二話-7 まるでお見合い会場
雰囲気を変えた名雪さんはまさに良家の子女といったところ。
今までの方が演技だったのではと疑いたくなるほどに今の彼女からは本物の淑女の印象を見受けられた。
その彼女は驚きを隠せない僕に気品のある笑みを向ける。ここで変なことを言うと場の空気が乱れそうなので何も言わないでおくけども。
「心の準備は出来てますか?」
「……大丈夫です」
「結構です。では私の後に続いて下さい。清花様の席までご案内します。その後はこちらから指示を促すのでそれに従って下さいますよう。……それでは行きましょうか」
返事をして名雪さんに続いて入場となった僕は室内にいる人たちからは姿が見えていないはずだ。にも関わらず、意識は全てこちらに向けられているということが手に取るように感じられていた。視線だけで射貫くように強烈な意識が僕に向けられている。
ただし一言も発さずにじっと待っている様は咲夜の学校に転入した時に見せた同級生のはしゃぎようとは対照的と言っていい。
確かに、今までの意識のままだったら逆にこの場では浮いた存在になっていただろうことを理解した。
「清花ちゃんの席はここになります。追って指示をお待ち下さいませ」
案内された席の下へ着くと名雪さんは一言だけ残して僕の隣の席に着席する。
長机を男女で挟んだように配置されているのは意図的なものだろう。今回はお誕生日席ではないものの、視線が集まり易い真ん中の位置に僕は案内をされていた。
隣を年長組の名雪さんと文奈さんで固め、不愛想な顔をして我関せずといった顔をしている千郷は名雪さんの奥に位置している。更には文奈さんの隣には見知らぬ女性がいた。おそらくは彼女が人見知りだというもう一人の女の子だろう。
そして対面には僕から見て左端から空席、見覚えのある人、前園龍健、藤原利通、土御門景文の順番になっている。
兎にも角にも、それで全員が揃ったということでこの空間には物音一つない静けさと妙な威圧感だけが残る場が出来上がった。
しかし、何も起こらない。誰も話しかけてこないから座ることも出来ないでいた。
(どうして誰も話しかけて来ないんだろう?)
目の前の人たちは一様に僕の顔を見ては驚いたように固まっていた。
何かおかしいところでもあるだろうか、と考えたところで咲夜が言っていた言葉を思い出す。
『その顔で無闇矢鱈と微笑んだりしないようにしなさいよ』
『なんで? 笑っていた方が良い印象に映ると思うんだけど』
『男っていうのは気になる子にちょっと笑いかけられただけで勘違いをするものなの。女性陣に敵を作らない為にも、不必要な醜い人間関係を作らない為にも、相手を勘違いさせないようにしなさい。いいわね?』
『……解せない。なんで僕の方が男について注釈をされているんだろうか』
そんなことを言われていたのを思い出していた。少しして初めに口を開いたのは目前にいる見た目的に年長者と思しき前園龍健。
彼に会ったのは一度きり。宝蔵恋歌同様にその時は清光として会っていたはずなので、清花としては初対面として接さなければいけないのを肝に銘じる。
まずはご着席下さいと促されたので椅子に座った。座り心地は大変良いもので、これだけで一体幾らするのか気になるところだけど今は目の前のことに集中しなければ。
次の話があるだろうと前園さんの方を見て暫く待っていると、隣にいる名雪さんがわざとらしく咳払いをした。それで気を取り直したらしい龍健さんが笑顔を作り出した。
「この度は遠路遥々よくいらして下さいました。初めまして、私は司会進行を務めさせて頂く前園龍健と申します。私のことはどうぞ龍健とお呼び下さい」
「分かりました。よろしくお願いします、龍健さん」
彼は清光として会った時とはまるで違う、慇懃無礼な態度ではないこちらを慮る丁寧な態度だった。
最後に僕が席についたことで全員揃ったということなのだろう、龍健さんが音頭を取って話を進めていく。
「さて、まずはお食事の前に軽い自己紹介をしていこうと思うのですが、他の方も気になっていると思われるので宜しければ清花さんからお願いしてもいいですか?」
「分かりました」
視線が集まる中で話すのは全くもって慣れていないせいで緊張はするけれど、ここを乗り切らなければ僕たちの未来に大きな障害が残ることになる。覚悟なら既に決めてあるので、立ち上がり予め考えおいて貰った台詞が澱みなく口から出てきた。
「まずはこの場に呼んで下さったことに御礼申し上げます。それから初めましての方は初めまして、大蓮寺清花と申します。苗字の方は長いので呼ぶ時は名前の方で呼んで頂ければと思います。ご存知だと思いますが、扱う力は浄化の力です。まだ退魔師として若輩者ですがこの場に恥じないようこれからも精進して参りたいと思っています。どうぞよろしくお願いします」
頭を軽く下げて礼をすることで終わりとしたところで周りからは控えめな拍手がいくつか。
そういうところも派手にはやらないのだなと感じているところに、拍手が鳴り止んだ頃合いを見て龍健さんが話し出す。
「ありがとうございます。清花さんは初めてのご来訪ということで緊張されることもあるかと思いますが、この場は退魔師同士で歳の近しい者たちとの親睦会のように考えて重く受け止め過ぎないようにして下さると嬉しいです」
仕方のないことだと理解はしているけれど、咲夜や僕──清光を格下として見ていた時の物腰や言葉遣いとは大違いだ。
あの時とは違い、丁寧かつ慎重にこちらの機嫌を損ねないよう細やかな配慮がされている。それはさながら宝石でも扱うかの如くに。
これが本性という訳ではないのだろうと思う。ただその時で対応が違うだけ。目上の人に敬語を使うように、格下にはそれ相応の態度というものが彼の中にはあるのだと思われる。だからそこを責めるのは筋違い、だとは理解しつつも対応の違いを本人として体感している側はあまり気持ちの良い話ではないのは確かだ。
とはいえ、ここでその感情を表に出すのは清花としては間違いなのでそのことは過ぎたことだと忘れることにした。
僕が席に座ったことで自己紹介が続いていく。
「それでは私の席から遠い方から紹介していきます。まずはご存知だとは思いますが、土御門景文。土御門家のご子息で陰陽師の血筋を引き、その類稀なる才能で神童と呼ばれたりもしていました。本人は頑なに拒否をしていますが周りからは次期当主候補と目されている新進気鋭の退魔師です。実力の程は清花さんならば知っておられるでしょう」
「そうですね。先の件では大変よくお世話になりましたので」
景文さんはこちらに手を振って挨拶してくる。手を振り返すと何やら要らぬ誤解をされてしまうみたいなので軽く会釈する程度に留めておく。
「これでも器用な奴なのでこれからも扱き使ってやって下さい。お次に隣の藤原利通、彼は藤原家の長男で既に次期当主に指名されている程の実力の持ち主です。既に婚約までされておりまして、その婚約者とは清花さんの隣にいる大友名雪嬢ですね」
「よろしくな」
「よろしくお願いします」
堅苦しく感じるこの場においても変わらず陽気な姿はある意味では凄いと思う。
龍健さんはそんな彼の態度に思うところがあるのか、少し眉を顰めた後に視線を外した。
「私を飛ばして次は武原勝己、彼については説明が難しいところですが、言うなれば清花さんと同じく期待の新人といったところでしょうか。大器晩成型で今までの努力がようやく実ってきた結果、今では三等退魔師の資格を得るに至った実力の持ち主です」
僕は退魔師として活動していても協会に所属していないので階級は持っていない。仕事の依頼は咲夜経由で受けているから問題はないからだ。
それでも力を持っているからと言って簡単に階級が上がる訳ではないことは知識として知っているので、三等級という位の努力も決して楽なものではないと何となく想像は出来る。それ程の努力を重ねてきた人の風貌には見えないけれど、これは流石に偏見か。
「よろしく」
「はい。よろしくお願いしま……うん?」
「なんだよ。俺の顔に何か付いてんのか?」
その顔にどこか既視感のようなものを感じて見つめていたら文句を付けられてしまった。
少し素行の悪そうな口調、常に人を睨みつけたような目付き、警戒心で逆立ったようなツンツンの髪の毛。かつてどこかで見かけたような気がするだけにやけに気になって仕方ない。
けれどあまりに薄い記憶なのか、頑張ってもすぐには思い出せそうにはなかった。
「いえ、その……どこかでお会いしたことがあったかなと思いまして」
「あぁん?」
その言葉が気に障ったのか、眉間に皺を寄せてようなではなくギラりと睨みつけてくる。
僕の反応に不服な様子だけども生憎と印象が薄いのか記憶には薄っすらとしかない。おそらくだけど、名前は元々知らないではないだろうか。流石に名前まで知っていたら丸ごと忘れるということはないだろうし。やはり関係性はないに等しいに違いない。
「すみません、初めましての方で良かったですか?」
「違ぇよ! 武原勝己! お前に鵺の討伐を依頼したとこの倅だよ! 自己紹介した時に思い出さなかったのかよ! てか顔見て思い出せよ!」
「……あぁ、あの時の人でしたか。接した時間があまりに短過ぎて記憶が薄れてしまっていまして。本当にごめんなさい。忘れていました」
鵺の討伐と聞いてようやく思い出せた。あの時のお猿さんが彼と言うことらしい。
妖怪の大規模侵攻が起きた時、隣接した地域にいた僕に討伐依頼の来た地域には確かに彼がいた。
成体の鵺の二体同時出現という異常事態に部下を逃がす為に傷を負ってしまい行動不能になってしまった彼は、僕の治療のお陰で戦線復帰し片方の鵺の討伐に成功したけれど、その直後に彼は気絶してしまったのでちゃんとは挨拶せずに僕は帰ってしまったという経緯がある。
苗字に関しては近くにあるということで聞き覚えはあった。名前の方はやはり初耳だったけども。
あの時は奇抜な格好をしていたけれども、今は頭髪以外はまともな格好をしていたので気づけなかった……ということにしておこう。
「おま……俺があの時どれだけお前のことを探したと思ってんだ」
「そう言われましても、仕事は完了してましたから。それにあの時は有事でしたし、担当地域が心配で早く帰りたかったんです」
咲夜からは心配しなくていいと言われてはいたけど、あの時の異常具合から考えると想定外は一つや二つあってもおかしくはなかった。
幸いにもその後は何もなかったけれど、それは結果論というものだろう。
お猿さんもとい武原勝己がこちらの言い分に歯噛みしているのを見てか、龍健さんを挟んでいる藤原さんが突如大声で笑い出した。
「ハハハハハッ! 勝己、お前会ったことがあるとか言ってた割に忘れられてるじゃねーか!」
「うるっせぇぞ! 後で覚えてろテメェはよ!」
二人は互いに弄り、怒鳴り合いをするも特に悪意らしきものは感じない。これも一種の友情か。いや、ちょっと分からないけど。
そんなやり取りを無視して龍健さんが話を続ける。
「……こほん。最後にと言いたいところですが、生憎と彼は今は所用で席を外しているので後程とさせて頂きます。続いて女性のご紹介をさせて頂きます」
一つ空いた席には特に人物を特定するような物は置かれていないのでどんな人がいるのかは分からない。
多分宝蔵家の人だろうけど、分からないということにしておこう。
「まずは芹井千郷穣。彼女は武原勝己と同じでここ最近になって実力が認められてここに顔を出すようになった若手の中で勢いのある子です。清花さんが有名になる前は私どもの世代で一番強い女の子とされていたんですよ」
その情報に僕は彼女の方を見るけれど、千郷は我関せずといったように目を瞑ってじっとしていた
どうやら強さとかどうとかにはあまり感じるところはないみたいだ。それでも彼女がここに来るまでに強さを得たのはきっと僕が原因なのだろう。
その辺りのこともいずれしっかりと聞きたいところではある。
「清花さんの隣にいるのは大友名雪さん。名家である大友家のご令嬢で、ここでの集まりにやって来る女性たちのまとめ役をしてくれています。退魔師としての腕が立つからこその立場なので、色々と相談に乗ってくれると思いますよ」
男性たちは僕と名雪さんたちの会話を知らないはずなので今がどういう関係なのかは詳しく知らないはず。
なので関係が悪くないと印象付ける為に彼女と顔を合わせて微笑んで頷いておく。それからやや遅れて龍健さんが話を続けた。
「……反対側に座るのは弓削文奈嬢です。弓削家は代々総理大臣の相談役にも抜擢されるほどの占い師で、その的中確率は高いと評判です。何か占って欲しいことがあれば聞いてみるといいでしょう。きっと何かの力になってくれるはずです」
今のところ聞きたいことはそうはないけれど、白面などの大妖怪関係については聞いてみたいところではある。
それについては重要な情報過ぎて聞いたら何か要求されたりしないかと心配になっているのであまり尋ねる気にはならないかもしれないけども。
ただし、いずれはということも考えられるので彼女とも仲良くなっておくことは損にはならないはずだ。
文奈さんとも笑って会釈をし合う。
「そして最後は大友藍。名雪嬢の妹君で優秀な退魔師ですが、少し引っ込み思案なところもあり人間関係に積極的ではないところがあったりします。ですが心根の悪い子ではないので、きっと清花さんとも仲良くなれるかと思います」
紹介を受けたところでその当人と顔を合わせようとしたところ、その藍さんは僕の顔を見た瞬間に顔を逸らしてしまった。
まさかそんな対応をするとは思わず龍健さんもどうしたものかと暫しの間固まっていた。それは他の人たちも同様だったようで、おそらくは彼女がこんな行動をするのは初めてのことらしい。つまるところ、藍さんは僕に対して何か思うところがあるみたいだった。
それをこの場で口にする気はないからそっぽを向いたのだろうけれど、他の人が見ている中でやってしまうのは些かやってしまった感が否めない。
そんな空気をどうにかするべく、龍健さんは何事もなかったかのように話を続ける。
「……さて、これで自己紹介は終わりとなりますが、清花さんから何か質問などはありますか?」
「いいえ、特にはありません。なので、こちらに対して質問があれば可能な限りお答えしますが如何でしょうか?」
「分かりました。それでは食事をしながらでもゆっくりとすることにしましょう。では、食事が冷めてしまわない内に次を運んでもらいましょうか」
「お願いします」
龍健さんが手元にある鈴が鳴らすと食事を持った使用人らしき方々が大勢で一人一人それぞれの食事を運んでくる。
この時までずっと待機して貰っていたのかと思うと申し訳ない気持ちになるけれど、周りの人たちはあの気の弱そうな藍さんも含めて当然のようにこれを受け入れているのはやはりこういった場に慣れている証ということか。
周りを見渡している間に僕の所にも配膳される。高価そうな食器に高価そうな食事。盛られている量があえて少ないところが高級料理を思わせる。
いつもと食事の形態が普段と違い過ぎて粗相をしてしまわないか心配になりそうだ。
「要望は可能な限り聞き入れますので苦手なものがあれば遠慮なく言って下さい。すぐにご用意させますので」
「好き嫌いは特にありませんので平気です。ですが、お恥ずかしながら礼儀作法がなっていないかもしれないのでそこはお目こぼしして貰えればと」
「ははっ、そこまで格式張った場ではないので気にしないで下さい。この場は口煩い大人たちはいませんし、名目上は同世代の子供同士の顔合わせ兼親睦会ですから。それに、ここにいる全員が礼儀作法に精通している訳ではないので気にし過ぎる必要はありませんよ」
言いながら龍健さんの目が一人へと向き、視線で答え合わせをされた本人である武原さんはうんざりした顔で答える。
「何で俺の方を見んだよ。仕方ねぇだろ、肌に合わないんだからよ。今さっきアンタも言ってたじゃねぇか、無礼講だってよ」
「無礼講とまでは言っていませんよ。君の父君は立派な方なのですから、同じようになれるよう努力しなさいといつも言っているでしょう」
「んなことは言われなくても分かってんよ。アンタらはもう少し長い目で見るってのを知るべきだな」
どうやら見た目通りにあまり礼儀作法には得意ではないらしい彼は取り繕うことすら嫌みたいだ。
実力のある退魔師というのは比例したように自己が肥大化してしまうという話もあるくらいだから、少し見聞きした彼の態度から察するにそもそも礼儀作法を習っていない可能性すらある。
そんな風に話が僕以外の会話に移ったところで今の内にと目の前にある食事に手を付ける。
「あっ、これ美味しい」
見慣れない料理の前菜を口に運ぶ。見た目からでは味も想像出来ないままに食べてみたら思いの他美味しかったので驚いた。
「美味しいよね。少ないのが残念なくらい」
独り言を聞いていた隣に座る名雪さんが話しかけてくれる。砕けた話し方なのはこちらの緊張を和らげる為か、その心遣いは嬉しいところだ。
「そうですね。少ないからこそ堪能出来ているのかもしれませんが」
「分かる。少ないとこう、勿体ないっていうか、じっくり味わってみたくなるよね」
食事について語り合っていると、もう片方の隣にいた文奈さんが混じってくる。
「私はこれくらいが丁度いいですね。これ以上食べてしまうと普通の食事が美味しくなくなってしまいそうで怖いです」
「文奈さんはこういう場にはよく出たりするのですか?」
「そうですね。こういった集まりでは占いのことでお話することが多くて。そういう時は名雪ともご一緒する機会が多いですね」
文奈さんも混じり、少しの間女性陣(?)で会話を楽しんでいる最中で食べ進めていた皿があっという間に空になってしまったと思ったら周りも人たちもすぐに平らげてしまっていたらしい。
どちらかと言うと長くお喋りをしていた僕たちの方が遅かったとは思うけれども。
景文さんと藤原さんは何やらこちらにお構いなしに会話していて、武原さんは皿回しをして遊んでいて、龍健さんは僕の方を観察している。
こちらの会話が途切れたのを待っていたかのように龍健さんが話しかけてきた。
「お口に合っているようで何よりです。それはそうと、次の食事が運ばれてくる間に勝己から一つ質問があるらしいのですがいいですか?」
龍健さんが軽く手を挙げると使用人の人たちが忙しなく動き出す。
僕が頷いたのを見て、武原さんは口を開いた。
「大蓮寺はそこにいる景文……さんと大妖怪の野郎と一線交えたって聞いたけどよ。知っての通り、大妖怪と言えば特定の個体が突出した強さを持った場合に指定される言わば俺らで言うところの特級の強さになる訳で……」
そこが彼は一区切りする。真剣な表情に切り替わり、それに伴って場の緊張感も増していくのを感じた。
「次に相対した時、お前は例の大妖怪に勝つことは出来んのか?」
初めに出す質問としては大きな波紋を生み出すような話題だった。
まずはもう少し親睦を深めるものだと思っていたけれども、荒れずに収めるのは難しそうかもしれない。
「……それは一人でということでしょうか? それとも景文さんのような助っ人がいるのか、勝敗というのは前提条件によるものが大きいと思いますが」
「まずは一人でという条件で頼むわ」
「一対一でということであれば、僕では白面に勝つことは出来ません」
僕の一言に周りの人たちがどよめき出す。何も反応をしていないのは景文さんくらいか。間近で戦いを見ていた彼は僕の言葉に何も疑問を持っていないということだ。
問いを投げた武原さんすら少し戸惑いを隠せないような顔をしているので補足説明を付け足していくことにした。
「言葉足らずですみません。正確には勝つことは出来ませんが、負けることもないと言うべきでしたね」
「……意味が分かるように解説しろ」
「既にお聞きかもしれませんが、白面金毛九尾の狐は大蓮寺家に長期間での成果を見込んだ罠を仕掛けたように、その実力もさることながら裏工作にも長けた存在です。大妖怪としての長命からして潜伏を始めてから一体いくつもの策がこの日本に張り巡らされているのか分からない程に。直近では存在を確認されつつも特級退魔師数名にも見つからずに逃げ切ったと聞いています」
「それは知ってる。その白面とやらの話が出てから大人たちはてんやわんやのお祭り状態だ。それに潜伏出来そうな場所とか罠が仕掛けられてるかもしれない場所をひっきりなしに調べ上げてる。まぁ、あんまり順調じゃないみたいだけどな。聞けば景文……さんでもその潜伏場所とやらは発見出来なかったんだろ?」
「あぁ、あれは特別な力を持つ人じゃないと見つけられないだろうな。変な自尊心さえなければ真っ先にその人に協力要請があったはずだけど」
言いながら僕に視線が向けられる。そういった話は咲夜からはされていないのでそもそも依頼されていないのだろう。
確かに咲夜の目があれば数日が経っていてももう少し捜索は容易だったはず。
僕が首を横に振ったのを見て肩をすくめた景文さんは嘲笑するようにどこかを見つめて笑った。
周りの人たちは何のことだか分からないだろうけれど、あえて話すようなことでもないので話を続ける。
「話を戻しますが、そんな計算高い妖怪が僕の前にのこのこと何の準備もせずに現れるとは思いません。必然的に、そんな性格の妖怪ならば分体の術以外にも自分の命に対する保険も何重にも用意しているでしょう。それら全てを看破し止めを刺すことは僕一人では困難だと判断しました」
そんな妖怪が未だに僕の命を狙っているだろうということは恐るべきことだけれど、定期的に担当地域全てに浄罪を掛けているので僕の近くで何かが起きる可能性は低いはずだ。加えて咲夜と共に巡回もしたので僕たちの担当地域に白面の罠はないと見ている。
だから咲夜が警戒をしているのはもっと他の別のところで、僕もそれと同様の想定をしていた。
「負けることはないというのはそのままの意味で、白面の攻撃は僕には有効的ではありません。なので少なくとも死ぬことはないということです。それでもお互いに生き死にが関わる条件があるとすれば、僕と白面以外の別の要因が発生していると考えています」
「特級退魔師か、あるいは大妖怪の介入ですね」
龍健さんの言葉に頷いて返す。
「僕にとって一番怖かったのは鬼王ですが、そちらは既に討伐済みだというのが僕にとって何よりの救いですね」
冗談ではなく、僕にとって天敵となり得る存在がほぼ唯一それだった。完全に肉体強化にのみ特化した超近接攻撃特化型は僕の苦手とするところだからだ。浄化の水による弱体化が間に合わず、初撃で戦闘不能にまで追い込まれる可能性すらある存在を僕は極めて危険視していた。
もしも次代の鬼の王が現れれば僕の戦い方も考え直す必要があるとすら思っている程に。
退魔師の戦い方は遠距離の術士に寄っている人というのは少なくない。寧ろそちらの方が多いのが事実で、ここにいる人たちの一部も僕と同じ想像をしていたのか、同感だという安堵の表情を浮かべていた。
「鬼の王が討たれたことは我々にとっても好事でした。それでは清花さんにとって命に関りがあるような相手は存在しないと思っていると?」
「他に全くいないという楽観視はしていません。新たに強力な存在が現れる可能性もありますし、注目もしていなかった妖怪が突然変異を起こす場合もまた有り得ると思っていますので断言は出来ません。現存している妖怪で他に危険だと思っている相手もいます」
「いい心掛けだと思います。では、複数の大妖怪が攻めて来た場合に清花さんは自力のみで生存出来るとお考えですか?」
「今のままでは難しいとは思っています」
ここにいる人たちは今のままという言葉に疑問を感じているようだ。倉橋さんからの指導を受けて成長をした度合いを考慮すれば実現不可能ではないと考えているけれど、普通の退魔師はちょっと訓練を増やした程度でそこまで実力が伸びることはない。それを彼らはよく知っている。
龍健さんは一分の隙も見逃さないように言葉の一つひとつを切り取っていく。
「つまり将来的にはどうにかなると考えていて、その方策も既に練ってあるということでしょうか?」
「否定はしません。どうやら僕のことは占われていたようですし、何かしらの手段でそちらでも掴んでいるのでは?」
「さて、それはどうでしょう。おそらくは文奈穣も仰っていたでしょうが、占いは占いでしかないんです。例え未来から来た人であっても常に変化する未来には対応することは難しいでしょう。実際、私たちも内容が変化する可能性を考慮して詳しくは知らされておりません」
僕の未来について占われているということを僕は知っているけれど、文奈さんの話し方からして何かしらの霊具を作ったことは知れているだろう。その内容がどこまで他の人に知られているのかは分からないものの、それでも何かしら情報は掴んでいると思っていい。
あの霊具は本当はここぞという時の交渉材料として使いたかったのだけども、中々上手くはいかない世の中だ。
「占いと言えば、面白そうな話も聞き及んでおりますが、そちらの話はまた後ほどさせて下さい。先程の話では今のままでは難しいという話でしたが、それは今現時点での実力では敵わないとお認めになるということでしょうか?」
「そう受け取って貰って構いません。僕に限らず、その状況を独力で解決出来る人が他にいるのかという疑問はありますが」
「そうですね。我ながら意地の悪い質問でした」
持っている力次第ではなんとかなる可能性はあるけれど、大妖怪複数を相手取って凌ぎきる方法が果たしてそうあるものか。
龍健さんの言葉からは僕が一人では無理だという発言を引き出したかったように感じられた。現に彼の表情は非常に上手くいったという満足感を帯びている。本題はここから、ということだろう。
「大妖怪を二体以上を相手にした場合死んでしまう可能性が高いと、その自覚をお持ちならばどうでしょう? 当面の間はここにいる我々の中の誰かを護衛として付けるというのは?」
そう語る龍健さんの双眸は一見優しげなものに見えてその奥には欲望のようなものが透けて見えていた。
どうやらそれが今回の本題らしいことを僕は察することになる。
ちなみに話の主導権を奪われた武原さんは目上の相手には口答えしにくいのか、龍健さんの飲み物に七味やら塩やら醤油やらをコソコソと入れていた。