二話-3 敵じゃない
目の前の大友名雪と名乗った彼女は名家である大友家のご息女で、先ほど会った藤原利通さんの古くからの知り合いかつ婚約者、年齢は僕の二つ上の十八歳で高校三年生らしい。学生の身分だけど実力もそれなりにあり、実家の立場もあるということで年上も含めた同世代の女の子たちのまとめ役をしているらしく、今回もその関係で僕のところへやって来たという。
その彼女は今、まるで接吻でもするかのようなほどに距離を詰めて来ていた。
「それで、誰が狙いなの?」
軽く自己紹介をした後に、再び壁を背にした僕の顔の横が強めに叩かれる。
彼女の目的は僕が果たして誰を狙っているのかを知りたいということらしい。間違いなく恋愛的な意味合いだろうと思う。言うまでもなく、男性で。
挨拶もそこそこに相対した彼女から詰問される形で問い質されるのは、これが彼女にとっての最優先の目的だから。
顔が怖いのは恐らくは個人的な事情からだと思われるけれど、これは話をしてみないと分からないか。
「狙いも何も、今のところは誰とも付き合う気も結婚する気もありませんよ」
「嘘よ。それならどうしてあんなに景文と仲が良いの? 言っておくけど、アイツが短い期間の間に名前で呼んでる女の子なんて貴方くらいのものだからね。古い付き合いの私ですら名前呼びには数ヶ月掛かったんだから」
そんなことは自分には関係ないと言っても聞いてはくれなさそうだ。
彼女がどうしてここまで食いついてくるのか分からないけれど、様子からして本気であることは伝わってくる。冷やかしでも悪戯でもなく彼女自身の意思と目的によって行動が為されていると感じている。
だからこそこちらも嘘偽りなく本音で語っているのだけど、感情の真贋を判別出来ない彼女に言葉だけで信じてもらうのは難しいか。
「彼とは会って日が浅いですが共に死線を潜り抜けた仲ではあります。名前呼びくらい、特に気にすることではないのでは?」
「じゃあ車から出てきた時に手を握っていたあれは何?」
「ここでは僕は部外者かつ新参者ですので。自分が僕の味方だと周囲に示す為の行為だったと本人が言っていましたよ」
「それに距離が近い!」
「腕を絡めている訳でもありませんし、手を握って歩いている訳でもないです。友達同士が並んで歩くことがいけないことなのですか?」
「目を合わせて分かり合ったみたいな雰囲気を出してた!」
「意見が合えばそういうこともあるでしょう。それは言い掛かりというものです。他にはありますか?」
「そ、それは……その……」
彼女を説得するには嘘を考える必要はなく、ただただ事実を淡々と語るだけでいい。
僕と景文さんとの間には真実何もないのだから。堂々と胸を張って彼女の想像する関係性を否定し続ければそれで終わる。
「僕は誰とも結婚をする気がないと先程も言っておりますが、大友さんはどうして頑なに信じてくれないのですか?」
これを信じてさえくれれば話はすんなりと片が付くというのに、この話の根本たる原因については一向に聞く耳を持ってくれない。
彼女の疑問については粗方否定したので少しはこちらの意見に耳を傾けて欲しいところだ。
大友さんは僅かに考える仕草をした後にこう告げる。
「強い人の子を生みたいと思うのは当然のことでしょう? 実力も、お金も、地位も、名声も手に入れている相手なら尚更にそう思うに決まってるじゃない」
「……………………」
さも当然のことのように言わないで欲しいのだけど、おそらく彼女の価値観ではそうなっているのだろう。
それとも僕の知らないだけで他の退魔師の女の子というのはそういうものなのだろうか。あるいは一般人でもそうなのか。
退魔師としては実力も大切だし、確かに結婚して嫁ぐとなったら相手の懐事情については大事だ。地位についても僕や咲夜がそうであるように、上位者からの理不尽な命令に抵抗出来るだけのものは欲しい。名声は実力があれば自ずと付いてくる物だろう。
これらを併せ持つのは大抵が純粋な意味で強い人間だ。この退魔師界隈の中で純粋な強さというのは絶対不変の肩書に置き換えることが出来る。
出来ればそれら併せ持つ人を生涯の伴侶にという思想は理解は出来るけれど、だからといってそれがそのまま僕にも当て嵌まる理由はない。
こちらの考えを理解して貰う為には、まずはこちらの事情を知ってもらう方がいいか。
「僕の目的は誰からも理不尽な命令を受けない確固たる地位を手に入れることです。だから宝蔵家の宝蔵咲夜と一緒に命懸けで頑張っているんです。結婚なんてしたら退魔業を出来なくなりますから、従って自らでの地位向上も出来ません。ですので、僕にとってはそもそも結婚をするという選択肢がないのですよ」
「な……」
「大友さんの言う要素を併せ持っている相手と一緒になっても、僕にとってそれは相手が違うだけで誰かに服従しているのと一緒です。子供を生むことが退魔師にとって、引いては国にとって大事なことだとは理解しています。ですが、それは僕が歩みを止める理由にはなりません」
こうしてここに訪れたのも無理筋なお願いを"聞いてあげた"という体を取る為だけのもの。
交流の輪を広げるのも目的の一つではあるものの、ここに来たという時点で僕の最初の目的は達成していのだから、多少の反抗は許してもらうとしよう。
「退魔師の女として日本に貢献する気はないと?」
分かっている。これは僕たちの我が儘だと。
それでも、"いらない物"扱いをされた挙句、いざとなったらいいように使われる人生なんてまっぴらごめんだ。
咲夜だってこの場にいたら僕と同じようにこう啖呵を切っていただろう。
「ありません。日の本だとか世界だとか、そんなものに縛られる為に生きている訳じゃない。人を勝手にお人形扱いしないで貰いたいですね。何より、僕は妖怪を倒すことでしっかりと世の中に貢献しているのでそこについてとやかく言われる筋合いはありませんので」
大友さんは黙ったまま僕の目をジッと見ている。
思考を放棄した訳ではない。頭の中で思考を激しく回転させながら必死に何かを考えている。
そこに、結論を着ける為の情報を足していく。
「子供を生みたいのなら生めばいいし、それで世間に貢献したいのならすればいい。ただそれを僕に押し付けないで欲しいのです。そんなこと、僕は知ったことではないし、そうする義務はありませんから」
大友名雪という女性が誰と恋に落ちて何人子供を産もうと勝手、同時に僕が誰とも恋愛をしないで戦いに生きるのもまた勝手。
単純な話、人の生き方は人それぞれだということ。それを認めて欲しいだけだ。認めなくとも、それを強制するだけの理由がないことを知って欲しい。
やがて思考を止めた大友さんは、肩の力を抜いて困ったように微笑んだ。
「……馬鹿げた話ではあるわ。誰もが皆、結局は力ある者に従うしかないというのに。天下の五家は知っているでしょう? その五家の一つである土御門家の景文もそうだけれど、あの人たちは揃いも揃って化け物揃い。貴方が相手をした白面だってきっと単騎でどうにか出来る戦力よ。そんな人たちを相手に、これからもその強気な態度を取り続けるというの?」
「勿論です」
誰が相手であろうと僕のすることは変わらない。だから返事は何と言われようとも変わることはない。
「そう……何が貴方をそこまで追い詰めているのかは分からない。けど、その覚悟は伝わったつもり」
「それは良かったです。誤解は早めに解いておくに限りますから」
これでこのおかしな話題もようやく収束するはずだ。まとめ役というからにはこの話が全体に広がるだろうし、僕が男を狙っているなどという誤解もなくなることだろう。
ほっと胸を撫で下ろしたその時、目の前の彼女が依然として険しい顔のままなのに気付いた。
「えっと……どうかされました?」
「いえ、貴方の言うことが全て真実としてだけどね」
「はい」
「もしも、貴方たちの活動を邪魔しない人、かつ無償の精神で手伝ってくれる人が結婚をしなくてもいいから貴方と一緒にいたいと言った場合はどうする気なの? 貴方たちの出す条件を全て呑むと言ってくれる人がいたらの話よ」
「断りますが、それが何か?」
「いや、そうはならないはずでしょ? だってそれなら断る理由がないもの。寧ろ手伝ってくれるなら手を組んだ方が良い話だし」
僕の話を信じかけていた彼女の瞳が段々と怪しい光を帯びていくような気がする。
しかしながら、確かに彼女の言う条件ならば可能性としてなくはないというのはある。僕の事情を理解しているというのが必要最小限の条件だけれど。しかしながら、このことをどう説明すればいいのかが分からない。
わざわざ自分に秘密があるからおいそれと味方を増やすことは出来ないなどと言えば、不必要に弱点を曝け出すことになるので言えない。
かといって何かしらの理由がなければ大友さんの結論にこのまま至ってしまう気がする。
いっそ実は既に心に決めた人がいると言ってしまうか。それならばここにいる退魔師たちには興味がないということになるはずだ。
(──いや、それはない)
下手な嘘はいずれバレるだろうし、ここで気になる人は誰だと尋問されれば答えに詰まる。そもそも恋愛をするつもりがあると受け取られるのは良くない。
もしも上手くいったとしても誰かと口裏を合わせなければいけなくなる。協力してくれる人だって心当たりはないし、余計に周囲を詮索される羽目になりそうだ。
開き直って大友さんには関係ないと言いたいところだけど、これが逃げでしかないことは自分でもよく分かっている。これを言ってしまえば彼女の言う事を暗に認めたことになり、僕の疑惑は永久に晴れなくなる可能性が高い。
頭を最大限にまで回転させた後、逆に認めてしまった方が良いのかもしれないということに気付く。
「確かに、そんな人がいれば確かに嬉しいですね」
「そうでしょ? 聞けば貴方たちは少ない人数で地域の管理をしているそうだし、名家の手助けがあれば楽になるんじゃないの?」
「確かに楽にはなるでしょう。けれど、それは先程も言ったように僕たちを支配する人間が変わっただけでは?」
「それもそうか。……じゃあ、個人的に支援してくれる人は?」
「既に宝蔵家の方で人員は送られていますので特に人手不足という訳ではありませんし、家の力のない個人的な支援には限りがあるでしょう。その本人の生活もありますから大きな支援は望めません。僕たちの生活も無駄な出費を出す余裕があるとは言えませんし、そうなると金銭的にも精神的にも見返りの少なくなってしまいます。それでも支援をしてくれる人がいると思いますか? 僕にはそんな奇特な人がいるとは思えませんが」
「う、うーん……? そう言われるといないような気がしてくるような……」
手助けしてくれる人がいれば確かに嬉しい、でも現実にはそんな人はいないという論調に持ち込むことは出来た。
これなら説得は出来るはず。
「大友さんがもしも男だったとして、それでも僕に付き合う利点はありますか?」
「利点はある……けど、それ以上に不都合も多いし何より与えるものと見合うほどの見返りがある保証がない」
「もし仮にそれでも協力を申し出る人がいたとして、その人がどんな思惑を持っているか疑いはしませんか?」
「下心を隠して近づいてくる奴は大抵禄でもないか……」
「そんな危ない橋を渡る必要があると思いますか? 今のままでも十分にやっていけているのに、です」
大友さんは眉間に皺を寄せてうんうんと唸り始めた。あれやこれやと嗜好を張り巡らせてはああでもないこうでもないと自分の中で問題提起と解決を繰り返しているようだった。
「……はぁ、何となくだけど貴方の事情については理解したわ。こうまで力説されたら信じずにはいられないじゃない」
「それは、どうもありがとうございます」
女性間のいざこざというのは本当に面倒だと、特に恋愛関係では更に面倒になると咲夜たちからは懇々と説明されていたので出来るだけ不和が起きないように配慮したつもりだ。
まずは彼女たちにとって恋愛においては敵にはなり得ないと理解してさえ貰えればそれでいい。
「理解はしたけど……はぁ、何と言うか、凄く勿体ないわね」
「勿体ない、ですか?」
彼女は僕の方を見て、上から下へと視線を移動させていく。
その後で、心底残念そうな顔をしながら深い溜め息を吐いた。
「若くて可愛くて美人でかつ強い浄化の力もあるのに特定の相手は不在って、退魔師としてこれ程優良物件はそうはいないでしょってこと。さっきは一応の納得はしたけど、やっぱりこれだけ可愛い子の側にいられるなら損得関係なしに居たいって思う人もいるんじゃないかなって私は思うかな」
「なるほど、他の人からしたら僕ってそう見えるんですね」
咲夜からは自己評価を正しく認識しなさいと言われてはいるものの、身内びいきなしの第三者から言われたのは初めてなので自分の知らない自分を教えられているようで少し新鮮な気持ちだ。
そんな感慨に耽ていると大友さんが露骨に更に大きな溜め息を吐いた。
「自覚がない子ほど厄介なのもいないのよねぇ」
こっちとしてはそう言われてもといった感じだけども。
「まぁ、それはそれとして」
彼女は手を差し出して握手を求めて来る。ようやく少しは認めて貰えたということだろうか。
「誤解はなくなったと思っていいんでしょうか」
「そうね。少なくとも場を荒らしに来た訳じゃないというのは私が保証してあげようじゃない。でも、誰がいつ誰と恋仲になるかなんて、私にも、貴方にも、誰にも分からないものだと私は思う。だから貴方のことはよく観察させてもらうわ。その代わりと言ってはあれだけど、他の子からおかしな絡み方をされた場合には私が対処してあげる」
「それで構いません。それでは改めて、大蓮寺清花です。よろしくお願いします」
「大友名雪よ。よろしくね。ここの女の子たちを実質的に取り仕切っている立場だから、貴方もそのつもりでいてね」
改めて名前を名乗って握手を交わし、これでお互いの考え方の行き違いはなくなったと言っていいはず。
最後の時に言った「場を荒らす」という行為が彼女にとって本音の部分で、決して看過できない状況だったのだろうと今はそう思う。彼女の言う条件の良い女が突如として現れて、周囲の男女の関係を引っ掻き回すことが一番の懸念点だったということらしい。
これについては再三に渡って言った通り、僕にはそんな気はないので後はもしも相手の方から接触して来ても頑として断ればいいだけ。
咲夜が言っていた。とりあえずは女性たちとの良好な関係さえ構築出来れば後はどうとでもなると。
内心でほっと一息吐いていると、何やら手の方に違和感が。
「それで?」
「はい?」
握手をしていた手が強く掴まれる。流石はこの場にいる退魔師としての血筋か、咲夜と違い確かなの手応えを感じる。身体能力の強化までしているようだ。そのままもう片方の手で僕の肩を鷲掴みにすると、大友さんは顔を近づけてきて嫌な笑顔を浮かべていた。
「大蓮寺さん……あー、もういいや。清花ちゃんは、どんなタイプの男が好みなの? 別にここの男たちを狙っていないのなら答えても良いわよね?」
好奇心に満ちた意地悪な顔だった。そして、とても楽しそうな声色だった。
「あの……殆ど初対面の相手に聞くようなことですか、それ」
「古今東西、女が結束をするには恋バナだって相場が決まっているのよ。好みの男が被ってなければそもそも敵にはならないのだから当然と言えば当然なことかのかもだけどね。で、どんなのが好みなの? 男性アイドルとか俳優の中で一人挙げるとかでもいいからさ」
これに一々構っていると泥沼に嵌ると判断し、ある程度こちらの勢いで話すことにする。
「大友さんもそのような経験があるんですか?」
「そうそう。別に慣例になってる訳じゃないけど、まぁ……女が集まると自然とそうなっちゃうのよ。分かるでしょ?」
昔でも思い出しているのか、懐かしそうに過去に想い馳せているような。
しかし、すぐに我に返ってしまう。
「って、私のことはいいのよ。今は貴方のことが知りたいの。これだけ美人なんだもの、さぞ小さい頃からモテていたんでしょ?」
「いや、別にそんなことは……」
「謙遜しないの。でもまぁ、そんなに二人きりでは言い辛いのなら皆で話し合いをするしかないわね」
「そっちの方が余計話し辛いと思うのですが……」
「まぁまぁまぁ! そうと決まったら細かいことは置いておいてとりあえずお部屋を移動しようねー!」
「えっ、あっ、ち、ちょっと!」
握手は外れたけれど、今度は後ろに回られて背中から押されて無理矢理歩かされる。
抵抗しようと思えば出来るけれど、この悪意のないただの好奇心が僕から反抗する意思を奪い取る。
本人からしてみれば面白い玩具が見つかったような感覚なのだろう。咲夜と倉橋さんが組んで僕を着せ替え人形にする時の雰囲気によく似ていた。
「あっ、景文さん! た、たすけ────」
途中で何もない廊下で藤原さんと並んで景文さんが立っていた。多分だけど、僕のことを待っていたのだろう。運良く道中に出くわしたので助けを求めるべく手を伸ばしたのだけれど、僕の後ろに視線を移した後に手を合わせて謝罪の意思を示した。
そんなに後ろの人が怖い表情をしているのだろうかと内心恐怖しながら助けを請うことを諦めた。
どの道ここにいる人たちには挨拶はすることになっていたのだから、それが大友さんの紹介になっただけましだと思うことにする。
僕は直立不動なのに滑るように押し出されて移動していくと、内部から複数の気配のする部屋の前へとたどり着いた。
「さあ、心の準備はいい?」
出来てないと言っても話を聞かないだろうに。
「もうどうとでもなれという気持ちです」
「それは結構! じゃあ行こっか!」
ここまで直情的というか、行動派というか、感情的に動く人はあまり身近にはいなかったのでちょっと見ていて面白い。なんて現実逃避じみた感想を心の中で呟いていると、一切の躊躇なく戸が開けられた。