一話-5 予測不可能な霊具作り
霊具作りについては風音様からは結界を発動する為の儀式を教えてもらい、浄化の力に合わせた霊具の材料を景文さんが教えてくれることになった。
その材料も昔では器になる素材の材料選びを自らが行い多くの時間を掛けて製作していたそうだけど、情報化社会となった現代では材料選びはもっと最適化されているらしい。量産化や間に合わせでいいなら器となる物は既製品でも構わないそうだ。
それでも浄化の力は特別だから器となる物は何でもいいという訳にはいかず、自分にも同じ物を一つくれるのならという条件で景文さんが霊具の元となる器を用意してくれるというので、器の手配は彼にお願いをすることにした。
それから数日と待たずに用意は出来たという連絡は貰っているので、他の準備をしつつ、あとは器が届くのを修練室にて待つだけだ。
「それで? 霊具作りとやらはどうにかなりそうなの?」
「うん。何とか目途はついたから、後は術を刻む為の器を待つだけだよ」
「そう。ちなみにそれは大量生産は出来そうなの?」
「それについては今のところ無理そうな感じかな。霊具の核になる器を大量に用意するの難しいらしいのと、起動に必要な浄化の力を持った霊力を補充出来る人が限られてるからね。大量生産出来ても管理が難しいと思う」
「それは……そうね、今はこの世に二人しかいないのだもの。現実的ではないわね」
「そうなんだよ。冬香はかなり厳しい練習をしているみたいだし、今は霊力補充の仕事なんかしている暇はないだろうね。僕も妖怪退治があるからそっちにかかりきりには出来ないし、今の状況では霊具で稼ぐのは現実的じゃないかも」
ちなみに僕のところには持ってきてもらった霊具は全て持ち帰ってもらったのでここには一つもない。
あれらの道具が本当に必要になるのは僕ではなく冬香の方になる。自分で霊具を作る霊力と何をするにも時間が足りない彼女には歴代当主が使っていた霊具が必要不可欠ということで全て彼女に渡すように頼んだ。
冬香は白面との決着が着くまではと貸してあげてと言っていたけれど、正直に言うとあれらの霊具では僕の希望する方向性と望んでいる性能には届かない可能性があるので辞退したというのが正しい。実力を底上げする霊衣は僕にはあまり効果が薄く、霊力を蓄える装飾具は保存できる容量が少ないから僕が持っていたところで意味はあまりない。神水については、あの土器がなくても自力で作れるから僕が持っている必要はないので持ち帰って貰った。
風音様が書物を読み込んでいてくれたお陰で僕でも結界が張れる可能性があることは見出すことは出来た。
その為の儀式も教えて貰ったし、試してみて成功したので術自体に問題はない。なら、後はその結界を展開する為の術式を器に刻むだけだ。
そこから正確に起動出来るかの何度も何度も試行錯誤があるだろう。それでも必ず間に合わせてみせる。
護身用霊具が必要な当の本人がその霊具を売りに出せないか考えているのはどうかと思うけど。
「そう。売りに出せば大金が手に入りそうだと思ったのだけど仕方ないわね」
「咲夜? あまりお金にがめついと浄化の力に引っ掛かるよ?」
「なによ。霊具っていうのは基本的に術者を補助する為の物か、他人が自分には使えない術を使う為の道具よ。後者の方であれば大抵の退魔師が扱うことが出来るから、性能が高いほど高価で売れるのよ。特に希少価値のある能力かつ有用なものなら青天井でしょうね」
「それは、まぁ、分かるけどさ」
「土御門の所なんかは儲けの五、六割はこれよ? そこの子供である土御門景文が引っ掛からなかったのだから私も問題はないでしょう」
術を扱うことは出来ても戦う為の能力が乏しい人は呪符作りといった霊具作りの仕事に従事していることが多い。
僕──清光としてはそういう体でここにいるのでそういった方法で稼ぎを得る手段があるということは理解している。……とはいえ僕が作る霊具を売る前提で考えていたというのは少々、なんというか言葉にし難い感情があったりなかったり。
「そりゃあさ、僕も売れたら家計の足しにはなると思ったけど」
「そうでしょう? 清花の作る霊具なら一品物になるから、その分価値は爆上がりすると思うのよ。あぁ、大量生産より少数生産の方が希少価値が付いて高値になるかもしれないわね。それでいこうかしら」
「僕はその為に作ろうと思った訳じゃないんだけどな」
売る為の性能を宿した霊具を作るのは別にいい。それで稼ぎを得られるのであればそれに越したことはない。妖怪退治という危険を伴う職をいつまで続けられるか分からないし、安定した収入は必要だろうと咲夜も考えているに違いない。それには僕も同意見だ。
それでも最初に霊具を作ろうとした志を蔑ろにされたという思いは拭えない。
そのことを理解している咲夜はあれこれと言い訳をしようとして、終ぞ言葉にすることなくバツが悪そうに人差し指の先をくっつけ合う。
「その、悪いとは思ってるわ。別に私の為に作ってくれた物まで売ろうとまでは思っていないのよ?」
自分でも失礼に当たることを言っていたのは理解したのか素直に謝罪をしてくる。
今のところの僕たちの家計は火の車という訳ではないし、何ならまだまだ余裕があるくらいだ。
地域内での脅威度の高い敵は僕が担当しているから必然的に入ってくるお金は多い。僕を含めた四人が暮らす分には足りているはずだ。
お金は必要だというのは理解している。けれど、そればかりに目を向けていては僕達の目的が本来のものからかけ離れたものにならないか心配になる。
「分かってる。でも売るとか売らないとか、そういうのはまた別の機会にしようよ。まずは咲夜と僕が無事にここに帰ってくることが重要なんだからさ。そもそも僕がどれだけの物を作れるのか分からないしね」
「……そうね。危うく皮算用をするところだったわ」
「今後僕たちで雇う人が現れるかもしれないし、蓄えがあるに越したことないのは理解してるから。とりあえず今は無事に成功するのを祈っててよ」
「分かったわ。霊具作りまでするとなると、全て押し付けるような形になるのは不本意ではあるのだけど」
戦うことも霊具を作ることも僕たちの中では僕しか出来ない仕事になる。これくらいで倒れるほど柔ではないけれど、霊具作りをするならどこかの時間を削らないといけない。そうとなるとそれはそれで問題だ。
「せめて、もう一人くらい戦える仲間がいれば話は違うのだけれどね」
こればかりはそう簡単には見つからないのは分かり切っているので咲夜の溜息も深いものになっている。
「事情が事情だからね。僕の事情を話した上で協力して貰うか、僕のことは伏せて金銭面で納得して貰うしかない。事情を話さないなら僕の素性を詮索しないでくれるような人となるから相当絞られそうだよね」
「そういう意味だと、土御門が気になるのよね」
「景文さんがどうかしたの?」
「あら、いつの間にか取り込まれちゃったのかしらこの子。昨日までは土御門さん呼びだったじゃない」
「長くて呼び辛かったからね。この前会った時に、一応年上だけど名前で呼んでいいか聞いてみたら別にいいよって言われたからさ」
「……あぁ、まぁ気持ちは分かるけど」
「登場の仕方があれだったからやっちゃってたけど、タメ口も直そうかって言ったら別にそれはいいって言ってくれててさ」
「そう。随分と仲良しじゃない」
「一緒に行って守ってもらう仲だしね。仲を疑われない程度には話し慣れておかないとって思って」
咲夜は渋い顔をしながも同意はしていた。
退魔師たちの集まりには彼は僕と一緒に行くことになっているし、最低限名前呼びくらいの親しさは見せつけないとそこにつけ込まれる可能性があるのは咲夜も理解しているのだろう。
「それで、景文さんが気になるっていうのはどういう意味なの?」
「単純な話、あまりにも出張って来過ぎじゃないかと思っていてね。あの人、そう暇がある人ではないはずなの。清花のように学生の内から妖怪退治の仕事に就きつつ門下生の面倒も見ているし、土御門家の家業も手伝っていると聞いたことがあるわ。つまり……」
「あー、うん。分かった。それだけ僕のことについて強い関心があるってことでいい?」
「それだけならいいのだけど。何だかあの人って底が読めないのよね。清花が感知しないってことは悪意はないにしても、何かしらの裏の意図がありそうだし」
「悪意がなければいいって話じゃないってことだよね。そこは僕も気にはしてるけど、心まで完璧に読める訳じゃないからなぁ」
「貴方の悪意感知は便利ではあるけれど万能ではないのは他ならぬ私が実証済みだからね。騙そうとする意思さえなければ情報の出し渋りは別に悪ではないし、交渉というのは互いに納得をして為されるものだから悪意には至らない場合が多い。何だか、あの男にはその辺りのことを分かっていて動いているような感じがするのよね」
「そうなると、他の浄化使いに会ったことがあるとか?」
「ない話ではないけれど……うーん、スッキリはしないのよね……。まぁ、これについては今は放置ってことでいいわ」
どうやら咲夜には景文さんの立ち回りに何かしらの違和感を感じているようだ。
もし仮に浄化使いに対しての心構えを心得ていようとも、そこに悪意がない限りはどうしようもない。
「景文さんに何か思惑があるのは僕も感じてるし、あまり気にし過ぎないようにしなよ? 考え過ぎてドツボにはまってたら馬鹿馬鹿しいしさ」
「まぁ、そうね。けど判断材料は欲しいから何かおかしいと思ったことは報告して頂戴」
景文さんについては彼から何かしらの行動があるまで様子見ということにして会話は一旦終わる。
その直後に建物の呼び出しの鈴が鳴った。どうやら霊具に使う器が届いたようだ。
大門先輩が受け取ったくれたみたいなので修練場に持ってきてもらい、それを開封する。
中からは霊具の器になる物が十点ほど緩衝材に巻かれている。隙間なく敷き詰められた緩衝材がその荷物の大事さを物語っているような感じだ。
「それが例の器ってやつ?」
「そうだよ。僕も実物を見ていた訳じゃないから今初めて見るけど」
結界を仕込む為にと用意されたのは手の平に包める程の小さな瓢箪だ。飲み水を入れておく用途の物ではない。霊具の器の為だけに作られたものになると彼からは聞いている。
使われている素材が高価だから金額としては一つでも相当な額で、しかも数には限りがある。
失敗は許されない。やり直しは出来ない。それでもほぼ無償で提供するというのだから彼の力の入れようが分かるというもの。
「土御門が寄越した物なら間違いはないでしょうけど……。清花、私は気が散らないように一緒にはいないようにするけれど、くれぐれも無茶はしないようにしなさいよ」
「分かってる。そもそも護身用の霊具を作るのに危険なことはないよ」
「貴方って予想外のことをすることが多いから心配なのよね」
「えっ、僕ってそういう風に見られてたの?」
「自覚ないの? ……まぁいいわ、とりあえず陰ながら成功を祈っていることとしましょう。じゃあね」
「色々と気になるけど……。うん、吉報を待っててよ」
咲夜が修練室から出て行き、目の前にある霊具を作る為だけに集められたの品々を見る。
景文さんが厳選をしたという器は目で見るだけで性能が高いことが手に取るように分かった。
それは浄化の力との親和性でもあり、霊具としての耐久性でもそのことを感じられる。
これは僕の為に用意されたということが一目瞭然で、どうしてここまでの物をすぐに用意出来たのか不思議ではあるけれど、土御門家は随分と前から大蓮寺家のことを支援していたというし、元々何かの目的で用意していたのかもしれないと考えることにした。
今回はそれを有難く使わせて貰うことにし、早速霊具作りに取り掛かることにする。
僕がする霊具作りとしての難易度は内容としては、術を発動してそれを器に刻むだけという本当に簡単なものだ。
例えば専門家にでもなると自分の考えた独自の術式を器そのものに丁寧に織り込み、長く繰り返し使えるような物を作ることも出来るし、他にも術式の模倣や術の強化、あるいは装備を単純に強化したりなど色々と出来ることはあるとも聞いたことがある。
それらは専門知識に専門の技術、それらを扱う為の才能が必要だ。けれど、僕のすることは自らの術式を刻み込むだけ。だから器の耐久性をうんと高いものにして一度限りの使い捨てにすることで霊具として成立させようとしている。
他の霊具職人の人からすれば怒鳴りたくなるような行いだけど、今回のみの話ということで許して頂きたい。
今回は自分の出来ることを道具に肩代わりさせようというのが考えの土台で、ある意味ではこういう道具が世の中には一番ありふれている物になる。
例えば火炎や雷、氷の飛礫を術自体が使えずとも敵に向かって放てるようにした土御門家の呪符などが代表的だ。
浄化の力は模倣そのものが不可能なために万能型と言って差し支えない呪符のような使い勝手の良い物にはなり得ない。
そこで目指すは基本は一回きりで使い捨ての道具。予め製作者の霊力を込めておくことで起動のみを他者に任せて術の行使を他者でも可能とする技術だ。この場合は使用者が別人でも込められた霊力は本人のものだから起動することは出来る。
問題は霊力の補給を製作者本人がしなければ再使用は出来ないところ。これも身近な人に渡す分には困らないので問題はない。
一回きりではなく数回に分けて起動することも可能ではあるけれど、その場合の術の強度には不安が残る。
それならば使い切りの物を複数個渡しておいた方が効率が良い。
これらを条件として、僕が作るのは結界を発生させる術を刻み込んだ、効果を長時間保ちつつも強度も確かな霊具だ。その為に最適な器は既に用意されている。あとは僕が失敗をしなければいいだけの話で。
(心臓がバクバクしてる……)
無理矢理に聞き出した金額を考えると緊張をしない訳がない。
完成品の一つを渡すという条件で譲り受けたはいいけれど、全て失敗をした場合には景文さんは丸損になってしまう。
だからこそ細心の注意を払って成功させてみせる。
「水球」
風音様から教えられた儀式で結界を張るに当たり、まず必要になるのが神水だ。通常の浄化の水を何倍にも濃縮したような強い浄化の力を宿す水だからこそ妖怪に対して絶大な力を誇る結界の核になり得る。
昔の人は霊具を用いてこれを生成していたけれど、僕の場合は必要はない。
あの生成方法を見るに、恐らくは時間を掛けてゆっくりと神水を作ることになるのだろう。それが霊具としての機能ということだけれど、色々と聞いた情報を総合すると僕と過去の人では霊力の総量にそもそもの違いがあり過ぎる。つまり、神水を一気に生成したくとも出来ないという事情があったと推察するに至った。
ならば僕の霊力量ならその時間を一気に短縮することが出来るはずだ。
あの土器から滲み出していた霊力と同じように、出した水球に霊力を注ぎ込んでいく。
これ自体は過去にもやったことはあるけれど、内包出来る限界値まで試したことはなかった。
だからどの程度が神水と呼べる頃合いなのかは分からなかったけれど、血筋の影響か、その終わりを何となく理解出来た。
「……出来た」
考察した通りに半ば無理矢理に霊力を濃縮した結果、無事に神水を作ることに成功した。
凄まじい程の浄化の力を肌で感じる。いや、昨日作ったものよりも少し力を入れ過ぎたかも。
これ自体を攻撃に転用出来るだろうし、やはり風音様に相談をしたのは間違いではなかった。
神水を適量だけ取り分けて器となる器と並べる。
次に行うのは結界を展開し、そのまま器に刻み込むこと。
浄化の水の濃縮は力技でどうにかなったけれど、こればかりはそうはいかない。
「掛けまくも畏き伊邪那岐の大神」
始まりは場の空気の穢れを祓う為の祓詞から。
初めはこの祭事にどんな意味があるのか分からなかったけども、この言葉自体に力があることを先日知った。
詞を発すると共に空気が冷えていくのを感じる。この場にある淀みが洗い流されるように真っ新に、黒ずんでいたものが白く、抜け落ちるように白くなっていく。場が整い、不浄なるもの一切を許さない場が形成され、そのまま次の段階に入る。
神様に向けて穢れが入ることを許さない世界を作り出すことを希う。
恭しく傅き、頭を下げて許しを請う。
例え形だけだとしてもこれが儀式なのだ、そう理解しながら。
「えっ?」
その時、世界が止まる。
『──神域への接続を確認』
「…………ッッッ!!??」
耳鳴りが轟き、視界が真っ白になりながら知らない声が突然頭に響いて。
一瞬、意識が遠くなりかける。
その直後にまるで無重力から解き放たれたように体に自由が戻ってきて。
「何、が……?」
まるで耳からではなく脳に直接呼びかけられているかのような錯覚に陥って、気がつけばいつの間にか額が地面に着いていた。
同時に脳内に知らない情報が追加されているような、気味の悪い奇妙な事が起きている。
風音様から聞いた結界を張る為の儀式は実は重要な要素が欠けていて、それを補完するように情報が付け足されていることを何故か僕は知っている。
知らないはずなのに、知っているという不可思議。
僕はそれを一度たりとも耳にしたことはないし、そんなことを想像すらしたことはなかった。
神様に向けて願った結果として返ってきた言葉なら、あの声の主こそが神だというのか。
日本人として事あるごとに神様を奉ることは多いものの、その存在を確認したという人は終ぞ頭のおかしい人扱いを受けてきた。
ならば、今の自分も妄想の類なのか。
妖怪という存在が復活した昨今、神様の実在もまことしやかに囁かれる中、ついに本物と出会ったというのか。
それについては考えても分からない。分かるのは知らないはずのことを声を聞いた瞬間から何故か知っているということ。
(やってみれば分かる……か)
唾を呑む音が頭の中に響いたような感覚がする。
いきなりの事態に動揺はしているものの、補完された情報は別に自分に害のあるものではないので、試す分には問題はない……はずだ。
寧ろ、どうして今までそれをやろうと考えなかったのかと思ってしまうほどに、その情報は今の自分に必要なものだと感じずにはいられない。
生成した神水を手に取り、今一度その行為をすることの是非について考える。
本来はこの神水を触媒として、祓詞を唱えることで結界を発動させることが目的だった。
「ままよ……っ!」
ならばと、意を決して神水を手の平に落として口元へと持っていく。
妖怪に対して絶大な威力を発揮する浄化の水が唇から舌の上を通って喉を通過していく。手の平一杯ほどの水は無事に腹の内に収まる。
「うっ……」
経緯から考えれば消費した霊力が自らに還ってきただけのように思えるけれど、霊力とは別に膨れ上がった浄化の力そのものが僕の中で膨れ上がっていく。今まで感じたことのない感覚が急に湧き上がり、体中が何かで満たされる。
息苦しいとか辛い感情はない。ただ浄化の力が自分の体の中でより多く発せられているというだけで。
追加された情報の通りならばこの浄化の力に満ちた状態の自分を触媒とすることでより強固でより強力な結界を張ることが出来ることになっている。
その為の別の言葉もまた、僕は知らないけれど知っている。
「高天原坐し坐して、天と地御働きを現し給う竜王は────」
この竜王とは龍神のことでもあり、穢れや罪、災いや病魔を洗い流す力を持っていたらしい。
現象として雨が降るこの祈りは次第に雨乞いの儀式としても行われるようになった。
なるほど、大蓮寺家の起源はここかと納得した。最初に巫女となった人はさぞ力に溢れていたのだろう。或いは余程信心深い人だったのかもしれない。
最後の詞を唱えたと同時に。
『原罪浄化せよ』
「神意拝領」
意識せず漏れ出た言葉は神の意思に従うものとなり、僕は記憶にある通りに術を行使した。
「涅槃浄界」
僕という触媒を元にしているからか、術の範囲は非常に大きい物となった。
半径十メートルを優に超え、宝蔵邸を飲み込み、街にまで広がり、代理人に任せていた小さな妖怪を消し飛ばしながら綺麗に僕たちの街を囲んだ。
長続きするように術を行使した訳ではないのですぐに効果は切れるだろうけれど、その間にこの地域にひっそりと現出し潜伏していたであろう妖怪は跡形もなくこの世から姿を消したはずだ。それは白面が秘密裏に仕込んだ罠でも同様だった。
邪気という邪気を問答無用で纏めて消し去る結界は未だ危険の残っていたこの街を安全なものに塗り替えたという訳だ。
「何が起きたのッッ!!??」
僕がそのことに認識するのと、血相を変えて咲夜が飛び込んで来たのはほぼ同時のことだった。
全力で疾走してきたのだろう、額に汗を掻きながら肩で息をしているのは咲夜にしては珍しい。
「あぁ、咲夜」
「はぁっ! はぁっ! ……あぁ、咲夜じゃないわよ! こっちはいきなり馬鹿みたいにでかい気配を感じて気が気じゃないってのに! 説明! ほら説明! さっさと説明!」
「ちょ、口調が荒くなってるって。淑女どっか行っちゃってるって。……と、とりあえず目的を完了させるから少し待っててよ。ねっ?」
「目的って、何を……」
「いいから。今はそのまま見てて」
発動中の結界術が消えない内に、霊具の器となる瓢箪を手に取って術を刻んでいく。
方法としては術の規模を小さくしていき、その力を手のひらほどの大きさまで調整、それを霊具に押し当てて術を器に馴染ませるといったもの。
無理矢理でとても丁寧なものだと言えるものではないものの、一度限りの使用ならこれでいい。これで十分だった。
核が僕になっていないから今よりもずっと小規模の結界となるだろうけれど、咲夜だけを守るのならそれで構わない。むしろ範囲を小さく固定し、長く維持出来ように調節していく。
完成形を思い描きながら粛々と続ける様を咲夜は憮然とした様子で見守っているのを感じていた。
それから程なくして内部の霊核に術を刻み込んだことは無事に成功した。あとは瓢箪の中に神水を入れ、栓をすることでようやく霊具としての完成を見る。
「よし! 咲夜、何とか霊具が完成したよ────ってあ痛ぁ!?」
振り返ったところにいきなり頭部に手刀をお見舞いされて後ろに倒れかけた。いきなりのことでも瓢箪を落とさなかったことを褒めて欲しい。
その犯人といえば、"いかにも"な格好で怒りを表現していて。
「そんなことより! 予定と違うようなことをする場合は事前に言うように言ったでしょう!」
「そ、そんなこと言ったっけ?」
「ほーう? 忘れているようだから私が丁寧に思い出させてあ、げ、よ、う、かしら?」
「ほぉれひた! ごえんはふぁい!」
そういえばこの儀式をする前にもそんなようなことを言っていたような気がする。初めてやることだし、始めは咲夜も監督するって話だったけれども時間が掛かるし地味だしそんなに変なことはしないということで席を外してもらっていたのが余計に怒らせている要因か。
思い起こせば確かに異常事態と言ってもいいことが起きていたし、先に相談すべきことだったと思い返す。
「いきなり閃光みたいな霊力の高まりを見た私の焦りが分かる? それで慌てて走ってきた私の気持ちが分かる? ねぇ、分かる? 」
頬っぺたを引っ張っては捩じりながら弄ってくる咲夜に呂律が回らないままに謝罪していると、ようやくといったところで解放される。
どう考えても自分が悪いので痛む頬は治さずにそのままにしておいた。咲夜はなおも怒ったまま僕の額をグイグイ押してきて。
「それで? 説明はしてくれるの? 話に聞いていた神水ではないし、結界を作る為の儀式とやらでもないのでしょう?」
「えっと……ずっと見ていたの?」
そうでなければ断定した物言いは出来ないだろうと思って聞いた言葉だと思ったらどうやらそうらしい。
「そ、そんな訳がないでしょう! 貴方が変なことをしないか見張っていたのよ!」
「あー、はいはい。分かった分かった。それで一早く駆けつけてくれた訳だね」
「……まぁ、いいわ。そうよ、いきなり清花の体が光ったと思ったら光の壁みたいなものが押し寄せて来たんだからビックリもするでしょ」
僕と咲夜では見えている視界が違うので同じ光景を思い描いている訳ではないけれど、それは確かに驚くのも無理はないかもしれない。
とりあえずは一から事情を説明することにしよう。
「多分、体が光ったのは神水を飲んだからだね」
「は? その神水って浄化の力が煮詰まったみたいな代物でしょ。そんなのを飲んで大丈夫なの?」
咲夜がその眼で以て僕の体の隅々まで異常がないかを調べ始める。
「大蓮寺家だから大丈夫なのか、僕だからなのかは分からないけど体は特に問題はないよ。それに今は結界を発動したからその神水も無くなったみたいだし。今は咲夜から見ても体が光ったりしてないでしょ?」
「……そう、みたいね。それで今は無くなっているということは光の壁……結界はしっかり発動したということかしら?」
「うん。無事に出来たよ。それで、その結界を刻み込んだのがこれ」
完成した霊具を咲夜に見せると途端に顔色を変えた。
咲夜の目では完成した霊具がどれくらいの性能を有しているのかを判別出来るらしいから彼女の評価は気になるところだ。
僕の手にある瓢箪をまじまじと見つめた咲夜は眉間に皺を寄せながら結論を出したみたいで。
「何これ、宝具の類? いつの間にこんな物を用意していたの?」
「いや、用意も何も僕が作ったんだけど。さっき、ここで」
「……本当に? 元々用意していた物じゃなくて? 私に知覚出来ないくらいの早技ですり替えたとかじゃなく?」
本当に疑っている訳ではないと思う。ただ目の前の現実が受け入れられなくて現実逃避をしているような様子だ。
何故いきなりそんな態度になるのか疑問ではあるけども。
「何なら起動してみる? 僕以外に作れる人はいないと思うから証明になるはずだし。きちんと出来てるか何回か見ておかないとね」
使い捨てだから無駄には出来ないものの、一応の起動実験はしてみたかったし、どれだけの霊力でどれだけの持続時間なのかも確かめたい──ということで言葉を待たずに結界の霊具を起動する。起動をするには手に持っている保持者が念じるかだけでいい。
浄化の力は悪意に敏感だから、もしも咲夜が気づかなくても悪意を察知して彼女を守ってくれることだろう。
「ちょ、待ちなさ」
霊具から霊力の波動が迸り、瞬間的に僕と咲夜の周りに半球状の結界が現れる。
範囲は限定的だし、持続性も自分で発動するよりも短くはありそうだ。もう少し込める霊力量を増やした方がいいかもしれない。
瓢箪は術を発動したと同時にひび割れ、粉々に砕け散ってしまった。これで数十万円が飛んでしまったのはもう気にしないでおくことにする。
今回作った霊具に関しては、やはり繰り返し使えるような物ではないらしい。霊具作りの大変さを身に染みて感じるばかりだ。
「これは、さっき見たのと同じ……」
「そうでしょ? さっきの神水を飲むっていう工程を取り入れることで別のより強力な結界に……って何で揺らすのさ~あ~」
複雑な、でも少し嬉しそうな顔で僕の肩を持って揺すってくる。
もう一回作ってと言われたので次に作った霊具の器には持続時間を長くしようと神水と霊力を先ほどよりも多く充填していく。自分の中からぐんぐんと霊力を奪っていく瓢箪に感心をしていると、いきなり霊具を咲夜に奪われた。
「いくら何でも入れ過ぎ! もう十分に入ってるから! これ以上は過剰だから止めなさい!」
「そうなの? もう少しくらいいけると思ったんだけど」
霊力が可視化して目に見える咲夜が言うのなら間違いはないのだろう。僕も今回が初めての霊具作りということで加減が分からないのもある。
出来ればあと何回か起動と充填を行って感覚的にどれくらいの霊力が必要なのか計りたいところだったけど。
これでもやり過ぎらしいので今くらいの感覚を覚えておくとしよう。
「とりあえず、使い捨てだからもうおいそれと使えないけど、それを含めて後で成功した物を何個か渡すから咲夜用として貰っておいてよ。次に同じ品質の物が出来るか分からないけど、コツは大体掴んだからいけると思うからさ」
瓢箪を渡すと、それをまじまじと見つめた咲夜は一度深い息を吐いた。
「これは……受け取れないわ」
「えっ? どうしてさ? そこそこ良い物が出来たと思うんだけど」
結界の効果は確実に咲夜を守ることは間違いないし、これ以上を求められても今は考えつきそうもない。
先ほどの神の声らしきものやいつの間にか僕の中にあった知識だって毎回得られる訳ではないみたいだし。
僕がそんな風に考えていると、咲夜は困った顔をしてこちらに瓢箪を押し付けてきた。
「逆に価値があり過ぎて逆に身の危険を感じるのよ。それ欲しさに争いが起こっていたんじゃ意味がないでしょ」
「いやいや、それなら別の安価版も渡すからこれは緊急手段として持っておいてよ。僕が持っていても意味なんてないんだしさ。戦う手段のない咲夜が持っているのが一番有効活用出来るでしょ。いいから持っておいてよ」
返された瓢箪を咲夜の手に握らせる。ただの一般人の握力しかない咲夜には僕の手から逃げることは絶対に出来ない。
「うぐぐ……ここで力ずくは卑怯よ……っ」
「咲夜が強情なのがいけないんじゃないか。今後何があるか分からないし、持っておいた方がいいって絶対。持っていて損になるくらいだったら何かとの取引材料に使ってもいいしさ」
咲夜の身を守る意味でも、人間同士の交渉材料としてもこれは有効に使える。
それを知らない咲夜ではないはず。
「それとも、この程度の物で怖気づいてるの?」
「……は?」
いつもの咲夜なら僕が作った物を利用して立場を作り上げようとするものだと思っていたけれど、持っていることが原因で襲われるのが嫌だとは思ってもみなかった。そんなことを言ってしまえば僕が作る霊具の大半に同じことが言えてしまう。
「咲夜なら寧ろ嬉々として『で、これはあと幾つ作れるの?』って聞いてくるものだと思ったからさ」
だからこそ咲夜用に同じ物をあと幾つか、それと景文さんに渡すように一つか二つ。余った分は咲夜が自由にしていい分として作る予定だった。その心積もりでいたのに、言ったことは下位互換の物を作って欲しいだとは思ってもみなかった。
とはいえ、咲夜の懸念するのも分からなくはない。どうやら僕の作った霊具は相当効果が強いものみたいだから、力尽くで奪おうとする人ももしかしたら出てくるかもしれない。その時に非力な咲夜では余計な危険が増えることになってしまう。
結界がどれ程のものか分からない内は確かにそちらの恐怖が勝るだろうことは想像出来た。
確かにそれなら僕の配慮が足りなかったと反省するしかない。
「分かった分かった。それなら咲夜のご希望通りに少し手を抜いた物を作るよ。工程を少し変えればいいだけだから簡単さ。それでいいでしょ? ね?」
咲夜は激怒した。