三話-10 正直者
話し合いという名の恐喝は上手くいった。主に景文さんが話を纏めてくれはしたけど、まず最初に過激過ぎる提案を持って来るせいで僕が折衷案を出すのに苦労した。その甲斐あってこちらにとっては都合が良い形で終わったから良しとするしかない。
話し合いというよりは、こちらの要求を突きつけてただ「はい」と言わせるだけの対話だったけども。
ご老公たちは終始負けてもなお悔しそうにはしておらず、逆に目的は遂げたと満足気ですらある。そんな相手にまともに交渉は出来ない。だからこちらからの一方的な要求をするだけになるのは仕方がないと言える。
その一環として柴井老の持っていた蜘蛛切などはこちら預かりとしているし、その他目ぼしい貴重な霊具の類も全て没収となっている。これに関してはこのまま僕が預かることとするつもりだ。
他にも僕の結界で倒れ伏していた時に景文さんが密かに写真も撮っていたらしく、それらと合わせて今後の為に備えておくことに。その代わりとしてご老公たちからの他の謝罪などは一切受け付けないことにした。
この場で物を取り上げるだけに留めておくのは、謝罪や金品の受け渡しを口実として出会う機会を無くすため。話し合いを長引かせないのも同じ理由だ。
いっそ全て水に流してお終いにしてこれからは仲良くやっていきましょうという手もあったのだけど、それだと相手は調子に乗るだけだと景文さんに止められた。僕としても仲良くやっていくよりは関係を断絶出来た方が有難いのでそちらの路線で行くことに。
この契約については、僕と言うよりは景文さんの方が積極的に推し進めているのは間違いなかった。
出来れば咲夜に頼りたい所だけど、通話に出るのを待っている間に僕の体力の限界が来てしまうかもしれないので彼が仕切ってくれるのは有り難い。
「それじゃ、とっととここに血判を押して」
交わした約束を条項として書面に記し、それを術式として破らないよう相手に強制させる。とは言っても、そんなものは高位の術士であれば契約破棄させることは可能だし、何かしらの方法で裏をつくことだって出来るだろう。
だからこの書面は効力が発揮することを期待するものではなくて、相手が約束に同意したという確かな証拠として残しておく為のものだ。
それに無理矢理の形で判を捺された柴井老はややしょぼくれた顔をして景文さんを見ていた。
「か、景文? ちょおっとだけ、お爺ちゃんに対して厳しくは……ないかな?」
「犯罪者が身内とか有り得ないから。今回の件については心の底から軽蔑してるからさ、出来れば二度と顔も見せないで話しかけもしないでくれると嬉しいんだけど。顔を見るだけで虫唾が走るから」
「…………分かった」
柴井老は景文さんの母方の祖父ということらしく、それで転移術を教えて貰ったという経緯があるらしい。話し合いの最中、気になって少し聞いてみたらそういうことだという説明を受けた後に景文さんにまで謝られてしまった。
そんな訳で孫に心の底から嫌われてしまった柴井老は物凄い気の落ち込みようだった。
景文さんは柴井老から見ても良い孫だろうし、術士としても教え甲斐のある優秀な子だったろう。それこそ手塩をかけて育ててきたに違いない。
その孫から蛇蝎のように嫌われるというのは相当に堪えるのだろう。まるでこの世の終わりのように燃え尽きているのはきっと気のせいではない。
それを見かねたらしい御影と呼ばれていた老人が景文さんに語りかける。
「あー……景文君? 彼にも事情があってだな……」
「事情があれば女の子にあんな傷が残るような攻撃をしてもいいと?」
「いや、そういうことではないのだが……」
「どんな事情があったにせよ、やったことは事実なのだからそれに伴う責任は負うべきでは? 普通の退魔師であれば資格剥奪はおろか懲罰もののところを、あんた達はどうせ特例で見逃されるだろうからこうして内々で処理してるのが分からないのか?」
「う、うむ……」
「こちらの事情は考えずにそちらの事情は汲んでくれというのは虫が良過ぎる。敗者は粛々とこちらの要求にだけ応えておけばいい。それが戦いを挑んだ者のせめてもの矜持というものだろうよ。あんた達はそこのところの誠実さが決定的に欠けている。だから信用がないんだ。敬語っていうのは敬うという字が使われているけど、今のあんた等には敬語を使う気が起きないのはそのせいだ」
十代に説教されている祖父世代という構図は見るに堪えないものがある。
何か言葉を発する度にこうして上から叩きつぶされるように正論をぶつけられ続けて、流石のご老公たちも何も言えなくなってきていた。
「あんた達に要求するのは以下の通りだ。一つ、大蓮寺清花に関わらないこと。直接的にも間接的にも接触の一切を禁ずる。契約を反したことが分かった場合、この書面を世間に公開し今回の罪について改めて問うことにする。一つ、賠償は現在持ち合わせている物を大蓮寺清花に譲渡する形で終了とする。契約が守られている状態での今後の金品の類の取引を一切禁ずる。これは大蓮寺清花が許可をしない限りは親類縁故にも適用される。一つ……」
読み上げる形で次々と条項を口にする。後はこちらに対して恨みを抱かないことなどの細かいところを釘を刺すように付け足していった。
それでも景文さんの読み上げは続いていく。
「一つ、この条約に関する一切の口外を大蓮寺清花が許可しない限り禁ずる。……これに反対する場合、俺はあんた達に対して心を鬼にした対応を取らざるを得なくなる。これは警告ではないことを頭に入れておけ」
ここまで一方的に契約となると、相手側の相当な非があったことは誰の目にも明らかだ。
この書面が世に出たら困るのはどちらか、そんなこと考えなくても分かるくらいには。
「これで良いかね?」
最後に親指の先を切り、自分の血で判を押した前園老が言う。
最初からずっと落ち着いた様子でい続けたこの人には聞きたいことがあった。
「前園老、貴方は今回の件についてどこまで知っていましたか? 文奈さんに関わっていたのですから、当然未来の話も聞いているはずでしょう?」
「……ふむ。敗者として真摯に応えよう。君が言ったように文奈嬢ちゃんからは話は聞いている。君が一人で我々に勝った場合、敵わず早々に負けて連れて行かれる場合、他の者たちが総出で駆けつけて来る場合、幾つかの分岐路はあったが、その上で今回の結末に関しては上々の結果だったと考えている」
「こうして貴方たちは負けて捕まったのに?」
「そうだ」
額面通りに言葉を受け取ればその意味なのだろうけど、僕にはこの人が全てを話しているとも思えなかった。
そして、これ以上語るつもりがないことも分かった。
僕が嘘を分かると知っているからこそ言葉を選んで話していて、なおかつそれに慣れ過ぎているところがとても気持ち悪いと感じる。
一見好々爺のようにも見えるその人は、しかしやはり老獪なお爺さんなのだと理解した。
「嘘は言っていないけど、本当のことを言っている訳でもない。そういう相手にはより一層の警戒をしろ。そう僕は教わりました」
「成程、これはしたりだな。緩めるつもりがより警戒心を与えてしまった。こう老いると口先だけが上手くなるのも困りものだ」
「誤解を解く気はないのですか?」
「ないな。こちらの目的は達した。後は我々は静観するだけで良い。契約の通り、今後許可がない限りは二度と君に接触はしないさ」
「目的は達したと先ほども言っていましたが、それはどういう意味ですか?」
「言葉の通りよ。それを語るつもりもない」
それっきり口を開くことはなくなった前園老の代わりに前に出てくるのは柴井老。
「さて、話し合いは終わった。そろそろ結界を解いてくれないか? お嬢ちゃん」
「解いた瞬間襲いかかっては来ませんよね?」
「しないよ? 君は私たちのことを何だと思っているのかね?」
信用度が下落し続けているせいで疑り深くなった僕の視線に対して呆れ困ったような顔をする。
「逆に聞きますが、信用される要素がどこにあるのですか?」
言いながら、僕はご老公たちと距離を取る。なるべく隅の方まで、結界が解けて襲われても反応が出来るように。
景文さんは同様に警戒をしながら付いて来てくれて、ご老公たちはそんな僕たちを苦笑いしながら。
「では私たちは反対側へ行くとしよう。それで多少は安心出来るかね?」
「出来れば端に行ったらうつ伏せで寝そべって手を挙げた状態になって頂ければ」
「ハハっ、仕方がない。敗者として素直に従おうか」
この話し合いで僕はあの人たちに謝罪を要求したりはしなかった。何故なら、彼等は文奈さんと同様に未来を見据えて行動しているから。自分たちは私利私欲の為ではなく、公の利益の為の行動だから良い行いなのだと思っているから。
だから心からの贖罪を求めても意味はない。これには景文さんの入れ知恵が多分に含まれているけど、僕も同じくそう思う。だから形だけの謝罪は断った。心の籠もっていない謝罪なんて聞くだけ無駄だから。
再度お爺さんたちに土塗れにしてしまうのは心苦しいところだけれど、これも僕の心の安寧の為には仕方ない。
そうしてお互いに結界の端にまで来てご老公たちがうつ伏せになったところで結界を解除する。
結界の維持にも大量の霊力が消費されていたけれども、何とか全ての霊力を使い切る前に話を終わらせることは出来た。
「では、我々は帰らせてもらうとしようか」
柴井老が開いた転移術にご老公たちか飲み込まれていき、次々と姿が見えなくなった。次の瞬間に後ろに現れる可能性はあるけれど、そんなことまで今は心配したくはない。いつでも対処出来るようにと構えていた景文さんも時間と共に警戒心を解いていき、ようやく静寂が訪れた。
「……っ」
「清花さんっ!」
やっと危機は去ったと思ったら途端に体の力が抜けていってしまった。膝から崩れ落ちそうなところを傍にいた景文さんが支えてくれたようだ。
「ごめんなさい。どうやら気が抜けてしまったみたいで……」
「いいから。とりあえず休めるところに移動しよう。肩を貸すよ」
「ありがとうございま……あぅっ」
肩を借りながら歩こうと踏ん張ろうとしたものの、思うように足に力が入らなくなっている。
彼が支えてくれていなかったら地面に崩れ落ちていたかもしれない。体力的にはまだ少し余裕はあるはずだけど、先ほどまで全力で戦っていたせいでその時の緊張の糸が切れてしまったせいか。
戦いに負け、あともう少しで誘拐されそうだったからかもしれない。
こればかりは浄化の力でもすぐには治せそうになさそうだ。
そんな時、横で何やら動きが見える。何やら景文さんが僕の横で屈んでいるようで。
「仕方ない。ちょっと失礼するよ」
そう言った直後、体に浮遊感を感じた。
背中と後に腕を回され、そのまま掬い上げるように持ち上げられてしまった。
「え、えっと……?」
「あぁ、ごめん。もしかしておんぶの方が良かったか?」
「そ、そうではなく……」
人生初お姫様だっこがまさかされる側だったとは思わなかった。周囲の目もあるし、かなり恥ずかしい。頬が熱くなっているのを感じる。
でも自力で歩けないのなら抱っこか背負うくらいしか運ぶ方法はないし、今からわざわざ体勢を変えて貰うのも悪い気がするのでこのまま運んでもらうとしよう。意地を張っても今の状態では意味がない。
ここは可及的速やかに体を休ませる必要がありそうだから素直に連れて行ってもらうことにしよう。
「いえ、このままで大丈夫です。その……お手数ですがよろしくお願いします」
「こんな状態になってしまったのも俺のせいだから気にしないでいいよ。……それにしても、何だか外野がうるさいな」
他の人に事情を説明してくれていた千郷に、着替えを取りに行ってくれていた名雪さん、結界で中には入って来れなかった面々が離れた位置からこちらを見ていた。
それらの顔はとても面白そうな物を見つけたような顔をしており、とてもではないけど真剣な話をするような雰囲気ではない。
あの場に行けばまず間違いなく今の状態を話の種にされるに違いなかった。
それは景文さんも承知しているようで、相手にする気はさらさら無いようだ。
「ごめん。ちょっと揺れるけど、特級便で行こう」
少しの浮遊感の後、風が真下から押し寄せてくる。景色が上昇していき、狼に飛び乗った。そのまま駆け抜けて行くらしい。
こちらに対して大声で何かを言う名雪さんたちは完全に無視するようだ。
僕達を乗せた大狼が凄まじい速度で走り抜く、その最中————
「あっ」
その時、見て、感じて、気づいてしまった。
こちらを遠巻きに見るとある人、まだ精神を完璧に制御し切るには難しい年頃ではあるあの人。
必死に無表情を取り繕っている文奈さんの達成感に満ちた感情を。
それは僕が彼女に気づいた一瞬で消えてしまうごく僅かな時間ではあったけれども、それは彼女にとってはこの状況こそが成功だということの何よりの証で。
「どうした?」
つまりはこの、彼に抱えられているという状態こそが彼女の、引いてはご老公たちの狙いだったということで。
そう考えれば最初に言っていた文奈さんの「悪になる」という言葉が「悪役になる」という意味なのだと理解してしまって。
思い出すのは徹頭徹尾あの人たちは僕の恋愛に強い関心を持っていたこと。
吊り橋効果という言葉があるように、危機的状況を作り出してそれを解決して見せた相手に好意を持つように仕向けることこそが狙いだったのだろう。
その為にご老公たちはあえて僕との会話に乗ったりして救援が来るまでの時間を調節していたという訳だ。
こんな面倒そうな作戦が成功しているかについては……今はあまり考えたくない。回りくどい工作に頭が痛くなる思いだった。
「……いえ、なんでもありません。先を急ぎましょう」
「……? 分かった」
彼にこんなことは言える訳がない。少なくとも、その計画に協力せず純然たる善意で駆けつけてくれて彼に対しては。
そうして目線が高くなった景色は高速で過ぎ去っていき、道中は何もないまま目的地である建物へとあっという間に辿り着いた。
「それじゃあ、降りるよ。勢いはしっかり殺すから安心してて」
体が少しずつ浮かびながら大狼から飛び降りると、下から吹きあがる風が落下の勢いを殺して着地の補助をする。
人ひとりの重量を制御するにはあの程度の風力では足りないから何かしらの術を併用しているのだろうけど、それをサラッとやってのける地力と術の範囲の広さは羨ましいと思う。
「今のは?」
「重力系統の術と風系統の術の合わせ技だよ。流石に今の状態で何もなしに高所からの着地は危ないからね」
僕を抱えている分、より丁寧にやってくれていたようだ。
それにしても人に抱き抱えられるという経験を今までされたことがなかったので新鮮味があるのと同時に、激しい羞恥心に駆られている。
傍から見ればお姫様だっこをしている男女という構図な訳で、しかもされている側が自分だというのが恥ずかしさを上乗せしていた。
こんな姿は咲夜には絶対に見せられない。何を言われるか分かったものではないから。
「そういえば重くはないですか? ずっとこの体勢ですけど」
「うん? あぁ、これでも結構鍛えてるから平気だよ。寧ろ軽過ぎっていうか」
「そう、ですか……」
暗にそろそろ下ろしてと言ったのだけど、どうやら伝わっていない様子。
訪れる沈黙。こうして会話がないと自分の中の思考が加速していく。
考えることといえば、さっきまでのことで。
何と言うべきか、彼は強く僕を女性として意識しているのは間違いなかった。
密着している分、鼓動の音だったり、その時の感情だったりが隠せずに直に伝わってくるし、ふと見上げた時に顔を背ける仕草には照れが入っているのは確かだろう。
初めはもしかしてという程度だったけど、つい先程柴井老たちに言っていたことを含めるとそうとしか考えられない。
彼は僕に対して恋愛的な意味で好意を抱いていると。
「清花さんは」
「は、はい!?」
いきなりの問いかけに驚いてしまったけれど不自然じゃなかっただろうか。
もしかしたら違うかもしれないし、ただの自意識過剰かも――あぁいや、あんなに堂々と俺の女だとか言っていたらほぼ間違いないか。勘違いだったらと考えたけれど意味はなかった。これはもう確定と言っていい。
その彼はやけに真剣そうな顔で聞いてくる。
「どうしても結婚はしたくないの?」
「……そうですね。僕には恋愛をしている暇はないので」
「それなら恋愛抜きの契約婚とかはどう?」
「?? 結婚というものは恋愛を経てからするものでは?」
そんな関係では長続きしないだろうし、破綻が目に見えている。する意味が見当たらない。
退魔師の結婚事情がそんな優しいものではないのは今日という日を持って嫌というほど思い知らされた。
だからという話わけではないけれども、そんな愛もないような結婚は嫌だと思う。
「それじゃあ、偽装婚約は? 結婚をするには至らないし、いざとなれば婚約破棄をして関係をなしにしてもいい。それでいて他の人からああだこうだと口に出されることもないっていう案なんだけど」
「それについては咲夜が考えていましたね。適任だという人がいなくて廃案になりましたけど」
「俺がそれに立候補しちゃ駄目か?」
話の流れ的にこうなるだろうなとは思っていたけど、これはまたえらく直球にきたものだ。
いや、元々はそうではなかったけど、今日の出来事で考えを改めたというのが正しいか。
戦力的な意味で言えばとても助かる。先程のようなことがまた起こらないちも限らないし。
それでも悩んでしまうのは僕自身の決して言えない事情があるから。
これがただの女の子なら喜んではいと言うのだろうけど、僕にはそれは出来ない。
「それは僕の一存では決められせん。僕だけの問題ではないので、きちんと話し合ってからじゃないと無理です」
そもそも結婚する気がないのに婚約というのは不誠実極まりない。それなら最初からするべきではない。
今もこうしてお世話になっている相手に利用して用済みになったら捨ててやるというような思考を持つことは持つことすら罪だ。
だからそもそも結婚をするという選択肢が僕にはない。だから希望を持たないように断ってあげるのも優しさだと思っている。
「それは咲夜さんから認められればいいってこと?」
「ですから……」
「俺は諦めないよ」
「う゛っ」
抱き抱えたままの状態で景文さんが真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
あまりにも純粋で強い感情をぶつけて来て、それがとても真摯なものだからこそ罪悪感を強く感じずにはいられない。
実は男だったと、何かの拍子でバレてしまった時のことを考えると申し訳ない気持ちで一杯だ。
これまで僕が恋愛や結婚を頑なに拒絶しているのは当然知っていはずで、それを踏まえてのこの発言となると文奈さんの言ったことを信じているのか。
「景文さんも占いのことを信じているんですか? 僕が誰かと結婚をするとかいう話を」
「占い? それって剣護と試合をする前の話のことか? いや、俺は基本的に占いは信じていないからな。もしかして、文奈の奴が何か言っていたのか? そういえばさっきアイツも絡んでるって言ってたな……」
嘘……ではない。どうやら本当に信じていないらしい。
そうなるとここまで強硬になっているのはもっと別の、景文さんの個人的な理由によるものものと見るべきだ。
これを確かめずに話し合いをするのは認識の齟齬が発生しかねないか。
「あの、これは不躾かつ間違っていたら失礼な話なのですが。今の話と直接関係している話です」
「な、何かな?」
こちらが踏み込んだことを聞こうとしているのが分かったのか、何か考え込んでいたらしい景文さんは緊張した声で反応する。
本当は聞かなかったことにするべきなんだろうけど、流石にあの宣言を聞いて放置しておくのは彼が可哀想だし、この問題をそのままにしたまま利用したりすることになるのは僕の心情的にあまり望ましいものではないと感じている。
それならばスッパリキッパリと物事に白黒付けた方がやり易いと言うものだ。
「景文さんは僕に対して異性として好意を抱いているという認識で合っていますか?」
「うん………………うん゛ん゛っ!?」
やはりそういうことらしい。彼ほどの力の持ち主であれば女性なんてより取り見取りなはずなのにわざわざ僕を選んでしまうのは見る目がないと言えばいいのかどうなのか。何やらあたふたとしながらも僕を落とさないようにしているのは見ていてやや面白いけど。
ただ、やはり彼程の人物であればこんな自分を選ぶ必要はないと感じてしまう。
「その気持ちは嬉しいですが、景文さんにはもっと別の人の方が……」
「それは俺が決めることじゃないか?」
「……そうですね。ごめんなさい」
他人に色恋について指図されたくはないというのは僕も同じなので素直に謝る。確かに人の心に土足で踏み入るような行為だった。
捉え方によっては振られたとも取れる発言をしたはずだけど、意外にも彼の反応は大人しいものだった。
「こういうことが嫌なのは分かってる。でも嫌われるその時までは積極的に行かせてもらうよ」
「嫌われるかもしれないと分かっているのに、どうして急に動く気になったんですか?」
「……あの時、また奪われると思ったんだ」
「あの時? 奪われる?」
多分、彼が駆けつけて来た時のことだろう。僕が柴井老に捕まってしまった時のことを言っている。
今となってはご老公たちは助けが来るのを待っていたから拉致される可能性はないと知っているけど、確かにあと一歩遅ければ転移術でどこかへ連れ去られていたかもしれないと思っていた。あの時は自分でも半ば諦めかけていたくらいには絶望的な状況だったから。
彼の視点から見れば相当危機的状況に映っただろうことは想像出来る。それこそ、今までの考えを捨てるくらいの衝撃はあったのだろうと。
「今までは少しずつ距離を縮めていければと思っていたけど、君が他の奴のものになると考えたら居ても立っても居られなくなったんだ。……まぁ、まだそもそも自分の彼女でも何でもないのに何言ってんだって話だけど。我ながら自分勝手で情けないとは思う。でも、もう決めたんだ」
声色からして決心は固いらしい。ちょっとやそっとの言葉で彼が自分の考えを曲げることはないと確信する程に。
「…………一つ、聞いてもいいですか?」
彼の想いは全てではないけれ理解はした。短い付き合いではあるけれど、僕が知っている彼は普段は思慮深く冷静でいるのにあの時はそれが保てないくらいの激情に駆られるほどのことだったのだろうと。
それくらいの感情が僕という存在に向けられていることを。
「一つだけでいいの? 答えにくい質問以外ならいくらでも答えられるけど」
「とりあえずは一つで。それだけ聞けば考えがある程度まとまりそうなので」
「なるほど。それじゃあ、聞きたいことっていうのは?」
「僕のことを深く知って、その過程で自分の想像とは全く違ったことがあって、それがどうしようもなく自分には受け入れられなかったらどうしますか?」
実は男だということが言えないので曖昧な問いにはなるけど。
返答によってはこれ以上の踏み込みは控えてもらう予定だ。咲夜にもそう伝えるつもりだし、それで僕たちの関係は次第に希薄なものになっていくだろう。
「人には色々と事情があるのは当然として、清花さんは受け入れられないとか嫌われてもおかしくないような秘密があるという訳だね」
「それこそ人によるかもしれませんが」
場合によっては全然構わないという人もいるのかもしれない。宝蔵剣護が言っていたような女性同士の関係があるというのなら逆もまた然りということだろう。世の中は広いから探したらもしかしたらそういう人がいるのかもしれない。ただ、その価値観を彼に押しつけるのは間違っていると思っている。
男と女がくっつかなければ子供は生まれない。そうである以上、最も自然なのは男女で結婚することなのだから。
その観点で言うと、僕の正体を知った時に彼が僕を強く拒絶する可能性は極めて高いと言える。
「その場合の話で言うと……」
「はい」
一度深く息を吸ったのち、考え込んでから。
「その時によるとしか言えないな。体に傷があるとかなら全然気にしないし、過去に自分の快楽の為に殺人を犯しているのなら好きにはなれないかもしれない。だから、やっぱり想像の埒外の事なら自分で見聞きをしてからじゃないと正確な判断は出来ない。だけど、そのことを話すことは出来ないんだろう?」
「そうですね。墓にまで持って行く覚悟くらいのものだと思ってます」
「そうか。それなら、どんなことであっても理解をする努力は極力するつもりであるよ。それでも無理ってなったらごめんだけど。悪いけど絶対の保証は今すぐには出来ない……っていうのが今の俺の率直な思いかな」
答えを聞いて、それならという考えが頭に浮かぶ。
嘘を言っておらず、素直に今の自分の考えを隠さずに言ってくれる実直さがあるなら例え受け入れられなかったとしても綺麗さっぱり関係をなかったことに出来るかもしれないと感じた。
「分かりました。僕としてはどうしてそこまでして、という疑問が残るばかりですが」
「それはどういう意味?」
「知り合って間もない自分には好かれるような要素があまりないですし。退魔師としての価値は理解しますけど、僕って女の子として魅力はあまりないと思っているので」
仕草は次第にらしくはなってきていると言われているものの、内面的なものは全然まだまだだという自覚はある。女の子相手に変に意識しないようになってきているのは慣れでしかないし、まだまだ女の子になれているとは思えない。
今の自分は必死に女の子の真似をしているだけの紛い物。正直、僕を好きになるのならもっとまともな女性にした方がいいと思っている。
「魅力が……ない?」
景文さんの視線が不意に僕の目元から外れる。
そこには衣服の大部分が破れて素肌が露出している胸部が。
一応、名雪さんに持ってきてもらった布で大事なところは隠せてはいるけれど、この体勢だから前を完全に隠せているとは言い難くて。
何だか胸の内がスーッと冷めていくのが自分でよく感じられた。
「ふーん?」
思わず出た納得の言葉に、彼は目を剥いて焦り出した。
「えっ、あっ! 違っ!」
「いえ、別に? そこも女性らしい部分ではありますし? 僕としては内面的なことを話したつもりでしたが、アナタはそうではなかったみたいですね」
「べ、弁明をさせて欲しい! 確かに目がそっちに行ってしまったのは認める! けど、だからといって内面を軽んじている訳ではなくて!」
「とか言いながら、目線が泳ぎながらチラチラと胸元に吸い寄せられていますが」
「せ、生理的な反応だ! そこはどうか寛大な御心で許して欲しい!」
咲夜からしてみれば僕は男のいやらしい視線にはまだまだ疎いらしいけれども、これだけ近くて面と向かって見られれば流石の僕でも気づく。
しかしながら男としての経験から無意識に女性の体を見てしまうこと自体は責めることは出来ないか。彼から見えているのは胸元だけで、大事な部分を見られたという訳でもないからあからさまに怒るのも筋違いではある。
「……冗談です。あの人と違って触ってきた訳でもありませんし、別にこの程度のことで怒ったりはしませんよ」
善意で治療をしてあげているにも関わらず本能的だとか言って胸を触ってきたどこの誰かと違い、目線を外そうと自己努力している分だけ理性はあるようだからここで彼を責めるつもりは僕にはない。
……のだけど、何故だか怒りの感情が彼から沸き上がって来ているのを感じる。
「触ってきた? それは触られたということか? いつ? 誰に? どれくらい?」
「はい?」
これはあれだ、先ほどの柴井老たちに対してなっていた状態と同じやつだ。
あの時よりは幾分か冷静ではあるけれども、それでも随分と怒りの感情が漏れ出しているのは間違いなかった。
これで名前まで出してしまったら、武原さんがどうなってしまうかは察するに余りある。
なるべく話さないようにしてあげていたのだけど、疲れていて口が滑った。
「え、えっと…………か、勘違いだったかもしれませんね。思い違いだった、とか? いや、触られたと言っても掠った程度だったような?」
「異性との関わりが少ない君がそこまでそこまで接近した相手となると数は限られるよな。清姫として活動する前のことは分からないけど、その後という前提で考えるのなら……………………勝己か?」
僕は心の中で彼に謝っておいた。
もしも怪我をしたりしていた場合は無償で治してあげようとも。
とりあえず先ほどの話は持ち越しということになりそうだ。