三話-5 油断ならない相手
やはり彼女は出会った当初からの考えの通りに面倒な人だった。
未来を知っているということは僕の力がどれくらいのものかを知っているはずで、彼女にもその力が降りかかることを知ってなお止まらないのだから。
絶対に勝てないと分かっていて尚挑んでくるのは何かしらの思惑あってのことだとは思う。
しかしそれがこちらには全く分からないのが気味が悪さを増大させていた。
「捕らえなさい」
号令と共に周囲に黒づくめの人たち総勢十二人が一斉に現れる。
黒ずくめで体や顔の特徴は分からず、体格までほぼ均一で全て同じ人かのようにも思えてくる。
恐らくは文奈さんの実家である弓削家の私兵といったところか。それが僕と文奈さんを中心に円を描くように現れた。
その雰囲気からは戦闘用というよりは暗殺用とか、任務遂行の為になら何でもする特殊部隊のようにも見受けられる。
「結界を張る隙を与えないで」
宝蔵剣護であっても突破が困難だった結界を張られてしまえばそれ以下の力しか持たない彼らに出来ることはなくなる。
それを知っているならば、僕に言葉を紡ぐ暇を与えないというのは実に理にかなった作戦だ。
だから僕が行ったのは一点突破による包囲網を打ち破ること。
数十もの水弾を放ち、人体にとっては一撃すら大きな損傷になり得るそれに必死に対処しているところに接近し直接打撃を与えて打ち倒す。
一撃で意識を刈り取るには至らなかったので二撃目といきたいところだけど、流石にこれだけの人数だと悠長なことはさせてくれないか。
「囲み続けなさい」
飛来する暗器。鋭く細い針のような物が四方八方から飛んでくる。それらがただの針であるということはなく、当然のように毒が塗りたくられていた。
おそらくは致死毒という訳ではなさそうだ。彼らには僕を殺そうという意思はなく、終始捕えることを第一にしているのが分かっている。
そうして観察していて気づいたのは、針の速度が遅過ぎること。白面の氷の礫はこれの何倍も速かったし数もあった。
細い針は視認し難いものの、僕には意識の感知があるので避けることは容易い。何なら細いお陰でさして動かずに避けることが出来そうだ。
更にはこんな芸当だって出来る。
「返すよ」
「避けなさい!」
殆どの針は水弾で撃ち落としてはいるけれど、効果の程が気になったので一本ほど受け止めてから投げ返してみた。
丁寧に避けられない状況を作っておいたので針は黒ずくめの一人の足に刺さり、程なくしてその人は体を痙攣させて体勢を崩して倒れ込んだ。
「強力な即効性の麻痺毒だなんて、随分と物騒な物を持ち込んでいるんですね」
多分、これは僕用に用意された物だ。浄化の力には毒の類を治せる力があることは知っているだろうからの強力かつ即効性の物を用意したということだろう。多少でも動きが鈍ればその隙に次の針を浴びせ掛け多量の毒で以て動きを封じ、何らかの方法で意識を刈り取る気でいる。
でもそんな針程度は僕には掠りもしない。彼らがご丁寧にどこに投げるかを教えてくれるお陰で狙う場所が分かっているのだから、僕は余裕を持って避けるか迎撃するかの二択で回避することが出来る。
彼ら影の者のように例え己の気配を殺すのが上手であっても、攻撃する際には必ず害意を意図したものが発生する。それを感じ取れる僕に飛び道具の類はまず効かないのはもう理解しただろう。
「相手の思考がある程度読み取れるというのは中々に厄介なものですね」
「それなら諦めては如何ですか? こんな攻撃をいくらしたところで僕には届きませんよ」
「さて、それはどうでしょうか」
何をする気か分からないけれど、嫌な予感がした。
細かく一発ずつの水弾ではなく後ろから銃口が並ぶように斉射をして面制圧で黒ずくめ達を退かせる。
体を捻った程度では避けられない数の水弾を見て流石に物陰に隠れることを選択した彼らからすかさず距離を取る。
有効射程に入れば迎撃出来るような位置を保ちつつ様子を見ることに。
黒ずくめたちは一定の距離を保ちながらじりじりとお互いの距離を開いていく。僕との距離は保ったまま、囲うように少しずつ移動していた。
「私は占い師ですが、何も遠くの未来を視るだけが力ではないのですよ」
文奈さんが目を瞑る。その場でじっと動かず、意識を集中させて術を行使しているのが感じ取れる。
止めるか、そう思考に過った時に彼らは動き出した。
「なっ」
全方位へ向けた水弾、確かに意識を周りに分散させ過ぎて先程のものよりは弾幕が薄くなってはいたものの、それでも人一人通れるかどうかという範囲の隙間しかなかった。だというのに、黒ずくめたちは揃いも揃って一切の何の手傷を負うことなく僕の下へ駆けてくる。
このまま全員に接近させるのはまずいと判断し、左右と背後へ向けての水刃を放つ。
点ではなく線の攻撃には動きの変わった黒ずくめたちも大きく体を動かさなければならず、上か、下か。避ける際に体勢を大きく動かした瞬間に水弾を当てていく。
始めにいたのが十二人、今ので二人ほど意識を刈り取ることは出来た。
先ほど痺れ針で動けないのが一人。つまり残るは九人、けれど先程のようにはいかないのは覚悟しなければならない。
「そう、常に二人以上で同時に攻撃しなさい。防御に意識を集中させるのです」
黒ずくめたちの動きが劇的に変わったのは彼女が目を瞑ってからだ。
半端な軌道の水弾は全て避けられ、僕の攻撃に対しては的確な反撃でもって返されている。
まるで知っているかのような動きに舌打ちが漏れる。
「未来視の共有か……っ」
「ご明察、という程のものではありませんね。どうですか? 攻撃が全て読まれてしまうというのは」
一対一なら読まれようとも対策はいくらでもあるけれど、一対多の状況では対策も何もあったものではない。
律儀に肉弾戦をやっている場合ではないのはすぐに理解した。
「それなら読まれても問題ない攻撃をするだけです」
点や線での攻撃が避けられるのであれば面で制圧するか、読まれても避けられなくすればいい。
今まで撒いた水は全て僕が作り出した物。制御を外れてもそれは変わらない。
「こういう風にね」
「水場から離れなさい!」
指示を出す辺り、文奈さん自身は更に先の未来を視ているといったところか。
視えていただろうから流石に回避に移るのも早かったけれど、その程度で逃げられるほど僕の水は甘くはない。
水弾が優しく見える程の、プールをひっくり返したような量の水が湧き出ては辺りを押し流していく。水の流れは一度捕まればそう易々とは抜け出すことは出来ない。屋外ならまだしも、今のだだっ広いだけの空間では碌に逃げる隙間がないだろう。
当然、水は文奈さんにも手を伸ばしていく。未来視を他人に見せているのは彼女だろうし、このまま捕まえれば趨勢は大方決まる。
「足場を作りなさい!」
水が到達するより前に素早く指示を出し、黒ずくめたちはそれに従って術を使い、地面を隆起させて人工の山を作り出す。
碌に操っていない水の流れは自重に従い下へ下へと流れる。山肌を削りはするものの、頂上にまで水が到達することはない。
「だと思っていましたか?」
どこまで文奈さんの未来視が見えているのかは分からない。何秒先か、あるい自由に決められるのか。どちらにしても全てが視えている訳ではない。
ならば僕は先を思い描くことを止めて、その場その時での最善の行動を瞬時に決めていくだけだ。
切り替わり続ける未来にどこまで対応出来るのか、僕の出す瞬間的な閃きにいつまで返し続けられるのか実物ではあるけれど。
「っ! 全力回避ッ!」
水の流れが自然のそれと全く異なる挙動をし、隆起した地面を勢いはそのままに駆け上がっていく。
一人が文奈さんを抱えて戦線を離脱しようとして、それを他の人たちが援護する形になる。一部は僕を止めようと攻撃をしてくるけれど、威力が低過ぎて水壁を突破すら出来ていない。
はっきり言って実力不足。これで何故僕に挑んでくるのかと不思議に思うくらいだ。
良くて四級といったところ。それも人間相手という条件付きでだ。
止まらない水流に術を放って妨害をしようとするけれど、込められた霊力の違いのせいで碌な妨害になっていない。
逃げられないと視たらしく山から跳んだ彼女たちを追い続ける水が途中で途絶えた。
「……援軍ですか」
何らかの術か何かで水が移動させられたと見ていい。操っていた水がどこか別の場所へ行ってしまったような奇妙な手応えを感じた。
転移、という言葉が頭に過ぎる。もしもそんな力を持っている人がいるのなら、今の今まで気配を感じさせずにいたことに理解が出来る。
最初から怪しいとは感じていた。僕をここへ来るように話を主導していたのは景文さんたち子供世代ではないはずだと。
僕を結婚させたいと考えているのは家のことや将来を考えるような立場の人たちで、無理矢理にでも僕をここへ来させたのにそのまま何事もなく帰って収穫がないのでは意味がない。必ずどこかから様子を見て、いつか手を出してくるとは思っていた。
景文さんがいなくなることを分かっていてのこの襲撃には、占い師の末恐ろしさを見せつけられたような気分だ。
そうして援軍としてやって来たのは二人。どちらも尋常ではない威圧感を放っているのが感じられる。
「左様。これは下策中の下策ではあるものの、背に腹は代えられぬな」
「類稀なる巫女よ。其方を独り身にさせておくにはあまりにも損失が大き過ぎるのだ。理解して投降してくれるのであれば無碍に扱わないことを約束するが、どうかな?」
二人の老人は一人は杖をつき、もう一人は腕を組んで堂々と立っている。纏う覇気は今まで会ってきたどの人とも異なる。言うなれば歴戦の猛者が放つものに感じる。大門先輩が本気で稽古をしてくれる時も相当な威圧感があったけれど、これはその比ではない。
ただ立っているだけなの隙のようなものが何一つない。不意打ちで後ろから水弾で攻撃しようと容易に避けられる確信があった。
後ろにいる黒ずくめたちと文奈さんは僕に襲い掛かるでもなく、二人の登場に膝をついて礼の姿勢をとっていた。
本来は僕もそうするべきなのだろうけども、今の状況でそれをするのは自殺行為意外のなにものでもない。
「いきなり現れて随分な言い草ですね。こんなか弱い女の子相手に出張るような人ですか、貴方たちは」
「なに、可愛い我が子同然の子に助けを請われたのでな。少しばかり手助けをしてやろうというだけのことよ」
杖を持っている老人が真面目腐ったように答える。こちらの老人は特に警戒が必要だと頭の中で警鐘が鳴り響いているようだ。
「子供同士の諍いに大人が割って入るのは礼儀がなっていないというものでは?」
そもそも黒ずくめたちが大人の図体をしているというのは言わないでおく。彼らは文奈さんの私兵だろうから、彼女の力の一部だと思っているからだ。
けれど、あのご老公たちは駄目だ。今までのような遊びで済ませてくれるような相手ではない。本音を言えば大人げないと言ってやりたいところではある。
しかも、そんなのが二人。
知らず取らずに垂れていた汗が鬱陶しく感じる。こんな感覚は白面の時以来だ。
「これがただのじゃれ合いで済むのならそうすべきだろうなぁ。ただ、そうもいかんのが実情でな」
仁王立ちをする方の老人が答える。
どうやらどうあっても退いてくれる気はないらしい。
「これがじゃれ合いではないと?」
「少なくとも、文奈お嬢ちゃんを含めた我々はそう思っていないということだよ。君にとっては寝耳に水なことだと思うがね」
それはそうだ、関わってきても話し合いになるだろうと高を括っていた。自分の見通しが甘かった。
無理矢理に力尽くということであれば抵抗出来ると踏んでいたのも大いにある。まさか二人同時にとは、という見立ての悪さもある。
何より、一級相当の強さを過小評価していたのが大きい。
「……ちなみに、後学の為にお名前を伺っても?」
生憎とそういった偉い人たちとは縁遠い生活を送っていたので顔写真すら見たことはない。
二人は不敵に微笑んだ後、余裕とばかりに名乗りをあげた。
「前園鷹一だ」
名前は聞いたことはある。杖をついた年配の方は前園家のご隠居といったところか。当主はもっと若い人のはずで、座から降りて身軽になったお陰でこんなところまでわざわざやってきたということだろう。昔から妖怪と戦いを続けてきた歴史の生き証人であり、本来であればもっと腰の重い人物であるはず。
僕を捕えるということにそれ程の価値と理由があるということらしい。
もう一人の方は前園老ほどの高齢という訳ではないけれど、勝るとも劣らない風格を身に付けていた。
「知らないとは思うが、柴井元嗣だ。女子を不必要に甚振る趣味はないから大人しく付いて来てくれれば怪我をさせずに済むんだが、どうかね?」
「当然ですが、お断りします」
「ははっ、強気な子は嫌いじゃないよ。そうでなければ強い子は育たないからね。母親というのはそれくらいでなくては務まらんさ」
二人は完全に僕を母体としか見ていないことがよく分かる。子供を生ませる為の機械、或いは道具だと。
こちらを馬鹿にしているという訳ではない。寧ろ、この二人が自ら出張ってくる程に高い能力を持っているからこそのこの襲撃なのだろうと思う。
もっと過小評価をしてくれればこんな事態にはならずに済んだものをと歯噛みする思いだ。
「ハッキリと言っておきますが、女の子のことをそういう目で見ていると嫌われますよ……っていうか、既に気持ち悪いんですけど」
言われて感じたのだけども、何と言うか大の大人たちが孫ほどに歳の離れた相手にそれを口にすると生々しく感じられて怖気が走るような感覚がする。
文奈さん以外の子供たちは親に言われて渋々といった様子も感じられたけども、話を主導している大人たちは目が血走ったように叫んでいるように僕には見える。正直、落ち着けと言いたい。
事を性急に為そうとしているせいか、あまりにも強引が過ぎるように僕には思える。
なので素直に今思っている言葉をそのままぶつけたのだけど、何故だか思いの外に効いているらしい。
柴井と名乗った方の老人はもう一人の方に向く。
「おい、孫の歳の子に……しかも凄くめんこい子に思いっ切り嫌われたんだが?」
「言うな。こちらも傷心中だ」
どちらも威厳やら風格を兼ね備えているのに零れ出る言葉は悲痛そうなもので、それは孫に嫌われたくないお爺ちゃんのそれだった。
だからって別に罪悪感を感じる訳じゃないけど。
「これ以上何かするつもりなら、あらん限りの罵倒をしますよ」
咲夜から相手の神経を逆撫でする方法を聞いた時に得た知識がまさかこんなところで精神攻撃に使われるとは思わなかったけど、これで相手が逆上して怒り狂うのならその方が都合がいい。
「好きにするといい。その程度で揺らぐ我々ではないぞ」
もう声はプルプルしているけど。
お爺ちゃんという存在が孫に弱いのはもしかしたら全国共通なのかもしれない。
「これは厄介な。毛髪がないと心も揺らぐこともないようですね」
年配の男性にはこれだという咲夜の知識から、言葉の中にチクッと刺さる単語を入れる。こちらは拉致されるかもしれない憂き目に遭っているのだからこれくらいの口撃は許されるだろう。
「…………」
「…………」
これは思ったよりも有効か。
前園老は肩を震わせながら不敵に微笑む。
「最近の子は年上を敬うということを忘れたらしい」
「人のことを拉致しようとする人を敬うとは無理なんですが。もしかしてもう頭の方までボケてしまったんですか? まだお若いのに……」
柴井老が黙る。
「小娘、少々口が悪すぎないか?」
「人を拉致監禁しようとする犯罪者風情が口の悪さを気にするんですか? いい大人が揃って恥も知らないとは、草葉の陰で親が泣いてますよ」
もう片方の前園老も黙る。どうやら行動に見合わずにそれなりの罪悪感は感じているらしい。
だからといってこれから行われる行為が正当化される訳でもないし、二人がこのまま帰ってくれる訳でもない。
このまま茶番を繰り広げて時間を稼ぐのもいいけれど、誰かが助けに来てくれる可能性は限りなく低い。この二人に命じられれば大抵の人は従わなくてはならなくなるし、事前にここへは来るなと釘を指されているかもしれない。
この二人が相手では景文さんに期待をするのも望みは薄いか。
僕の罵倒を受けた二人は落ち込みつつも相変わらず隙を見せずにいた。
「然り、だな。では我々は犯罪者として罪に手を染めるとしよう」
頭が冷えてきて冷静になってらしい相手方は術を使う体勢に入る。柴井元嗣という男の方は近接戦が主らしく、拳を前に吐き出した。
こうなる可能性はあった。子供同士のお見合いなどという生温い青春劇ではなく、汚い大人たちの策謀の渦中にいるのだという自覚はあった。
それでも、なんとかなるという自信があったから僕はここにやって来た。
「恐れ入りますが、そういう相手の方が僕は得意なんですよ。もしやご存じないのですか?」
雨が降る。遮る物がないこの場所で、雨水が僕たちの体を打ち抜く。
これに関しては隠して溜めていた訳ではない。文奈さんと戦い初めた時からいつ発動させるか考えていたものをたった今発動させただけ。
「浄化の雨……浄罪、だったかね。早速大蓮寺家の奥義という訳だ」
その奥義とやらをどこで知ったのかは知らない。もしかすると白面との戦いの話で出ていたのか、占いで知ったのか。
この術の効果を知ってなお屋内ではなく室外で戦いを選んだのには彼らなりの理由があると見ていい。
対策をしていて効かないか、それとも効いても問題ないと考えているのか。
あるいは短期決戦で決める算段なのか。それら全部という可能性も考えておく必要がある。
「凄いな。どんどんと力が削られていくのが分かる」
「これ程の使い手、他にはおらんだろうて。大妖怪が警戒をするのも納得だ」
「然らば」
「おうよ。我々がすることは決まっている」
雨粒を受けてなお姿勢を変えない様を見て警戒心が僕の中で跳ね上がっていく。
結界を張りたいけれど、その隙がない。それだけはやらせないという意思が二人の目から伝わってくる。このまでの話の中で密かに使おうとしたものなら、即座に戦闘に発展していただろう。
これまで話に興じていたのは二人が単におしゃべりだったからか、別の目的があるのかは分からない。
それもここまで、だけど。
「文奈ちゃん、危ないから少し離れていなさい。君の役目はここまでだ。汚すのなら自らの手でという心意気は認めるが、流石にこの場では役不足だ」
「……はっ。後のことはお任せ致します」
文奈さんが護衛に連れられてこの場を離脱するのと、柴井老が飛来してくるのは同時だった。
鋭く突き出された拳。腰の入った重い一撃は底上げされた身体能力のよって爆発的なまでの威力を持っている。
雨が降った地面から水を操って体を拘束しようとするけど、それより早く背後に向かって跳ばれて脱出されてしまう。
「おや、逃げるんですか?」
「時には退くことはも重要だと子供たちには教えているさ」
走って突っ込んで来ては離脱する。二、三度同じことを繰り返して。
「掛けまくも畏き伊邪那岐の大神」
様子見か、浄罪は長く続かないと見て持久戦にするつもりかは分からない。
ならばと僕は新たな祝詞を紡ぎ始める。
「させんよ」
拳の威力が増した。水で迎撃するはずが突き抜けて僕の下まで到達する。今までが本気ではないことには気付いていたので難なくそれを躱し、水刃で叩き切ろうとしたところに横合いから見えない衝撃が僕の体を叩いた。
「ぐっ!?」
意味の分からない攻撃から逃れる為にそのまま転がるように距離を取る。
追撃は厚めの壁を作って次の攻撃を阻害し、その間に体勢を立て直す。幸いにも柴井老は追撃する気はなかった様子でその場に止まっていた。
(意識していない別方向からの攻撃……でも本来の方向からの追撃はなかった)
攻撃の直前に気配を感じた。横腹に受けた打撃は直撃の寸前に何かの術を用いて拳そのものを移動させたのだ。
「避けられないだろう? 転移術と格闘術の併用だよ。戦法として確立したのは退役間際だったが、ここで花を咲かせるのも一興だろう?」
「発生の直前まで僕に悟らせないのは流石、ですね」
予め考えているのならそれを込みで動けるけれど、都度都度の一瞬で物事を判断していると例え察知しても反応がしきれない。
対応策としてはそもそも近寄らせないこと。遠くの相手に当てる為には意識することが必要になるから避けるのは容易い。
けど、それには安定した間合いの管理が必要になる。
「直前に水で威力を殺していたくせによく言うよ。女の子にその戦いの才能は勿体ないね。本当に、男として生まれて来ていたらと思わずにはいられないよ」
「男だからとか、女だからとか関係なく、僕は僕の道を行くだけです」
雨で濡れているのはお互い様ということで、付着している少量の水を操ればある程度の打撃も威力を軽減することは出来る。
その上で軽く吹き飛ぶ程の破壊力を持つあの拳をまともに受けるのは致命的な隙を生むことになりかねないと理解した。
加えて、忘れてはならないのが────
「そろそろこちらも動いて良いかな?」
前園鷹一、術に特化した日本の中でも指折りの退魔師。前園家の前当主。妖怪と戦い続けて生き残っているということで弱いはずがない。
その手に持っているのは古くからある家を継いでいるとは思えないような近代的な武装だった。
狙撃銃。それも火縄銃や世界大戦で使われた物ではなく、ごく最近に開発されたであろう最新鋭の銃器だ。
体術では僕よりも遥かに上回っている柴井老を相手にしながら、そんな武器を使う二人に対して果たしてどこまでやれるのか。
唾を飲み込む音が嫌に頭に響いた。