11話
ウィーブリルの寮は一人部屋だが、生徒間の行き来を制限する校則は無い。そういう理由で、放課後はノアの部屋に双子が来るのが恒例になっている。
「釣れたんだよな」
部屋に入って荷物を置き、すぐに向き直って尋ねれば頷かれる。
「うん、そうだよ〜。何人無事かな、兄さん」
「三人中、二人が無事。一人だけ判断が早くて毒を噛んだ」
「上々だね。放課後になったら現段階の進捗が来る事になってるけど、どれだけ吐かせられたかなあ」
アルがそう言ったタイミングを見計らったかのように、ドアがノックされる。一応部屋の持ち主なのでノアが出ると、茶髪に青目の大柄な男がいた。熊を思い起こさせる体格と穏やかそうな顔つき。宮廷魔術師団の双子の同期、ベルンハルトである。
「こんにちは、ノアくん。双子はいるかい?」
「ベル〜、いるよ〜。入って入って」
後ろから飛んでくる声に、ここはノアくんの部屋って話じゃなかったかな、と苦笑しながらベルンハルトが入ってくる。ノアとしては半分以上三人の部屋だという認識なので、双子が好きに寛ぐ事に何も思わないが。
「ベル、情報を」
「うん。まず、尋問は殆ど失敗したと言っても過言じゃない。今は拷問と自白剤の投与への移行中で、現時点で割れたのは襲撃者の身元だけだね」
ベルンハルトは胸元から紙を取り出す。そこに書かれていたのは、三人分の名前とざっくりした背景情報だ。
「今回の襲撃者は全員男爵家出身の元貴族。成人と共に出奔、行方不明が一定期間続いた為に戸籍上は死亡扱いになっていた人達だ。この経歴は、ある過激派思想団体に引き込まれた貴族に多く見られるものだね」
「『極光』が、やはり噛んでいたか」
フィリが口に出した名前は、全く聞いたことの無いものだった。しかし、常に笑顔を絶やさないアルの表情が一瞬で剣呑なものに変わった事から、余程危険な相手なのだろうという見当がつく。
「頑なに所属は吐かなかったけど、十中八九そうだろうね」
頷いたベルに、アルが低く唸るような声を出す。
「……今度は、根絶やしにしてやる」
その声に、その内容に、心臓が止まるかと思った。思わず唾を飲む。心臓のすぐ横にナイフを刺し込まれたような錯覚を覚える。空気が質量を持ってのし掛かってくるような威圧感。
「アル、抑えて。殺気は良くない」
フィリに頭を撫でられて、アルはようやく殺気と呼ばれた威圧感をしまった。それでも顔つきは剣呑さを隠しもしないままだ。
「今回捕まえたのは捨て駒だろうから、ここからすぐに進展はしないだろう。アルも、少し落ち着くと良いよ。フィリ、頼んだ」
「分かった、ベル。気を付けて戻って」
まだやる事があるのだろう、ベルンハルトはフィリに送り出されて去って行った。残されたのは尖った空気を纏うアルと、いつもとあまり変わらなく見えるフィリだ。
「……フィリ、その、『極光』というのは」
アルを下手につつくのは憚られ、フィリに尋ねる事にする。その判断は正解らしく、頷いてフィリは答えてくれた。
「『極光』は、ベルも言っていたけれど、過激な思想団体。その理念は、世界の真理を解き明かし、神の領域へ踏み入る事」
「神の領域、とはまた……眉唾な」
神。宗教における崇拝対象。この国に、というかこの世界に主な宗教は一つだけである。細々とした派生や自然主義、無宗教主義等は存在するが、基本的には主神を軸とした神々を崇拝している。
そして、神は実在する。精霊達の話題に上がるし、神が時折世界に干渉するのだ。それは地形の変動であったり、気象の操作だったり、人間がやろうとすればとてつもない時間と労力が必要な事を、瞬きの間に終わらせる。事前に知らせを出して、被害を最小限に抑えながら。
「神の領域に踏み入る、という事は、人間から神になるという理解で合っているか?」
「そう。彼等は、精霊を足掛かりに世界の真理を紐解き、人間全体を神に昇華させようと喧伝している」
随分と大きな理想を掲げたものだ。ついでに傍迷惑な理想でもある。自分達があれこれしようとする分には勝手にしていろと思えるのだが、人間という大きな括りで物事を進めようとしないで欲しい。
「総師団長とノアを狙うのは、全ての精霊と意思疎通が図れる人材だからだろう。そこに私達も加えて隔離する事で、より手を出したいと思っている筈だ」
「……?アルとフィリは、あいつらと何か関係があるのか」
精霊を足掛かりに、という言葉から、自分と師匠が狙われたのは納得した。しかし、アルとフィリが加わる事でより魅力的になるというのはどういう意味か。アルがずっと尋常ではない表情をしているから、何か手を出された事があったのかもしれない、と訊けば、先程よりはマシだが未だに低い声でアルが言う。
「『極光』は、僕達の家族を皆殺しにした。自分達に協力しろと迫り、それを断ったから殺したんだ。僕達にも手を出そうとした事がある」
一人称が変わっていて、普段の穏やかで若干間延びした口調よりはこちらが素なのだろうと悟る。生々しく剥き出しになった感情が見えるのだ。熱く熱く煮え滾る溶岩のような、怒り。それを気付かせないように振る舞っていたのだろう。
フィリがまた頭を撫で、背を軽く叩き、アルは深く息を吐く。落ち着くにはまだ時間が要るらしい。次に口を開いたのはフィリで、少なくとも落ち着くまではフィリが話すようだ。
「クロイゼルングの領地は精霊に好かれている。血筋も同じく、精霊が手助けをする血筋として知られている。ノアと総師団長程ではないけれど、私達も彼等にとっては欲しい人材」
クロイゼルングは、双子の姓だ。貴族の家だと聞いた事はあったが、精霊と関係の深い家なのは初耳である。
「『極光』は貴族社会に深く食い込んでる。多分、保守派の上層部との繋がりが深い」
「保守派、というのは……確か、あれだよな。革新派と保守派のやつ」
この国の貴族制度についてざっくり習った時、二つの派閥があると教わったのを覚えている。保守派は伝統を重んじていて、革新派は実力主義を掲げている、というような話だった筈だ。
「そう、その保守派。保守派の中でも過激な人達は、選民意識が強い。人間全体を神に、という思想には共鳴していないけれど、自分達だけは神になりたいと思っている……と、私達は考えてる」
選民意識が強い、つまり貴族は特別であるという考えが強い人達であれば、行き着くところがそういう考えなのはおかしくない。自分達は特別なのだ、神になる権利がある、という事だろう。勝手にほざいていれば良いが、こちらに迷惑をかけるのは勘弁して欲しい。
「私達は、クロイゼルング直系最後の生き残り。でもそれと同時に、保守派が忌み嫌う双子でもある。貴族社会の中で立場はかなり微妙で、保守派上層部と繋がりのある『極光』からしたら早めに消すか取り込むかしたいんだと思う」
「悪い、その、双子である事は不味い事なのか?今までそんな話は聞いた事が無い」
忌み嫌うと強い言葉を使う程、双子はおかしい事なのだろうか。でも、最初に双子という言葉の意味を教えてくれたベルンハルト達も、街中で少しだけ関わり合った人達も、双子に対してマイナスな印象を一切与えなかった。
困惑していると、フィリの方もぱちりと目を瞬かせて、ああ、と納得したように頷かれる。
「ごめん、私達にはあまりにも当たり前の事過ぎて伝え忘れていた。……昔、貴族の中では一度に二人以上の子供が産まれる事を忌避する風習があった。動物、犬や猫が一度に複数の子供を産む事から、獣のような産まれだという連想を呼んだらしい」
獣のような、と言われて、襲撃に押しやられて頭から抜け落ちかけていた疑問があったのを思い出す。実践魔術の授業の前、やたら高圧的な生徒達の口にしていた言葉。
「もしかして、授業の前に言われていた獣腹、というのは、双子に対する差別的な表現か?」
「うん。今はもう、保守派の中でも過激な人達しかそういう事は言わないし考えないけれど、古い時代の差別用語。同じ歳で、そっくりの顔だから、双子だって分かりやすい」
つまり、あの生徒達は過激な保守派の思想に染まっており、双子を蔑みの対象としている訳だ。それは酷く腹立たしいが、同時にあの瞬間にアルが興味を失った気持ちが分かった。
「この上なく下らないな。何の理屈も通っていない」
「そうだね。でも、彼等にとってそれは常識。面倒だけど、そういう人達もいる」
「面倒、は言い得て妙だな。割り切るしか無いか」
頷くフィリ達は、とっくに割り切っているのだろう。貴族の家に産まれたなら、その理不尽が蔓延っている様を、そしてそれが自分達に向けられる様を体に染み込まされているのだろうから。
「話を戻すよ。私達は、全員『極光』に狙われる理由がある、というのは分かってもらえた?」
「ああ、大丈夫だ」
ノアは、精霊との繋がりが。双子は、その血筋と双子であるという事が。厄介な輩にとっては、とても重要な事なのだ。ただ生まれつきそうだったというだけの事なのに、酷く煩わしく感じる。
「実を言うと、総師団長が攫われた時点で『極光』の関与は疑われていた。私達が主にノアと行動する役目を担っているのは、『極光』の目を一点に集中させる狙いもある」
「集中していた方が守りやすいからか」
「うん。今回の襲撃者達は、蜥蜴の尻尾切りみたいに情報は殆ど持ってないと思うから、そこまで進展はしないだろうけど……でも、自分達の所属くらいは把握している筈。『極光』の関与が確定すれば、一気に膿を絞り出せる可能性がある」
膿。的を射た表現だ。どろどろとした不純物。細菌によって壊された身体の一部。取り去らなければ傷口の塞がらないそれ。
「これから情報を絞り出して、整理して、この事件に対する捜査の姿勢は整っていくと思うけど、今日はこのくらいにしておこう。そもそも、まだ襲撃者の口からは『極光』の名前も出てないから」
長期戦、まだまだこれから。そう締めたフィリの言葉が外れたのは、その日の夜の事だった。