二話-5 懐かしのあの子
名雪さんと文奈さんの自己紹介が終わり、残すはあと一人。
話の流れは聞いていたはずだけれども、ここまでほんの少ししか会話には入って来なかった。
彼女は今のようにただ黙って人の話を聞くような人ではない。本当は笑顔の絶えない朗らかな性格の持ち主だ。笑うとその場が自然と明るいものになり、人々を勇気付けるような太陽のような、そんな存在だった。
それは他ならぬ僕がよく知っていた。だというのに……。
「よろしく」
それだけ言って黙りこくってしまう。それでも視線は僕の方に釘付けだ。何かを探るような視線が捉えて離さない。
敵意にも似た感情でこちらを見るのは一体なぜなのか。
「千郷、自己紹介がそれだけってことはないでしょ?」
自己紹介が名前だけだというのはあまりにも礼を欠き過ぎだということで名雪さんが割って入る。
語りかける声音は優し気なもので、それは彼女の事情を汲んで喋っているのが分かった。その辺りも後で聞けたらと思う。
彼女からの言葉を受けて千郷は面倒そうに溜息を吐いてこちらを見る。
「その前に、質問していい?」
「なんでしょうか?」
千郷は僕と同い年だから名雪さんの後輩に当たる訳で、無視するのはいけないことなのだけれども、それを名雪さんは笑って流した。
それすら意に介さず、千郷は言葉を続ける。
「葛木清光って名前に心当たりは?」
「ありますよ。それがどうかしましたか?」
それは僕の男の時の名前だから。
それを知っている君は清光としての知り合いで。
だからこそ僕は強く仮面を被った。
「その人は今、どこで何をしてる?」
「宝蔵家の咲夜という人を知っていますか? 今はその人の下で働いていますよ」
「嘘だ」
「嘘ではありません、事実です。同じ建物に住んでいますから、そのことはよく知っています」
姿形はよく確認は出来なかったけれど、あの日、咲夜の車に乗って病院から出て行った日にあそこにいたのはやはり彼女で間違いない。
あんな人気のない場所かつ限られた人しか知らないような施設にわざわざやって来るのは余程の理由がないと有り得ないし、その余程というの彼女以外に考えられない程に当て嵌まる。
今も切羽詰まったような顔でこちらを見る彼女に、僕はどういう顔をしていればいいのか分からないでいた。
「だったら一度でいいから彼と会わせて。直接顔を見て話がしたいの」
「それは僕の一存では決められません。彼と、そして宝蔵咲夜に話を通して下さい。僕はその決定権を持つ立場ではありません」
「……そこが疑問なんだけど、どうして貴方は宝蔵咲夜に従っているの? 地位も名誉も、力だって比べ物にならないほどに隔絶しているというのになぜ彼女の言うことを唯々諾々と受け入れているの? 誰だってそう思ってる。ここにいる人たちもそう。どうして貴方が彼女よりも立場が下なのかって。貴方がその気ならすぐにでも実権を握れるでしょう? なぜそうしないの?」
下剋上でもして自分の言う事を聞けというのが本音だろう。口にはしていないけど。
それをあえて口にしないのは成長…………なのかな。ちょっと分からない。昔の千郷だったら間違いなく口にしていたはずだ。
「僕が彼女を押し退けて立場を変えることはありません。理由は幾つかありますが、何よりも僕自身がそれを良しとしているからです。だから他の誰がなんと言おうと変える気はありません」
あえて強く宣言するのはこの場にいる全員に向けてのものだから。
「本来ならこの場にも彼女を連れて来る予定だったのですが、良からぬ邪魔が入りまして。ですので、今は忙しくて連絡が取れないとは思いますが、また後日に連絡を頂ければと思います」
「宝蔵咲夜にならもうしてる。でも、いくらお願いしても断られるし、内緒で行っても今はいないって追い返された。だから貴方にお願いしてるの」
「……お願いをしている?」
今の話を聞いてお願いをしていると感じる人はどれだけいるか。この場にいる人たちは軒並み首を傾げてはいるけど。
ともかく、これは後で咲夜に聞かなければいけないことが出来た。恐らくは僕の為のを思ってのことなのだろうけれど、それにしたって何も言わないのは後で不和を生みかねないと知ってのことか。
それは後回しにすることにして、今は目下の状況について対応するべきだ。
「咲夜に話を通すのは構わないですが、どうしてそこまでして彼に拘るのですか?」
「拘るに決まってるでしょ? 私が、私のせいで……清光は……」
「……………………」
僕があんな場所に幽閉される切っ掛けは、とある事件によって両方の足を失ったから。両足の損失に伴い、化装術を行使した時に足のないまま変化してしまうようになったから。足を失うと言うことはどのような生物にとっても死にも等しいこと。僕は生物としても退魔師としても死んだも同然だった。
動く為の足のない動物なんて、ただただ生きるのに精一杯で戦う力なんて皆無。だから見捨てられて、あそこに幽閉された。
その時の出来事には彼女が深く関与している。彼女のせいではないと言い切れない形で。そのこと自覚している千郷は悔やんでも悔やみきれないといった顔をして全身に力が入っていた。
「一応の事情は知っています。会いたいというのは、謝罪をしたいということですか? それならまずはお手紙なりを書いてみては如何でしょうか。会えないのならば僕から手渡すことくらいは出来ますが」
「手紙なんかで謝って済む問題じゃない! 私は責任を取らないと……私のせいであんなことになったんだから……っ! 私が……っ!」
机の上の手が力の限り握りしめられるのが見て取れる。
こんな風に苦しむ千郷を見たくはない。こうなる前の彼女の姿を知っている身として、これほど悲しいことはない。
きっと僕が隔離されている間にも探してくれていたのだろう。もしかすると、あの時にすれ違ってしまったせいで傷が大きくなってしまったのかもしれない。そう考えると責任の一端は僕にもある。あそこで彼女と会えていれば何かが変わったのかもしれないともしものことを考えてしまう。
だからこそ今すぐ何とかしたいという気持ちはある。
けれど正体を明かす訳にはいかない身として何が出来るのかは分かっていない。
「千郷、落ち着いて。貴方がそんな風に思うことはないの」
「名雪の言う通り、貴方がいつも語っている彼がそんな風に悩み苦しむことを望んでいるとは思えないわ」
「アンタたちに清光の何が分かるのよ!」
二人が千郷を落ち着けようと彼女の肩に触れると、それに強く反応した千郷は手を張り払うように大きく身を捩った。
そして二人に向けて感情のままに叫んだ。
清光と千郷の関係性を詳しく知らない名雪さんと文奈さんでは千郷には言葉が届かない。
「それは……」
流石に名雪さんたちでも今の彼女のことは持て余しているようだ。先ほどまでの様子から普段はこうなっている訳ではないはずだけど。
何も言えなくなった名雪さんに聞いてみることにした。
『彼女はいつもこうなのですか?』
小声で聞いてみると、名雪さんは手で音が漏れないようにヒソヒソ話で語ってくれる。
『清光って子のことが絡むと、そうね。前にご両親が彼のことは忘れるように言ったら射殺すような目つきで見られたと聞いてるくらいには清光って子のことに執心しているって感じかな』
『……そうですか。教えて下さってありがとうございます』
やっぱり千郷はあの時のことが忘れられないでいる。
転身をして戦えるようになって吹っ切れた僕とは違って、今も重荷を引き摺ってしまっている。
だから後悔の念に押しつぶされて精神的に不安定なのだろう。いつも明るい彼女はこんなことにならないと楽観視していた過去の自分を殴ってやりたい。
でも、今の僕は清光ではなく清花だ。彼女に掛ける言葉は慎重に選ばないといけない。だから今は初対面の別の人物として、しかし名雪さんたちとは違い清光という人物を知る立場で感情を制御しきれなくなっている千郷に言葉を掛ける。
「それは他ならぬ千郷さんだからこそ分かるのではないですか? 今の貴方に彼が掛ける言葉は何なのかは、貴方自身がよく分かるはずです。彼はそのことで貴方を恨むような人間なんですか?」
「……っ!」
彼女の知る僕ならばこのことで彼女を恨んだりしていないはずだ。それは千郷がよく分かってくれているはず。
事実としてそんなような事は一度も口にしたことがないし、今も昔も一度も思ったことはない。寧ろ、こんな思いをさせて申し訳ないと思っている。
僕の言葉がどれだけ響いたのかは分からないけれど、清光という人物を知るという意味では僕と彼女は同じだ。少なくとも何も知らないという立場からの言葉ではない。
千郷から肩の強張りが少し解け、僅かに落ち着いた様子で口を開いた。
「じゃあ、どうすればいいっていうの? どう責任を取れば許してくれるの?」
「……咲夜は何の理由もなく訪問を断らないはずです。きちんとした目的や理由があれば受け入れてくれると思います。自分なりの答えでいいので、どうして彼に会いたいのか、会ってどうしたいのかを話してみて下さい。彼女は真摯な思いまで無碍にはしないはずです。まずは宝蔵家で働いている彼にとって今何が一番必要なのかをしっかりと考えるべきだと思います」
清光としての僕が咲夜の下で働いているというのは今も伝えた通り、そのことからどのように受け取り、どんな判断をするのかは清花としての僕が関わるべきことではない。ただ、また一緒に居られたらとは思ってはいる。少しだけその欲が出てしまったかもしれない。
すかさず名雪さんが問いかけてきた。
「それは誘導をしているのかな?」
ここにいるということは千郷も優秀な成績を残しているからだろう。そんな彼女をある意味では取り込もうとしているように聞こえるのは分かっていた。それを見逃さずに突いてくる辺りやはり侮れない相手だ。
「どのような形になるにせよ、お互いに距離が離れたままでは彼女の心の靄は晴れないかと。荒療治であってもやらないよりましでは?」
名雪さんも千郷のことを心配しているのは分かっている。ただ結局は外野が何を言ったところで真に彼女の心に響くことはない。
それはこの姿の僕であっても同じこと。
簡単に何とか出来るものなら彼女の両親だって何か手を打っているはずだ。
やはりこれは原因の根本と向き合わない限りは解決しない問題で、誰も彼もが何もせず放置してしまったのは罪だと言っていい。
何も知らないでいた僕もまたその一人。
「それには少なからず同意します。彼女の抱える悩みはただ吐露するだけでは消化し切れないものでしたから」
弓削さんも千郷を間近に見てきた一人なのだろう、千郷を見る目に慈愛の心があるように見えた。
僕の回答に不満だったのか、名雪さんは尚もこちらに食ってかかるつもりのようだ。
「だけど、その荒療治で余計に悪化したらどうするつもりなの?」
「その責任は赤の他人がとやかく言う問題じゃないはずですよ。僕でもなく、貴方がたでもなく、彼女に真摯に向き合う人だけが負う責のはずです。どのような結果になったとしても、彼女は前に進まなければこれから先もずっと立ち止まったままになってしまいます。僕はそれを良いものだとは思えません」
「……っ! それは、そうね。所詮は部外者の私たちじゃどうしようもない問題だったから……」
突き放したような言葉だったけれど、この件については問題の根が深すぎるので覚悟がないのなら関わって来るなと釘を刺しておく。
仲良くやろうとした直後のことで印象が悪くなったかもしれないけど、こればかりはそう軽々と踏み入っていい話ではないと突きつける必要がある。
弓削さんは占い師だ。言葉の重みは一番良く知っているから簡単には口には出したりはしない。それは責任の重みを知っている名雪さんも同じようだ。
「千郷さん」
「……何かな」
「他の人と相談をしてでもいいので、もし何か思いついたら僕に相談をして下さい。僕から咲夜に、彼と会わせてあげるように橋渡しをしても構いません。もしも駄目だったとしても、何回でも挑戦する心持ちでいて下さいね。彼についてのことなら協力を惜しみませんので」
「分かった。ありがとう。……その、ごめん。初対面の人に強く当たり過ぎた自覚はあるの。それがいけないことだってことも。ただ……」
「気にしないで下さい。心が弱っている時は誰かの助けが必要なのは僕もよく理解していますから」
僕の場合は誰も助けなんてなかったけれど、だからこそ目の前で苦しんでいる人がいるのなら助けてあげたいと思っている。それが自分のよく知る相手なら尚のことそう思う。
「その、ありがと。雰囲気はなんだか清光に似ていて何だか懐かしい気持ちになる気がする」
僕に対して笑いかけるその顔は少しだけ昔に戻ったかのようだった。
思い出したせいでまた顔が曇るけれど、いつの日か元に戻ることが出来たらいいのにと願ってやまない。
「気が向いたらでいいので昔のことを教えて下さい。千郷さんのことはよく聞き及んでいるので聴き比べがしたいです」
「やだ、私のことを話してるの? 変なこと言ったりしてなかった?」
「とても可愛らしい方だと言っていましたよ。ちょっと活動的過ぎるところが玉に瑕とも」
「……本当に何を言ってるのか、後で問い質さなくちゃね」
僕の言葉は清光としての言葉でもある。だから、千郷なら清光としての言葉として受け取ってくれるだろう。
僅かばかりの軽口にはにかんだ千郷は本来の気質に少しずつ戻ってきているのが感じられて場の雰囲気も良いものになりつつある。
まだぎこちないけどやはり千郷には笑顔がよく似合っていた。
「清光さんも、きっと千郷さんには笑顔でいて欲しいと思っていますよ」
「そういう人だから」
「はい。そうですね」
「うん。……で、清光と貴方はどういう関係なの?」
「えっ?」
これで一安心のように思われたが、急に首元に矛先が突きつけられた。
僕と清光(同一人物なんだけど)が仲良さそうにしているように感じられたのか、急に疑心暗鬼になり出して眼光をギラつかせてこちらを見てくる。
名雪さんの言うとおり、千郷が清光としての僕に執着しているのは決して気のせいではなかったらしい。
つまり一番長い付き合いの彼女でも僕の正体を見破ることは出来なかったと言うことで。
そのことに多少の物悲しさを感じつつ、それほどまでに自分は女の子らしくなったのだと思うことにする。
「僕は彼との間には咲夜の下で働く同僚以外の関係性はないですよ」
「清光に魅力がないって言うの!?」
「そんなこと言ってないですよ⁉︎」
どうしたらそんな受け取り方になるのかと叫びたい気持ちになる。
これは説得に時間が掛かる、そう思った時に名雪さんが宥めに行ってくれた。
「その件についてはさっき私が聞いたから安心して。清花ちゃんは結婚によって他家との関りが生じるのが嫌だから結婚はしたくないんだって。だからその清光って人とも本当に何もないんだと思うよ」
「そうなんだ、安心した。それなら大丈夫……うん? だったら半ば勘当されている人は対象外じゃ?」
「えっ」
嫌な予感がする。
「そ、それでは最後に僕の自己紹介をさせて頂きますね」
なので話を強引に打ち切って流れを変えることにした。千郷からは物凄い目で見られているような気がするけど無視しよう。なにせ同一人物で冤罪どころか罪そのものが発生し得ないのだから。
「僕は大蓮寺清花、十六歳の高校一年生です。まだ退魔師として活動し始めて浅い未熟者ですがよろしくお願いします」
無難と言えばそうだけど、ここで奇をてらったところで悪目立ちするだけだ。新参者として分をわきまえている体を装うのが無用な摩擦を生まないはずで、何事もなく無難にこの期間を切り抜けたい僕としてはこれでいいと考えた結果だ。
三人は目配せをした後、頷きあう。そして名雪さんは机に体重を預けて偉そげに問う。
「で、好みのタイプは?」
「それは答えなければいけないやつなんですか? 千郷さんは答えていませんでしたけど」
名雪さんが目配せをする。巻き込まれた文奈さんとまとめ役に睨まれた千郷は言いたくないみたいだったけれど、やがて無言の圧力に屈した。
「心の強い人。確固たる自分を貫くような人。以上」
千郷はそんな人が好きなんだと内心驚いた。前に似た話をした時は別もっとの答えだったのに。
そんな風に物思いに耽っていると、三つの視線がこちらに向いていることに気が付いた。
「……この流れは、僕も言えということですか?」
「私たちも全部は言ってないからさ。軽くでいいから教えてよ。あっ、でも嘘は駄目ね。清花ちゃんはそういうのは言わないと思うけど、念の為ね」
と言われても、生まれてこの方修行修行で物心ついてから接した女の子と言えば目の前にいる千郷くらいで、それ以外は本当に出会う機会が少なくてとてもではないけれど恋愛なんて二の次三の次だった。
だから初恋だってまだだし、人を恋愛的な意味で好きになるということがどういうことかいまいち僕には分からない。
素直にそう言っても信じてはくれないだろうし、どうするべきかと思案する。
「……僕は恋愛自体したことがないので上手く言えるか分かりませんが」
「初恋もまだって、ことぉ!? ちょ、ちょっとその辺りも詳しく……っ!」
「しません。……難しいですが、強いて言うなら……一緒にいて安心出来る人でしょうか」
今の僕には抱えている秘密が大き過ぎて不安になることがある。今この瞬間に男であることがバレたらどうしようという思いが過ったりすることもあって。出来ることならその秘密を打ち明けて、それでも傍にいてくれる人がいたらとても喜ばしいと思う。ずっとバレた時のことを考えるのは辛いだろうから。だからそれが理由かなと感じた。
今の姿だと相手の性別が特定されるようなことは言えないので、そこのところはあえて濁した訳だけど。
「……何ですか?」
視線がこちらに向いていたのはそうだけど、僕の答えを聞いてから何と言うか、視線の種類が変わったように感じる。
首の後ろがそわそわするような奇妙な感覚だ。
「いや、清花ちゃんくらい強い子でもそういう人を求めるんだなーって」
「強いかどうかはあまり関係ないと思いますが。どちらかと言えば心の方の話ですし」
「ちなみに、相手に退魔師としての力量は求める? 求めない?」
「別段、そういうのは気にしたことはないですね。皆さんはそうではないんですか?」
そもそも恋愛の対象が女の子の僕としてはそこは気にするところじゃない。
僕の質問に、今度は逆に名雪さんが気まずそうに目を逸らす番だった。
「あーうん。私は……もう婚約者がいるし? 力量は重要だけどそこが決め手だった訳じゃないというか? あー……文奈はどうなの?」
「いきなり私? ……まぁ、強いて言うなら、必要なのは本人の力量より血筋なのでは? 千郷ちゃんはどうなの?」
「私は力量も血も気になんかしてない。好きな人と居られればそれでいい」
それぞれの価値観ではそういうことらしい。そこで、はいと言いながら文奈さんが手を挙げる。
「清花ちゃんはどうして戦っているのですか?」
「唐突の質問ですが。……答えるとすれば、お金と名声の為ですね」
「お金かぁ。……それって男性に任せることは出来ないの? このご時世、わざわざ女性が前に出て戦う必要はないんじゃない?」
「もしそうなると報酬は良くて二等分ですが、一人なら満額独り占め出来るので任せる必要性がありませんね。僕たちは非戦闘員の方が多いので頭数が増えて収入が減るのは少し困るという事情もあります。単純に任せる意味がないんです」
「なるほどね。聞いていいか分からないけど、どうしてそこまでお金が必要なの?」
「僕たちの生活費や活動する為の資金、妖怪に壊された街の復興費用等、お金の使い道には数えれば限りがありません。あればあるだけ出来ることが増えるでしょう。ないよりはあった方が良いし、お金がないと悪い人に足元を見られたりもします。それは避けるべきことですよね」
名雪さんは僕の何が気になるのか分からないけれど、僕が退魔師として活動する理由のあれこれを聞いてくる。彼女も退魔師として活動をしてみたいという気持ちがあったのかなと想像してみるけれど、彼女が戦いに向いているようにはあまり思えなかった。
答えるように文奈さんが口を開いた。
「清花ちゃんは」
そこで一旦区切り、意を決したように問うてくる。
「清花ちゃんは怖くないのですか?」
「妖怪が、ということですか?」
はいと頷く文奈さん。周りの人たちも僕の返答には興味があるらしい。
なるほどと納得がいった。先ほどまでの質問はここに行きつくという訳かと。
僕たちはお金が必要なのは理解した、でもそれは本当はしたくはないことなのではないかと。そう出来ない事情があるだけで、本音では妖怪となんて戦いたくはないのではと。
目の前にいる女の子たちは戦いなんてあまり経験のない子たちなのかもしれない。
文奈さんは当然として、名雪さんは婚約者がいる身ということで戦いに出ることはないだろう。千郷に関しては戦闘経験があると言っていいのか分からない。あの事件以来、戦いに出ているのかを僕は知らないから。そんな彼女らには僕の行動は理解し難いみたいだ。
「怖くないと言えば嘘になりますが、それとお金を天秤にかけた結果として僕は戦うことを選んだというだけです。ですから迷いは特にありませんでしたよ。ちなみに、四等級の討伐報酬は知っていますか? これくらいですよ? 等級が上がればもっと増えます。これが半分かゼロになるって考えたら誰かと一緒に戦うとか全てを任せたりする利益が薄いとは思いませんか?」
退魔師は完全実力主義の世界だから実力が上に行けば行くほど稼げるようになる。その代わりに死の危険は常に付きまとうし、あまりに弱ければ他地域の妖怪討伐にも積極的に赴かなければ十分に稼ぐことすら出来ないような世知辛い事情もある。
そんな中で妖怪に対して絶大な威力を発揮する浄化の力は大いに活用する機会に恵まれていると自分でも思う。
この状況で結婚だの何だのと言われても僕には旨味が何一つないというのは伝わっただろうか。
「確かに、それくらいの実入りがあればそう思ってしまうのも無理はないですね」
質問をした文奈さんは納得といった風に困ったように笑う。
「本当なら、清花ちゃんには結婚して跡継ぎ生んでもらうのが一番良いって話なんだけどねぇ」
名雪さんは溜息を吐きながら肘杖をついて漏らすように呟いた。
その言葉が他人事のように聞こえるのは決して気のせいではない。僕に結婚やら恋愛やらをさせようとする意図が彼女自身からは見えてこない。
「そう説得でも頼まれたりしてましたか?」
「そうなんだー。年上として、男の子と付き合うこととか結婚の良い所とかその他色々を教えてやってくれってさー……でもさ、もしも清花ちゃんがいなくなったとしたらその空いた穴を埋めるのって相当大変なんだよね。そこのところって上の人たち分かってるのかな?」
「そうですよね。ちなみに名雪さんご自身の今の結婚観についてはどうお考えなんですか?」
「私? うーん……私はいつか誰かのお嫁さんになって子供を生んで、その子供をしっかり教育してっていう未来しか考えてなかったからなぁ。私には戦う為の才能があまり無かったし、自分でもそれが一番幸せになれる道だなって今でもそう思ってる。でも、だからって別の誰かにこの生き方を強制したりはしたくないかな。別の生き方が出来るなら自分の好きな方を選ぶのがやっぱり一番良いと思う」
結婚して家庭に入るという生き方を僕は否定したりはしない。それで世の中は回っているのだし、女性が子供を生まなければいずれは人類がいなくなるのだから生んでもらわなければ困るのは理解している。
だから今の女の子たちは"そうなる"ように教育をされていて、だからその考え方を間違いだとは思わない。
言わば、それが退魔師にとって……いや、今の人類にとっての常識なんだと思う。
「名雪さんの考え方は何だか大人って感じがしますね」
「やめてよ。私のはそういうんじゃない。ただ停滞しているだけ。利通と婚約していずれ結婚することは家からの命令でもあるけど……自分からも望んでいるっていうか……だから結婚を勧めるのも全部が全部命令って訳でもないというか……」
「ちなみにですが、名雪から交際を申し込んだんですよ」
「ちょぉ⁉︎ う、うるっさい、文奈は黙ってて! ……それで、えー……まぁ、何と言うか、この道も決して悪いものではないと私は思ってる……ってことを言いたいだけってことで……。ってちょっと、文奈どころか千郷まで生暖かい目で見るの止めてぇー!」
きっと僕の知らない彼女らだけの話があるのだろう。千郷も含めた彼女らには確かな絆が感じられる。
僕のことで気落ちしている千郷にしっかりと仲間と呼べる人がいることは本当に幸いだったと思う。
そうして名雪さん弄りという名の歓談が弾んでいる最中でも時間は進み、時刻は十一時を指そうとしていた。