三話-19 帰宅、そして……
目的地に着き、車を建物に寄せて僕が出るまでは宝蔵家の人たちは厳戒態勢のままだった。
前方には武威を漲らせた強者たちがこちらを睨みつけ、今まさに襲い掛かろうとすらしていた。
僕が外に出たことでそれらは一瞬にして霧散していったものの、やはりここが襲われたというのは本当のことなのだろう。
見ればあちこちには戦いの痕が残されている。血の匂いも薄らと感じるせいで気が立っていると察せられた。
向こうはこちらの出方を伺っているので、僕の方から声を出して呼びかける。
「咲夜を迎えに来ました。要件はそれだけなので用が済み次第帰ります。彼女はどちらにいますか?」
聞こえるように声を出したことで周りにいる人たちの意識が判断を仰ぐために上司らしき人物の方に向かう。
その人は僕に対して対応するように前へ出て来ようとするも、その前に後ろから駆けて来た人物に目を奪われて動きが止まった。
多分、僕達が来ることは視えていたのだろう。身支度を整えて手荷物を抱えた咲夜は真っ先に僕の下までやって来る。
「遅いじゃない。待ちくたびれたわ」
「ごめん。あっちでも色々あったから来るのが遅くなったんだ」
「ふぅん? こっちは黒尽くめの男がナイフで結界を叩く音がするせいで夜しか寝られなかったのよ? 次からはもっと早く来なさいよね」
「夜にちゃんと寝てるんじゃないか」
呆れながら車の扉を開く、さっさと離れようと咲夜を先に入れてから自分の乗り込もうとしたところに遠くから声が響いた。
「だ、大蓮寺清花様!」
あと一歩のところで呼ばれてしまった。咲夜に確認の意味も込めて視線で問うと頷かれたので対応することに。
「はい、何でしょうか? ……と、その前に初めまして、咲夜の友人をやらせて頂いています。大蓮寺清花と申します。以後お見知り置きを」
「あっ、あぁ! これはどうもご丁寧に。宝蔵家の執事長をさせて頂いております者です」
お互いをお辞儀をし合うけれど、顔を出したのは執事であって本家の人間ではない。
これはどういうことなのかと考えていると、後ろから車内にいる咲夜から袖を引かれて小声で説明される。
『あの人たちはまだ貴方のことを舐めているの。だから使い走りでいいって思ってる。適当に断ってさっさと出るわよ』
あまり長引かせると本家の人たちが出てきて中でお話をする流れになりそうだ。
ここは咲夜の指示通りに適当にいなして帰るのが正解だろう。
「まずは急な訪問を謝罪します。宝蔵剣護さんからお宅が襲撃されていると聞いてお宅の咲夜さんの身の安全が心配になって駆けつけた次第なのです」
「そうでしたか。咲夜お嬢様もこのように有事に駆けつけて下さるご友人が出来て幸いでございます。それでは、そのお礼も兼ねて中で歓待をさせて頂きたいのですが如何でしょうか? それほどのお時間は取らせませんので是非ご挨拶をとご当主様より仰せつかっておりまして」
「いえ、本日はこのままお暇させて頂きたく思います。歓待と申されましたが、ここに来た時の様子からしてそのような余裕はないのでしないでしょうか。襲撃があったということは多少の流血もあったはず。そのような場で客をもてなすのは宝蔵家としても本意ではないはず。なので咲夜さんのご家族への挨拶に関してはまたいずれ、お互いに落ち着いてからに致しましょう。それで宜しいですね?」
僕が有無を言わさない笑みでもって凄んだところ、執事の人は一瞬首を引く。
「その機会があることを楽しみにしております。では、失礼します」
それを了承として受け取り、執事に頷いてから僕は車に乗り込む。ここは勢いこそ重要だ。
これまでの流れの中でいつの間にかに景文さんは助手席の方に移動していたみたいで前にいて、後ろには僕と咲夜が並ぶ形になる。
「すみません。出して貰っていいですか?」
「畏まりまして御座います」
運転手さんがすぐに応えてくれて執事の人が追い縋る間もなく発進する。後ろからはどよめきのようなものが聞こえたけれど気のせいとしておこう。
そうして走らせてから少しして、ふとした瞬間から車内は笑いに包まれていた。
「まさか清花さんがああも見事に対応するとはね。意外だったよ」
「意外っていうか、ただ咲夜の真似をしてみただけだよ。どう、似てたかな?」
全身から対話拒否という雰囲気を出しつつ、努めて冷静に主張を突き通そうとする姿はまさに咲夜のそれだったという自負がある。
我ながら上手く出来たと思っているというのに、真似をされた当人は至って不服そうで。
「私ならもっと友好的な文言にしていたわよ」
「宝蔵家が相手ならこれくらいかなって思ったんだけど?」
「言うのは貴方なんだから、感情まで私の真似をしなくてもいいのよ」
「それはそうか……って、何をするのさ」
とりあえずは無事に咲夜を確保出来たということで、人差し指で頬をツンツンするという照れ隠しを甘んじて受ける。
例え結界があったとしてもすぐ側に自分を害そうとする人間がいれば誰だって精神的に疲れるに決まっている。それは咲夜だって例外ではないはずだ。毅然として隠そうとしているけど。そこから解放されてのことだから何も言いはしない。
「それにしても、随分あっさりと行けたね。もっと粘られると思ってたけど」
想像ではもっと強く引き留められると思っていたからあっさりと車を出せたことには少し意外感があった。
どうやらその理由について心当たりがあるらしい景文さんが答える。
「剣護が根回ししておいてくれたはずだから、それじゃないか?」
「彼が? 帰るなら自力でご自由にって言っていた人がそんなことをしてくれるとは思えないけど……」
「君に良い所を見せたいんだろうね。わざわざ主張しないのはアイツらしいと言えばらしい」
古くからの付き合いのある景文さんが言うのならそうなのかもしれないけれど、たった一日会っただけの僕がその考えを理解を出来るはずもなく。
見れば咲夜は知らん顔をして我関せずを貫いている。口を出す気は一切ないと態度で示していた。
この件に関しては景文さんの「日頃の行いって大事だよな」という言葉によって締めくくられる。
「そういえば、これはここで聞いてもいいのか迷っていたのだけど、神域どうたらについてはここで聞いても平気かしら?」
話題を変える為か、咲夜が別の切り口で語り出した。
それは僕も気にはなっていた。昨晩の内に聞いておけばよかったのだけど、別の話題の存在が大き過ぎてすっかり聞きそびれてしまっていた。
僕が涅槃浄界を使おうとした時に口に出した神意拝領という言葉に対して、ご老公たちが酷く慌てた様子になっていたのは印象的だったのは覚えている。それこそ自分たちが負けてもいい立場を忘れて突撃をしてくる程には衝撃があったと見えた。
今思えば、彼の動揺はご老公たちのそれとは別種のものだったと思う。その理由は前世にあるのだろう。
それは予想の通りであるらしく、彼は得意げな顔をして運転手の肩をそっと叩いた。
「平気だよ。この人は口が堅いから安心していい。堅いですよね?」
「勿論で御座います」
声が少し震えているのはきっと気のせいだろう。
景文さんはもう二度くらい運転手さんの肩を叩いてからこちらに振り向く。
「清花さんは神の声を聞いたんだろう。多分だけど、あの特殊な結界を使えるようになったのはその声を聞いてからだ。違うかな?」
「その通りだけど、なんで分かるの?」
「神の声を聞くっていうのは神職とかの神様と関わりがあるような職業の人たちが稀に聞くことがあるものなんだ。他にも巫女だったりがそうだね。神託って言葉は聞いたことがあるだろう? そうやって神の言葉を聞ける域にまで達した人たちのことを神域接続者って呼ぶんだ」
「そうなんだ。流石、物知りなんだね」
前世由来の知識だとしても、彼にとっては門外漢のはずなのにこうしてスラスラと知識が出てくるのは日頃から勉強をしているからなのだろう。
僕の言葉に気を良くしたらしい景文さんは少しだらしない顔で笑う。
それを見ていた咲夜は呆れ顔で彼のことを見ていた。
「……話は聞いていたけど、本当に清花にぞっこんなのね」
二人きり以外の時はいつもの涼しげな表情を保とうとしていたようだけど、どうやらそれもすぐに崩れたらしい。
咳払いをして緩んだ表情筋を整えてから景文さんは続ける。
「神域接続者になるには素養と資格、それとそこに至る為の強い意思が必要とされているんだ。素養とはその人の素質のことで、力との親和性や保有霊力量を指すことが多い。清花さんの場合はどちらも満たしているだろうから問題はないね」
「なるほどね。その資格とやらは浄化の力のことを指して、結界を作る為の詞が意思といったところかしら?」
「流石は咲夜さん。正解だよ。それらの要素が合わさって初めて神の領域に手が届くようになるんだ」
「ふぅん? ちなみにその神域接続者ってどのくらいの人が至れるものなの?」
「才能も実力もある人間がその道にのみ没頭し突き進み続けて生涯を賭してやっと辿り着ける、と言えば分かるかな?」
「つまり、清花の才覚はそれほどのものってことでいいの?」
「過去全ての浄化使いが足元にも及ばないくらいの才能があると俺は見てる。そりゃあ白面も早期に芽を摘まないとヤバいってなって穴倉から出て来るってものだよ。放っておいたらどこまでも影響力を及ぼすかもしれない大輪の花が咲くんだからね」
自分のことが言われてるのでむず痒い思いをしながら話を聞く。
咲夜は深刻そうな声で彼に問いかけていた。
「…………それは既に退魔師界隈にも知られているの?」
「そうだね。一応は口止めの誓約をしておいたけど、誓約を破棄するか抜け道を使うだろうし数日後には知れ渡っているんじゃないかな」
「でしょうね。清花から聞いた話だとそのボケ老人たちは神域接続者だということに驚いていたのよね? けれど弓削家が扇動をしていたみたいだし、それを知らないのはおかしくないかしら」
「神の存在はそれこそ清花さんみたいに規格外の存在じゃないと認識すら出来ないんだ。だから例え未来を視えたとしても、清花さんが神様と接触したことは視えていないんじゃないかな。認識出来るのはその後の結果だけのはずだよ」
一頻り会話を続けたところで咲夜が自分の世界に籠ったことで沈黙が生まれる。
話されていることは自分のことなのに置いてけぼりにされている感が凄い。
「神様ってあれのことだよね? 夢に出てきた水で出来た龍みたいな」
何だか置いてけぼりになっている感が否めなくてどうにか自分も会話に混ざろうとして出てきた言葉がそれだった。
途端に景文さんが大きく目を剥いてこちらを見る。その顔は驚愕に色濃く彩られていた。
「まさか、招かれし者だったのか⁉︎」
「……これ、もしかして失言だった?」
景文さんの反応からして何かやらかしたことはほぼ確実みたいだ。
神域接続者だということは当然だという顔をしていた彼でさえ夢とはいえ龍に直接会ったのは予想外みたいだった。
隣からは駿河湾の海溝よりも深そうな溜め息が聞こえてきた。
「言葉通りに受け取るなら、神域接続者が神様の領域に手が届いたって認識で、その招かれし者っていうのは神様の方から呼ばれたって感じなのかしら? その二つに違いがあるのなら教えてくれない?」
額に手を当てながら聞いた言葉に景文さんもやや疲れたように返す。
「その認識で合っているよ。もっと具体的に言うなら知識の教示と直接指導の違いかな」
「あぁ、うん。確かにそんな感じかもね。初めの時は知識だけ押し付けられたようなものだし、夢の中ではあの龍もやたらと試練の完遂を促してきたしね。まずは帰せって言っても無視されたのは少しムカついたけどさ」
単純にあの時のことを思い出しながらの感想に二人は顔を見合わせる。
そしてより深い溜め息を吐いた。
「ちょっと二人とも? 本人の前でそれは失礼ってものじゃないかな?」
景文さんの語り口からして僕の才覚が思ったよりも高いというのは理解出来たし、その神域というものが容易に到達出来るものではもないことも理解した。しかし当人である自分からすれば、それはいつの間にか達していたようなものだし意識してそこに辿り着こうとした訳ではない。
だからいまいち自覚が持ちづらいというか、まだまだ成長する余地は沢山あると思っているから余計に実感がしにくいのが本心ではある。
「清花が自分のことに無頓着なのはいつものことだけど、こうまで意識が乖離していると矯正が大変そうね」
「無頓着って程ではないと思うんだけど。自分の置かれている状況は正しく認識出来ている……はず、だよ?」
「じゃあ貴方、さっきのことが知れ渡ったら何が起こるのか予想出来る?」
「そりゃあ……色々とお呼びが掛かるとか? ……えっと、もっと色んな仕事を頼まれるとか?」
今までも色々なところからお茶会や今回のような集まりへのお誘いがあったというし、それが更に多くなるだろうくらいしか思い当たらない。
あとは僕の力を当てにした仕事の依頼とか。
他に何かあるだろうかと考えていると、両の頬を摘まれる。
「ふぁいおふうおふぁ?」
「貴方は呑気でいいわね。これからのことを考える身にもなって欲しいものだわ」
どうやら僕の予想は間違っているか足りないらしい。
そのまま暫く僕のほっぺを弄り回した咲夜は車のドアに肘を置いて頬杖をしながら前方に語りかける。
「土御門君はどう?」
「五家に呼ばれるのは確実だろうな」
「でしょうね。で、貴方はどうするつもり?」
咲夜の問い詰めるような視線に彼はあまり深刻ではない様子で答える。
「例え五家だとしても今の清花さんを意のままに操ろうとするのは不可能だから基本的には強気でいて問題はないよ。同じ五家の立場から言わせて貰うと、相手が五家だからって清花さんが引け目を感じる必要はないと思う。どいつもこいつも過去の栄光から離れられないような奴ばかりだしね」
景文さんは僕のところへ来る前に特級退魔師を下しているらしい。聞けば一方的にボコボコにしたとか。
そのことについては昨晩に彼から少し聞いた。前世と今とでは術師の強さの水準はどうなっているのかと。
答えは人間と妖怪どちらもかなり落ちぶれているということだった。
神秘の代わりに科学が台頭し始めて使用する機会が無くなって成長しなくなり衰退した異能力者たち、そして封印をされたせいで人間を食えなくなったことで停滞と劣化をした妖怪たち。
前世の記憶があることは僕しか知らないので、今の言葉の意味もおそらくは咲夜と運転手の二人とは違った意味として聞こえていた。
しかし、そのことを知らない二人は彼の発言には少し顔を顰めていた。特に運転手の方は聞き捨てならないとばかりに諌めるように声を固くして言う。
「景文様、いくら貴方様でも他の五家の方々を悪く言うのは」
「昨日もその五家の当主を一蹴してきたばかりの俺にそれを言うのか?」
「いえ、それは……」
彼が下した相手が五家の術師だったいうのは初耳だったけれど、五家ともなれば当主は特級くらいの力を持っていないとなれないということか。
そんな相手を倒して僕の所まで駆けつけた彼に強く言えるほど運転手の肝も強くはなかったようで、流石に口を閉ざしてしまった。
「俺としてはあの程度で当主が務まる今の退魔師の環境を恥じて欲しいところだけどね。まぁ、それはどうでもいいとして。とりあえずは暫くの間……少めに見積もって一ヶ月くらいは大人しくしてると思うよ」
自信ありげに語る彼に咲夜が問う。
「その一ヶ月というのはどういう根拠でのものなの?」
「清花さんから聞いただろうけど、相手の目的は俺と……というか誰かと清花さんを恋仲かそれ以上の関係にさせること。ここで他人がでしゃばってくると返ってややこしいことになりかねないだろう?」
「それでも相手が占いとかで何かが見えたら介入してくるじゃない。より良い未来だっけ? 私たちにとっては有難迷惑以外に何者でもないわね」
「いや、その心配は要らないよ。占いに関しては妨害用の術もあるんだ。もうそれを使っているから、俺たちのことは誰のものであれ占いに出ることはないよ」
「そんな方法があるなら最初からしておきなさいよ」
それに関しては僕も思った。しかし彼は眉を下げて首を横に振る。
「そういう訳にもいかないんだよ。これは対処法であって予防策じゃないんだ。未来視されている時間軸の自分に情報のみを送り、意図的に未来の情報を撹乱させることによって自分たちが関係する未来についてを観測者に分かりにくくさせるっていう術でね。相手がその時間軸から未来視をズラせば容易に抜け出すことは出来るんだけど。これについても対処済みではあるから安心して欲しいな」
「……そう。それだと対処的行動しか出来ないわね」
「そうなんだ。これは所詮イタチごっこでしかないから時間稼ぎにしかならない。そのことも含めて一ヶ月ってところかな」
「未来視が出来ないのは妖怪側も同じなのかしら?」
「同様の効果を見込めると思ってくれて構わないよ。今頃は向こうも慌てふためいていると思う」
「だとしたらいい気味ね。それじゃあ、私たちはその一ヶ月の間に崩れることのない基盤を作るしかないということかしらね」
「微力だけど俺も協力するよ。何せ、実家には今は帰り辛くてね。帰ったら家を割る大騒動になってしまいそうなんだ」
「それは祖父関係? それとも特級のこと?」
「どっちもかな。今回でやり過ぎたのは大人たちだけじゃないってことだね。ハハハっ」
景文さんは言いながら笑った。他家の当主……それも特級退魔師を倒したともなれば、確かにお家騒動になるのは間違いない。
次期当主候補というのはつまりまだ彼が当主と決まった訳ではないということだし、つまりは他にも候補がいるということなのだから。
「そういう訳で、俺は暫くは家には帰らずに適当な所で寝泊まりする予定なんだ。そういうことで、後の報告はいい感じに任せるよ」
肩を叩かれた運転手は先程の威圧感を思い出してか、何も言わずにただ前を見続けた。
そんな所で段々と見慣れた景色が近づいてきて、もうすぐ目的地に到着しそうだということが分かってきた。
「今日は今朝からあんなことがあって疲れているだろうから、また折を見てこれからのことについて話し合おう。咲夜さんにはもっと色々と話しておかないといけないことがあるしね。主に清花さんのことで」
「そうね。とりあえずは清花から私の個人連絡先を聞いておいて頂戴。それで今後の連絡を取りましょう」
「了解した。それじゃ、俺も同時に降りさせて貰うとしようかな」
それから少しして、僕達の住んでいる所へ到着した。前もって連絡をしておいたから中からは倉橋さんと大門先輩がこちらに向かって歩いて来ているのが分かる。
車を停め、渋い顔をしながら運転手が景文さんの言いつけ通りに発進させて去って行く。
僕達は門の前で向かい合って別れの挨拶をするけれど、咲夜は先に話をして来ると言って軽く別れをして二人の所まで先に行ってしまった。
「それじゃあ今日はこの辺りで。お出掛けの話はきちんとしておくから。日にちに関しては咲夜から連絡を待っててね」
「あぁ、楽しみにしてるよ」
「うん。それじゃあ、またね」
軽く手を振って、これでお別れかと思いきや、何故か彼は動こうとしない。
流石にこれでは帰る訳にもいかず、まだ何かあるのだろうかと反応を待つ。
彼は体の横で手をワキワキさせながら、視線をあちこちに移動させている。
らしくない行動をする時は大抵緊張をしている時で、その理由が僕にあることは経験則から分かっていた。
「えっと、だな……」
「何か言い難いことでもあるの?」
「そういう訳じゃないんだけど……」
では何を言いたいのだろうとじっと言葉を待っていると、彼は拳を握り締めながら顔を紅潮させて言う。
「い、一度でいいから抱き締めさせて貰ってもいいかな。それで、これからのことを頑張れそうな気がするんだ」
その言葉に何と言うべきか、咄嗟に口から言葉が出て来なかった。
言葉の意味は理解は出来ているものの、それに対しての自分は何というべきかが分からなかったから。
「駄目……かな?」
前世の知識があって実力があり、世間では天才だのと持て囃されているのに、こうして僕の返事を緊張して待つ姿は年相応かそれよりも下のように見える。その姿に何だか自然と心の底から笑みが溢れてくる。
何で笑うのかと困惑する彼に何と答えればいいのか、それは心が勝手に動いて教えてくれた。
「仕方がないから、少しだけだよ?」
水の膜を張り、周りからは見えないようにして腕を広げる。
お友達の関係としては少し違った行為かもしれないけど、今回のこと、これから協力してくれることを思えば彼にも多少の役得があって然るべきだろう。
それを自分しか与えられないのなら、これくらいはしてあげてもいいと思った。
そこに忌避感は感じない。嫌悪感も特にありはしない。
この行為をすることで自分がどう感じるのか、そこに興味がある自分がいた。
「早くしないと周りから怪しまれるんだけど?」
「あっ、あぁ……じゃあ、失礼して」
彼も腕を広げてこちらに恐る恐る近づいてくる。
顔が彼の肩あたりに当たる。抱き寄せられ、体が正面から密着する。
伝わる熱が、感情が、彼の今の心情を表していた。
嬉しさと恥ずかしさと心配と、他にも沢山の色々な感情がぐるぐると駆け巡っている。
時間としては五秒にも満たない短い時間だったけれど、彼はさっぱりした様子で離れていく。
「……今はこれくらいで」
「もっとするものだと思ってたけど、いいの?」
「友達からって約束だから。嫌われたくないんだ」
「分かった。それじゃ、改めて……またね」
「あぁ。また次に会えるのを楽しみにしてる」
水の膜が解除されると彼は少し恥ずかしそうにしながら後ろを向いて足早に去って行く。
相当恥ずかしかったのだろう、少し振り返って再び「また」と言った時の顔は林檎のように真っ赤っかだった。
それに手を振って返していると段々と姿が見えなくなり、それから手を下ろした。
彼の様子を見て、今の自分はどうだろうかと考える。
………………。
何となく少し風に当たってから咲夜たちの下へ向かうことにした。
「咲夜、お待たせ……って、どうしたの?」
僕達が水の膜を張って何かをやっていただろうことは知っているはずだから、そのことで何か弄ってきたりするものだと思っていたけれど、彼女は少し困惑したような顔をしてこちらを見る。
何と言っていいか分からないような感じで口をもごもごとさせた後に口を開く。
「清花、驚かないで聞いて頂戴」
「うん? もしかして中で何かあったの? 危険とかではなさそうだけど……」
「そういう訳ではないのだけど……。ここは百聞は一見に如かずってことね。……連れて来て頂戴」
「畏まりました」
大門先輩が建物の中に入って行き、間も無くしてそれを何事かと待っている僕達の前に再び姿を表れした。
その光景に僕と咲夜は声が出ずに固まっていた。
有り得ないと口に出かけた言葉をすんでの所で押し留めたのは日頃からの精神修行による理性の賜物だろう。
僕と咲夜の視線が一点に注がれる中、大門先輩はこちらにやって来る。
カラカラと音がする。
車椅子の車輪が地面を滑る音がする。
それは僕達の目の前で止まった。
「あぁ、やっと帰って来たんだね。二人とも、日帰り旅行は楽しかった?」
咲夜も倉橋さんも、そして車椅子を押している大門先輩でさえも感情を押し殺したような、けれどどこか困惑が拭えないような顔をしていて。
僕も今、自分がどういう顔をしているのか分からない。もしかしたら三人よりも酷い顔をしているかもしれなかった。
「一体どうしたのさ。……あぁ、余程疲れたんだね。色々あったんだろう? お風呂も沸かしてお料理の準備もして貰っているんだ。さぁ、まずは中へ入りなよ。二人の無事の帰りを祝うとしよう」
なおも固まったままの僕達に、彼は————葛木清光の顔をした誰かは続けて言う。
「あぁ、そうだ。まずはこれだったね。咲夜に清花、お帰りなさい。二人がいなくて寂しかったんだ。本当はすぐにでも会いたかったよ」
これにて二章は完結となります。いつもお読み頂きありがとうございます。誠に感謝の念に堪えません。
次章のことについてですが、ごめんなさい。ここまでで書き溜めを吐ききってしまったので暫くの間は溜め期間に入りたいと思います。(約六十万字もこんな短期間に吐き切る予定ではなかった)
書き溜め出来ていないのは某覚◯様2のゲームをやり込んでいたせいだとか、そんなことはありません。
進捗としてはまだまだ全然なのでGWはないものになる予定です。はい。凄く頑張ります……。
書くことはもう決まっているので筆さえ乗れば、といったところですね。
金曜日は三人称視点での間話を投稿します。二章での出来事の全貌が分かる内容となっている予定です。
その明後日には一章のあとがき(書いてたけど投稿するの忘れてた)と二章のあとがきを活動報告にて投稿する予定です。
そこで皆様とは一旦のお別れとなります。長らく投稿を続けていたので少し寂しいですね。
最後にですが、『ご感想』、『⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎』、『いいね』を沢山下さるとやる気が超漲って筆が乗りまくるので五体投地にてお願い致します。