三話-7 絶体絶命
「うぉ! 危ないっ!」
二人分の舌打ちが同時に響く中、柴井老は飛来した弾丸を危なげにだけど避けることに成功した。
続けて二、三発が放たれるけれど一発目より俊敏に動いては被弾することなく柴井老は生還する。
「鷹一、味方になんてものを撃つんだ! 危うく誤射で退場するところだったぞ!」
「貴様には幾度となく高位退魔師としての品格を保てと言っているはずだが? こちらまで一緒だと思われても敵わん。お嬢ちゃんの前ではあるが、再度教育的指導を施してやろうか」
前園老は身に纏っている外套を前部のみ開けて晒し、その内側にある大量の銃器を見せつける。
僕には決して向けなかった殺意を剥きだしにして威嚇する様はまさに退魔師の頂点の一角だということを意識させられた。
対しての柴井老は飄々とした態度を崩すことなく笑う。
「何を言ってる。女性は性的に見てなんぼのもんよ。寧ろ見ないことが失礼に当たるとすら私は思っている程さ。これほどの美少女を前に何も反応しないのは男が廃るというものだろう? なぁ?」
堂々と言ってのけるその姿勢には二の句が継げない前園老は嘆息して首を横に振った。
「お嬢ちゃん、コイツのことは無視して最後の質問をするといい。このふざけた態度ではまともな回答をするとは思えんので代わりに儂が答えよう」
柴井老はぞんざいな扱いに憤慨するも、近づいてきて銃口を突きつけられ黙った。
あの人のことは置いておいて、最後の質問というのなら聞きたいことがある。
「大侵攻が予見されていて、急いでいることは分かりました。それで僕のことを狙う理由についてはよく分かりませんが、何かしらの理由があるのは理解しています。その上で、近くくるはずの大侵攻に備えて僕の力を高めるのではなく、戦えなくなると分かっているのに子供を作れと言うのは何故なんですか?」
女性は妊娠をしている時、霊力が不安定になるのは退魔師で知らない者はいない。それを知らない二人ではないはずだ。
次の大侵攻が終わった後でということなら理解は出来る。けれど、今の時期でそれを強要するのは時期尚早と言う他ない。
「子供については今はまだ考えなくていい。我々もそこについては別に急いではいない。問題は……」
前園老が何かを言おうとした直後、その横に降り立つのは先程見た文奈さんの手足となる黒ずくめの一人。そっと前園老に耳打ちをした後はすぐさま去って行く。短い言葉だったはずだけど、それだけで前園老は深く考え込んだ。
「……済まないが話は終わりだ。続きはまたいずれ、機会があれば語ることとしよう」
一体何を言おうとしていたのか気になるところではあるものの、戦意を再び湧きたてた二人を前にして悠長にしていられるはずもない。
目の前にいた前園老は僕が足止めをしようとした水を難なく避けて距離を取っていき、柴井老の転移術によって遠くへ移動してしまう。
そして柴井老は転移術で開いた空間に手を入れ、一振りの刀を取り出した。
「浄か」
「遅いね」
危険だと判断して二重の結界をしようとした刹那、一瞬で距離を詰めた柴井老は驚くべき速度で刀を振るう。
寸断される結界。後ろに飛んで斬られることは回避し、ついでに水をぶち撒けることで狙撃と合わせて追撃は阻止したはいいものの、浄界がまるで豆腐のように簡単に斬られたことには驚きを隠せない。
「その刀は?」
「名を蜘蛛切という。大昔に土蜘蛛という強くて怖い妖怪を切った刀だよ。妖刀とは真逆の存在、言わば神刀といったところかな。この刀自体に強い浄化の力が宿っているのさ」
それでか、と内心納得する。浄化の力を宿している刀は結界に威力を軽減されることなく触れることが出来るということなのだろうと推察した。その力のお陰で浄罪の減衰効果が効かず使用者本来の力をそのままに振るうことが出来ることも。
「面倒な物を……っ」
結界は無駄に霊力を消費するだけ。それに使う分の霊力を使用して水を大量に操る。最早小技程度では二人を止める事は出来ない。認めたくないけれど、霊力量で勝っていても技術的には僕は劣っている。先程の一撃は幸運だっただけ。二度はないと思え。
勝っている部分で戦え。時間制限はある。生命力の変換は確かに驚異的だけれど、その分消耗も激しいはず。
「などと考えていることは分かっている」
「いつの……っ!?」
存在を感知し続けていたはず。だというのに後ろから聞こえてきた声に全身が危険であると警鐘を鳴らす。
「ハァッ!」
斬られた。同じ浄化の力を持つ以上、こちらにも向こうに干渉することが出来るお陰で肉体を斬られるということはなかった。
それでも襲い掛かる衝撃はそのままに身に受けることになり、久しく感じることのなかった激痛が全身を駆け巡る。
骨はいくつか折れただろう。その痛みで意識が真っ白になる。その中で──
『動けないと思った時にこそ全力で動け』
大門先輩の教えが脳裏に過る。
こちらが痛みに悶えている時に相手が待っていてくれる道理はない。相手は好機だと捉え仕留めにかかるだろう。だから足を止めてはいけない。
恐らくは減衰していた転移術が本来の力を取り戻した結果だろう。術の精度と発生速度が段違いだ。
全力で駆け出し、本能のままに攻撃を避けて改めて相対する。
「ふぅ……危ないところでした」
「良い師を持っているのだね」
頭では分かっいても動けないということは往々にしてよくあることだ。
この非常事態にこそ出来たのは日頃からの訓練のお陰だ。大門先輩には感謝してもし足りない。
その恩を返す為にも、僕はここで負ける訳にはいかない。
「……ほう」
同じ浄化の力ならと試しては見たけれど、案外出来た。
必要なのは浄化の力の質量。出来るだけ圧縮した神水で出来た水刃で対抗したところ、刃を止めることは出来た。
目には目をということだろう。それでも浄界を切れる辺り、蜘蛛切という刀の内包している浄化の力は相当なもののようだ。
「女の子を後ろから斬りかかるなんて、恥というものがないんですか?」
「恥なんてもんがあったらそもそもこんなことしてねぇよ──っと! 危ないねぇ!」
競り合っているとはいえ、僕の刃はあくまでも水そのもの。硬度を変えて相手の刃を受け流した後に自分だけ斬りかかる。
間一髪で避けた柴井老への追撃を加えようとしたところに間髪を入れずに銃弾が飛来し中断を余儀なくされる。
「孫よりも年下の女の子にいいようにされてるな」
「そうは言うが、お前だってまともに当てられてないだろうがよ」
「当ててはいる。ただ、常人ならとっくに動けなくなっているのだがな……。動きは俊敏で回避する動きも無駄が少ない。男として生まれていれば傑物として名を馳せたやもしれんのにな。つくづく惜しいと感じている」
その言葉は勝者が語るものだ。どうやら二人は自身の勝利を疑ってはいないらしい。
「まだ勝つ気でいるんですか? このままでは千日手で霊力に余裕のある僕が有利だと思われますが」
「確かにな。……では、これならばどうだ?」
柴井老は懐から取り出した瓢箪の蓋を開け、やや豪快に口の中へと注ぎ込む。
その中身は何なのか検討すらつかないけれども、あの人のやることに無駄なことがあるとは到底思えない。
警戒心を強めていると、風に乗って鼻を突いたのは強い酒の匂い。
「──ひっく」
「……お酒?」
相当に度数の高いお酒なのだろう、離れた位置からでも分かる。本人も飲んでから顔を赤らめて、目が据わってしまっている程だ。
「頑張って避けろよー?」
「な、に……っ⁉︎」
気の抜けた声と共にやって来たのは先程とは大違いの動き。
全身の力がなくなったかのような柔らかな動きに予測不能な挙動。それでいて俊敏でかつ鋭い。
「よっと」
「くっ⁉︎ 動きが読めない……っ!」
掛け声は気の抜けそうなものなのにその太刀筋は重く、それでいてしなやかなだった。
受けたと思ったらすぐに次の太刀がやって来る。
「これも忘れたら駄目だろう」
「まず──」
忘れた訳ではない。ただ目の前のことに集中をしていたというだけ。柴井老の攻撃を凌ぎながら時折隙を見つけて狙撃してくる超高速の弾を避けるのは至難の業だった。
それを防ぐ為のあと一手、それが僕には足りなかった。
「ぐっ、うっ!」
お腹に残る鈍い衝撃を堪えつつ、同時に切り掛かってきた蜘蛛切を受け止める。
「それは悪手だぞ」
前園老の射撃がやって来る、迎撃をと考えたところでご老公の言った言葉の意味を理解した。
今までは単発で妨害や牽制ばかりをしてきたのは僕の意識を目の前にいる柴井老に寄せる為。
決定的に隙を見せたこの時に、その本領を発揮した。
「~~っ!!」
水弾では間に合わない程の弾幕に次第に被弾する数が増えていく。
痛みで意識が途切れ、その度に撃ち落とす数が減っていく。その分だけ被弾が増える悪循環。
水の幕では弾丸を受け止めきれず、結界は柴井老に斬られる。対抗手段を講じるにはこの一瞬の時間では到底足りない。
「────カァッ!!」
「そう来るか!」
ならばと、多少の被弾を覚悟して柴井老に斬りかかる。僕と前園老の間になるように柴井老の位置を変えて体勢を整える。これしかない。
けれど──
「良い手ではある。腕もいい。ただ、忘れているぞ」
「転移、術……っ!?」
銃弾は柴井老を挟んだことで止むと考えのが間違いだった。寧ろこれをこそ一番に警戒しなければならなかった。
ここぞという時の為に今までやって来なかったのだろう。知っていれば何かが違ったのかもしれないのに。
背中からとんでもない量の銃弾と正面から袈裟切りに斬られたことで意識が途切れかける。
手足から力が抜ける。水刀の硬度を維持出来ない。けれど、まだ戦える。まだ終わってはいない。
「真っすぐな銃弾は転移術と相性がいいんだ。ただまぁ、私には狙撃との相性が悪くてね。だから若い時分はこうやって妖怪を狩っていたのを思い出すよ。それで言うと、君の動きは悪くないものだった。寧ろ二人掛かりでここまで持ったのは称賛に値する。増々君のことを気に入った」
「ふ、ざ……けっ」
今も回復はしている。けれど、動けるようになるまで待ってくれるような相手ではないのは確実で。
どうにかしなければと思いつつも、思うように体が動かない。
意識が朦朧としているし、指先にすらまとも力が入らない。意識を振り絞らなければ今にも気絶してしまいそうだ。
「あれでまだ意識を残しているとはな。寸前に隠し持っていた水で防御したみたいだな」
「強かだね。それでいてまだ折れてない」
折れるものか。まだ動ける。まだ意識がある。なら、水は動かせる。
「けど、そろそろ終わりだ。……やれ」
その時、体が急に動かなくなった。まるで何かに押さえつけられているみたいに。
これは前園老でもなければ柴井老の術ではない。別の誰か、隠れていた更なる援軍か。
不可視の腕で押さえつけられたようにどれだけ力を入れてもびくとも動かず、その間も水を避けて柴井老はこちらに近づいて来ていた。
「がっ」
喉元を抑えられて、治癒が中断させられる。
息が出来ないせいで水を操ることもままならない。首を掴まれたまま持ち上げられている体勢のせいで首が更に締まっていく。
殺さないよう手加減はしているから一思いにということはなく、じわじわと意識を落とすつもりだ。
どうにかしなければという思いはありつつも、もうどうにも出来ない。
一矢報いることも考えるもそれは根本の解決には至らない。
意識が薄れる中焦りが強くなる。
「ここまでよくやった。あと一年、修行を積めば我々にも手が届いていただろう。惜しむらくはその時間がないことだが」
僕は負けてはいけないんだ。勝って勝って、勝ち続けないと。
それが……。
「この後のことも考えると大分消耗させられたねぇ。流石は浄化使い、こちらの損耗が半端じゃない」
咲夜、と……の……約……。
「来たか」
「早くないかね。あの子には特別に特級を当てておいたはずなんだけどさ」
「それだけこの子が大事だということか?」
(こう……なったら)
まだ考えついてから数度しか使ったことはないけれど、あれを使うしかない。
「ははっ、若いってのはいいねぇ。どんなことにも全力で取り組むことが出来る。才気溢れる子がいてくれて嬉しい限りだよ」
あれはまだ扱いきれていなくて危険だ。もしかすると死人が出るかもしれない。
その覚悟は出来ていない。けれど、そんなことは後回しだ。
「言っている場合か。向こうはその気だ。油断していると死ぬぞ」
負けるくらいなら、咲夜たちに迷惑が掛かるくらいなら————この男達を、殺すしかない。
「分かってる……って、いつの間にか清花ちゃんが取られてたよ。意識を外したつもりはなかったんだけどな。流石は神童、やるねぇ」
…………。
………………?
体に浮遊感を感じる。
掴まれていた喉の痛みもない。
(い、き……が、でき……る。視界、も……戻って……)
「お前が転移術で負けてるところは初めて見たな。恐るべき早業だ」
「誰が教えたと思ってんだ。このくらいは出来て当然だ」
「か、…………はぁ……っ⁉︎」
喉の苦しみがなくなってきた。息が出来るようになり、少しずつ視界が正常に戻り始めてくる。回復も機能し始めて体が少しずつ楽になって来た。
顔を上げると、視界に映ったのはもしかしたら敵側なんじゃないかと僅かでも疑ってしまった人で。
その彼の目は僕ではなく、あの二人に強く向けられている。
少し怖い目をしているけれど、それが僕に対するものではないと分かっているから安心が出来た。
渡すまいと強く掴んでくる手の平が今はとても心強い。
「……かげ、みさん」
顔が見えて、名前を呼ぶと彼は怖い顔を止めて優しく微笑んだ。
「ごめん、遅くなった。でも、もう大丈夫だから」
その言葉で、ふっと肩の力が抜けたような感覚がした。
地面にそっと降ろされ、またしても上着を掛けられる。その時に自分があられもない格好をしていることに気付いた。
濡れているだけでなく斬られたり撃たれたりしたからボロボロどころではない。大事なところは出ていないけれど、これでは半裸も同然だ。
いや、そんなことよりも今は……。
「結界は張れる?」
「でき……ます」
体調は万全ではないものの、霊力には余裕があるので何とか発動することは出来る。
乱れた霊力を整え、大きく息を吐いては大きく吸って、精神的な落ち着きを取り戻していく。
それのみに集中していたから景文さんとご老公二人の会話がどんなものかは分からない。
結界の構築にのみ意識を注げるのは彼ならばきっと時間を稼いでくれると信じているから。
(神水も出来た……これなら)
「お前ら、俺の女に手を出したことを徹底的に後悔させてやる」
(…………うん? うんんん!!??)
聞き捨てならない言葉で手の中に作っていた神水がポトリと落ちた。
幸いにもその程度で神水が無駄になるということはないので無事に浄界を張ることは出来たけれど、そんなことよりも僕の心中は決して穏やかではなかった。
聞き間違いでなければ、確かに『俺の女』と言っていたような……。
そんなものになった覚えはないし、その台詞はまるで自分のことを好いているような発言だった。
「あ、あの……」
問いたださなくてはと口に出した言葉は小さく、とても聴こえるようなものではなくて。
「こんなか弱い女の子に寄ってたかって大の大人……それも一級二人が雁首揃えて何をやってんだよ」
やはり駄目だった。今の彼は怒りに我を忘れていて何も聞こえていないようだ。
というより先ほど強く首元を掴まれていたせいで喉が擦れていて大きな声が出せないのが問題か。
仕方ないから今は結界の構築に専念するとしよう。その後に治療して、何をするにもまずはこの場をどうにかしなければ。
「お爺ちゃん、そのか弱い子に顎に物凄い膝蹴り食らっちゃったんだけどねぇ。一度は倒れされたんだよ?」
「は? だから悪くないって? おい、ふざけたこと抜かしてんじゃねぇよ。言い訳にしても面白くもない。お前等は人としてやっちゃいけない一線を越えたんだ。今日は枕を高くして寝れると思うなよ」
景文さんのドスの効いた声に一切の反論の余地がないことを悟ったらしい。
しゅんとした顔で前園老に向く。
「これ、完全に嫌われちゃったよね?」
「必要なことだ。その覚悟でもってここにいるはずだが?」
「それはそうだけどさぁ。鷹一も孫に嫌われるところを想像してみなよ。結構クるものがあるんだよ、これ」
「それでも為さんとならんことがあった。大義の前には我らの感情など塵芥も同然だろう」
その言い分には少し物申したいところがあった。
相手が遥か年上だとか、過去に日本を守ってきた偉い人だとか、そんなことは関係ない。
昔良いことをしたから今は悪いことをしても咎められないなんて道理はない。
彼らは僕を拉致しようし、通常であれば死に至るような攻撃を繰り出してきた。
その上で吐いた言葉が大義などと、到底認められることではない。
僕の中で完全に彼らが敵だと認識したのを感じる。
しかしそれは、逆を言えば今まで完全には敵と見れていなかったということでもある。
(まだ……人間相手に本気にはなれなかったってことか)
相手が極悪人だったらという言い訳はしたくはないけれど、それもここまでだ。
ある意味ではご老公達には感謝している。決意が固まったから。
たとえ人であったとしても、僕の邪魔をするなら容赦はしないという決心が。
僕が内心と向き合っている間にも会話は続いており、ご老公の言い分には景文さんも思うことがあったのか肩を震わせていた。
「ごちゃごちゃと……まずはその面、ボコボコにして跪いて許しを請わせてやる」
「若造風情が。やれるものならやってみろ」
前園老が合図だとばかりに発砲する。本来であれば避けることから難しい速度の弾丸は、しかし返って自分がそれを体験する羽目となる。
転移術。柴井老となんら遜色ない速度と正確性でもって弾丸を発射した当人に命中させる。
「見え見えなんだよ」
「ぐぅ……っ!!」
「あららー、相性は最悪だねぇ……」
銃弾による攻撃は意味がないどころか味方への損害を増やすだけ。
自らが教えたという転移術で窮地に陥る柴井老たちに景文さんの手は止まらない。
「老害は疾く去れよ。急急如律令」
放った呪符の二枚から白面と戦った見た巨大の狼が現出し、更に頭上に放った一枚からは空を飛ぶ大蛇が……いや、この場合は龍と言った方が正しいか。放たれてから一瞬の内に彼我の距離を半分まで詰めた大狼に二人の顔色に焦りが映る。次の瞬間には龍は嘶き、瞬く間に天候は荒れ、雷が降り注ぐ。まるで狙ったかのように雷が龍に直撃するけれど龍は無傷で健在だった。
それどころか雷光を身に纏った龍はその力を口の中一杯に溜めていき。
「俺が殴る前に死ぬなよ?」
挑戦者は景文さんなどではなかった。その逆、かつてはその名を日本中に轟かせたであろう二人が今まさに自らの力を振り絞り、かつて無い程の強大な敵に立ち向かうのだと思い知ったはずだ。
「やれ」
狼に足を止められ、龍の一撃でもって留めとする。
地面を抉り飛ばして衝撃で諸共を消し飛ばす一撃に、柴井老たちは————
「若造が、老人を舐めるなよ!」
しかして、霊力を纏った雷撃は一撃の下に分かたれた。
斬った、のだろう。様子と結果からしてそう判断しただけだけど、それが本当に人の為せる技なのか僕には分からない。
斬り伏せて、してやったりという顔が驚愕に変わったのはその直後のこと。
景文さんは手を上に掲げていた。
「次は二発同時だ。凌いでみろよ」
その先にはいつの間にか二体に増えていた龍たち。
口元には既に雷光が迸っていた。
得意の転移術もどうやら景文さんに妨害されて使用出来ない様子で。
「……へっ、馬鹿がよ」
強がりは意味など為さず、瞬時に到達する息吹に柴井老は飲み込まれた。
二つの息吹は地面を交差するように抉り飛ばしていく。凄まじい破壊音がどこまでも続いていく中、焦げる音を発しながら人の形をしたそれが音を立てて倒れ崩れさる。
離れた位置にいた前園老は巻き込まれることはなかったものの、急接近していた二匹の狼に挟まれるように囲まれているせいで碌に身動きが取れない様子だ。
僕があれほど厄介に思っていた相手をあっさりと倒してしまったことに言葉も出ない。
前園老に対しても同様のことをすればすぐに片が付くことは火を見るよりも明らかだ。
趨勢は決した。景文さんは遠くにいる前園老に聞こえるように声を出す。
「降参するなら今しかないぞ」
「目的は達した。やれ」
その一言に景文さんは眉を顰めるも、構わずに雷光を放つ。
結果は同じ。表面が焦げた前園老が地面に倒れ伏した。
流石に死んではいないだろう。二人からは生命力を感じることに少しほっとした。
妖怪を殺傷することには何ら抵抗感はないけれど、人間は別だ。自分の身を狙うから全力で抗ったし怪我もさせたけども、命を奪うまでは考えていなかった。向こうも別に命を狙ってはいなかったことも大きいかもしれない。
殺す覚悟を先程はしたけれど、やはり心のどこかで躊躇いがあるのも事実だった。
僕を襲ってきた二人は倒れ、周囲には気配はない。景文さんもこれで終わりと見て僕に手を差し出してくる。
「それじゃあ、帰ろうか。清花さん、自分で立てる?」
「はい。ありがとうございま……」
ともあれ、これで終わりだ。二人のことは適当に回復だけしておいてさっさと逃げることにしようと決める。
いつもの柔和な物腰に戻った景文さんの手を借りて立ち上がろうとしたところで、僕たちは動きを止めた。
視線が同時に同じ場所へ向かう。
「おいおい、釣れないじゃないか。まだお爺ちゃんたちとのお遊戯は終わっちゃあいないだろう?」
「このくらいで我々を仕留められたと勘違いをしてもらっては困る」
悠然と、黒焦げがなかったかのように立っている二人を見て戦いはまだ終わらないのだということを悟った。