無いという事。それから。
「……二人が、前に潜入していて勝手が分かっているから、か?」
「半分正解、といったところだな。アル、潜入した時の作戦目標を覚えているね?」
水を向けられたアルは、頷いてすらすらと誦んじる。
「『極光』に参加したと思われる若者のうち、ウィーブリルに通っていた人間の割合が他と比べて明らかに高い。その為、『極光』との連絡通路ないしは拠点が置かれている可能性がある。作戦目標はウィーブリルの内部を調査し、『極光』の足取りを掴む事である──だね」
「よろしい。しかし前回の潜入では尻尾を掴めず、これ以上の捜査となると敵方に勘付かれる可能性が高いとして中止になった」
そういえば潜入したとは聞いたが、目的は知らなかった。『極光』の調査だったのか。入学前に見せてもらった報告書の一部に、やたらと建物の構造について詳しく書かれていたのを思い出す。拠点や連絡通路の存在を疑っていたからだと分かれば、あの報告書にも納得がいく。
「捜査自体は一時中断となったが、疑惑自体は残っている。学長にも協力を仰いで地道に探してはいたんだが、大っぴらに出来ない以上限界があってね。しかしノアの学び舎を探そうという話が出た時、これは使えるとなった訳だ」
「俺が通うとなれば、向こうが大きく動きを見せてもおかしくない。通学自体も自然な流れで行える。餌として最適だな」
「その通り。気を悪くしないでくれたまえよ、君の学び舎として良い場所なのも事実なんだ」
「分かっている」
少ししか授業は受けられなかったが、学びを得る場所として素晴らしいのは身を以て知った。ここを勧めた事に戦略的な意図があったと知っても、それだけでない事くらいは分かる。だって、パンフレットと報告書を渡してきた双子の顔に、偽りは乗っていなかったから。
「ありがとう。……話を続けよう。予想通り向こうは騒ぎを起こしてくれた。その足取りを可能な限り追い、更には警備強化に便乗して、これまでは不自然だからと調査出来なかった場所まで改めた。その結果、拠点に繋がる通路を見つけたんだ」
広げられていた紙にハイルフィリアの手が伸びる。どうやら学園全体の見取り図のようだ。そのうち一箇所をコツコツと叩く。
「ここ──教員用の便所だよ。ここに、空間系の魔術が仕掛けられた扉がある。特定の手順で開ければ拠点に繋がる仕組みだ。馬鹿げた場所に設置したもんだが、こっちもまんまと見逃していた訳だからね。賢いと言うべきなんだろうな」
便所、と思わず復唱してしまう。それは確かに予想外だ。保守派の貴族と深い繋がりがあるらしい組織だから尚更、もうちょっと高尚な場所に設置するイメージがある。
「この便所、場所も秀逸でね。移動教室のついでに使えるように設置されているから人目が常にある訳じゃないし、教員用とは言うが切羽詰まった学生も使用する事は少なくない。便所の出入りなんて気にする奴もいないから、入ったきり出てこなくても不審に思われにくい。出てくる時は授業中を見計らえば人目はほぼゼロだ。本当、良く出来てるよ」
聞けば聞くほど適切なのは分かる。分かるのだが、やはり便所と思うと少し間が抜けたように聞こえてくる。表情に困る事実だ。
どういう気持ちで聞けば良いのか分からなくなってきて口元がもご、と動く。それに気付いたのか、ハイルフィリアは咳払いを一つして「とにかく」と話を切り替えた。
「通路は見つけた。だが、きちんと調べてはいないし、勿論使ってもいない。向こうに気取られないようにね。まだ通路が繋がっている以上、まだこちらが気付いた事は知られていないはずだ」
魔術で繋がっている通路。その気になればすぐに断つ事が出来るものだ。それがまだ繋がっているという事は、その通路を敵に利用されないと考えている証拠。つまり。
「その隙に叩く。速戦即決だ」
油断している時に仕掛けるのが、一番効果的。
「今この学園には、うちの人間がそれなりの数いる。そのほとんどを投入して叩きにいく。そこでだ。ノア、君は大人しく残る気はあるかい?」
「本気で訊いてるのか?」
真顔で問い返す。ハイルフィリアも分かっていたのだろう、ひらひらと手を振って答えにした。
「では、ほとんどではなく全員投入だな。こちらとしてもジョーカーが共にいるのは悪いことじゃない……が、双子の側は離れないように。良いね」
「分かった」
ノアも、自分が戦闘で役に立つとは思っていない。自衛くらいならどうにかなるかもしれないが、こういった作戦に慣れている人間がついてくれなければ間違った動きをしかねない。双子なら気心も知れているし安心だ。
「突入作戦は複雑なものじゃない、骨子は今日中に組み上がるだろう。細かい通達は後でする。今回の呼び出しは状況の共有と、ノアの意思を確認する為だ。通達まではいつも通り過ごすように」
「ああ」
「了解」
「了」
これでお終い、と手を鳴らしてハイルフィリアが指示を出す。いつも通り、つまり何も知らないように過ごす。果たして自分に出来るだろうか。不安だが、やるしかない。そうでなければ敵に勘付かれる可能性がある。通路が破棄されればまた振り出しだ。
学長室から寮に戻る道すがら、また双子と取り止めのない話をする。ノアが少し緊張しているのを理解してか、アルの口調は普段よりも心持ち軽めだった。フィリは今日の稽古の課題を教えてくれる。帰ったら鍛錬に集中する事になるだろう。体を動かしているうちにこの緊張が抜けて、いつも通りに過ごせる事を願った。