三話-16 ここから始めていく道
僕が寝るように言ってから僅かばかりだけど仮眠を取ったようで、スッキリしたような顔で彼は僕の前に座っている。
これならきちんとした話し合いが出来そうだ。
僕は彼のベッドを使い、彼は備え付けの椅子に座って対面して座る。
お姫様抱っこをされて、あんな話をした後だからお互いに気まずい空気はあるものの、彼は意を決したようにこちらを見た。
「まずはごめん。さっきは君の思いも考えずに自分の言いたいことだけを言ってしまった。結婚や交際の話はしないと俺の方から他の人たちに言った立場だと言うのを忘れて迫ったことで清花さんの気分を害したと思う。それに、あんなことの直後に言うべきことではなかったこと。それらについて謝罪します」
元々ここに来る時にそういう約束をし、それを承諾したのは他ならぬ景文さんだ。それを周知し、約束を守るよう申し付けたのも彼。その彼が約束を破っていては他の参加者に示しがつかないのは確かにそうだ。
僕がこれをそのまま許した場合、それもまた同様のことになる。他の人たちへの不義理は後々の不和の元になるかもしれない。
とはいえ、これに対しての罰は強制退場となっていて、それを今の状況で彼をこの場から退場させるのは流石に考えなしだ。
他の人たちが会話を聞いていた訳でもないので、このことに関しては秘密ということにしておけば問題はない。
「とりあえず、その謝罪については一旦横に置いておきましょうか。今は別のことについて話し合いたいので」
「わ、分かった。その話っていうのはさっきのこと……でいいのかな?」
「はい。間違っていたら訂正して欲しいのですが、景文さんは偽装結婚でもいいから婚約者に立候補すると言いましたよね」
「間違いない。確かに言った。それは今でも変わらないよ」
「改めてお聞きする形になって申し訳ないのですが、その意味する所は貴方は僕のことを異性の恋愛対象として見ているということで合っていますか?」
「間違いなく、それで合ってる。俺は……俺は、清花さんに異性として強く惹かれてる」
嘘はない。迂遠な言葉遣いを用いらず、直接的な言葉で言ってくる辺りは嘘ではないのだという彼の意志の表れでと思われる。
こちらに誤解して欲しくないと、正しく伝わって欲しいという願いが伝わってくるかのようだった。
こうして面と向かって直接強い気持ちをぶつけられるのは初めてだということと、それが男性であることに複雑な気持ちはある。
ただ、咲夜が聞いてきた通りにそれが嫌だとか、拒否反応のようなものはないのは再認識したつもりだ。
「先ほど、咲夜とその事で話をしてきました」
「……それで、結論は出たのかな?」
彼でも緊張をしているのか、少し声が強張っているのが分かる。
白面を前にしても臆することがなかったくらいに荒事にも慣れている彼でもこういうことには緊張をするのだなと感じた。
「まだ結論は出ていません。それはこれからのお話で決めたいと思っています」
「それは良かったと一安心、なのか?」
それは僕の方からは何とも言えないことだ。
「何故これからの話し合いをするのかですが。まずは何故景文さんが僕に好意を感じているのかが分からないから、そこからきちんと理解をしたいと考えています」
「……なるほど。続きを聞いてもいいかな?」
「はい。僕と貴方は初めて会ってからそんなに時間は経っていません。しかしながら、咲夜や冬香の話を聞くに白面との戦いの後から態度が変わったと聞いています。それは景文さんからの告白を聞いて僕もそう思いました。あの時、何を感じて何故好意を抱くことになったのか。その理由が分からなくて、貴方からの好意を素直に受け止めることが出来ずにいます」
「それは疑っているということではなく?」
「疑ったりはしていません。ただ単純に疑問があるだけです。僕は女性としての魅力がそうあるという訳ではないので、果たしてどこに感じ入る所があったのかが分からないのです」
「女性として魅力がない?」
目を見開いて困惑している。
「前にも、それと名雪さんたちにも同じような反応をされましたが、肉体的なことや顔で判断しているというのならそれはそれで構いません。主観で構わないので景文さんの意見も聞いてもいいですか?」
「……勿論、顔もそれ以外にも色々感じるところはある。けど、俺が君を好きになったのは別のところにはっきりとした理由がある……と思う。それを話すには少し時間が掛かるけど、それでもいいか?」
「構いません。お茶菓子と飲み物は貰ってきたので摘みながら話しましょう」
どうやら本音で理由を話してくれるみたいなので話を打ち切らず、このまま続けることにする。
ここに来る前に貰ってきた物を机の上に並べ、浮き上がりかけていた気持ちをしっかりと据えてから話すことにした。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
飲み物の入ったコップを手渡し、少し口に入れてから本題に移る。
「それでは、話を聞かせて貰ってもいいですか? もしも話せないようなことなら無理に話さなくて構わないので、その気持ちの源泉となる部分をぼかしてでもいいので説明して頂ければと思います」
「分かった。まずはそこに至る前に話しておかなきゃいけないことがあるんだけど、清花さんは生まれ変わりというものを知ってるか?」
唐突にやって来た、予想外の単語に首を傾げる。
「それは輪廻転生というやつですか? 前世と来世の話、みたいな」
人は死ねばそれで終わりだけど、死んだとしても次の生があるという考えだったはず。
本当にあるのかは死んだ人間にしか分からないことだけど、どうやら実際に体験した人が目の前にいるらしい。
嘘を吐いていないということはそういうことだ。
景文さんは僕の言葉に真面目な顔で頷いた。
「それで大体合ってるよ。本来は記憶がないから無いものとされている前世だけど、時々そういう人が噂になることはある。……つまり要点だけを話すと、俺は前世の記憶があるんだ。前の人生、生きてから死ぬまでの何十年分の記憶ってやつが」
「興味深い話ですね。ですが、そんな話を誰かに聞かせてもいいんですか?」
生まれ変わり、転じて甦りといった所だろうか。そんな話は今まで聞いたことすらない。
少し大人びた一面のある彼の行動になるほどと納得している僕に対し、彼は呆気に取られたような顔で口を開けていた。
「……信じるのか?」
「?? 信じるもなにも、嘘を吐いているかどうかは分かりますから。ですので、信じる信じないと言うのなら僕は自分の力を信じています」
確かに嘘の感知が出来ないのなら荒唐無稽な話だとは思うけど、それでも彼の言うことならおそらくは信じていただろう。
少なくとも、彼は僕に対しては悪意ある嘘を吐いたりはしないと感じているから。
「なにより妖怪が封印されていた頃の科学の時代なら分かりますが、今の時代でそういった神秘的なことを否定する理由はどこにもないでしょう」
「……確かに。信じてくれないかも、なんて考えてたのは自分だけだったみたいだ。ハハっ、考えてみればなんてことない話だったな」
彼は自重気味に笑って話を続ける。
「清花さんは前世の記憶ってどういうものだと思う?」
「過去の自分……そこから今に続く連続した人生、ではないんですか? 物心のついた幼少期から今に至るまでのような」
「ある意味その通りではあるんだけど、俺個人としては厳密には少し違うんだ。例えば……そうだな、映画やドラマとか、あとは漫画やアニメで丸々一本その人の人生が描かれたとする。それを見た人が自分を映画の主人公だと錯覚してしまうようなことってあると思うか?」
「実体験していないから確実だとは言えませんが、想像する範囲ではないと思います」
そんなものが実在するかは別として、物語というものは往々にして主人公がいて、その柱は主人公を基にして作られる。
言い換えればそれは主人公そのものの人生であり、それを読んでいる側の人間は主人公に感情移入していくことになる。
僕も本を読むのは好きだし、入院生活中も病院にあった本は読み尽くすほどに読んだ記憶がある。
そこで彼のいう通り読み手側が主人公だと誤認することはあるのかというと、あまりないように思えた。
彼はそんな僕の考えを読み取ってか頷いて肯定する。
「俺が感じているのもそんな感じで、過去の自分らしき人物の一部始終を映像として見ている感じなんだ。こういう時こうするだろうなっていう考え方とかが似ているだけの別人……っていうのが俺なりの解釈で。……まぁ、今の時代には有益な情報が沢山あったからそこは過去の俺に感謝してるんだけどな」
もしも彼の強さが前世に由来しているものだとすれば、その強さに辻褄が合うことが頭に思い浮かぶ。
「ではその陰陽術も前世で、ということですか?」
「そういうことだね。俺の前世っていうのは妖怪が封印される前の時代のものだったんだ。その前世でも陰陽術を使ってたお陰で今があるって訳さ」
「なるほど。道理でその強さにも理由があったんですね」
今までの彼の話は他の人が聞けば嘘かもと思う話ではある。前世での話なんてそうそう聞くものではないし、そんなものがあったら誰だってそうしたいと思うに違いない。そんな話があれば有名になっているだろうことを考えれば、彼はこのことは誰にも話していないのかもしれなかった。
「そんな話を僕にしてしまっても良かったんですか?」
「これでも人は選んでるつもりだよ。まだ誰にも話したことはないんだけどね」
僕が最初だと言いたいのだろうけれど、彼の目が期待に溢れているせいで思惑がバレバレなのが何とも言えない気持ちにさせる。
多分、このことを知っているのが僕だけという特別感を嬉しいと感じて欲しいのだろうけれども。
「前世からの記憶があるとこう、人生経験経験した分だけ大人らしくなると想像するのですが、景文さんってそういう感じがしませんよね」
「えっ」
大蓮寺家で初めて会った時は確かに得体の知れない人という印象で、謎めいた雰囲気が大人としての雰囲気を醸し出していたような気がする。
その後での白面との戦闘で衣服が破けてしまったせいで晒してしまった素肌を見て赤面していた彼は年相応に思えたし、今日の手合わせでの一連の出来事は同年代かそれよりも年下のような初々しい反応だった。まるで初めて咲夜とお風呂に入った僕のような狼狽え方は二度目の人生を経験している人のものとは思えないようにも感じる。
「悪い意味ではなく、子供っぽさがあるというか。僕の体を触れたりした時に思い切り赤面して動揺してましたし」
思い出すのは手合わせの時とか、入浴直後での出来事とか。同様にそれらを思い浮かべたらしい彼は明らかに慌てた様子で腕をあちらこちらへ動かす。
「べ、弁明をさせて欲しい! 確かに記憶には確かに今の自分よりも長く生きた自分の記憶がある。それは確かだ! けど、それはあくまでもその男の経験であって俺の経験じゃない。恋愛ものの創作物を見たからといって恋愛が上手くなる訳じゃないのは理屈として分かるだろ? つまりはそういうことだ!」
「それは……確かに。その通りですね」
「前世の影響で小さい頃から力があったせいで周りが牽制し合ったらしくて、だから他の家がやっているように婚約者候補を側に置けなかったみたいなんだ。名雪たちも身近ではあるけど婚約者候補からは遠い存在だったからな。だから女性に対する免疫が少ないのは自覚してる。そういう部分で子供っぽいと感じるのは仕方がないというか………………その、幻滅したか?」
知識はあるけど実体験をした訳ではないから行動にチグハグな部分があるということか。
そういう理由なら彼の行動にも納得が出来る。妙に大人びた雰囲気と子供っぽいところがあるのはそれが理由ということらしい。
心配そうにこちらを見る彼を見て、話を聞いて別段何かが変わったような感覚はない。
「幻滅だなんてしませんよ。そんなこと言ったら、僕もそういった経験は少ないですから」
「そうなのか? 清花さんほど綺麗な人なら周りが放っておかないと思うんだけど」
「そこは色々と事情がありまして。ともかく、他人を笑えるような立場ではないので幻滅したりガッカリしたりなんてことはありません」
そう宣言すると彼はホッと胸を撫で下ろしていた。
段々と彼の背景が見えてきて、彼がどういう人なのかが見えてきたような気がする。
「話を続けますが、その前世の経験が僕に対する気持ちに影響していると考えていいのですか?」
「そう、だな。さっきは俺の経験じゃないと言ったけど、その記憶を見たっていう経験は俺のものでもあるんだ。その記憶を見た思いが今の俺に少なからず影響を与えていることは否定出来ない。清花さんの言った通り、前世で起きた出来事が今の自分に影響はしてると思う」
「その話については聞いても大丈夫な話ですか? 恐らく、あまり話したくないような内容だとは想像していますが」
「あぁ。前世ではあっても既に終わった話だからね。それでもあまり気持ちの良い話ではないけど、いいかな?」
「お願いします」
答えると彼は気を取り直して神妙な面持ちで答えた。
彼の前世は陰陽師の家系で、その時は土御門の姓ではなかったらしい。
有名でもなかった、特別に強い力を持った訳でもないただの一般的な術師だったという。
その彼は当時から敵対していた妖怪から、その時の大蓮寺家の浄化使いを守る使命を授かっていたという。
他にも浄化使いの守人はいたらしいけれど、彼の前世とその時の浄化使いは特別仲が良かったらしい。
紆余曲折あって、結果としては彼はその人を守りきれなくて、その後悔を胸に次こそはと誓いながら彼は死んだ。
だから今世では幼い頃から厳しい鍛錬を己に課し、やっとの思いで今のような力を身に付けたという経緯がある、と。
その話を聞き終えた僕の頭にはある疑問が浮かんでいた。
「その人と僕って、もしかして似たりしていますか?」
ふと過った考えには、彼は静かに首を横に振る。
「その人と清花さんは全く似ても似つかないよ。あの人は前線で戦いなんて出来なかったし、好戦的な性格でもなかった。どちらかと言えば争い事を凄く苦手としている人だったよ。自宅で育てていた花をいつまでも愛でているのが好きな人だからね」
確かにそれは僕とは真逆を行く性格の人かもしれない。
花が嫌いな訳ではないけれど、それを愛でている時間があれば自己鍛錬に勤しむに違いないから。
「では、どうして?」
「性格は似てないけど、似てるところはあるんだ。誰かの為に一生懸命に行動をするところと、いざっていう時に無茶をするところとか」
「……確かに、当て嵌まると言えばそうですが」
過去の大蓮寺家の女性と僕は違うと言おうとしたところで、彼がそれを制してくる。
「似てる部分があるから惹かれた訳じゃないってことは勘違いをしないで欲しい。確かに影響を受けてはいるのは否定しないけど、あの時……沢山の傷を負っただろう君を見て自分の手で守りたいと思ったのは紛れもなく自分だけの思いだから」
「そ、そうなんですか……」
「あんな傷を負ってまで自分だけで戦おうとする君を放って置けないって思ったんだ。君を守るのは自分で在りたいと、そう感じたんだ」
「なるほど。分かりました。分かりましたので一旦落ち着きましょう」
段々と彼の内の熱量が上がっていくのに対し、これ以上の感情はこちらも処理しきれないと感じて止めに入ることにする。
なまじ相手の感情が伝わってくる分、そしてそれが嘘ではないと分かってしまうからこそ困ることがあるのだと初めて思い知った。
彼は守りたい人を守れなかったという前世の記憶があるからこそ、僕の傷ついた姿は許容することが出来なかったのだと思う。もう奪われたくないというのはかつて失ってしまった命に対してのことで、だからこそ白面と戦った直後の姿は彼にとって衝撃的だったのだろうと理解した。
彼は前世でも大蓮寺家と繋がりがあったみたいだし、その系譜に当たる僕が全身傷だらけの姿は前世の記憶で大切な人を守れなかったという記憶を連想させてしまったのだろう。
そうなると、また新たな疑問が出てくる訳で。
「では、その守りたいという気持ちと好意にはどう結びつきがあるのでしょうか? 先ほどの話だと、守りたいというだけで恋愛的な話には発展しないはずですが。もし違ったら訂正して頂いても?」
「あー、それは……その……」
余程言い難いことなのか、ずっと隠していた自分の話よりも口が働かないみたいだった。
しかし、それを言わないことには先へ進まないと悟ったのか、申し訳ないというような苦しい顔で答える。
「傷を負った時に破けた衣服から……その、見えてはいけないものが見えてしまい……えっと、その急に清花さんを女性として意識をし出してしまいまして」
「見えてはいけないもの……?」
素肌程度なら別に見られても何とも思わないし、下着程度ならあの場面でなら見られてしまうのは仕方のないことだと思う。
しかしながら、彼の動揺の仕方は明らかにそれ以上のものを見てしまったようなもので。
その時の自分の姿を思い出すと、何やら彼の言っていることが理解出来なくもない気がしてきた。
「……つまり、それが一度目ということですか?」
僕の問いに彼は小さく「はい」とだけ答える。
自分では見えていなかったつもりだけど、どうやら彼からは別のものが見えていたらしい。
あの場では冬香のお父様に次いで身長が高かったし、角度が問題だったのかも。
その時のことを思い出して赤面している彼は確かに前世の記憶があるとは感じられない見た目年齢に相応の人だった。
「今更その時のことで怒ったりはしませんよ。もしもわざとなら話は別ですが……」
「わ、わざとじゃない! 信じてくれ!」
否定する為にブンブンと頭を振る姿は少し面白いものがある。
しかし浴室から出た時に見られた際のことを思い出すとこちらも予想以上に恥ずかしいのでこの話は終わりにするとしよう。
前世のことはともかく、今まで女性に対して身近に接する機会があまり多い訳ではなかったようなので過剰気味に反応してしまったということだろう。それ自体は別に咎めるようなことではない。
「それはもういいので話を続けますが、あの一件で景文さんは僕のことを女として意識するようになったと、そういう理解でいいですか?」
「そ、その通り……だ、よ。うん。それで間違いない。うぉぉぉ……言葉に出すの、凄い恥ずかしいんだが……っ」
羞恥心に悶える彼は放って置いて今までのことを振り返って頭の中で話を整理していく。
「なるほど。大凡理解は出来ました」
語られた彼の事情、立場、考えからすると確かに僕への好意は確かなものなのだろうと結論付けられた。
それも思春期特有の一過性のものではない、強く固い誓いのような思いだ。
その思いを受けて、自分はどう感じているのか。自己分析をしてみるけれど、答えは出ない。
分からない、ということが分かっただけだ。
「それで、答えは出たのかな?」
「……そうですね。景文さんの気持ちは理解出来たような気がします。その上で結論を出すと、自分の気持ちがよく分からないというものでした」
「自分の気持ちが?」
「えぇ、そうです。情けない話ですが、こういった経験がなさ過ぎてどう受け止めればいいのか。どう答えを出せばいいのか分からないんです」
そう答えると、彼は肩の力を抜いたように笑う。
「別に情けなくなんてないさ。俺たちは時間を掛けてそういう気持ちを育んできた訳じゃない。だから急激に上がった俺の気持ちの度合いに今の清花さんの気持ちが追いついていないのは当たり前の話だと思う。」
彼の言う通りだと思った。気持ちが追いついていないという言葉がすんなりと受け入れることが出来たから。
好きだとか、付き合って欲しいだとか、あるいは結婚して欲しいだとか、そういった話をする時は自分も同じくらいの気持ちにならないといけない気がしていた。誰に言われた訳ではないけれど、自然とそういう物だと思っていた。
「だから、今すぐに結論を出しても良い結果は出ないというか……」
「回答を保留ということにしても景文さんは構わないということですか?」
「結論を焦って間違って後悔するより、じっくり出して後悔する方がいいと俺は思う」
「どっちにしても後悔しているのですが?」
「こ、後悔のない人生なんてないってことで一つ」
前世で悔いを残している人の言うことは違うということらしい。
だけど、ここは口だけでも後悔させないだとか言うべきなのではないかと思っていると、彼は静かに手を差し出してきた。
「後悔はするかもしれない。けど、それ以上に幸せにしてみせる。だから、その未来を掴む為の機会を俺にくれないか?」
そう言って微笑む姿は冬香に見せられた至上のイケメンだというそれ以上のものを感じた。
ただ、何というかこの言葉遣いには突っ込みを入れざるを得ないというか。
「白面の時といい、その気障な台詞は前世譲りなんですか?」
「えっ、俺の言葉ってそんな感じに聞こえる⁉︎」
どうやら自覚はなかったらしい。
「例えばですが、白面の時にしていた髪の毛に口付けする行為とか、冬香に言わせれば創作の世界にしかないような行為らしいですよ。僕は後で知ったんですけど」
「そ、そうだったのか……」
衝撃の事実といったように愕然としているのでおそらくは素でやっていたみたいだ。
彼の前世では普通のことだったのかは歴史に詳しくないから知らないのだけど、もしかしたらそういうこともあり得る……のかも?
冬香みたいに娯楽や創作の世界に詳しい訳ではないので僕としてはイマイチ理解は出来なかったけど、彼と接していく上では覚えておくべきか。
「そういうのは名雪さんとかから言われたりはしなかったんですか?」
「いや、そもそもああいうことをしたのは清花さんが初めてだから。名雪たちには……うーん、しようと思ったことがないな」
僕に対しての熱量が上限の百だとすると、名雪さんたちに対するそれは十にも満たしていないように感じる。
「それ、あの人たちには言わない方がいいですよ? 絶対弄られますから」
「既に弄られまくった後なんだけどな」
「あぁ、僕が寝ていた間にですか」
「特に女子たちの詰問が凄かった……」
そう言って遠い目をする景文さん。名雪さんからの情報によれば僕が襲われていると聞いて目の前の相手を倒し始めたというし、その場面を見たら確かに色々と問い詰めたくもなるだろう。その時に満面の笑顔で問い詰めている名雪さんの顔が目に浮かぶようだ。
今回のことを知れば冬香からも粘り強く事の顛末を聞かれそうだから詳しくは語らないでおこう。
「ちなみに何と答えたんです?」
「俺から言うことは何もないって突き通したよ。しつこく聞かれたけど、一時間もしたら流石に諦めてた」
逆を言えば一時間も粘っていたということ。恋愛話が好きだという名雪さんからしたらこれは短いのか、長いのか。
というか、彼の集中力が途切れていたのはこのせいだったのではという推理が頭に過った。
……この話が終わった後は自分の番だなと思いつつ、とりあえずは話を進めることに。
「それで、僕からの回答なんですが」
「わわ分かった。き、きき、聞かせてくれないか?」
「何でそんなに動揺してるんですか」
「いやぁ、清花さんはそう恋愛とか結婚はしないって言ってるし、断られる可能性の方が高いから、さ……」
確かにここに来る前も来てからもそう宣言しているので彼の心配する気持ちは分かる。
僕だって今回のようなことがなければその意思を変えるつもりはなかっただろうし、あのご老公たちの目的がここにあったのだとすれば確かにその目論見は成功していると言える。
文奈さんやご老公たちの思惑通りに事が進むことに釈然としない気持ちはある。
けれど、それは知らずに自らの思いで行動をしていた景文さんには関係のないことで。
だから思惑云々はここでは考えずに、あくまで自分たちの思いや考えで話を進めるべきだ。
「景文さんの言う通り、今は恋愛をする気はありません」
その言葉に彼の肩が少し落ちる。
「話を最後まで聞いて下さい。今は、と言ったはずです」
「……と、言うと?」
「まずはお友達から始めましょう」
「お友達? そういう体の断り文句じゃなくて?」
「断り文句ではなく、文字通りの意味です。今回話してみて貴方の好意の源泉は分かりました。なので、今後はよりお互いを知ってから次へ行くか、それとも止めてお友達のままでいるのか、それをこれから決めていきたいと思っています」
「それは……将来的には"そうなる"可能性があると考えてもいいのか?」
「分かりません。分からないから、やってみて、確かめてみて、理解をして、それから決めていきたいと思っています。これが今の僕の嘘偽らざる本心です」
おそらくだけど、僕の心は少しずつ気付かないくらいゆっくりとだけど変化をしてきている。前までは男性と付き合うだとか恋愛だとか、そういうのは考えることすら嫌だった。こういった話すらせず、無理だと言って場を設けることすらしなかったはずで、そのことは自分が一番理解している。
それが今は抵抗感は少なからずありつつもやってみて、どうなっていくのかを知りたいと思っている自分がいて。
この変化を僕は受け入れていきたいと思い始めている。知らないから、知りたいと思い始めていた。
その果てのことも想像していても、それでも……。
昨夜の言う通り、これはひょっとしたら葛木家の血なのかもしれない。
学者肌で、知りたがりなのは家族や血縁を通して多い傾向にあるから。今の感覚は自分の為の化装術を覚えようとしている時と似ている気がする。
恐れずに自分の意思で前へ進みだそうとしているような感覚を思い出していた。
「もしも、それからでもいいと思うのでしたら僕の手を取……って早い⁉︎」
言い終わる前に握られた手はまるで熱した鉄のようで、触れた箇所から熱がこちらにも伝わってくるかのよう。
それだけ彼がここでの会話で緊張をしているかということかが分かると言うもので。
「それでもいい。だから、少しの時間を俺にくれないか?」
「え、えぇ。景文さんの望む形になるかは分かりませんが。もう一度聞きますが、それでもいいんですか? 話す気は毛程もありませんが、万が一にでも僕の秘密を知ったら凄く後悔するかもしれませんよ? 衝撃的過ぎてトラウマになって人生を棒に振るかもしれませんよ?」
「望むところだよ。全ては今後の俺次第ってことでいいんだよね?」
「そうとも言えますし、僕次第とも言えるような……?」
彼の行動によって何かが変わる可能性はあるものの、やはり結局は僕の心次第な気もする。
とはいえ、今回の彼の行動がなければこうも大きな変化はなかっただろうから、やはり彼次第ではあるのかもしれない。
自分でも行動すると決めたのだから、彼任せにしていてはいけないのは理解はしつつ。
「それでは、これからもよろしくということで」
「あぁ。よろしくな」
再度握手をしながら目線を交わす。彼の一段と強くなった想いに胸焼けがしそになりながらも逃げまいと受け止めることにする。
少しの間そうやって、落ち着いた彼は真面目な顔で聞いてくる。
「そうと決まったら、一応聞いておかないとなんだけどさ」
「はい? 何でしょうか」
「お友達っていうのはどこまで許してくれるものなの?」
言いながら、未だ繋がったままの手を持ち上げられる。
繋がったままの手からは消えない熱が伝わってくるようで、どうにも無理矢理に外すことが躊躇われていた。
「どうなんでしょうね。そこのところは厳密には決めていないというか、一般的な男女の仲はどういったことをするんでしょう? そこのところは景文さんの方が詳しくないんですか?」
「さっきも言ったと思うけど、俺にはそもそも女の子が近づけられなかったから。だからそういう経験は乏しいんだよな。前世でも……あー、そういう経験は少なかったみたいで、さ……」
「そうですか。そうなると、いきなり前途多難ですね」
どちらも経験が少ないとなると、他の人に聞くか自分たちで手探りでやっていくしかない。
そこのところは咲夜が上手くやってくれそうな気がするけど、咲夜は異性の友達が多いというわけではないのでどうするか。
冬香に相談は……止めておいた方がいいか。
「とりあえずは肉体的接触のようなことは無しで、当面は一緒に出掛けるだけとか、他愛のない会話をするとか、そういうことで仲を深めていくってことでどうかな?」
「その辺りが無難でしょうかね。それでは……」
咲夜と冬香のことを考えていたら、ふと思い出したことがあった。
「あぁ、そうだ。冬香が夏に海かプールに行こうと言っているので水着を買いに行く予定なのですが、一緒に来ますか?」
「えっ、水着?」
本当はネットなどで注文すればいいと思っていたんだけども、一度着てみないと分からないこともあると冬香が言い出し、更にはどうしても見せ合いっこをしたいとなどと駄々を捏ねたので結局は僕と咲夜が折れた経緯がある。
それならとあまり人目の少なさそうな場所を選んで行くことになったのだけど、一緒に出掛けると言っても僕の予定はそんなに空きがある訳ではないのでそういった日に同行してもらうのがいいと思って提案した……のだけど、彼の視線は宙を泳いだままなかなか帰って来ない。
鼻の下が伸びている辺り、きっと邪な想像もとい妄想を繰り広げているに違いなかった。
「……やっぱりやめておきましょうか」
「そんな殺生な! 買い物してる時は外で待ってるからし、荷物持ちでも何でもするからさ!」
「そんなに懇願するほどですか?」
「あわよくば水着選びに参加させてもらおうとかは考えてないよ?」
「思ったことが正直に出てますよ」
しまったという顔をする景文さん。どうやら僕の前では冷静でいられないという名雪さんの推測は当たっているみたいだ。
前世がどうとかは彼を形成する要素として欠かせないものなんだろうけど、それは彼の全てではない。自分が今見て、感じている彼が大事だということを忘れてはいけない。少なくとも、僕が見ている彼は見た目相応の青年のそれだった。
「そんなに水着が見たいですか?」
「…………ここではいと答えると好感度下がらないか?」
「答えるまでの間が答えになっている気がしますけどね」
彼は手を握っていない方の手で自分の頬を叩いた。しっかりしろと自分を叱咤しているようだ。
男の気持ちが分かる自分としては、女性の水着姿を見たいという気持ちがあるのは分かっている。それを表に出して嫌われたくないということも。
その為に彼は余計なことを言わないように下唇を噛んで何かに耐えていた。
このままでは話が進まなさそうなのでこちらから提案をする。
「行くとしたら海とプール、どっちがいいと思います?」
「俺も付いて行っていいのか?」
「買い物に付き合ってもらうだけなのはアレなので。女の子のみというのは色々と危ないこともあるでしょうし」
「そうだな。清花さんに余計に虫が寄って来ないようにしないとだから、やっぱり俺がいないとだな。うん」
僕がいれば邪な人たちは寄っては来れないけど、それは言わないことにする。
「それで、どっちがいいですかね? 安全性を考えればプールですが」
「俺もその方がいいと思う。海の妖怪は色々と厄介だから、清花さんが行くと退治しに来たと勘違いして周囲まで巻き込みかねないしね」
「なるほど。それは盲点でした。咲夜にもそう伝えておきます」
妖穴が海上に開き、そこに水棲型の妖怪が落ちることがある。その場合、普通の退魔師では対処が不可能になるので専門の退魔師が退治しない限りはその妖怪は野放しになったままだと聞いたことがある。確かに、そういった妖怪を警戒させないように配慮はした方がいいか。
「詳しい日程は追って咲夜から連絡が来ると思います。今度、連絡先を彼女にも伝えておきますね。あぁ、それと買い物に付いてくることはまだ二人には伝えていないのでもしかしたら駄目かもということは先に言っておきます」
「突然だし駄目だったとしても仕方ないと納得してる。じゃあ、それでよろしくお願いしていいかな」
二人なら嫌だということは言わないかもしれないけど、許可が出たら何かしらのお礼はしないとなと考えていると景文さんはおずおずと手を挙げた。
「あー、それともう一つ質問なんだけど」
「はい、何でしょう?」
「さっきのお友達からってやつ、他の人にもしたりすることはあるのか?」
「いいえ、ありませんよ。景文さんの好意を利用した形のまま他の人とも、というのは不誠実極まりないので。最も、何の目的もなくただただ純粋にお友達になる分には許して欲しいですが」
「それなら全然平気だ。……あー、ごめんな。なんか独占欲丸出しみたいで」
「いえ、それなら今日の戦いの時に思い切り宣言してましたし。今更というか」
まだこういう風に話をしていない内から「俺の女だ」という宣言は独占欲そのものなのは間違いなかった。
それを思い出したのだろう、景文さんは思い切り顔を紅潮させて手で覆い隠した。
「き、聞いていたのか……。てっきり意識が薄れていて聞いていないものだとばかり……」
「あれだけ大きな声だったら嫌でも聞こえると思いますが。……それは置いておくとして、景文さんはご老公含め名雪さんたちにも盛大に思いの丈を曝してしまった訳ですが、それでも割って入ろうとする人っていると思いますか?」
「山ほどいると思うけど? 何なら身近に何人もいるくらいだし」
「そ、そうなんですか」
いないだろうと思ったら真面目な顔で否定されてしまった。
そして握ったままの手が一層強く握られる。
「清花さん、色々と鈍感過ぎるから心配になってきた。こうなったら俺も同じ学校に行こうか」
「いやいや、そもそも僕だってそんなに通えている訳ではないですし、来たって会えるとは限りませんよ。衝動的になったっていいことはないですから。それに、それは周囲が大変な思いをするので止めて下さい」
「そ、そうか……。ごめん」
「いつ会えるかとか、そういうのは咲夜と話をしてからお伝えしますので。それまでは待っていて下さい。それでいいですか?」
「分かった。ゆっくりとやって行こうって話だったから、俺もそのつもりで気長に君との逢瀬を楽しむとするよ」
やはり台詞が気障ったらしいのは彼の特徴の一つみたいだ。
段々と慣れつつあるのを受け入れながら。
「それでは改めて、今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ、末長くよろしくお願いします」
景文さんは満足そうに笑って頷く。
その後は咲夜から聞いた今後の予想などの話をしてから部屋に戻った。
前世のことはぼかしながら咲夜に一連の話し合いのことを報告をすると、終始彼女は笑みの含んだ話し方をしていて。
それでも一応は上手く話が進んだということで報告を終わりにして通話を切った。
咲夜の予想通りならまだ何かあるかもしれない。警戒はするもののここで一晩を明かし、明日帰ることにする。
精神的にも疲れたから寝る為に布団に入ったはいいものの、暫くは寝付けそうになくて。
まだ手のひらには熱が残ったままのような気がして、それを抱えるようにすると自然に意識が落ちていくのを感じた。