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三話-12 地面に転がっているのは




「――――――っ‼︎」


 目を開けると、そこは疲れ過ぎて眠った直後にいた部屋のまま。

 全身が水に濡れているということもなく、あの時の息苦しさも今はない。

 気怠さは少しあるものの、肉体的な疲労感は全く無くなっている。寧ろ調子がいいくらいなのはあの夢のお陰か。

 夢にしてはやけに鮮明で、まるで実体験をしたかのように未だに記憶にある。

 試しにと僅かに出した浄化の水から感じ取れる浄化の力、その微細な流れを意識すれば掌握することが出来るようになっていた。

 これなら妖怪に対しても、そして人間に対してももっと効果のある力の使い方が出来るようになっていることはずだ。


(実力の向上には繋がってる、か……)


 いきなり現れて試練だとか言ってきたものを神様だとか呼びたくはないけれど、結果としては悪くはないものになっていることに違いはない。

 涅槃浄界は特級術師にも効く凄まじい効力を有しているし、今の僕であれば扱う水全てをより質の高い神水とすることも不可能ではない。浄界の使い方だって向上しているからもう浄化の力を持った刀に斬られることもない。

 そこに更にこの浄化の力の使い方を足せば更に効力は増していくことになる。

 あの夢での出来事は実力の向上にはこれ以上ないくらい効果的だったのは確かだった。

 戦闘中に意識して使う為にはまだまだ更なる修練が必要だけど、強くなる為の展望が見えてきたみたいだ。

 あとはもっと上手い水の扱い方と多対一での体捌きの上達を目指すことが当面の目標になるか。

 そうして思考がひと段落し、やっと周囲のことに気を配れるようになった時に気づいた。


「うわっ、汗びしょびしょ……」


 起き上がってみると感じた違和感は衣服が肌にベッタリとまとわり付くような気持ち悪い感じだった。

 今の時刻は夜の十時。昼食を食べてから運動をし、その後に戦ってから寝たから大体八時間くらい寝ていた計算になるか。

 その間に見ていた夢の中での出来事はどうやら現実にも影響を及ぼしていたらしい。あの水流の中でうんうん唸っていた時にかいた汗が滝のように流れていて、それを吸いに吸った衣服が気持ち悪い感じになっていたようだ。

 これでは流石に人前には出られないので脱いでから浄化の水で洗濯し、そのあと適度に水を抜いてから部屋の中に吊るしておく。

 目も冴えてきたし、もう必要はないだろうと浄界も解いておいた。

 肌についた汗は浄化の水で落とすよりもお風呂に浸かった方が体感でよく取れると感じているので湯船を用意して入浴することにした。


「おぉ、昨日はよく見てなかったけどこれは凄い」


 備え付けのお風呂場には室内用と、そこから外に繋がる場所には露天風呂があった。

 そこにはここに来た時に最初に景文さんが言っていた通りに温泉の湯が引かれているらしいことが目で見て分かった。

 水に霊力が満ちている状態はある意味で神水に近しいか。違うのは霊力が何処から出ているのかという程度。

 しかし、その違いが大きいことは掛け湯をした時に理解した。天然ものの霊力が肉体に染みていく感覚が気持ちいいと感じるのは初めてだ。

 期待を持ちながら入る前に全身をよく洗い、時間を掛けて湯船に浸かることにする。

 このお風呂に入るという時間は転身を使う前はそこまで好きなものではなかったけれど、今はこの時間が最も癒される時になっているのは間違いない。

 浄化の水ではお湯にはなれないから、やはり体が芯から温まる感じはお風呂ではなければ得られない得難いものだ。


「ふぃ〜……疲れが取れるぅ……」


 全身がお湯の中に溶けていく感覚が心地いい。

 出来ればこのままずっと浸かり続けていたいくらいだ。

 でもそんな訳もいかないのが辛いところ。

 程々に精神的な疲れも取れたところで湯船から上がり、用意していた服に着替えようとして。


「ここか?」


「はい?」


 開いた戸。

 こちらを見る視線。

 固まる僕達。


「「………………」」


 こちらを見る、見続ける土御門景文。

 僕はまだ着替え始めたばかりでパンツを履いたところ。

 一応、瞬時に大事な部分を隠すことに成功したものの、彼の動体視力でもってすればあまり意味はなかったかも知れない。

 流石に水の膜まで張るのは間に合わなかった。

 というか、彼の目線を見る限りバッチリ見られてしまっているようだ。

 さっさと着替えてしまいたいのだけれど、なぜか動かない彼のせいでこちらも身動きが取れない。


「あの、着替えたいのでとりあえず後ろを向いてくれません?」


 努めて冷静に告げると、ハッと我に返った景文さんはようやく目線を外す。

 体を半回転させて後ろを向き、そのまま上半身を前のめりに倒して勢いを利用して走り出そうとしていた。


「も、申し訳ございませんでした!」


 そのままどこかへ行ってしまいそうだったので。


「話を聞きたいので居間で待っていて下さい。正座で」


「……はい」


 怒られると確信したらしい彼は落ち込んだ声音で肩を落としながら下がって行った。

 どうやら本当にわざとではないらしく、呆然としていて扉も閉め忘れていたのでこちらから閉めておく。

 察するに浄界が解かれたので心配で来たところ、部屋には誰もいないからとあちこち探しに来ていたのは分かる。分かるけれども、浴室に誰かいるとは考えなかったのか。

 僕も浄界を解いた上で湯上がりで若干の油断と、そもそも感知しようとしていたのが悪意のみなので彼のことが分からなかったというのもある。

 彼の反応からしてわざとという線はなさそうだし、あの性格からしてあのままずっと起きっぱなしということも考えられる。

 その場合は寝不足で注意力が散漫になっていることもあるだろうし、もしもそうだったらあまり責めすぎるのも可哀想だ。

 しかし、なんと言うか、景文さんに肌を見られる回数がここ最近、なぜか多い気がするのは気のせいだろうか。


(しかも、どんどん過激になってない?)


 遂には女性として簡単には見せてはいけないところまで見られてしまった訳で。

 だからか、少し心臓の鼓動が早くなっている。少し前だったら別に男に裸を見られたくらいでと胸を張っていたというのにだ。

 これはやはり内面――心が女に近づいていっているという証なのかも知れない。

 咄嗟に局部を手で隠してしまったのもそう、以前ではしなかっただろう行動の変化が目立つ。

 例え同性だろうと裸を見られれば恥ずかしいのは理解しつつも、それ以外の恥ずかしさも自分の中にあるのを感じていて。


(これは……咲夜に相談し辛いなぁ……」


 意地というか、矜持というか、自分の中の男がそれを認めたくないと思っている。

 女の子に寄れば寄るほど実力が増していく訳だし、寧ろそれを望んでいたはずなのに。

 他人から指摘されるのではなく、自覚してしまうほどの変化にまだ心が追いついていないのだろうと今は結論付けた。

 すぐに彼の待つところへ行こうかと考えたけれど、髪の毛だって乾かしていなからもう少し待っていて貰うことにしよう。

 備え付けの高級感のある送風機を使って適度に髪を乾かし、最初にここへやって来た時に来ていた服を身に着けて(そもそも日帰り予定だったので服を用意していない)から彼が待つはずの居間へと向かう。


「お待たせしました」


 着替えてから居間に戻ると、そこでは床に正座してただただ沈黙する彼の姿があった。

 どうやら言いつけ通りに正座でずっと待っていたみたいだ。慌てて居直った形跡はない。

 その彼は僕の姿を見るなり、素早く頭を地面に擦り付けた。


「この度は誠に申し訳ございませんでした」


「顔を上げてください。とりあえず一つ質問があります」


「何でしょうか」


 言いながら答える彼の目の下はやはりと言うべきか少し色が悪そうに見える。

 警護をしてくれているのは知っていたけれど、彼だってあれ程の術を行使して後で疲れているはずなのに、僕が寝ている間ずっと気を張っていたら疲れて多少の失敗もするだろう。


「僕が部屋に入ってから寝てますか? 嘘は分かるので正直に答えて下さいね」


「……寝てません」


 やはりそういうことらしい。

 その上で彼を責めるのは不義理というものだろう。


「そういうことであれば先ほどのことは許します。その代わり、この後しっかりと寝て下さい。それが許す条件です」


「いや、でも……それだと」


 なおも食いつく彼に、僕は咲夜の真似をした笑顔で微笑むことにした。


「寝ますよね? さっきのことは寝不足が原因ですよね? 寝不足ではないとしたら……まさか、わざとだったりしないですよね?」


「はい、今凄く眠いのでこの後全力で寝させて頂きます!」


「よろしい」


 わざとではないことは知っているけれど、このまま起き続けて先ほどのような事が頻発するのは避けたい。

 流石に寝不足でなければ彼もそうおかしなことをすることは……いや、模擬戦の時にしていたような気もする。

 では、あれに関してはわざと……ではないか。

 となると、彼はかなりのドジっ子ということになるけれど、名雪さんたちの話ではそんなことは過去にないという。

 何だか景文さんのことが分からなくなってきた。

 椅子に座り、なおも正座している景文さんを見下ろす。

 話出そうとするも、裸を見られてしまったからか顔が熱くて冷静ではない自分がいる。

 これはお風呂上がりだけのせいではないのは分かっているので一度深呼吸をしておくことに。


「あれから何か変化はありましたか?」


「へ?」


「まださっきの話を続けたいのですか?」


 怒られると思っていたらしい彼は拍子が抜けたような声を出す。

 それなら別に続けてもいいのだけど、ずっとジワジワ詰り続けるだけになるのはあまりに時間の無駄だからとあえて違う話をしているのが分からないのか。そう目線で問いかけると彼は肩を丸くさせた。


「あ、いえ、別の話でお願いします」


「では今後は触れないようにして下さい。それで、あの後は何かしらの変化はありましたか?」


「特にはありません。爺さんたちも帰ったきりこっちには来ていないですし、他の奴らに接触した様子もありません。自宅に着くまでは安心は出来ないですが、一先ずはここで何かをやらかす気はないみたいだ……です」


「別に無理に敬語で話す必要はないですよ。とりあえず寝込みを襲うような真似をされなくて安心しました。景文さんとしてはまた襲撃される可能性はあると思いますか?」


 目下、この可能性についてを一番に考える必要がある。

 でなければどの程度用心しておかなければいけないか不明だし、過剰に気にし過ぎるということもなくなる。

 勿論だけどかも知れないという前提の話で覚悟はしておかないといけないのだけど。

 これらを踏まえた上で、彼は結論を出したみたいだ。


「ないと言っていいかな。爺さんたちがあの程度で諦めるとも思えないのに今の今まで何もしてこないとなると、既に何らかの目標を達成して様子見をしてているんじゃないかと思う。それがどういうものか分からないのが問題だけど」


「……あー」


 話すべきか迷ったけれど、相手の目的が曖昧なままにしておくのは良くないかもしれない。

 だから話しにくい気持ちを押し殺して伝えるべきことを言うことにした。


「そのことなんですが、文奈さんやあのご老公たちの目的は僕を誰かに助けさせることだったのだと思います」


「……助けさせるのが目的?」


「思えば、戦っている時に不自然に会話に応じていたのも誰かが来るまでの時間稼ぎだったのだと思います。僕としても誰か助けに来てくれればという考えで応答していましたが、どうも向こうは丁度いい場面で誰かが颯爽と僕を助け出してくれるような演出を待っていたみたいでして。ただ攫うだけが目的なら悠長に会話なんてしないでさっさと拉致した方が効率的ですし、恐らくはそれで間違いないかと」


 会話を打ち切った時の言動なんかは正にそれを狙っていたのだろうと今なら察することが出来る。

 どの道、僕としては他に選択肢らしい選択肢はなかったけれど。


「つまり、あの爺さん達が特に足掻きもせずに唯々諾々とこちらの言い分のままに契約をしたのも言葉通り既に目的は達していたからだということか?」


「そういうことでしょうね。それを知っていたからといって何かが変わっていたということありませんが」


 どうあっても僕は狙われていたし、それに抵抗していた。

 初めの段階……ここに来る前にそのことを知っていたなら対処も出来ただろうけれど、それは詮無きことだ。


「それで、その目的は俺が清花さんを助けることだったと」


「多分、他の人でも目的は達していたでしょう。あの人たちの目的は僕とここにいるいずれかの誰かと恋仲にし、結婚させることだったみたいなので」


「……なるほど」


 その計画が成功かどうかは怪しいところではあるけれど、あの文奈さんの感情を思い出すと心から否定してやりたくなる。

 少しでも成長が出来たという事実がなければ心からそうすることが出来るというのに。


「なので、今後は僕たちが仲良くする姿を見せていれば向こうとしてはそれ以上手を出して来ることはないのだと思います。進展がなければまた手を出してくる可能性はあるでしょうけど、今すぐということはないはずです」


「それはこれからも付き合いを続けていっていいってこと?」


 彼がこちらに好意を抱いているのを知っている前提での発言だったので彼は喜び勇んで少し調子に乗った発言をしているようだ。

 これは少しお灸を据えなければいけないか。


「さっきみたいなことがなければ是非にと言えたのですが?」


「それは関しては誠に申し訳なく。お詫びのしようも御座いません」


「反省の色があまり見られないので要検討とさせて頂きますね。以前に恩を売ってある武原さんにならもっと僕に有利な条件で契約が出来ると咲夜が判断するかも知れませんし。僕は咲夜の判断に従う可能性が高いです」


「なっ」


「改めて言っておきますが、こういった重要なことは咲夜が決めることが多いので僕は要望を伝えるくらいしか出来ませんし、それで僕は構いませんので」


 物事に対する決定権を僕が強く持つことはない。それをしてしまったら咲夜から自分がしたくないことを命じられた時に自分の方が力が強いからというだけで拒否出来るようになってしまう。それはしたくない。拒否をするのなら理論詰めでする。暴力的解決をする関係にはなりたくはない。

 後は重大案件ということで倉橋さんや大門先輩とも協議するくらいか。何にしても、僕の一存で何もかも決めることはしないというのは絶対に曲げないという覚悟で持って自分で決めたことだ。

 だからもし、咲夜が考えた末に誰かと婚約をするべきと判断し、その相手が彼だったのならその時は僕も腹を決める…………つもりだ。

 どこかの誰かと婚約者として接することになったのなら、そうなれるよう努力をする。

 …………ちょっと、いやかなり心の準備が必要そうだけども。


「なので、あまり早まらないように…………あれ? 景文さん? 景文さーん?」


「ハッ! 勝己の奴をどうやって亡き者にしようかと考え込んでしまった」


「えぇ…………」


 まさか彼もこんなことで命を狙われているなんて思いもしないだろう。

 とはいえ、僕よりも強いとされる景文さんと恩を売っていて操りやすい武原さんとどちらを咲夜が選ぶかと言われれば、正直武原さんなのではないかと思ったり。根がお猿さんだからあまり気乗りはしないけど。

 

「事が事なのですぐに決断を下すこともないと思うので、そこは自分を売り込むなり何なりして下さい。それを止めはしませんから」


「ちなみに咲夜さんの好みのお茶菓子とかは……」


 賄賂は別に否定はしないけれども、僕に対して堂々と言うのはどうかと思う。そんな視線を向けると彼は「何でもありません」と。そういうことに関しては別に制限したりすることはない。それで咲夜が話を聞くかどうか知らないというだけだ。


「それでは方針が大方決まったところで、皆さんのところに顔を見せに行きましょうか。どうやらかなり心配をさせてしまったようですしね」


「……そうだな。アイツらも気にはしていたし、顔を見せるくらいは————あっ」


「えっ?」


 立ち上がり、躓いて、やけに既視感のある光景がそこにあった。

 嫌な予感はしたものの、時すでに遅し。正座のし過ぎで足が痺れたらしい景文さんはそのまま前に倒れ込み、運悪く立ち上がって目の前にいた僕を巻き込んで転倒。

 周りには机やら椅子やらがあるせいで碌に回避することも出来ず、そのまま後ろに押し倒される形になってしまった。

 そこへ丁度良く現れたのは————


「いつまで経っても来ないから来てみたら……。なに、もうそういう関係になったの? 全く、朝からお盛んなことね」


 僕の股の間に顔を突っ込んだ状態の景文さんを見て、名雪さんが意地が悪そうに笑う。

 間が悪いと言うしかない。まさかよりにもよってこの場面にやって来てしまうとは。

 これでは誤解もやむなしではあるけれど、ここは冷静に対応をすることで不慮の事故であることを理解してもらうしかないか。


「いいところに来てくれました。少し助けて貰っていいですか? この人、足が痺れて動けないみたいなので」


「……何をやっていたのよ、一体。とりあえずほら、手を取って」


「ありがとうございま……」


 名雪さんも事態をおおよそ把握したのか、呆れ顔を景文さんの方に見せて僕に手を差し伸べてくれる。

 それを取ろうとすると、人間として止めることの出来ない呼吸が熱い吐息となって下着の上から伝わってきた。

 

「って、それは……んんっ!? 景文さん! 見られているので息を吹きかけないで下さい!」


「ご、ごめん! 出来るだけ息を止めるから!」


「だから喋ったら……んあぁっ‼︎」


 ただの風ではない、湿気混じりの生暖かい吐息が気持ち悪いようなくすぐったいような妙な感覚に襲われる。

 ゾクゾクっとした得体の知れないものが背筋を駆け上がっていき、身体が反射的に身を固めようとしてしまう。

 その結果、僕の足に強く挟まれるような格好になってしまった景文さんから更に吐息が漏れて。


「こら! 清花ちゃんが嫌がっているでしょうが!」


 流石に見るに見かねたのか、名雪さんがすぐに助け出してくれる。具体的には彼の首根っこを掴んで引き剥がす形で。


「全く……普段は絶対にこんなこと絶対ないのに清花ちゃんが絡むとてんで駄目みたいね。大丈夫? 処しとく? 処しておく?」


「いえ、それはいいですから。それと巷で聞く噂とも違うので少々戸惑っているところもありますね。あぁ、もう息はしていいですよ」


 吐息を吹きかけないように息を止めていた彼の顔が青くなりかけていたので許可をしておく。

 僕達が息を整えている間、名雪さんは彼を雑に放り投げてこちらに来て背中を摩ってくれていた。


「噂って……あの盛りも盛りまくったやつ? 容姿端麗で完璧超人、文武両道かつ冷静沈着、新進気鋭で八面六臂だとか、そんなの?」


「それです。実際、初めて会った時から白面と戦った時あとくらいまではその認識のままだったのですが……」


「私たちの前だとまた違った素の態度でいるけど、これはそれとはまた違った反応ね。また別の一面といったところかな? つまり、それだけコイツにとって清花ちゃんは特別ってことなんだ。ふぅぅぅん?」


 面白い物でも見つけたような顔をしていた。その目をこちらにも向けないで欲しいものだけど。


「理由についてはこの人に聞いてください。僕に聞かれても分からないことが多いと思うので」


 引っぺがされて放り投げられたまま動かない彼に僕たちは目を向ける。

 しかし死んだように蹲った景文さんは動きたくないという意志をこちらに示してくる。

 事故とはいえ女の子の股の間に顔を突っ込んだのだから確かに顔を合わせづらいのは分かる。

 僕としても気にしていないと言えば嘘になる。変な感触がまだ残っているような気がするし、今着ているのはここへ来る時に最初に着ていた簡素な衣服であり、それがスカートだったのがいけなかった。

 おそらくは中に着ている下着を間近に見てしまっただろう。流石の僕でも誰であろうとそんな至近距離で下着を見られれば恥ずかしい思いはある。

 だから、”これ”は女の子として異性に下着を見られたからという訳ではない。


「って言ってるんだけど? そこの所、女の子たちのまとめ役としてしっかり聞かせて欲しいんだけど?」


 死体を突いて問いかけて……いや、遊んでいるの方が正しいかも。

 しかしそれは動く死体だったようだ。埃を払うように手を動かしてあっちへ行けという意思表示をしていた。

 それを見た名雪さんの笑みが更に深まった。


「あら〜! あんなことをしておいてどっか行けだって、清花ちゃん!」


 手が地面をバンバンと叩く。


「早く行け、だって! 寧ろ叩き出されるのは自分の方だって自覚はないのかしら! 嫌ねー、こういう心の狭い男って!」


 言い返せなくてプルプルと震えているのでそろそろ助け舟を出してあげることにしよう。

 僕も早くこの場から離れたいし。


「はいはい。もうそれくらいでいいので先に行きましょう。弄るのは僕がいないところで好きにやって下さい」


 このままだと延々弄り続けてしまいそうなので、今度は僕が名雪さんの腕を引っ張る。

 流れ的に僕たちの方が先に出ることになりそうだ。そうなると彼をここに残すということになるか。


「景文さんも、一応ここは僕の私物が残っているのであまり長居はしないようにして下さいね」


「下着とか漁ってたら即日全国紙に載るからね」


「鍵をここに置いておくので閉めたら返して下さい」


 などというやり取りをしながら僕と名雪さんは部屋を出た。

 やっと一息付けると軽く溜め息をこぼしたところで、名雪さんはギラついた目をこちらに向けてきた。


「それでそれで? さっきは二人きりで何をしていたの?」


 弄る対象がいなくなったと思ったら今度は標的を変えたらしい。

 これをまともに受け答えしていたら泥沼に嵌るのは必至だろう。


「そういえば、あれから文奈さんの姿を見ましたか?」


「ありゃ、避けられちゃった。……あの子のことなら何食わぬ顔でしれっと戻ってきたよ。どうやら逃げるつもりはなかったみたいね」


 それはやはり悪気というものが彼女にはないからだろう。


「あの子のことなら私たちが捕まえておいたから。預言者とか占い師とかって、先読みしている分こっちに悪巧みを悟られないようにするのが上手いところが厄介なのよね。今回も清花ちゃんが中々来ないと思って探し始めたら急に大人たちが邪魔をしに来て、嫌な予感がすると思ったら案の定だったって訳。まぁ、ただの言い訳だから聞き流しておいてね」


「別に誰かのせいにするつもりはありませんよ。あれは僕が弱かった。ただそれだけの話ですから」


「清花ちゃん……」


 本心からそう思ってはいるけれど、もしかしたら自責思考で自罰的だとでも思われただろうか。


「次は負けません。その為の修行も本腰を入れるつもりですから」


「強いんだね」


 こちらを見る名雪さんの目には同情や憐れみなどではなく、羨望のようなものが感じられた。

 そして彼女は上を見上げて、どこか遠い場所へと思いを馳せているように呟く。


「私も戦う退魔師を目指していた時期があったんだ」


「あった、ということは……」


「そう、諦めちゃった。私の実力じゃいいとこ三級止まりで。結局は四級に上がってすぐに退魔業は辞めちゃった。結論から言うと怖くなっちゃったんだ」


 それは仕方のないことだ。相手は容赦なんて一切なくこちらの命を狙ってくる。人間と妖怪は殺し、殺されるしかない関係だ。

 食料さえあれば闘争には発展しない野生動物と違い、人間と妖怪は顔を合わせたらどちらかが命を落とすか逃げ切るかの二択しかない。

 戦う毎に精神がすり減る感覚は僕にも覚えがある。特に生死の境を彷徨うような体験をした直後なんかには。

 だから退魔師の親は子供に格上に挑むなんてことはさせない。子供だって戦おうとしない。誰も死にたくないし死なせたくないからだ。


「逃げるのは別に悪いことではありません。命あっての物種と言いますからね」


「それはそうなんだけど……うん、まぁ未練があることには変わりないから。婚約者って立場になって思ったのは、これで戦わなくていいんだって考えでね。いやぁ、あの時は自己嫌悪でどうにかなっちゃいそうだったよ。それに引き換え、清花ちゃんは凄い! 偉い! お姉さんが沢山褒めてあげよう!」


 勝手に感極まったらしい名雪さんが勢いのままに頭を揺さぶってくる。

 正確には撫でているのだろうけれど、されている側である僕にしかそうとしか感じなかった。

 そのこと自体は別に責めるつもりはないものの、その行為によってただでさえ整える時間のなかった髪の毛が更に乱れてしまっていた。


「あの、そろそろ……髪が乱れるので……っ」


「あぁっ、ごめん!」


 撫でてくること自体はいいけれど、女の子なのだから撫で方くらいはしっかりして欲しいものだ。

 歩きながら手櫛でなんとか整えていると、どうやら目的の場所にやって来たらしい。目の前の扉の中からは複数人の気配を感じる。


「もう夜遅いのに皆さんそのまま起きているんですね」


「もう寝ている人もいたけどね。だから叩き起こしておいたよ」


「えぇ……」


 別にそこまでする必要はないのではと思ったり。しかし事がことだけに確かに話し合いは必要か。

 起きてしまっているのなら仕方ない。あの場に駆けつけてくれたお礼を言いたいとは思っていたので、みんなが待っているという場へ戸を開けて中に入る。


「…………はい?」


 視界にはそれぞれが暇潰しに端末を手に持って見ていたり、あるいは談笑をしている中で一際異質なものが目に入った。

 部屋の中央、そこには簀巻きにされて猿轡を嵌められ無様に転がされている文奈さんの姿が最初に目に入ったのだった。


「んごーっ‼︎」


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